中等部編5-2 どこかの特級みたいに
夕方、伝言通りにルーは戻ってきた。久しぶりのルーの姿に実結はほっとする。帰ってきたルーに、実結は申し訳なさそうに壊れた魔封具を渡す。
「ごめんなさい。せっかく渡してくれたのに……」
そんな実結にルーは首を横に振る。
「ううん、気にしないで。消耗品だから、いつか壊れるのはしょうがないんだ」
そしてルーは軽くしゃがむと、実結を見上げて尋ねる。
「魔法陣を確認してもいいかい?」
実結は頷くと、着ていたシャツをまくり上げて、お腹に描かれている魔法陣を見せる。それを見たルーは難しい顔をする。思ったよりも、封印が弱まっている。このままだと、近いうちに封印が完全に壊れて、抑制のない魔力が解放されてしまうだろう。
それでもルーは、すぐに魔法陣を描きなおすことも、新しい魔封具を渡そうともしなかった。このまま魔力を封じても、封印が弱まった原因を突き止めない限り、同じことを繰り返してしまい、意味がないことが分かっていたのだ。
「……最近、何があったのか、話してもらってもいいかな?」
ルーの問いに実結は小さく頷いた。
実結が話をした後、ルーは彼女を部屋に戻らせた。そして、自分が契約した魔族を呼び寄せる。
「……みんな、大規模な結界の準備をしてくれ。あの子の魔力が絶対に外に漏れないように」
契約した魔族達は頷くと、すぐに各々の配置につき始める。多くの魔族が結界の準備をしている中、ルーは一人の魔族に声をかけた。
「ソムン、ちょっと来てくれ」
ルーに呼ばれて、彼より頭一つ高い青年がやってくる。灰がかった白のオールバックの髪に朱色の瞳、赤紫色のコートを着て、中に同じシャツとズボンを着ている。
「ミユちゃんが見ている悪夢について、君はどう思う?」
ルーに問われて、ソムンはすぐに答える。
〈俺の同族の仕業に間違いないな〉
ソムンはナイトメアだ。ナイトメアとは、名前の通り、相手に悪夢を見せる魔族だ。ナイトメアは、悪夢を見せた者の心に生まれる、悲しみや苦しみを糧に生きる。
「だったら、早くそのナイトメアを見つけて止めよう。ソムン、居場所は分かるかい?」
するとソムンは目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。そして十秒くらいで目を開ける。
〈……見つけた。すぐに行きたいところだが、油断している夜に行くぞ〉
「うん。分かった」
ルーが頷くと、ソムンはそこから姿を消した。
その日の夜中。実結が眠った後、ルーはソムンと共に真っ暗な境界の森に来ていた。ここで暮らしている多くの魔族も眠りについていて、聞こえるのは自分達の足音と、微かな風の音だけだった。
しばらく歩いていると、ソムンが足を止めて、ルーも彼に倣って足を止める。
〈この先だ。用意はできているか?〉
「うん。もちろんだよ」
いつも複数の魔封具と魔法陣で封じている魔力を、今は特級になる手前まで解放している。今、魔力を完全に解放してしまったら、きっとそのナイトメアに気づかれてしまうだろう。それで逃げられてしまったら、実結が手遅れになるかもしれないのだ。
〈……よし。行くぞ〉
ソムンの合図で二人は駆け出し、油断していたナイトメアの前に現れる。突然現れた見知らぬ男二人に、相手のナイトメアは驚く。そこにいたナイトメアは女だった。瞳も髪の色もソムンと同じで、髪は肩に少しつく程度の長さで、紺色の膝上の丈のドレスを着ている。
ナイトメアは逃げきれないと悟ったのか、溜息をついて、降参すると言うように、両手を上げる。
〈あのすごい魔力の子の悪夢は止めるよ。まだ死にたくはないからね〉
ナイトメアは右手で指をパチンと鳴らす。そしてソムンは一度目を閉じて、このナイトメアと実結との悪夢による繋がりが絶たれているか、確認する。
十秒ほど経ってから、目を開けると、ソムンは視線を向けているルーに頷く。
〈……確かに繋がりは絶たれた。もう、彼女が悪夢を見ることはないだろう〉
ルーは軽く息を吐きだす。とりあえず、一安心だ。
そしてルーは、ここから立ち去ろうとしているナイトメアに尋ねる。
「君は何故、あの子を選んだんだ」
すると、振り向いたナイトメアは、意地の悪い笑みを浮かべて答える。
〈なんでって、人間の言う特級に悪夢を見せたら、どうなるか知りたかったからだよ〉
このような、肉体にダメージを与えない魔法は、対象の相手と同等、あるいはそれ以上の魔力値でなければ、魔法は効果を発揮しない。だが、魔族の半数は特級レベルの魔力値で、このナイトメアも例外ではない。実結と同等の魔力値であるナイトメアは、実結に悪夢を見せることが出来たのだ。
〈ちらっと見たんだけど、あの子、酷い過去があったんだね。まあ、だからそれを悪夢の内容にしたんだけど〉
ナイトメアの言葉にルーは、実結と初めて会った時のことを思い出す。
―――……帰りたくない。ここに、ずっといたいです
あれは、ただ駄々をこねているだけではないと、すぐに分かった。それでも何を心に抱えているかは、聞かなかった。自分も己のことを彼女に語っていなかったから。
そんなルーの様子に気づかないまま、ナイトメアは続ける。
〈悪夢で心が壊れて、すごい魔力が暴走したら、どこかの特級みたいに、国一つ滅ぼすのかなって考えたら、すっごく興奮したの!〉
その言葉を聞いた瞬間、ルーはナイトメアの首を掴んでいた。そのまま木の幹に彼女の頭を打ち付ける。突然のことにナイトメアは驚き、ルーの手から必死に逃れようとする。
〈……っ、なん、なのっ……〉
だが、ルーの手の力は増していく。ぎりぎりと首をしめられ、ナイトメアの意識が途切れそうになる。
〈―――ルー、そこまでにしておけ!〉
そんな声と共に、ルーはナイトメアから無理矢理引き離される。手が離れ、ナイトメアはその場にしゃがみ込んで、苦しそうにせき込んでいた。
止められたルーは、止めたソムンに鋭い眼差しを向ける。その瞳の中では、抑えきれない魔力が、炎のように揺れていた。
「どうして止めるんだ。僕はこいつを……」
〈今お前がやるべきなのは、そいつを殺すことじゃない。早く“あの子”のところに戻って安心させることだろ〉
淡々と諭すように言うソムンに、ルーの瞳から揺れていた魔力が消える。そうだ。こんなことをしている場合じゃない。
ルーとソムンが話している間に、ナイトメアはどこかへ逃げていった。あの様子なら、もう実結に手を出すことはないだろう。
「ごめん。頭に血が上ってたみたいだ。悪夢も止めたし、早く帰ろう」
ルーはソムンに謝ると、実結の待つ自宅に急ぐ。
もう実結が悪夢を見ることはない。だが、何故かとても嫌な予感がしていた。