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君がくれたもの、伝えたかったこと

作者: 公望

 鳥居を潜り、石階段を昇った先にその境内はある。

 ご神木にかかるしめ縄も、賽銭(さいせん)箱の奥の小さなお堂も、木々に囲まれ、木洩れ日溢れる庭も、異常な程に少ない人気(ひとけ)のなさも、8年前と何も変わらない。

 時刻は17時半。西日の傾きが強くなり、俺を映し出す影が大きく伸びていく。茜色の夕焼けが不気味に境内を照らし出し、ヒグラシの鳴き声がこだまする。

 君との待ち合わせはいつもこの時間だった……。


 「う、ぐす……う」

 僕は今日も学校からの帰り道で泣いていた。

 なんでこんな思いをしなくちゃいけないのか、なんで皆に馬鹿にされるのか、なんで僕だけ仲間外れにするのか、全然わからない。

 でもこんな顔のまま帰ったらまたお母さんを心配させちゃう。お母さんの泣きそうな顔を見るのはもっと悲しい。だから僕は帰り道でウンと泣く。今のうちに涙も枯れちゃうぐらいに泣いてしまえば家では笑っていられるはず。

――ねぇ? そんな寂しそうな顔してどうしたの?――

「え?」

 突然後ろから声をかけられた気がした。すぐに振り返ったけど誰もいない。夕日に照らされた僕の影だけが、ずぅっと遠くまで伸びていた。

「気のせいかな」

 僕はもう一度前を向くとまた歩き出した。

――ねぇってば――

「なんなんだよもう」

 こっちはつらくてつらくて仕方ないのに。聞こえる声は少し僕を小馬鹿にしてるように思った。振り返ってみても誰もいない。

 ヒュウっと大きな風が吹いて通学帽が飛んでいってしまいそうになる。慌てて頭を抑えながら人っ子一人いない道を見る。

 ……。

『これはね。この町に伝わる古~い言い伝えだよ。夕方に一人で歩いている時に、もし後ろから声をかけられるようなことがあっても、決して振り返ったり、返事をしてはいけない。黙って何も聞こえない振りをして歩き続けること。それを破ったら帰って来れなくなる。さらわれちまうのさ。なぁにそんなに怯えなくていいよ。これは子供のうちにしか聞こえない声だから。大人になるまでの我慢さ』

 ずっと前におばぁちゃんに教えてもらったお話を思い出す。初めて聞いた時は怖くて眠れなかった。もしかして今の声って……。

「うわぁあああ」

 急に恐ろしくなった僕は全力で駆け出していた。その後も後ろから声が聞こえた気がしたけど大きな声を出しながら走ることで聞こえない振りをした。

 やっとのことでお家が見えてきた。はやくお母さんに会いたい。なんで僕だけこんな怖い思いしないといけないの? 学校でも嫌なことしかないのに。

「お母さん!」

「あら? どうしたの。なによその顔は?」

「ううん。なんでもない」

「なんでもないのになんで抱っこしてくるのよ」

 世界の中で僕の味方をしてくれるのはお母さんだけだ。

「甘えん坊なんだから。仕方ないわねぇ」

 お母さんは呆れながらも笑って抱きしめてくれた。

 ……翌日。

 帰り道で僕はまた泣いていた。今日は給食のおかずに牛乳をかけられちゃった。先生まで勘違いして僕を怒る。食べ物で遊ぶんじゃないって。クラスの皆もほんとは僕がかけたんじゃないってわかってるクセになんにも言わない。笑ってるだけだ。その場で泣いちゃったことで泣き虫ってあだ名までつけられた。

「う……ぐす……ん」

 涙を拭いているせいでお母さんが持たせてくれたハンカチはビチャビチャだ。お母さんに見せるときなんて言い訳しよう?

――ふふっ、またそんな寂しそうな顔――

 まただ! またあの声。今度こそ聞き間違いなんかじゃない。

 思わず振り返ろうとしてしまうのを止めた。おばぁちゃんのお話を思い出したから。この声に答えちゃいけない。

 僕は速足で通学路を帰っていく。色々聞こえてくるけど聞こえない。

――そんな態度しちゃって。君が聞こえてるってことは、僕はもう知ってるんだよ。もう遅いんだよ――

「うう」

 怖い。怖いよ。なんなんだよこの声は。

 その時、昨日と同じような強い風が吹いて僕の通学帽が飛んでいってしまった。

「ああ!」

 慌てて取ろうとするけどヒラリヒラリと風に乗った帽子は遠くまで飛んでいってしまう。目の前には石の階段がある。上の方まで飛んじゃったみたいだ。

「急がないと」

 もう段々と周りも暗くなってきていた。怖さもあったけど帽子を無くしちゃったら大変だ。お母さんが心配しちゃう。

 駆け足で階段を昇っていく。結構長い。

「はぁはぁ、着いた。ここにあるかな」

 階段を昇った先は広場になっていた。縄に縛られた大きな木や古そうな木で出来た建物もある。お正月に五円玉も放り投げる箱もある。でも帽子が見当たらない。

『カァーッ! カァーッ! カァーッ!』

 バサバサバサって音と一緒にカラスの鳴き声が聞こえる。僕の他には人は誰もいなかった。

「帽子を返して欲しいかい?」

「え?」

 耳元でささやくような声。しまった、と思った時にはもう反射的に振り返ってしまっていた。

「やぁ。はじめまして。僕の名前はリン。君の名前は?」

 そこにはおかっぱ頭の男の子が立っていた。僕と同じぐらいの年に見える。不思議な服を着ていた。ひらひらしていて動きにくそうだ。でもそんなことよりここで人を、僕と同じ子供を見つけることが出来て嬉しかった。怖い気持ちが減っていく。

「僕はヒロヤ。はじめまして。リン君」

「ふふっ、よろしくねヒロヤ」

「そうだ。僕の帽子がどこか知ってるの?」

「もちろん」

「教えて。帽子がないと帰れないんだよ」

「へぇ? 帰れないん、だ」

「う、うん」

 リン君は意地悪そうな顔をしていた。周りが一層暗くなってきている。こんなことしてる時間はないのに。

「そんなに困った顔しないでよ。わかった、返してあげる。その代わり、明日も今日と同じ時間にここに来るんだ。いいね?」

「どうして?」

「僕がヒロヤと遊びたいからだよ。ずっとここにいてもつまんなくてさ」

 遊ぶ? 僕と?

 久しぶりに聞いたそのお誘いの言葉に思わず嬉しくなってしまう。

「わかった。明日も来るよ」

「じゃあ約束だね。指切りげ~んま~ん」

「嘘ついた~らハ~リセンボン飲~ます。指切った」

 なんだか懐かしいやり取りだった。僕も笑ってしまう。

「はいこれ」

「あ、帽子」

 リン君は手品でもするみたいに急に帽子を取り出した。これで帰ることが出来る。

「ありがとう。リン君また明日」

「うん。また明日」

 その日はなんとか真っ暗になる前にお家まで帰ることが出来た。

 ご機嫌で帰った僕を見たお母さんはなんだか嬉しそうだった。なんでちょっとだけ泣いてたのかはわからないけれど。

 翌日の放課後。

 僕は約束通りに広場まで来ていた。昨日より時間が早い。夕方だけどまだまだ暗くなるまでは時間がある。

「やっ。ヒロヤ。来てくれたんだね」

「もちろん。指切りしたじゃないか」

「ふふっ、そうだったね。さてどんな遊びをしようかね」

「う~ん? 鬼ごっこ、とか?」

「鬼ごっこか。それはいい。その遊びなら僕も知ってる」

 僕らはさっそく鬼ごっこを始めた。二人だけでやる鬼ごっこなんて初めてだった。これは単純に足の速さを競うようなもの。僕よりちょっとだけ足が速いリン君を捕まえることは出来ず、ひたすら鬼となって追いかける。

 それでも……。

「はははっ」

「ヒロヤは楽しそうだね」

「うん。楽しい。リン君は?」

「僕もだよ。こういうのは久しぶりなんだ」

 リン君と遊ぶのは本当に楽しかった。時間を忘れてしまうぐらい鬼ごっこに夢中になってしまう。気が付けば辺りが暗くなり始めていた。

「はぁはぁ。ヒロヤ。今日はこれぐらいにしておこう」

「はぁはぁはぁ。うん。そうだね。今日はこれぐらいで」

「明日も、来てくれる?」

「もっちろん! 絶対来るよ。また指切りする?」

「ふふっ、それもいいね」

 僕らは昨日と同じように指切りをし、次の日に遊ぶ約束をした。

 翌日もその翌日も。僕は放課後になると必ずといっていいぐらいに広場に遊びに来ていた。ちょっとだけ不思議だったのはリン君と会えるのは決まって夕方ということ。リン君の他には誰もいないこと。この場所でしか遊ばないということ。

 でもそんな不思議なんてどうでも良かった。

 リン君は僕に出来た初めての友達。少し前に親友って言葉を習ったけど、そんな関係になれたらいいのにな……。

 今日はかくれんぼをして遊ぶことになった。広場にはあちこちに木が生えてたり、木で出来た小さな建物があったりと隠れる場所は結構多い。鬼ごっこでは勝てっこないので最近はかくれんぼやだるまさんが転んだ、などをして遊んでいる。

「ヒロヤ。見~つけた」

「あはは」

 大きな木の陰に隠れていたけど見つかってしまった。でもリン君は必ずこうやって僕を見つけてくれる。それがなんだか嬉しかった。

 一通り遊んだことで疲れた僕らは、その大きな木にもたれかかって休んでいた。

「リン君。あのね」

「ん?」

「僕……学校でいじめられてたんだ」

「……そうなんだ」

「うん。どうしてなのかな?」

「どうしてだろうね。ヒロヤといるのこんなに楽しいのに」

「ふふ。ありがとう。つらいことが多いけどリン君のおかげで最近前向きになれてきた気がするんだ」

「そっか。それは良かった」

「ごめんね。なんか変な話しちゃって」

「い~や。全然変な話じゃないよ。僕も気持ちはわかる。誤解をされて一人ぼっちになるってのは寂しいよね」

「リン君もなの? でもね。クラスの人たちとも最近は馬鹿にされるだけじゃなくて普通に話せるようにもなってきたんだよ」

「そかそか。それは君にとってきっといいことさ」

「それもリン君のおかげだよ。それで明日ね。クラスの人に遊びに誘われたんだ」

「……そっか」

「うん。こんなの初めてでさ! リン君も行こうよ! 皆に自慢の友達だよって紹介したいんだ。一人ぼっちなんてもったいないよ!」

「……それは出来ない」

「どうして?」

「どうしてもだよ。わかった、明日は来れないってことだね? 次はいつ来れるの?」

「そっか~。残念だなぁ。でも来れないなら仕方ないか。次は明後日には来るよ」

「ごめんね。それじゃまた明後日」

「うん。はい指切りげ~んま~ん」

「ふふっ」

 残念だったけど無理には誘えない。僕はいつものようにリン君と指切りをしたのだった。

 それからもリン君との放課後の遊びは続いたけど、回数が少なくなっていった。ウジウジするのを止め、明るくなれた僕は段々とクラスの人たちとも仲良くなれてきていた。

 それまでの僕はイジめてくる人たちに対してなんにも反応出来ず、ただただ泣いたり悲しんだりすることしか出来なかった。でも今はそんなことをされても笑って言い返せるようになったのだ。イジめてくる人たちも、それを見て影で笑ってる人たちも、正直皆嫌いだったけど、実際に関わってみれば皆悪い人じゃないってことが良くわかった。彼らに一歩踏み出すことを、僕自身が出来なかった。踏み出してしまえばびっくりするぐらい簡単に彼らとも仲良くなれたのに。

 きっかけは間違いなくリン君のおかげだった。自分に自信が持てたのだ。

 そんなある日の放課後のこと。僕は久しぶりにリン君の元へ来ていた。

「リン君! あぞぼ!」

「……ああ。ヒロヤか。久しぶりだね」

「うん。もっとリン君と遊びたいのにリン君ここから出てくれないんだもん」

「ごめんね。正確には出られない、んだよ」

「え?」

「ふふっ、気にしないで。さ、今日はウンと遊ぼう。真っ暗になるギリギリまで」

「オッケー」

「あ、その前に指切りしないか?」

「なんの? また明日の約束?」

「いや、違う。それはもう出来ないし。ヒロヤが人気者になる約束さ。一種のおまじないかな」

「僕が人気者に? なに言ってんだよ」

「ふふっ、いいから。ほら」

「……わかったよ」

 照れ臭かったが僕はいつものように彼と指切りをした。

 それから僕らは色んな遊びをした。それまでやってきた鬼ごっこやかくれんぼ、僕が教えてあげた缶蹴りやベーゴマなど、盛りだくさんだった。

「ヒロヤ、今日は最後にだるまさんが転んだをやらないか」

「うん。いいよ。もうだいぶ暗くなってきたし最後はそうしようか」

「じゃあヒロヤが鬼ね。あの大きな木を使おう」

「わかった」

 僕は広場の中でも一番大きな木に手を当て、だるまさんが転んだを始める。そういえば縄がかかっていることになにか意味があるんだろうか。

「だるまさんが……ころん、だ!」

 勢いよく振り返る。リン君が先ほどよりも近づいているがしっかりと止まっていた。僕が笑うとリン君も笑い返してくれる。

「だるまさんが……ころ……んだ!」

 少し早さを変えて振り返る。これでもリン君は上手いこと身体を止めていた。もうすぐそこまで来ている。次で決めなければ僕の負けだ。

「だるまさんが」

 かなり早口で僕が言い始めるけど、その言葉の途中で、

――もうヒロヤは大丈夫。ここに来る必要はないよ――

 そんな声が聞こえた。リン君の声だったけど直接頭に響いてくるような、不思議な感覚だった。

「リン君??」

 慌てて振り返るとそこにはリン君の姿はなかった。

 ヒュウっと大きな風が吹き、通学帽が飛んでいく。あのときみたいに。だけど今回はすぐそばに落ちた。違うのは僕の帰りを邪魔する風ではないということ。ヒグラシの鳴き声が寂しそうに広場を流れた。

「リン君!! リン君!?」

 泣き叫ぶような声で君を探し続ける。今はかくれんぼをしてるわけじゃないのに……。

 結局その日、真っ暗になってからもリン君を探し続けた僕だったが、とうとう見つけることは出来なかった。翌日以降も毎日のようにここに来たけど、リン君の姿を見つけることはなかった。

 生まれて初めて出来た親友とのお別れは、あんまりにも急で、あんまりにも悲しいものだった。


 ヒグラシの鳴き声でふと我に返った。

 どうやら昔を思い出してしまっていたらしい。

 この神社は昔からある妙な噂のせいで人が寄り付かなくなっていた。そのおかげか、今日も今日とてここは俺の貸し切りだ。

「なにが神隠しだよ。なぁ?」

 俺にはもうその返事は聞こえない。

 今にして思えば恰好からしておかしかった。子供が毎日のように着物を着るものか、と。夕方から黄昏時にかけてしか会えない、それも二人きりでしか、なんておかしいだろう、と。やけに古典的な遊びばっかりしてるな、と。

 子供のころから違和感はあったが分析なんて出来るわけもなかった。ただひたすらに彼と遊ぶことに夢中になっていたのだ。母親以外で唯一の俺の味方であり、たったひとりの友達の君と。

 あれから俺は徐々にクラスメイトとも打ち解けていき、高校生になった今では人気者となった。よくムードメーカーと言われるぐらいだ。

「なぁおい……何で急にいなくなっちまったんだよ。一方的なんだよチクショー。君はまた一人ぼっちなんじゃないのかよ」

 俺はご神木に手をつき、顔を臥せた。もう泣き虫は卒業したはずだってのに、涙が頬をつたってしまう。

 君が消えたあのとき、どうしても伝えたかったこと、伝えられなかったこと。


「……ありがとう」


 その場に崩れるようにして膝をつき、俺は何度もそう呟いた。


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