あれがスノーカバーだ
目を開ける。知らない天井を見て、昨日のことを思い出した。どんな夢を見ていたのか、どうにも寝覚めが悪い。体もいやに重い。起きるのに少し時間をかけて、ゆっくりとベットから出た。
部屋を出て、リビングに入る。その部屋のソファには既にサフィがいた。どれくらい寝ていたのか、昨日は気づかなかったが、壁の高い位置に時計がかかっていた。それは八時を少し過ぎたことを示していた。
「おはよう。思ったより早い目覚めだな」
ソファに座っている彼女はマグカップで何か温かいものを飲んでいるようであった。
「ああ、おはよう」
彼はそう言って、空いているもう一方のソファに座る。昨日とは座る位置が反対であった。
「ほら、君の分だ」
彼が座っている間にサフィはキッチンへ行って、彼女の飲んでいたものを持ってきていた。彼が受け取ったマグカップの中身を見ると、白い液体で膜を張っているようであった。牛乳に見えるが何か違うものかもしれないと思いながら、啜ると味も舌触りも牛乳そのものであった。
「朝のホットミルクはいいな。冷えた体が温まる」
そういった彼女の頬は少しだけ緩んでいるようにも見える。
「なぁ、朝食は俺が作ってもいいか」
お世話になったお礼のつもり。もちろん、これだけで返せる恩だとは思っていない。
「ほぉ。君が朝食を作るのか。では、お願いしよう。お手並み拝見だ」
そういうと、彼女はマグカップを持ったままキッチンへと移動した。
彼女はいつも使っている調理器具を二つ用意して、席についてしまった。用意されたのはフライパンと包丁。彼は彼女の言う料理とは切って焼くだけなのだと思ってしまった。しかし、昨日のことを思い出す限り、味付けなどはしていない様子であったため、そう思うのも仕方ないことだろうし、実際サフィは料理をそういうものだと思っている。
彼はサフィに断ってから、キッチンとその周辺を漁った。その間、彼女は不思議そうな顔をしていたが、何も言わずにマグカップの中身を啜っていた。
しばらく漁ると、他の調理器具や、調味料と思しき瓶などを見つけることができた。それをまな板の近くにおいて、ようやく料理の準備が完了した。ちなみにここまでの時間で彼女の料理は完成している。何せ、肉を焼くだけだからだ。
彼は料理はできたが、誰かに上手だと褒められるほどではない。男子なのに料理できてすごい。そういったことを言われるだけだ。しかし、何度も料理をしているので手際はよかった。今回調理する肉は、昨日と同じ肉であった。調味料の瓶に書いてある文字は英字のようであったが読めなかったので、匂いを嗅いだり、舌にのせて味わったりしながら、ちょうどよさそうな調味料を探る。ようやくそれっぽい調味料を使って肉を焼いた。肉が焼ける匂いだけでなく、調味料が発する香りも含まれていて、食欲をそそる香りが部屋に広がっていく。テーブルの方から腹のなる音が聞こえた。
「わ、わたしじゃないぞ」
彼は後ろを見なくても、彼女が照れているのが分かった。
彼は料理ができると、すでに彼女の用意してあった白い丸皿にその焼けた肉を盛り付ける。ソースなどをおしゃれにかけると言った西洋料理のような技術はないので、肉はそのまま皿の上に置かれるだけだ。そのプレートを彼女の前に置く。自分の分もその対面に置いた。
「さぁ、食ってくれ」
彼女はごくりと喉を鳴らして、ナイフをそのステーキに入れる。その切った肉を口の中へと運ぶ。その瞬間、彼女の目が見開かれる。驚いた、と顔が語っていた。
「おいしい。おいしいぞ!」
どこかの料理漫画のような大げさなリアクションで、ぱくぱくと次々と肉を口の中へ運んでいく。どうやら本当においしいようだと彼が思ったところで彼もそのステーキを食べた。
「いや、本当においしかった。肉を焼いただけではないのだろう」
「ああ、ちょっと調味料を加えただけだよ。そんな難しいもんでもない」
サフィは食事を終えても、目を輝かせて、まるでもっと食べたいと言っているような表情でついさっき食べた肉に感動していた。
「な、なぁ。昼食も同じものを食べたいのだが、頼めるか?」
先ほど食べたものを思い出したのか、彼女の喉が鳴った。
「それはいいけど、調味料がないな。あの葉っぱがないと」
瓶に書いてあった文字は読めないので、その葉が何かわからなかった。
「あの葉はすぐそこに木にくっついているぞ。それがあればいいのか?」
目をらんらんと輝かせて、机から身を乗り出す。サフィの顔が近づいて、彼は少しのけぞってうなずいた。
「だけど、昼にそれを作れば、調味料はなくなる。夜は肉を焼くだけになるぞ」
「チョウミリョウ、か。しかし、そのチョウミリョウは木に沢山生えている。夜の分も採ればいい」
イサナリは彼女がチョウミリョウという名の葉だと思っているのだと気が付いた。この世界では調味料というものは存在しないのだろうか。
「調味料はあの葉っぱの名前じゃない。料理をするときに味付けとかをするもののこと」
「なるほど。フレーバリストが作っているもののことか。では、町まで買いに行こう」
どうやら調味料という名前ではなかったらしい。彼女はその提案をすぐに実行に移し、キッチンから出て行った。
「どうした。早く行こう」
彼女は白いローブを着て、その腰には既に帯剣していた。彼女は準備万端だった。
「せ、せめて着替えさせてくれ」
彼は未だに、彼女から借りていた服のままで、外に行くには向いていないものであった。その言葉を聞いた彼女は自身がハイテンションであったことに気が付いて、すまないと小さな声で口にし顔を赤に染めていた。
着替えを済ませた彼にサフィは彼女と同じ白いローブを差し出した。肌触りはシルクのようであり、通気性がよさそうであった。
「これには耐寒の魔法がかけられている。これを着ていれば寒くないはずだ」
彼はなるほどと納得した。彼女に助けられた時も彼女はこのローブをしていたはずだ。彼はそのローブを被った。
「ああ、それと、これをやろう」
サフィはリビングに置いてあった木製のロッカーの一つを開き、何かを取り出した。彼女はそれをイサナリに差し出した。それは木製の銃であった。彼の知る限りでは猟銃というとぴったりの形である。
「それはソーサリーアームズ。私の作ったもので世界で一つだけだ。大事にしてくれ」
そういわれても、銃とセットの銃弾がない。そもそも銃弾があってもうまく使えるはずがない。彼はこの時初めて銃というものを触ったのだ。
「大事にはしたいが、使い方とかわからん」
「魔獣が出るだろうから、その時に教える。それでは、行こうか」
釈然としないまま、その猟銃についていたスリングを肩にかけた。
外は吹雪というほどではないが、雪が降っていた。
「今日はまだましだな。吹雪になると、前が見えなくなるからな」
雪を踏むとぐっと音がする。吹雪ではないとしても、大雪で歩きづらい。彼はサフィの作った足跡に自分の足を合わせて進むしかなかった。
しばらく歩くと、雪が積もって歩きづらい道を出た。ある程度整備されている道だ。道の先にかすかに明かりが見えた。
「あれが、町」
「うん。あれがスノーカバーだ」
町に近づいていくと、雪は次第に収まっていく。町の入り口の前では辺りの景色がしっかり見えるほどに落ち着いていた。
「おお、これがスノーカバー」
彼は名前の通りだなと思った。そのまま雪に覆われた町だ。太陽光は雲に遮られ、その代わりオレンジ色の街灯が街の雪景色を照らす。地面も家の屋根も雪に包まれている。壁には雪がかかっていない場所があり、この町の家々はレンガでできていることがわかる。町の中央にはローブをした女性の周りを子供がはしゃいで回っている雪像が立っている。
「あれ。もしかして、サフィ、か」
「あー、そうらしい。恥ずかしいからやめてくれって言っているのだが」
雪像になるほどだ。この町に対して、それほどの貢献をしたという証ではないのだろうか。そして、その答えはすぐに知ることができた。
「あっ、森の魔女騎士様が来てる!」
町の中を歩いていた少年がサフィを指さして、大きな声でそう言った。その瞬間その町の入り口にいた人が彼女の方を次々をみて確認する。
「おお、本当だ! ようこそおいでくださいました!」
「ぜひ、またセツカに来てください!」
「これ、食べてください!」
次々と彼女へと人が群がっていく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんな一斉に来られても。イサナリ、助けてくれ」
その光景をぼうっと見ていた彼に困り顔のサフィが手を伸ばした。その手にはっとして手を伸ばす。人に埋もれる前に彼女を救い出した。
「ちょっと落ち着いてくれ。順番に聞くから」
その声に街の人たちは冷静さを取り戻す。そして、その落ち着いた状況のまま、それぞれに話を聞いて回るサフィ。それが終わるころには彼女の手には色々なものが渡されていた。それを彼女がいつの間にか持っていたローブと同じ材質の袋の中に詰めた。聞けばその袋はローブの内側のポケットの中に畳んで収納してあるらしい。確かめてみれば、自身のローブの中にもそれはあった。
「よし。では、これでようやくフレーバリストのところへ行けるな」
彼女は迷いない足取りでそのフレーバリストとやらがいる店へと向かっていく。
フレーバリストから調味料、もとい、シーズニングを買うことができた。これで目的は達成したわけだが、あの雪の中を再び行かなくてはならないと思うと、この町の宿にでも泊まりたいと考えてしまう。
「さて、帰るか。このまま帰ることができればいいのだが」
彼は心の中で、それはフラグというやつではないのかと思った。そして、この使い方のわからない猟銃の出番かもしれないなとも思った。