さて、これで私のことが信用できたかな
見た夢のことが忘れられ、体が現実を知覚していく。体が温かい。光が揺れる。薄く目を開けると、そこには暖炉があり、火が揺れていた。暖炉と自分の間には木製のシックな背の低いテーブルがあり、そこには白いマグカップが一つ置かれて、その中身が湯気をあげていた。そのマグカップが何者かが手に取り、啜って飲む音が聞こえた。
彼はそのマグカップで何かを飲んでいる人物を確認するために、体を起こそうとした。すると、彼の体にかけてあった大きなブランケットが足元の方へとずれた。
「こ、ここは」
「起きたか。体は大丈夫なのか」
その声のする方を見ると、そこには白いマグカップに口をつけ、ゆっくりと傾けている女性がいた。肩にかかるかかからないくらいかの長さの赤い髪で、その毛先は白い。細い眉に前髪が少しかかっていて、その下の目は釣り目気味であるが、その大きな深い青の瞳が怖さを緩めていた。小さな鼻に、髪とはまた違った綺麗な赤色の唇が妙な色っぽさを持っている。上半身には黒いケープを羽織っており、首のあたりで金色のボタンで留められていた。その下にはニットに見える服を着ていた。スカートも黒色でプリーツスカートのように縦に皺が入っていて動きやすそうであった。また正面から見て、右のあたりに斜めに水色、青色、藍色のラインが入っている。靴は細身の黒いブーツであった。
「あ、ああ。大丈夫。痛かったのも治った。君が治してくれたんだよな」
彼にはその瞳も、髪も見覚えがあった。意識を失う前にその瞳にばっちり焼き付けていたのだから、覚えていないはずもなかった。
「助けてくれてありがとな」
あのローブの下がこんなにかわいい見た目の人だとは思わなかったけど。その言葉は心の中に留めた。
「ああ。あのまま死なれては寝覚めが悪かったからな」
そういって、彼女は初めて彼に微笑んだ。
「ほら、ココアだ。熱いから気をつけろ」
音もなく、二つ目のマグカップを彼の目の前にあったテーブルに置いた。彼女の持つマグカップよりも湯気をあげている。熱そうだなと思いながらもそのカップに口をつけ啜る。熱さを感じにくいのか、彼はそのココアをものともせずに啜り続ける。口の中に甘さが広がり、体が弛緩していた。そこでようやく自分がどれだけ疲れていたのかを知った。
――この子にはいつか恩返しをしないとな。
彼はそう考えて、彼女の名前を知らないことに思い当たった。
「あの、君の名前を教えてほしい」
「ああ、そういえば名乗ってなかったな」
彼女はマグカップを置いて、テーブルの近くにあった椅子に座った。
「私はサフィ・デルフィニウム。サフィと呼んでくれ。デルフィと呼ぶ人もいるが、それが良ければそれでも」
「じゃあ、サフィ。改めて、自己紹介をしよう。俺の名前は永登勇鳴。イサナリって呼んでくれていい。よろしくな」
彼の差し出した手に彼女は自身の手を重ねて握手した。女性らしい柔らかい手であったが、彼には力があるように感じた。
「では、イサナリ。君について聞かせてくれ。なぜ、あんな場所にいた?」
先ほどのようにここで黙り込むことはなく、彼は素直に話した。
「わからない。いつの間にか、あの雪の中で寝てたんだ。そして、目が覚めてさまよっていたら、サフィにあった。それだけなんだ」
その言葉は嘘偽りない本当のことであったが、彼自身もその言葉を信用できるものではないだろうと考えていた。自分の住処ではないにしろ、目的も話さないやつが信用できるはずがないのだ。彼は目的を離さない自分をこの家から追い出すと考えた。異物であるものが家の中にいるのは彼も嫌だと感じるはずだ。
「なるほど。本当に嘘はないようだな。しかし、あんな場所に放置されているなんて、死んでもおかしくなかったな。私が通りかかったからいいものの」
彼女はそう言って、マグカップを手に取って口をつけた。その間、彼は驚いていた。いや、呆れも混じっていたかもしれない。人の話を簡単に信じすぎている。しかし、子供でももう少し警戒しているものではないのだろうか。
「なぁ、言っておいてなんだが、この話を信じるのか? もしかしたら俺は悪いやつ、例えば盗賊の一味かもしれないんだぞ」
そう言っても彼女の態度は変わらず、そのままマグカップから口を離し、彼を見た。
「ふふ、そんな心配いつ以来だろうな。その君の言ったことは信用できる。そもそも悪いやつは自分から悪いやつなどと言わないだろう。盗賊の一味だとしても獲物の前で気絶するほど大馬鹿ではないだろうよ」
彼の言葉を子供がついた大げさな嘘のような気軽さで笑う。何を根拠に俺を信じたんだと彼は思った。しかし、そのことを考えていても意味がない。目の前の彼女しかその答えを知りえないのだ。
「そんなに不思議か。自分を信用のできないやつだ、とでも言いたいのか? それこそ私は不思議に感じるな」
表情を読んだのか、彼女は呆れ半分で再びマグカップの中身を啜った。
「イサナリ。一つ教えておこう。私は魔女だ。町では大魔女と呼ばれることもある。意味は分かるな」
彼女は少し得意げだが、イサナリには言っている意味が分からない。たとえ、魔女であったとしてなんだというのだ。魔法を使って心でも読んでいる、とでもいうのか。彼がそう考えている表情を見て、彼女は眉を寄せた。
「ふむ。本当にわからない、という顔をしているな。超能力というものを知らないのか? 学校でも習うもののはずだが」
――学校はあるのか。魔法学校とか超能力学園とかであれば知らないな。
「まぁ、教えよう。渋るものでもないしな。私の超能力は、オーダーメイド。何かを犠牲にして何かを得る、そういう能力だよ。洞察力を得て君が嘘をついていないかを確認していただけだ。だから、百パーセント信用できるってわけでもない。でも、それだけではない。私は君がどうにも悪人に思えない。私はそういう私自身の感覚を信用している」
彼女は言い終わると、マグカップにまた口をつけようとしてその中身を確認した。どうやら中身がなかったらしく、それをテーブルの上に置いた。
「さて、これで私のことが信用できたかな」
――超能力、オーダーメイド?
彼の頭には再び混乱を招いていた。物語上にしか存在しないものが今目の前にあるという。しかし、オーダーメイドとかいう能力は目に見えるものではなく、単純に彼女の洞察力が高かったり、ただのはったりの可能性もある。彼女の自分を信じてくれるという発言も、彼女が自分より圧倒的に強ければあれだけ油断していても不思議はない。信じているわけではなく、単純に自身の身を心配するほどの相手ではない。つまりはそういう結論も出せるわけだ。
反対に、彼女の言葉の中にもあったが、自身の感覚を信用することの多い彼は、サフィが嘘をついていたり、自分を侮っているというような感覚はない。根本的なところでもしそうなら、あの雪の中に自身を放置すればよかったのだ。それを助けてくれた相手に対し、疑念を抱くのは失礼であった。
彼には考え込む癖があったが、いつも結論は理論ではなく、自身の感覚であった。そして、サフィについてはどうしても感覚が彼女は悪者ではないとしていた。
「助けてくれたわけだしな。信用なら起きた時からしているよ」
「そうか。それはよかった」
彼女の緩む表情を見て、やはり悪人には見えないイサナリであった。
「イサナリ。本当に何も覚えてないのか」
話は彼のこの場所に来る前のものになっていた。
「何も、ってわけじゃない。ここまでの経緯を思い出せないんだ。ここで目を覚ます前は下級生の入学式の支度を手伝ってて、それが終わって学校から出た。そこまでしか覚えてない」
「学校か。ここらには学校がない。近くの町にもあるはずがない。学校は首都やその付近の街にしかないからな」
つまり、この場所は首都やその付近ではないということだった。
「攫われたとするなら、わざわざここまで運ぶのはおかしな話だ。もし……。いや、なんでもない」
彼女が何を言おうとしたのか、彼には見当がついた。誰かが殺したか、すでに死体だと感じた誰かか、そういう人物がこの森の中に捨てた。そう考える場合だろう。しかし、わざわざこの雪の中に捨てるはずはないはずだ。それなら刻んで土にでも埋める方が楽だろう。またこの世界には魔法もあるようだから、それでどうにかした方が早いのかもしれない。
「すまないが、君の記憶についてはすぐにはどうにもできそうにはない」
彼女は下を向いて、空のカップを見つめていた。自分のことでもないのに真剣に考えてくれているのだろうか。そんなことを考えていると、彼のお腹がきゅうと鳴いた。どれくらいの時間が経っているのかわからないが、寝ている時間も含めると、相当な時間が経っていると考えられた。
「記憶はなくても、腹はすくみたいだ」
彼は下を向いたままのサフィに冗談めかして言った。サフィは顔を上げたと思ったら、くすりと笑った。
「そうだな。夕食、というには時間が遅いが食事にしよう」
彼女は席を立って、違う部屋へと入っていった。彼女が手招きをしたので、彼もそれについていくことにした。