壁にミミアリ 2
体の内側から少しずつ、しかし確実に排出されていく汗の存在に気づいたミミアリは、ため息をついた。
「涼しい所に行きたい……」
そう呟いた彼女の脳裏には、一瞬、昼間のショッピングモールが浮かんだ。しかし、まるでその光景をかき消すように、頭を左右に振り、そして再び現実と対面したミミアリの額からは、一筋の汗が流れていた。
「逆に冷や汗が出てくれたら、少しは涼しくなるかも」
ミミアリはそんなことを呟いたが、本来であれば、この深夜の山中で、男二人が立ち入り禁止の小屋の中で密会しているという状況は、冷や汗が出る方が常識なのだ。
そのことにだんだん気がついたミミアリは、苦笑せざるを得なかった。
ミミアリは気持ちを切り替えるように、背負っていたリュックを、木と木の間に挟むように、慎重に置いた。そして、中から小型無線機を取り出し、耳に装着している途中、青いワンピースの前側が泥で汚れているのに気づき、今度はより深いため息をついた。
「今日は休みって言ってたのに……」
彼女の抑えようと努めていた不満が、沸沸と湧き始める。
「最初から仕事だって言ってくれてたら、下ろし立てのワンピースを着て盗み聞きなんてしなかったのに……下ろし立てだったのに!せめて着替えの時間くらい用意してもいいじゃない。急すぎるのよ、あの分からず屋……」
「分からず屋が、なんだい?」
「……へ、?」
ミミアリが頓狂な声を出すのも無理はない。
聞き覚えのあるハスキーボイスが、まだ起動させていない(愚痴を言い終わったら起動させようと思っていた)小型通信機を通して、ミミアリの耳にクリアな音質で入ってきたからだ。
「起動させていないのに、なぜ……と思っただろう?」
メアリは、イヤホン越しでも分かるほど楽しそうな声色で話し始めた。こういう声色のときは、きまって自慢話をするときだと、ミミアリは知っていた。
この時、かきはじめていた汗が、いつの間にか冷えていることにも気づいた。
「そりゃあ、だって起動させてないのに、マイクもイヤホンも使えるなんて……」
「さあ、どうして起動していない通信機が、我々の本拠地”コーポ・マッハじじい”の2号室と繋がっているのか……それはね、私がこっそり改造したからだよ」
アパートの一室で一人、鼻を高くしているメアリを、ミミアリは容易に想像することができた。
「ああ、そうなんだ……どこで覚えたのさ、そんな技術」
ミミアリは、驚きを通り越して呆れたような声を出した。
「どこでって、分かりきったことを聞くものじゃないよ。ここで覚えたのさ」
メアリは、机や布団の声を代弁するように、それらをバンバンと叩いた。
「…だよね、メアリは部屋から出ないよね」
「なんだい、まるでイケないことのように言ってくれるじゃあないか。私だって、たまには外の空気も吸うんだぞ。まぁ、いいさ。家に籠るのが良くないことくらい、籠る前から知っていたことだ」
「じゃあ、なんで……」
「背徳感だ」
「は?」
ミミアリは再び頓狂な声を出した。本当に、全く、意味が分からなかった。
「自分でもイケないことと分かりつつも、目の前の怠惰な誘惑に手を伸ばす。その瞬間の高揚がたまらないのだよ」
メアリは続けざまに「だから今もこうして、蒸し暑い山奥でミミアリが頑張っているにも関わらず、私は目の前のクーラーのリモコンに手を伸ばしてしまう」と、白く華奢な手を精いっぱいリモコンに伸ばし、クーラーをつけた。
ミミアリは、そのリモコンの音声をはっきりと聞いた。
「なんてひどいことを……」
そう呟くのが、ミミアリの精いっぱいだった。
「まあ、そう絶望することはない。その仕事が終わったら、冷凍庫のアイスを貪り食う権利をあげよう。私だって、君に対して申し訳ないと思っているからね。せっかくの休日で、気になる男とデートをしている最中に、その彼から服装のダメ出しをされてしまい……しかも、下ろし立てなのに!その後、一人で落ち込んでいる君に、急な仕事の連絡を入れたのだからね……」
「まって、メアリ」
「なんだい?」
「……なんで私が昼間にデートしてたこと知ってるの?」
メアリは、ミミアリがデートをしていたことはおろか、気になる男性がいることすら知らないはず。なぜなら、ミミアリは彼女に恋の相談は一切していないからだ。
この理由としては、家に籠ってばかりの人間に恋の相談なんかしても、どうせロクでもない回答しかしないだろうと思ったからであるが、このことは死んでもバレませんようにと、メアリは願った。
それにしても……なぜ、この秘め事がメアリにバレていて、さらに、昼間のデートの悔しい内容まで知っていたのだろう。
……まさか。
「この前私があげた、てんとう虫のバッチがあるだろう?今ミミアリがリュックに着けている、それだ」
ミミアリは、すぐさまリュックの外側に着けていたてんとう虫のバッチを外し、よく見てみると。
「やっぱり、今日のデートの会話は全部てんとう虫に聞かれていたということね」
このバッチには、表面からは赤と黒の模様しか見えないが、裏側に小型盗聴器が仕込まれていた。
恐らく、この盗聴器も彼女のお手製なのだろう。
彼女の楽しそうな声色が、なによりの証拠だ。
「新作の実験のつもりで着けてもらっただけなのだが、まさか、ラブストーリーを聞けるなんて思っても見なかったよ」
「……なんの面白味もない盗聴率100%のラジオドラマを聴かせて悪かったわね」
ミミアリは、メアリに黙って盗聴されたことについて、さはど気にならなかった。
それは、日頃から”実験だ”と言われながら色々な小道具を持たされることが、ミミアリの日常と化しており、今回の”実験”に関しても、「恋」というイレギュラーな問題を除けば、日常の一ページに過ぎなかった。
ミミアリが気になっていたのは、デートの中身だ。
ミミアリは、今日という日のために頑張っていた。
彼を楽しませるために、デートの時間配分を一から考えた。
「この店で~分ウィンドウショッピングをして、その後、あの店で本当のショッピングをする。そして、予約していた料理店で~分食事をして、~時からの映画を見る。最後に、下調べ済みのカフェへ行き、映画の感想を言い合う……」といった感じに。
もちろん、ミミアリはその映画を視聴済みで、何の感想を言うのかは、前日に頭に叩き込んでおいた。
まるで志望動機を暗記する就活生のように。
だが、彼女の描いていた理想のデートプランは、ウィンドウショッピングをしている最中、彼に言われた「なんか、思ってたカンジと違うんだよなぁ」を皮切りに、音を立てて崩壊することとなる。
その結果、恋の就活生ミミアリは、彼の恋人として就職を決めることが出来なかったというわけだ。
キャラの設定考えたりとか二人の会話が楽し過ぎたりとかで、全然話が進まない笑