中等部編5-3 早く死ねばいいのに
ナイトメアの悪夢は、止めた後の朝に終わる。つまり、実結はまだ悪夢を見ていた。
「―――――っ!」
真夜中、実結は自室のベッドから飛び起きる。暗闇の中で、自分の荒い息遣いだけが聞こえる。またあの夢を見た。まるで、この世界に逃げたことを責めるように。一週間続けて見れば、少しは慣れてもいいはずなのに、一向に慣れない。きついものはきつい。
呼吸が落ち着いてきたところで、実結は自室のドアの先から光が漏れていることに気づく。そういえば、自分が寝る前、ルーはソムンと、自分に悪夢を見せているナイトメアのもとに行くと言っていた。もしかしたら、ナイトメアに悪夢を見せるのを止めさせて、帰ってきたのかもしれない。
あれで最後だと思うと、一気に気持ちが楽になるのを感じた。ならば、二人にお礼を言わなければ。
そう思い、実結はリビングに繋がるドアを開けた。
「…………え?」
気づくと、実結はリビングにいた。だが、ティラエアの自宅ではない。元いた世界の自宅のリビングにいたのだ。何が起きたのか全然分からない。
実結が突然のことに戸惑っていると、リビングのドアが開く。振り返ると、固まった様子の父がいた。
「―――お父さん、どうしたの?」
そんな声と共に、父の後ろから姉が顔を出し、実結の姿を見た瞬間、同じように固まる。
「―――二人とも、そんなところでどうしたの?」
次にそう言いながら母が現れ、自分を見た瞬間、無言になる。
沈黙が流れ、実結がいづらさを感じた時、気づいたら姉に抱きしめられていた。
「良かった……! 急にいなくなって、心配したのよ……!」
泣きながらそう言う姉を何とも言えない気持ちで見ていると、父に頭を優しく撫でられる。さすがに父は泣いていなかったが、今まで見せなかった優しい顔をしていた。
「さすがに警察にも連絡してたんだぞ。……帰ってきてくれて、良かった」
すると母が、にっこりと微笑みながら言った。
「だから言ったじゃない。そのうち帰ってくるから大丈夫だって」
お祝いと称した豪勢な夕食から逃げるように、実結は自室に戻った。母はいつも通りだが、姉と父があまりにも優しすぎて、逆に怖かった。いじめに遭っている時は心配すらしてくれなかったのに、今回は心配するのか。
実結はベッドに腰を下ろすと、天井を見上げる。
これは、夢なのだろうか。先程まで見ていた、悪夢の続き。だが、確かに目を覚ましたのだ。だから、違う気がする。それとも、ティラエアでの出来事が夢だったのか。いや、あれは夢じゃない。夢にしてはあまりにも長すぎたから。
だからきっと、何かの拍子で自分はこちらの世界に戻ってきてしまったのだ。曾祖母がくれた、移動魔法が記された本も手元にはなく、ティラエアに帰る手立てはなかった。行くのが突然なら、戻るのも突然なのか。
実結はベッドの横に置いてあるデジタル時計の日付を見る。今日は日曜日だから、明日は月曜日だ。しかも、明日から学校の授業が始まる。無意識のうちに溜息が零れる。
明日から、あの生き地獄が再開されるのだ。
翌朝、やはり目覚めたのは元の世界の自室だった。再び溜息をつき、朝の準備をする。昨日のことが嘘のように、父と姉の態度は、前のものに戻っていた。当然だ。あの二人が自分を本当に心配しているなんて、思っていなかった。
朝食を食べ終わると、実結は一年間着られていなかった中学校の制服を着て、教科書などが入ったカバンを持ち、中学校に向かう。中学校は、自分が通っていた小学校から近いので、場所は分かる。
母から教えてもらった教室に入ると、実結の姿を見た瞬間、クラスメイト達の目が釘付けになる。見知った顔ばかりだ。小学校で、自分をいじめていた人達。
さっそく居心地の悪さを感じながら、実結は自分の席につく。机の中には、前から入っていたと思われるゴミや虫が付いている枯れ葉がたくさん入っていた。それを捨てていると、周囲から、クスクスという笑い声が聞こえてくる。あの頃と、何も変わらない。
悪口を掻き消す為に、家から持ってきた本を読んでいると、無能であろう担任の先生が教室に入ってきた。
こちらの世界に戻ってきてから、三日が経った。相変わらずいじめは続いていた。変わる事なく、むしろ悪化しているいじめに、実結は心を無にしていた。あと三年弱我慢すればいい。高校は受験をしなければいけないから、比較的自由なはずだ。そうすれば、いじめから逃れられる。アルバイトをしながら学費を払えば、一族も家も関係ない。だから、それまでは我慢し続けよう。大丈夫だ。小学生の時もずっとそうだったのだから。
こちらの世界に戻ってきてから、一週間が経った。心を無にしているはずなのに、なぜかすごく辛い。一年だけでもいじめられない平和な世界にいたせいだろうか。まるで、防御の隙間を見つけて攻撃され続けているかのような感覚だ。心がひび割れていっている。だが、ここにルーはいない。カンナ達もラヴィ達もいない。誰も味方がいない。
休み時間、教室で本を読んでいると、声が聞こえてくるのだ。
「何で今更戻ってきたんだろうねー? いなくても一緒なのに」
「今度トイレ掃除する時、あいつに水かけない? 事故ったって言えばバレないよ」
「うわぁ、キモいな。またいなくなってくれないかな……てか消えろ」
本で掻き消せない、数えきれない悪口や陰口に吐き気がした。辛い。苦しい。なんで自分は、ここにいるんだろう。
自宅に帰っても、自室以外は居心地が悪い。早く自室に戻ろうと早足で自宅の廊下を歩いていると、何かにつまずいて転んだ。顔を上げると、姉がいた。実結はすぐに分かった。姉が足を引っかけたのだ。
姉は実結を助けることなく、彼女に向かって一言。
「あんた何で生きてるの? 早く死ねばいいのに」
その瞬間、実結の中で何かが壊れた。




