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(3)岐路 ~熱願~

 三話目だ~♪

 アクトー侯爵家の三女ヴァチェリーが、グリムフィード伯爵家の長男イルカサルと引き合わされたのは、ヴァチェリーが六歳になる秋会合の頃だった。

 秋会合ではアクトー侯爵を寄親とする寄子達が集まって、徴収された税の納付や諸々の報告がされることになる。

 そこで挨拶を受けたのが、二歳年上のイルカサルだった。


 普段ヴァチェリーの周りに居る、おべっかばかりか或いは粗雑な子供達とは違って、イルカサルは子供ながらも初めから紳士だった。それは寄子の子供という事から当然身に付けているべき処世術だったのかも知れないが、いつしかヴァチェリーもイルカサルの訪れを楽しみにする様になっていた。


 そんな想いを心に秘めた、年に一度の逢瀬も七つを迎えた頃に、父のダイカンが明日の天気を訊ねるかの様な気安さでヴァチェリーに告げたのである。


「ヴァチェリーよ、グリムフィードの家に嫁いでみるか?」


 ――と。

 動揺したヴァチェリーは、それを表情に出さない様に気を入れながら、何故父が突然そんな事を言い出したのかを考える。

 アクトー侯爵の寄子達は、それぞれ立地に恵まれたのか、何処も豊かな発展を遂げている。その中のグリムフィード領の立ち位置としては、海以外ならば大抵揃うと言われる程に、全てが自給自足で調えられる土地だった。

 大規模に輸出出来る程の余剰が出たりはしないが、何も輸入せずとも立ち行かなくなる訳では無い。それでいて魔境とも接している故に兵は精強。時には王都のオークションに供される様な産物も出る。

 大穀倉地帯を持つ他の寄子や、大規模鉱山を持つまた別の寄子の様な、はっきりとした売りは無いが、非常に安定した土地。

 それがグリムフィード領の評価だった。


 抱えていたからと言って特にアクトー家の利になるものでも無いそんな土地へと嫁がせるのは何故と考えて、ヴァチェリーは他の寄子には既に何度も報恩の証としてアクトー家の者が下されている事に思い至る。

 余り同じ血ばかりが混ざっても良くないとは話に聞く事から、きっと父はヴァチェリーの嫁ぎ先として、安定したグリムフィードを見繕ってくれたのだろう。そこには表向き長く仕えているグリムフィードを労うという意味も乗せて。


「謹んで、お受け致しますわ」


 理由が分かれば何の事は無い、ヴァチェリーは喜びを胸の奥に隠して、その話を受けたのだった。



 アクトー侯爵家がその頃から教会排斥派になっていた為、その二年後に迎えが来た時にも盛大な結婚式は行われず、アクトー侯爵領ではパーティでの御披露目だけだった。しかし、グリムフィード伯爵領の領都へと入ると、街の住人が全員集まったかの様な華やかなパレードで迎えられたのである。


 疲れて怠くなる程に手を振って、笑顔を振り撒いたあの日。

 優しく見詰める夫と成った人に微笑み返したあの時。

 昼間のイルカサルはやっぱり優秀で頼もしくて。

 夜のイルカサルは昼間の紳士を忘れてしまったかの様に情熱的で激しくて。

 でもその後で昼間には見せない照れた様な表情を見せるのが、可愛くて愛おしかった。


 ずっとそんな幸せな時間が続いていくのだと思っていたその確信が壊れ始めたのは、幸せのその絶頂の中にある筈のあの時だ。

 四人目の子供がお腹の中で元気に動いているのの相手をしていたら、突然お腹の赤ちゃんの動きがおかしくなった。

 ずっと元気に動いていたのに、前触れ無く動きが緩やかになって、その次にはお腹の中で溺れているかの様に暴れ出した。

 恐怖に駆られて人を呼んだその結末は、寝台に縛り付けられ、丸めた布を噛まされて、刃物で腹を切り裂かれる死と背中合わせの体験だった。


 一刻を争うが故に覚悟も無く縛り付けられたヴァチェリーは只々恐ろしくて、若干の未熟児として無理矢理取り上げられた赤児の姿には衝撃しか無くて、開いた腹を秘薬を用いて閉じるまでは縛り付けられたままのヴァチェリーには産まれた赤児を抱く事も出来無くて、時間が過ぎてからその腕に渡された赤児には恐怖ばかりを感じたのだ。


 それからもヴァチェリーはどうしてもプルーフィアを抱き締める事が出来無くて、出の遅かった乳をやるのもアクトー侯爵家に居た頃からの侍女であるシオンに、ヴァチェリーが眠っている間にプルーフィアに吸わせる様にお願いした。

 そんな生活をしていれば、心は擦り切れてしまうのかも知れない。

 プルーフィアが乳離れする頃には、すっかり普通の可愛らしい幼児となっていたが、それでもヴァチェリーはプルーフィアと目を合わせる事が出来無かった。


 自責の念と自己嫌悪、母親としての義務感。

 イルカサルもヴァチェリーを支えようとしたが、もう子供は望めないと告げられたその事実が、ヴァチェリーにイルカサルの手を取る事を許さない。

 それより寧ろ、今も紳士なイルカサルを見ていると、その優しさも何も彼もが仮面に思えてしまうのだ。


 そんな所に第二夫人のエマが懐妊したなんて話を聞いてしまえばもう駄目だった。

 ヴァチェリーはイルカサルを信じる事も出来ず、プルーフィアを愛する事も出来ず、寧ろ全ての元凶をプルーフィアに押し付けて疎み始めてすらいた。

 そこに、あの声が届いたのだ。


「今日はお母様に手を繋いで貰って、ずっと一日お喋りをしていたいわ」


 何故その言葉がヴァチェリーに響いたのか、頑なになっていた心に足を前に踏み出させる程に揺さ振ったのかは分からない。

 でももしかしたら、ヴァチェリー自身が誰かに手を握って貰って、一日中話を聞いて貰いたかったのでは無いだろうか。

 兎に角気が付いた時には、ヴァチェリーはシオンが用意した椅子に座らされて、その手をプルーフィアの両手で掴まれていたのだった。


 手を握って欲しいと言いながら、プルーフィアは何故かヴァチェリーの掌を掴んで、顔に当てたり頭に当てたりして、嬉しそうに笑っていた。


「……何をしているのかしら?」

「うふふ、お母様の手が嬉しいの。

 誰にも信じて貰えなかったけど、お母様のお腹の中に居た時の事を、私はちゃんと憶えているのよ?」

「お腹の……中……?」

「うふふ、お腹の中は赤くてね、ぼよぼよぼよ~ってお母様がお話ししてくれる声が響いているの。

 赤い壁がちょっとだけ暗くなったらね、お母様がなでなでしてくれたり、ふにふにしたりして私と遊んでくれるのよ?

 ……私の幸せな記憶だから、いつだって思い出せるわ」


 プルーフィアが最後に浮かべた切なげな表情に、ヴァチェリーは息を呑んだ。


「熱が出てしまったのはね、魔術のお勉強をしていたからなの。

 魔術を使うのにはね、自分の魂を見付けて一つにならないといけないのよ?」

「……それをプルーフィアは見付けたのね?」

「うん。私の魂は色んな事を知っていてね、その魂と一つになると知らない事を思い出せる様になるの。

 そうしたらね、直ぐに魂が焦って叫ぶのよ?

 お母様と仲良しにならないと駄目って。お母様が私を愛していた事を知ってるでしょって。私もお母様が大好きなんでしょって」


 プルーフィアの切なさが移ったかの様な表情をヴァチェリーは示し、同じ様な表情をしたシオンがヴァチェリーの肩にそっとその手を乗せる。


「でも、どうすればいいのか分からないでいたら、考えなさいと魂は言うの。

 一杯一杯考えたわ。気が付いたらお外が明るくなっていて、寝ないでずっと考えていたから、きっと熱が出てしまったのね。

 簡単な事なら直ぐに答えが出るの。

 椅子の上に立ってはいけない理由も、メイド達が魔術に疎い理由も、神様の事については皆が言葉を濁す理由も。

 でも、お母様と仲直りするにはどうすればいいのかは分からなくて、一杯一杯考えたわ」


 プルーフィアはヴァチェリーの掌に頬摺りしながら言葉を続ける。


「お父様はね、お母様が私を産む時にとても苦しい思いをしたからだって言ってたわ。

 お喋りなメイド達は、私がお母様のお腹を裂いて出て来たなんて噂してた。

 私も当然憶えてたから、そんな怖い思いをしたのならお父様の言う通りに待つしかないと思ってたけど、ちょっと違うって私の魂は言うの。

 でも、一杯一杯考えたらね、その理由が分かったわ」


 プルーフィアは分かったと言うが、ヴァチェリー自身には我が身の事にも拘わらず、どうしてプルーフィアを抱き締める事も出来無いのか、視線も合わせられないのかが分からないでいた。

 だからこそ、ヴァチェリーは固唾を呑んでプルーフィアの言葉に耳を傾ける。


「あの時の事も良く憶えているわ。

 お母様がいつもよりうきうきしててね、いつもより沢山遊んでくれたのよ?

 お母様の手が誘うのを、私も赤い世界の中で追い掛けて、嬉しくなって燥いでいたのに、急に苦しくなって、怖くて怖くて藻掻いていたら、赤い世界が白い光に切り開かれて、それで私は助かったの。

 きっと私が動き過ぎた所為で、臍の緒とかが首に絡まってしまったのねって、私の魂は言うの。

 でもそれは、不運が重なってしまっただけで、誰も悪く無い事なのよ? 燥ぎながら綾取りをして毛糸に絡まってしまっても、悪い人なんて何処にも居ないのと同じなのよ」


 そして余りにもさらりとプルーフィアが言ってのけたから、ヴァチェリーは始めその意味を掴めなかった。

 しかし、言葉が頭に浸透するに連れ、衝撃が感情を掻き乱していく。

 目を大きく見開いたヴァチェリーを見て、何故かプルーフィアはふわっと表情を緩めたのである。


「ほら、お母様だって気が付いていなかったのよ? やっぱりこっちじゃ無かったのよ。

 それなら残る答えなんて決まってるわ。

 お母様は産まれた私を怖がってしまうかして、抱き締められなかったのをずっと罪と思ってお母様自身を責め続けているのね。

 怯えるのも目を合わせられないのも、悪い事をしたとお母様が思っているから。誰かが叱ってくれないと、赦して貰う事も出来無いから。

 そうよね?」


 そうよねと告げられても、ヴァチェリーの頭は追い付いていない。

 しかし胸の内では長年の蟠りが氷解したからか、涙は頬を伝った。


「一番初めのは怖かったんだから仕方が無いのよ。行き成り私が死に懸けになって、お母様がお腹を切り開かれるなんて誰も予想出来ないもの。怖くなって当たり前よ? だからそれはもういいの。

 お仕置きが必要なのはその後よ。お母様、始めに怖がった後ろめたさが有るからって、私の事を避けたのよね? 一度避けたら余計に気が咎めて、踏ん切りが付かなくなったのよね?

 五年もの間、逃げたのがお母様の罪です。罰は私を可愛がりなさい。絶対に赦されないのよ? 十年経っても二十年経ってもお母様は私を可愛がらないといけないの!」


 嗚呼とヴァチェリーは祈り、洟を啜り上げる。

 涙はもう溢れて止まらなかった。

 プルーフィアが顔に当てているヴァチェリーの掌も濡れている。

 堪らずヴァチェリーはベッドのプルーフィアに覆い被さって、強くその小さな体を抱き締めた。


「御免なさい……御免なさいね、プルーフィア」

「ゆ、赦さないと言ったわ! お母様は、お母様は――そ、そうよ! お母様は今日はもう私と一緒に寝ないといけないのよ!」

「ええ、ええ、そうね。今日は一緒に寝ましょうね」


 見守るシオンも涙を流す中、下着姿となってプルーフィアのベッドに潜り込むヴァチェリー。

 プルーフィアはそのヴァチェリーが幻になって消えてしまわない様に、必死な様子でヴァチェリーにしがみつくのだった。


 本来の運命ならば、心を壊して嫉妬に狂った伯爵夫人としてその生涯を終えていただろうヴァチェリーは、プルーフィアの導きによって愛情を取り戻し、再び幸せな人生へと舞い戻る。

 その影響は単に接し方が変化しただけには留まらない。


「こら、こ~らっ、歯が生えているのに吸い付いちゃ駄目よ? もう、大きな赤ちゃんね」

「ん~~? ん~~♪」


 ヴァチェリーとプルーフィアは、十日近く経ってもべったり片時も離れない蜜月を過ごしていたが、その日も大浴場の中で一頻り戯れた後に、プルーフィアはヴァチェリーの腹部の傷を見て問い掛けた。

 因みにヴァチェリーは大浴場の中に据えられた椅子に座り、抱っこする形でプルーフィアがヴァチェリーの膝の上に座り、そして笑みを浮かべたシオンが解いたヴァチェリーの長い髪を洗っている。

 浴槽の中から呆れた様子を隠そうともしない次女ヴァレッタがその様子を眺めている、そんな光景が広がっていた。


「お母様、お腹の傷は治さないの? それとも治らないの? エイラール様にはお祈りしないの?」

「……治せないのよ。それとエイラール様って誰の事?」

「?? エイラール様は生命の神様よ? も~、お父様が教会と仲が悪いからって、神様を蔑ろにしたら駄目よ。ちゃんと祈ってれば良くなるかも知れないのに」

「神様は聖神ラーオでしょう? それに、教会に祈祷をお願いするのは高く付くのよ。色々と……」

「だから教会なんて関係無いって言ってるのに……。どうして教会に拘るの? 神様に祈るのは何処でだって出来るわよ。

 そうよ! 私が祭壇を作っちゃえばいいのね!

 お母様、庭に面した丸いお部屋を私の好きにしてもいいかしら? 他にも色々したいから、手前の部屋から欲しいのよ?」


 体を離してヴァチェリーのお腹の傷を撫でていたプルーフィアが、再び抱き付いてきたのを抱き締め返しながら、ヴァチェリーは放心する。

 グリムフィード伯爵家が教会派と袂を分かったのは、ヴァチェリーの実家でも有る寄親のアクトー侯爵家の意に沿った物だ。アクトー侯爵家の教会嫌いは激烈であり、ヴァチェリーの父である今代当主ダイカンこそが率先して教会の排斥に動いていた。

 プルーフィアが欲しがった部屋は偶然ながらも嘗ての礼拝堂だったが、其処に祀られるべき神像も疾うの昔に教会へと返している。

 いや、その神像を貸し出して代金としての高額なお布施を集り始めたのが、アクトー侯爵家の勘気に触れたとも言えるのだが。


 そのアクトー侯爵ダイカンの怒り狂う様を見て育ったヴァチェリーにとって、神々へは頼る事の出来無い悪徳の象徴にも近い印象を抱いていたが、プルーフィアが言う通りに神々と教会を同一視する必要は無い。

 それならば、ヴァチェリーが神々の力にお縋りする事も、許されない筈が無いのである。


「……でも、お父様はお許しにならないかも知れないわ」


 それでも零れたヴァチェリーのその言葉は、父ダイカンの苛烈さを知るが故の事。

 その言葉をプルーフィアは父イルカサルを思った言葉だと取ったのか、首を傾げて反論する。


「そんな事無いわ。お父様はお母様の事が大好きなのよ? ユイリーローズ園の女神様と呼んで崇拝している位なのよ? お母様の為になるなら、何だってしてくれるに決まってるわ」

「え……? 何それ、私は知らないわよ? あの人だっていつも素っ気ないのに」

「格好付けてるつもりなのよ。だって私の魂が知っているんだからね!」


 こうして自覚の無い儘プルーフィアによって不幸へ(いざな)う鎖は解かれ、幸せへの連鎖が作り込まれていく。

 それを齎したのはたった一つの真実。

 プルーフィアの魂が持っていた、特殊な事情が全てを引っ繰り返したのである。

 次から一人称になるよ。

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