第12話、寝台の上、ふたつの影が重なるとき
救護之間に三つ並んだ寝台のうち、窓際の一台に玲萌を寝かせて、俺はその足元に腰かけた。
惠簾はことの次第を報告するため、瀬良師匠のところへ行った。
ぜってー怒られるよな、これ。現在は授業に使っていないとはいえ旧校舎、破壊しちまったし。でもいまはそれどころじゃない。
「玲萌、具合はどうだ?」
枕元に左手をついて、右手でそっと玲萌の髪をなでる。
「だいじょぶだって。魔力切れおこしただけだから。寝てりゃ治るわよ」
声にいつもの張りがない。玲萌は弱音をはかないからよけいに心配だ。
「あんたの負担を考えずに魔術発動させてほんとにすまなかった。魔力制御しろって瀬良さんに言われたばっかしなのに」
「そんな悲しそうな顔しないで、樹葵」
玲萌は布団から片手を出すと細い指先で、見下ろす俺の頬に触れた。「あたしもちょっと樹葵の魔力量を甘く見てたっていうか、自分の魔力量を過信してたっていうか。まずったわ!」
明るく言って、からからと笑う。
「いやでもそもそも、土蜘蛛復活させちまったの俺だし……」
まだグダグダと落ち込む俺に、
「じゃあ樹葵、罰として今日は授業に出ちゃだめよ!」
「え?」
「ここでずっとあたしの手を握ってて」
「そんなことでいいのか?」
俺はすぐに玲萌の手を両手で握りしめた。こんなことで罪滅ぼしになるのなら――。彼女はちょっと目をそらすと、小声で言った。「ちょっぴり不安だからそばにいてほしいの」
ああ、そういうことか。気の強い玲萌にこんな一面があるなんて意外だ。
「そうだ、気休め程度にしかならねえが、俺の魔力をあんたに送るよ」
まぶたを閉じて、腹の底から両手に活源力を送るよう像影する。手のひらがだんだんと熱くなってくる。
「あったかい」
気持ちよさそうな玲萌の声に目をあけると、俺の手の甲を覆ううろこが昼の陽射しのなかでも分かるくらいに発光している。
「綺麗ね」
と玲萌がうれしそうに笑った。それから俺の手首のあたりに目をやって、
「そんな華奢な腕であたしを運んでくれて、ありがとね」
などとのたまって俺を無言にさせた。
いや、体動かすの嫌いで引きこもり万歳な俺がいけねぇんだが! あやかしの身体能力を手に入れたおかげできたえなくても強いし、さわやかな汗とかくそくらえだし! でも女子に華奢とか言われるのは堪えるんだよなぁ。
「どしたの? 樹葵」
ずぅぅぅんとなって下を向いている俺に気付いたらしい。
「いいんだ。俺、はかなげな美少年だから」
「――は?」
そのとき、からっと戸が開いて惠簾が戻ってきた。
「さすが龍神さま、玲萌さんに魔力を移しているのですね!」
「ああ、玲萌が少しでも早く楽になったらと思って」
「それなら口移しの方が早いですわ」
「口移し?」
ぼけっとして聞き返す俺とは反対に、
「そ、それって口づけ!?」
玲萌が真っ赤になって反応した。おお、そういう意味か。遅れて理解する俺。
「玲萌さんたら何を想像していらっしゃるのですか?」
惠簾が眉をひそめる。
「だって、そんな、あたしっ、経験ないもん!」
取り乱す玲萌。勉強できるし、たぶん結構しっかりしつけられてる感じなんだよな、玲萌って。両親がちゃんとしてそうだから、接吻なんぞ知らねえで当然だろう。
しかし惠簾は首を振った。
「龍神さまと唇がふれあったとて、それは男女のけがれた色恋沙汰とはまったく異なるものです。そんなご想像をなさるなんて、龍神さまに対する冒涜ですわ!」
まじか。そういう解釈になるのか。宗教ってすげー。
思いもかけぬ叱責を受けて、玲萌はぽかんとしている。
「わたくしなら龍神さまのいけにえになることも厭いません」
「いやいや」
慌ててぱたぱたと手を振る俺。「いけにえとか絶対所望しないから俺」
「さようでござりますか。ではこの身を捧げますゆえ、お好きになさってくださいませ」
いきなり惠簾が帯を解いた。緋色の袴がするりと床に落ちる。
「おお……」
などと思わず小さな声をもらす俺。神様立場、素晴らしいじゃねえか!
白衣の白帯を解こうとした惠簾に、
「だめっ」
玲萌が声をあげて起き上がった。布団の上に置いた手が、ぎゅっと布を握りしめる。「樹葵はこんな姿だけど中身は普通の男の子だから!」
あ、バレてた。
惠簾は一瞬、目を見開いたがすぐに、
「分かりました、玲萌さん」
とほほ笑んだ。何が分かったのか知らねえが、手早く袴を着つける。ちぇっ。
「わたくしならこれくらいできちゃいますよってお見せしただけ。ご遠慮なさらずお体のためにも、橘さまから魔力をいただいてくださいね」
そそくさと部屋から出ていこうとする。わけが分からず玲萌を振り返ると、いきなり起き上がったためかまた息が荒くなっている。
「玲萌、無理すんなよ」
下心十割になっていたことが急に気まずくなって、俺は玲萌の背中をさすった。
「樹葵――」
玲萌が消え入りそうな声で俺の名を呼んだ。「ちょうだい」
うるんだ目でみつめ、やわらかい指先でそっと俺の唇に触れる。
思わずごくりと喉をならす俺。いけねえいけねえ、いま反省したばっかじゃんか。玲萌は高熱でいつもの思考能力がおとろえているんだ。
「体に障るから横になりねえ」
俺は自分の煩悩を寝かしつけるように、玲萌に布団をかける。
だが玲萌は布団の中から手を伸ばした。
「ねえ、欲しいのよ」
着物の袖がするりと落ち、細い腕があらわになる。俺はふいに、その小さな手に指をからめた。清らかな少女の肌を鋭い鉤爪が這い、楚々とした手首に水かきがまとわりつく。
俺は、はっとした。この口には牙があり、舌の先は二つに分かれてる。こんなあやかしの唇が彼女の初めての接吻を奪うこたぁねえだろ。恋した相手と――せめて普通の人間と口づけさせてやらねえとな。
「惠簾はああ言ってたけど、時間はかかってもこのまま手から魔力を送るよ」
だが玲萌は駄々をこねるように枕の上で激しく首を振った。
「早く回復したいの! 体調を戻す方法があるのに、長く寝込む必要はないでしょ?」
そう言われてみればそうか。接吻なんて思ってたのは、煩悩のかたまりの俺だけだったのかな? あれ? まいっか。とにかく魔力を口移しすることで玲萌を少しでも早く楽にできるなら、逡巡している場合ではないのかもしれない。
彼女を助けることを心に決めて、俺はうなずいた。
「じゃあ失礼するよ、玲萌。すまねえな」
いつくしむように顔を近づけたとき一瞬、玲萌が勝利の笑みを浮かべたような気がした。だがその微笑はすぐに、恥ずかしそうなものに変わった。
「樹葵、まつ毛長い……」
ひそやかにくちずさんで俺の耳たぶをはさんだ彼女の指を、やさしく手のひらで包みこむ。照れ隠しでこんなことを言う彼女をいとおしく思う。近くで見ると改めて、玲萌が美少女であることを再認識した。学院で噂になるのもうなずける。
「目を閉じて」
耳打ちするようにささやくと、玲萌はくすぐったそうに笑ってまぶたを伏せた。息をつめて待つ彼女を一瞬、みつめる。なんて綺麗な娘だろう。
青白い俺の唇が、彼女の愛らしい口もとにゆっくりと近付く。
ふたりの肌が重なった瞬間、そのやわらかさに俺の体は熱くなった。
奥底から湧き上がる目には見えぬ力が、ふくれあがって彼女に流れこんでゆく。
「んっ……」
玲萌が小さなあえぎ声をもらした。
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