中等部編1 何だその魔力!?
実結が第一エリアの学園の中等部に入学してから、一週間が経った。授業では数学や歴史といった、もといた世界でも学ぶものもあったが、魔法に関する座学や実技など、こちらの世界でしかやらないものもあった。
そして今日は、三時間目と四時間目で、学園の敷地内にある森で暮らしている魔物と、契約することになった。十二、三歳になると体内の魔力値が安定して、魔物との契約に支障が出なくなるそうだ。魔力値が不安定な状態で魔物と契約をすると、魔物への魔力の供給量が過多、あるいは過不足になり、過多だと魔物の暴走に繋がり、過不足だと契約は解消されてしまう。
「今日は、一人一体の魔物と契約できるように頑張ってくれ」
担当教員の声がけを合図に、実結達一年生五十人が森の中に入っていった。
基本的な契約の方法は、触印契約というものだ。人間と魔物が互いの肉体に触れて、人間が契約の呪文を紡ぐことにより、目には見えない魔力のパスを繋ぐのだ。契約をすると、魔物は契約者の人間に喚ばれれば力を貸すが、普段は自由行動をしている。想像していた関係と異なり、実結は最初驚いたが、四六時中離れないような重い主従関係ではないことに、少し安心した。
どの魔物と契約するか考えていると、実結から少し離れた場所に、二人の女子生徒がいて、彼女達の視線の先には、一体の魔物がいた。体長は五十センチくらい。全身が真っ白なふわふわの毛で覆われていて、長い耳は大きく垂れている。瞳は赤く、額にある大きな宝石も、瞳と同じ赤色をしている見た目は大きなウサギに見えるが、あれは確か、カーバンクルだ。
「かわいい~! ねえ、私この子と契約する!」
「契約しなよ! そしたら私にも触らせてね!」
そんな会話をしながら女子生徒の一人が、カーバンクルに近づく。
「ねえ! 私と契約しよう?」
そう聞くと、カーバンクルは頷いて右前脚を差し出す。
「やったぁ! そうだ、呪文言わなきゃ!……我、渡辺アンズを主とし、汝と今ここに契約を結ぶ!」
アンズは契約の呪文を紡ぐ。だが、魔力のパスが繋がる感覚がない。
〈お姉さんの魔力値だと、供給量が足りないみたい。ごめんね〉
そんな申し訳なさそうな声が、カーバンクルから発せられる。
「うっそ~!? 契約したい、一緒にいたい、触りたい~!」
そんな駄々をこねるように言うアンズの傍に、一人の男子生徒がやってきた。
「俺、魔力値B-ランクだったんだよ。俺が契約すれば、いつでもこの子に触らせてあげられるけど?」
男子生徒の言葉に、アンズは目を輝かせる。
「え? ほんと!? じゃあ、お願い!」
「任せて」
男子生徒はアンズにウインクをすると、カーバンクルの右前脚に手を触れる。
「我、松木シュンを主とし、汝と今ここに契約を結ぶ」
だがやはり、魔力のパスが繋がる感覚がない。
「……あれ? おかしいなぁ……」
右手で頭を掻くシュンに、カーバンクルが再び申し訳なさそうに言う。
〈お兄さんの魔力値だと、供給量が足りないみたい。ごめんね〉
「全然契約できないじゃん、使えな~い。もう他の子にしよ。行こ、マホちん」
「ちょ、待ってよアンズ~」
アンズはシュンに悪態をつくと、マホと別の魔物を探しに行き、シュンはカーバンクルと契約出来なかったことと、女子に良いところを見せられなかったことにショックを受けて、その場に呆然と立ち尽くしていた。
そんな一連の流れを見ていた実結は、森の奥の方に駆けていったカーバンクルを追いかけた。
森の奥まで来たカーバンクルは、近くにあった木の切り株に腰を下ろした。やがて、口元を押さえて笑い出す。
〈ぷぷっ! B程度の魔力じゃ、オレと契約なんて出来るわけないじゃん! ほんと、人間って面白いなぁ!〉
ひとしきり笑った後、カーバンクルはため息をついた。
〈……やっぱり、オレと契約できる人間なんて、いるわけないんだ〉
カーバンクルがこの森に来たのは、五年前のことだ。数多くの兄弟に続いて、人間と契約する為にやってきた。彼の母は昔、人間に助けられて、その人間と契約した。それから人間に恩返しをする為に、自分の子どもを学園の森に送り出しているのだ。
だが、彼は他の兄弟達と違うことが一つだけあった。必要としている魔力量だ。この森に来るまでは、食べ物から必要な魔力を得ていたのだが、兄弟の何倍も何十倍も食べ物を摂取する必要があった。それは契約では、Aランク以上の魔力値でなければ、まかなえないほどだった。
学園にある森で魔物と契約するのは、中等部の生徒がほとんどで、そこまでで魔力値がAランクになっている者は少ない。しかも、そういう生徒は学園にある森ではなく、もっと強い魔物がいる“境界の森”に行く為、彼のような魔物が契約出来る可能性は、絶望的だった。
〈……オレはずっと、余り物なのかもなぁ〉
これから十年も二十年も、もしかしたらもっと先も、自分と契約してくれる人間はいないのかもしれない。だからと言って、たった一人で境界の森で生きていけるほど自分は強くない。自分はただ、魔力をむさぼるだけの小物に過ぎないのだ。
―――大丈夫よ。あなたと契約してくれる人は、きっといるから
二年前、契約者の人間と共にこの森から去っていった友の言葉を思い出した。今まで見送った友は他にもいたが、彼女だけがこんな自分を特別扱いすることなく、対等に接してくれた。だからまだ、何とか諦めずにいられるのだ。
その時、誰かの足音が聞こえて、カーバンクルは足音の方に視線を向ける。すると、一人で実結が現れた。実結はカーバンクルに近づき、手を差し出す。
「私と、契約しない?」
カーバンクルは可愛い顔を作りつつ、心の中でため息をつく。
この人間もきっと、自分の可愛さだけで契約しようと―――
〈―――って、何だその魔力!?〉
予想していなかった大声に、実結は慌ててカーバンクルの口を押さえる。
「……静かにして! 他の人に聞こえるでしょ!」
小声でたしなめる実結に、カーバンクルは大きく頷くように首を動かして、分かったことを示す。実結はそっと手を放すと、軽く息を吐く。
「……やっぱりルーの言う通りだ。魔族は魔封具をつけていても、本当の魔力値が分かるんだね」
学園に入学する前、実結は魔族についてルーに教えられた。
「魔封具は確かに、身に着けている本人が使える魔力を制限し、周囲の人間に対して魔力値を欺くことができる。だけど、魔族は別だ。魔族は、体内の魔力を見るのに優れていて、欺くことができないんだ」
実結はその言葉を聞いて不安になる。
「それって、大丈夫なんですか?」
ルーは小さく微笑んで頷く。
「うん。魔族は人間のように魔力値をわざわざ分けていない。だから、特級うんぬんで差別することも無いんだ。だから、心配しなくていい。まぁ、強いて言えば、契約してほしいっていう魔族が多いかもしれないことだけかな」
実結はカーバンクルの目線に合わせるようにしゃがむと、真剣な眼差しを向けて言う。
「私だったら、あなたと契約できるよ。もちろん、あなたの意見も尊重するけど」
突然訪れた幸運に、カーバンクルは戸惑った。確かに、彼女だったら魔力の供給量が余裕で足りるだろう。ここで契約を断ったら、本当に自分と契約してくれる人間はいなくなってしまうかもしれない。だが、そう簡単に決めていいものなのだろうか。
そこでカーバンクルはぶんぶんと頭を振る。ここで迷ってどうする。せっかくのチャンスを無駄にするなんて、目の前にいる人間にも失礼だ。きっと母も友も、自分と契約してくれる人間がいると信じている。
カーバンクルはちらりと実結を見る。彼女は、自分の返事を待ってくれている。こちらの返事が遅いのに、無理矢理契約を迫ることもなければ、諦めて去ることもない。この人間はきっと大丈夫だ。だから。
〈……オレと、契約してください〉
カーバンクルがおずおずと右前脚を差し出すと、実結は頷いた。
「うん、分かった。―――我、白菊実結を主とし、汝と今ここに契約を結ぶ……」
実結が契約の呪文を紡ぐと、目に見えない糸のようなもので、実結とカーバンクルは互いに繋がれたように感じた。今まで味わったことのない感覚に、カーバンクルは目を輝かせる。
〈すげー! 契約すると、こんな感じになるんだ!〉
興奮してぴょんぴょん跳ねているカーバンクルの姿を、実結が微笑ましく眺めていると、カーバンクルがふいに実結の方を向いた。
〈お前の名前って、ミユって言うんだよな!〉
「うん、そうだよ」
〈オレの名前はラヴィ! これからよろしくな、ミユ! オレ、母ちゃんに契約できたこと報告してくるから! じゃ!〉
一気にそう言うと、ラヴィはものすごい速さで、その場から走り去っていった。
残された実結は呆然とそれを見送ると、軽くうつむいて、ほろ苦い笑みを浮かべた。
「……母ちゃん、か」
その言葉は、誰に届くこともなく、風に溶けて消えた。