(4)分岐点 ~ターニングポイント~
四話目ですぞ!!
覚えの無いおかしな記憶を見たわ。
え? と驚いたら、その記憶が私の手を離れたの。丸で夢を見たみたいに。
でも憶えてる。
山の様に本が積み上がっていて、周りを取り囲む本棚にも本が一杯で、床の下が水になったみたいに足下が揺れて跳ねて、本棚も飛び跳ねて、大量の本が私の上に落ちてきた。
落ちてきた本のタイトルも、幾つかは思い出せるのよ? 「赤と黒」「罪と罰」「基礎電子回路」「シナリオの基礎技術」他にも色々。
其処での私自身の事も、やっぱりちょっとは思い出せるの。短大を出て、仕事に就いて、自分を磨り減らしながら毎日を過ごして、好きな本を積み上げながらも読めないでいる、そんな女。
でも、それ以外は霞んで何も分からなかったの。
そしてそんな朧気な記憶も、夢の中の出来事の様にどんどんあやふやになっていったわ。
私はそれが怖かった。
他にどんな記憶が其処に有るのか分からないのに、何故か私は其処にとても大事な記憶が有ると分かったのよ。
零れ落ちていく記憶を繋ぎ止めようと焦っていたら、ふと気が付いたの。
この記憶は誰の記憶?
答えは一つしか無いわ。これは私の魂の記憶。
魂の記憶なら、もう一度魂と繋がればと魔力を動かしてみて、そしてそれが正解だった。
此処とは違う別の世界で、此処で産まれる前に生きて来た私の記憶。
そっちに意識を向けると、「あ! 明日情報機器の棚卸し結果報告期限だからメールしないと」とか、「コンディションレポートの分析が進まないから上と相談かなぁ」とか頭に浮かんで、そしてその後にそれが前世の出来事だったと思い出してぐったりする。
ずっと好きで、でも真面に告白する事も出来無くて、社会人になってから偶然見付けたネットのブログで学生結婚していた事を知って、会いに行く事も出来無くなった片想いの人はどうしたのだろう。
友人らしい友人も居なかった私が死んで、気に掛ける人は家族か親類だけだろうけれど、微妙な気持ちを抱かずには居られない私の家族は一体何を思ったのだろう。
全て今更の話で、手を伸ばす事も出来無い違う世界での出来事だ。
ここで好きだった人の幸せを祈っても、決してその祈りは届かない幽世よりも遠く離れた地の話だ。
もしかしたら、月日だってもう何百年も過ぎていておかしくない。
大き過ぎる喪失感が胸の中に居座っているのに、それと同じぐらいにわくわくしている自分が居て、くすりと笑いが零れ落ちた。
体を起こして輝煌石の灯りに被せた覆いを僅かにずらし、私が脇机の上に置いていた初級魔導大全をこの手に取る。
頁を捲ると書いてあるのは、「但し、魔術の素質を持つ者は僅かであり、素質無き者が己が魂に触れれば魂を損ない廃人と化す虞が有る」の一言。
これを五歳の私も読んでいたけれど、その意味を理解してはいなかった。魂を損なうと言っても、元々繋がっていない魂なら別に何も起こらないわよね? と、そんな理解で終わっていた。
でも今、私自身に起こっている事を考えると、これはそんな生易しい話では無いのだろう。
今こうして私が私の魂と繋がっている間中、物凄い勢いで前世の私こと赤石祥子の記憶がプルーフィアの脳に書き込まれて行ってるのを感じている。
同じ様にプルーフィアの記憶も、私の魂に追記されて行ってるのだろう。
これが恐らく魂との合一だとするならば、もしも私の前世が“人”では無かったなら、今頃私はどうなっていただろうか。
もしかしたら、今頃は四つ足で這いずりながら、「グエグエ」鳴くばかりの生き物に成り下がっていたのかも知れない。
我が事ながら、無謀で無駄に挑戦心が溢れていて、子供らしい事だと笑みが零れて仕方が無い。
そんな私自身は、一晩で子供らしくない子供になってしまいそうで、ちょっと苦笑が漏れるけれど。
でも、子供だ。幼児と言ってもいい新鮮な子供だ。ちょっと産まれてからの逆境には思う所も有るけれど、前向きに捉えるなら前世の私と重なりながらも取り返せる程度の試練だ。
正直に言って、前世の私には未練という物が少ない。
好きだった人の幸せを見届けたかったという気持ちは当然有る。
百以上有った積みゲーや数万冊の積ん読本に積ん読漫画、積みDVDや積みCDはどれだけの数が有っただろう。ブックマークに入れていた積ん読Web小説も無数に有る。それらを消化出来なかったのもとても痛い。
世の中の色々な事件を聞いて胸の中を掻き乱された事も多いだろう。
でも、そんなのは人生に関わる未練とは言えない。
未練というなら只一つ。私は人生をやり直したかった。
敢えて言うならその記憶を保ったまま、叶うならば違う人生を。
前世の私こと赤石祥子の父親は、子供の人格を否定する暴言を吐いて直ぐに手を振り上げる暴君だった。そして母親はそんな父親から私を庇いながらも、父親の勘気に触れない様に、自分でも無意味と思っている様々な決め事で子供を縛り付ける共依存の母親だった。
そんな家庭に生まれたら、気が付けば全て自分が悪いと諦めてしまう、そういう子供の出来上がりだ。
親元を離れて通った短大時代が無ければ、私は自分がおかしくなっている事にも気付けずに、何処かで自ら死を選んでしまっていたかも知れない。
しかし、運良く自分の現状に気付けても、「毒になる親」だとか「アダルトチルドレン」だとか、その手の本に書かれている更生の為の支援者なんて、自分の価値を底辺に定めた私に現れる筈も無く、私は何処かが欠けたまま社会の中に出る事になった。
色々と分かってしまったその結果、深層意識の底の底で過去の私を無意味と断じたその影響か、掌から砂が零れる様に記憶は抜け落ち、他人の名前どころか自分の名前も切っ掛けが無いと思い出せない。用事が有って声を掛けに行っても、名前が分からなくて呼び掛けられない。そんな症状に悩まされながらの事務業務には、関係者の名簿が手放せなかった。
設計部や品質保証部の庶務を渡り歩きながら、その業務の経験と併せて、私は一つの事実を痛い程に思い知らされた。
不具合が有るならば、その根本となる原因に対して対策しないと、不具合は直らない。或いは直った様に見えたとしても、その不具合は何れ再発するのだと。
不良品として世の中に出てしまった私には、一体どんな対策が有効だと言うのだろう。
同じ赤石祥子としてやり直せたとしても、同じ不具合が作り込まれてしまうのだとすれば、それはもう赤石祥子の不具合では無く赤石家の不具合に違い無い。
ならばもう仕方が無い。
好きだった人の前に立つ事ももう出来無い。
それならせめて私が生きた証を残そうと思っても、庶務の仕事で何を残せると言うのだろうか。
それでも何かを残そうと、自らWeb小説を書いたりもしてみたけれど、そんな私だから本当に大した未練なんて物は無かったのだ。
そこまで思い返しておきながらも、達観した気持ちになってしまうのは、どうやらおかしかったのは私だけでは無くて世の中もおかしかったと思い出してしまったからだけれど。
謀略により陥れられた野党代表が居るかと思えば、真っ黒な不祥事を起こしながら開き直って政権に居座る議員が居たり、犯罪的国家機関が放置されていたり、マスコミの偏向報道が常態化していたり。
世界的なパンデミックが起こってからの出来事は、外から見たら愚か過ぎて喜劇かも知れないが、その内に居たら地獄の様な悲劇だった。疫病が流行しているのに旅行を推奨するなんて狂気すら感じる施策まで講じられた。
原因から目を背けているから対策が対策になっていない。嘘偽りのオンパレード。声が大きい者が正しいとばかりにマスコミもデマを垂れ流し、地獄の様な状況にも拘わらずそれを招いた与党が再選する。
多分、そんな状況を目の当たりにした絶望が、私を元の世界では無く別の世界への転生へと誘ったのだろう。
子供に家は選べない。故に私が不良品となったのが必然だったとして、五十年以上をほぼ一強体制と成っていた事があの状況を招いたのなら、一体誰がどんな有効な対策を打てるというのだろう。
幾つも仕込まれていた筈の自浄機構を反故にする輩を良しとする者が大半を占めているというのなら、誰がその暴走を止められるというのだろう。
私が死ぬ原因となった地震が、何処で起きたものかは分からない。私はその時死んでしまったのだから。
もしもあの国に対する絶望を抱いていなかったなら、死んでしまった事にもっと深い悲しみを抱いていたかも知れない。何故なら会いに行けないとしても、あそこは私の好きな人も暮らしていた世界なのだから。
けれど、その頃には将来は山でも買って自給自足の生活をした方が、人間性を取り戻した生活が出来るのではと考えていた私にとって、死んでしまった事実には喪失感を覚えても、立ち直れない様な悲しみを覚える事は無かった。
ここが私の生きて来た世界とは違うという事実に対しても、気の遠くなる様な焦燥を覚える事も無い。
何故ならば、図らずも私は“記憶を保ったまま”“違う人生を”“やり直し”ているのだから。
今度こそ間違えない。
その為には、深く洞察し、本質を掴み、私の求める未来へと続く道を選び続けて行かなければならない。
それを私は深く心に刻んだのだ。
地の文が安定してないのは仕様。
うん、作者の仕様。




