バレンタイン
それは授業終わりに、人がまだそこそこまばらに教室にいた時だった。
少し離れた席から、幼馴染のなっちゃんがまるで鬼気迫るというような剣幕でばっと突然右手を突き出して。
「これ! あげる!」
「はぁ、それはどうも」
もらえる物はありがたく貰いますよ精神である僕と致しましては、断る理由はないのです。
張り上げられた声とともに伸ばされた片手に乗っていたこの上等な箱を素直に受け取り、いただいたのだがしかし。
箱を差し出しつつもぷいっとそっぽ向いた顔は、頬を赤らめているようには見えたのだけれど、見えたからといって得られる情報なんて、それほどなく。
今どき女子であるなっちゃんは、ばっちり化粧をたしなむ女子で。
ということはつまり、頬にはほんのりとチークをのせている女子であり。
ということはつまり、赤く見えた頬は人口のもので、なっちゃん自身がなんらかの感情でもって染め上げたものではないのかもしれないという事であり。
ということはつまり、もしかしてこれ、俺本命のバレンタインチョコレートもらえたんじゃね!??
なんて嬉々として喜んだのならば、後ではんっと鼻で笑われる事になる、なんて。そんなミスリードを誘われているのかもしれないのであり。
ここで、正直に照れくさくて頬を染めていると思ってもいいものやらどうか。
さてはて、高校生活最大にして最難関の問題だ。
まぁ高校生活は幸か不幸か、あと二年はあるんですけどね。
なんて。一人茶番めいた問答を終えながら。
これは本命か、はたまた誰からも何も貰えずに放課後まで来てしまった幼馴染への憐れみを込めた義理チョコだろうか。
どうにもご本人様にしか出ないような問題の考察を繰り返す。
肝心のなっちゃんはといえば、こちらが受け取ったや否やぷいっと顔を背けた方向へと足早に去っていき、つまり一年四組の教室をだだだっと鞄も持たずに出ていったので、この箱の真意がいまいちわからず。
「はてさて」
と、目の前に鎮座おわしましますお箱様と見つめ合っている次第なのでございます。
「これは本命か、はたまた義理チョコか、」
うんうんと、目の前のお箱様を見つめに見つめて唸っていると、その時、天才的思考がびびびっと天から降ってきた。
まて、まて僕。受け取ったのは箱なのだから、その中身が必ずしもチョコでないではないか、というところまで閃いて。どこぞのだれがいつ何時、二月十四日はバレンタインデーなのだから、もらえる物全てがチョコだと決めたのだろう。
もしかしたら、チョコレート型したクッションなのかもしれないし、片手で持てるところを見ると、ミニクッション。
いやいや、まてよ。
このサイズ、この重さ。チョコレート型したただのメモ帳かもしれない!
いやいや、いや、まてまて、まて。
これではチョコレートから離れていないではないか。
結局はそこは離れていない事実にも気づいたところで。
そうか、これはあれあの時。小学生の二年生。
クラスが違ったおかげで貸すことができたリコーダーのお礼に、新しいリコーダーをくれたのか!
うぉぉ、自分は天才か、といたって平凡な自分の右手がむずむずとうずく妄想すらしてしまう。
妄想は飛躍に飛躍しちゃって飛びに飛び、異世界に飛ばれて勇者様はちょっと荷が重いので、陰から勇者パーティーを支える縁の下の力持ち。
普段はみんなのサポートであれちょっと欲しいな、これもちょっとお願い、なんて痒い所に手が届くようなキレにキレた働きを見せつつも、
(……ここで一度、一応のため、念のため。便利の良いこま使いでは断じてないない事をここに明言しておこう)
ちょっとしんみりしたい夜にしっとり曲を奏でたり。ばっちりはしゃぎたい時に盛り上がりに上がる曲を奏でたりして、みんなの心に寄り添って。
あんなこんなの試練を乗りに乗り越え、なんやかんやと無事に魔王を倒したのです、まで行ったところで、
もう高校生になったんだから、と自主規制をかけることにする。
遅すぎることなんてない、ちゃんと自己完結できるようになったのだから。
僕も大人になったものですと、一人うんうん頷いて。
さてはて。
まぁ実際問題、このお箱様だと小学校の時に使っていたリコーダーが入るサイズではないのは明らかなことで。
ぶちゃけるととんだ茶番なのでございます。
うむ。
それにもっとまぁぶっちゃけますと、実際のところこのお箱様をなっちゃんが購入した時にご一緒しているので、駅前にあるビルのバレンタインイベント特設会場で売っていたチョコレート様なのは知っておりました。ハイ。
もっと詳しくぶっちゃけますと、品よく綺麗に作られた四つほどのチョコレート様が鎮座されておられるのも確認済みです。
味が柑橘系でまとめられていて、オレンジ、ゆず、すだち、ノーマルと言ったものでございますです、ハイ。
ついでにもっと詳しく値段までぶっちゃけたいところですが、そこはほら、紳士を気取って見えてないことにいたします。
というか、三倍返しが世間一般の常識ですと言われているこの頃なので、元の値段なんて知らないことにすれば三倍の元が分からないので、百円だろうと言い張って、三百円分のお返しでいいでしょうという事にするためではありませんので、ハイ。
なっちゃんがカゴいっぱいにあれもこれもと、友チョコよりも自分用のチョコをいっぱい入れていくのを横目に、
ほら、荷物持ち。あんたは何がいい?
なんて言われて、それじゃあ、これで、と、こんもりおチョコ様が山のように重なってなかなかの重みのあるカゴを持ちながら、美味しそうだなと見つめていたおチョコ様であるだなんて……。
知っていましたとも、ハイ。
まぁ、でもほら。
なっちゃんが自分のおチョコ様を食べきって、中身をちょろまかしていることも無きにしも非ずなのでありまして。
中身が本当にあの時の、えっと、一月の最終土曜日だったから……。
……すみません、日付は忘れました。
一月の最終土曜日の午後の、まぁまぁ人ごみの中で買っていただいたあのチョコとは限らないわけで。
本当にあの時のおチョコ様が綺麗に並んでひとつ残らず、きっちり歯形もなく並んでいるのかどうかは開けてみないと真偽はわからないわけでして。ハイ。
なんて、茶番を嬉々として広げに広げたてまつりまして。
ちょっとそこんとこどうでもいいよ、な所は隣にある田中君の席にでもすとんと置いときまして。
目の前のお箱様に意識を戻し、また呟いておこう。
「本命か、はたまた義理チョコか」
悩むところです、と何度目かの思考ループを繰り広げようとしたところ。
ぽかんと、紙を丸めた何かで今日に頭をはたかれた。
おのれ、何やつ。
この儂に気付かれずに背後を取るとは出来るやつ。
目をぱちぱちしながら、後ろを振り向けば。
「本命に決まってんでしょ! ばーかっ!!」
これ以上ないですよ! と言うほどに頬だけではなく、まっかにそまった顔。
いくら今どき女子とはいえ、顔全体にチークをまみれにまみれるメイクはすまい。
それに、叫ぶように告げられた言葉が、真実だろうから。
どうやら僕は、なっちゃんから本命チョコレートをいただけていたようだった。
まじか、おぉー。