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英雄のいない国

作者: 末期戦が好き

その世界では、大地の力によって生み出される未解明のエネルギーが存在し、ある程度の才能と努力によって人々の中には魔法という特殊な能力を使える者が存在していた。

低コストで日常を始めとした様々な事象に便利であった魔法技術は古から存在し、革命的発展こそしないまでも人類の長き歴史の中で地道に積み上げられた英知の結晶は世界中にその恩恵をもたらしていた。

しかし、その反面、魔法で代替できる多くの分野では科学や文明の発展が遅れていく中で、人類の一部の人々による知識の隠匿や、才能ある者達による力の独占が始まり、世界は歪になり始め、これを憂う神達は魔法が無いために技術の発展した異世界から時折無作為に人間を転生させ、僅かずつ技術や知識を転移流入させる方策を取っていた。


そうして、地球における中近世程度の技術レベルと冒険譚に語られる程度の魔術レベルが両立した世界で、各国は様々な魔法や技術、政治の方向性を延ばし、互いがある時は協力、またある時は対立しながら適度な緊張感ある外交情勢を持つおかげで均衡が保たれ、平和を多くの人々が享受できる時代が訪れていた。


しかし、平和とは必ずしも長くは続かない。

諸国の中の一つであった帝国が代替わりし、新たな皇帝が帝位について僅か数年。帝国は技術、戦術、政治力を大きく伸ばし、周辺の小国を影響下に置き勢力を拡大、あるいは対立関係にある隣国から領土や権益の一部を奪い取るまでになっていた。

そんな、世界の半数近くを敵に回した帝国と領境を接し、次の標的となった平和主義の軍事弱小国である神聖王国は神に祈った。

「かつて魔王を排除したという伝説と歴史ある我が国に、今再びの神の恩寵あらんことを」

しかして神はこれに応じた。そして命じる。世界を掻き乱す混沌の中心たる帝国を、神の恩寵である超能力(チート)で蹂躙し、成敗し、再びの平和を取り戻せ、と。

神によって人知を超えた力と才能を溢れさせ、さらには前世の知識を不自然なまでに克明に記憶し再現することのできる人間を王国内に転生させたのである。


と、此処までは世にありふれた異世界超能力者の英雄譚。

ただ、この物語でただひとつ違うのは――


――これは、帝国の人々を中心とした物語である。




 バンガル荒原――そこは、乾燥した固い土質に僅かばかりの草や木々が植生する荒原であった。

 戦場に適したその地は幾度となく歴史的戦場の舞台となり、今世紀では用意周到に塹壕を張り巡らせた帝国軍が、旧式階級制度社会を色濃く残した王国重騎兵に大勝するという、新たな歴史の一ページが刻まれることとなった。



 夕日の差し始めるバンガル荒原。

帝国側陣地では、将兵共に眼前の光景が信じられず、各々只茫然と、唖然と、そして雑然と、只々その場に立ち尽くすばかりであった。


 鼻に付くのは焼けてくすぶった土と消炎の臭い。

目につくのは死屍累々折り重なり積もる死体の山。

傍の溝を流れる川は毒々しい赤黒さをもってゆっくりと流れ、口元に付いた泥からは土と鉄の味。


「ミラー大尉! ……大尉殿! 此処は退くべきです! 奴の力を見たでしょう!?」


 戦場は圧倒的優位な軍事力を有する帝国軍の圧勝を見、逃げ惑う王国軍兵士に対し一方的虐殺をしていた。


……はずであった。


「少……ではなく、中尉。我が帝国に魔道部隊は希少戦力だ。魔道部隊の即時撤退を指示。それと同時に、前線にいるあの小隊長を衛生兵に救出させろ。あの者は、敵の力を見抜いたかのようにいち早く塹壕深くに身を隠した。何か気が付いたかもしれん」


 中年大尉は小高い丘で自軍の巡らした蜘蛛の巣のような塹壕を見つめながら語る。

 目の前で想定しえない高火力の何かが地面を吹き飛ばし、抉り、窪地を作る。そして吹き飛ばされる土砂は塹壕へと波打って流れ込み、これを埋め戻していった。


「っは。各部隊に伝令を送ります」


 まだ年若い女性中尉は敬礼するとともに、すぐ背後にいた数名の兵に役割を分担して行動を指示した。

 しかし、大尉は兵だけが丘を降り、中尉は一人残ったのを見て溜息と共に首を左右に振った。


「いや君も帰還するのだ。適切な状況判断と退路の確保、撤退中の冷静な状況判断能力は部隊内で君に勝るものはない。……他の一般兵諸君には悪いが、私と共にあの化け物の足止めに命を賭してもらう」


「しっ、しかし!!」


 尚も抗議しようとする中尉に、大尉は振り返ると普段見せないような厳しい表情を作り、一喝する。


「命令だ! 帝都には我妻と子も居るのだ。どうか、あの化け物から帝国を守ってくれ……あとは、頼むぞ」


 大尉は砂埃に汚れた軍服の胸元を掴み、幾つもある胸章を引きちぎり、中尉の手を優しく開いて、強く握りしめさせた。

その軍服は胸章を引きちぎった胸部以外も何か所もほつれ、あるいはあらゆる破片で切れた所を継ぎ接ぎした跡があったが、中尉はそれらを一つ一つ名残惜しむように見つめ、唇を噛みしめて眉間にしわを寄せた。

 それは何かを覚悟する表情であった。


「待ってください! ならば、大尉殿こそ退くべきです! あなたが亡くなれば、奥さんとお子さんはどうなります!? 私は、私は家族が……」


「妻と子には何時かこういう時がある事は言い含めてある。それに、貯蓄も、遺族年金もある。やり繰りの上手いあいつの事だ。贅沢さえしなければ十分生きていけるさ」


「でも、それでも悲しむじゃないですか! お子さんだって、まだ幼い……」


「中尉! 君にも、ご両親がいるだろう? 母の日に、好物のチョコレイトを送ったそうじゃないか。……それにね、私は妻と子を持ち、十分な幸せを得た。十分だ。そして、君の“こうい”も嬉しく思うよ」


「私は、一度も、それはっ」


「私もそれほど鈍い男ではないよ。大尉まで出世するには、人の心にはそれなりに機敏でなくてはならなくてね。部下の気持ちを知らねば後方の指揮所でだって戦死しかねない」


「……その任、了解いたしました!!」


 中尉は短く敬礼すると、丘を全力で駆けおりる。僅かな部下に適切な指示を与え、的確な配置を行い、大尉の指示通りに一人の小隊長と魔道部隊を殆ど損失なく撤収させたのである。


 そして大尉は、指揮所にあった一門の大砲を苦労して移動させ、砲弾を込め、照準をはるか遠くに浮かぶたった一つの人影へと向けた。


「あぁ、神よ。慈しみ深い天の神よ。信心深い私の、慎み深い私の、たった一つの願いを叶えたまえ。哀れに思うなら、この砲弾豆粒ほどのあの的へ見事に的中させたまえ」


 ドォっと一つの発砲音と爆風が丘に響く。

 しかし、戦場全体を襲う無慈悲な業火や爆裂音、阿鼻叫喚に比べれば悲しい程に小さな砲音である。

 そしてこの時、ゆるく弧を描きながら飛距離を伸ばし続ける砲弾の行きつく先を照らす様に、これから起きる奇跡を、神の恩寵を既に祝福するかの如く、重苦しく垂れこむ分厚い曇天の空から、標的の男へ天子の階段が降ろされた。

 大尉は驚き、目を疑い、何度も擦る。

 大尉はこの一瞬で何か奇跡が起こると予感した。暗く豆粒ほどで辛うじて見えていた敵影が、今は不思議とよく見える。それは、天子の梯子、所謂雲間から差し込まれる神々しい光だけのおかげではないかのように感じるほどに。



しかして、戦場の女神は彼に微笑んだ。神は存在したのだ。



「空中で炸裂、した……!?」


 大尉はホールインワンにも勝る奇跡に唖然とし、眼前の空中に浮かび天へと登る煙を見つめて発狂した。


「は、はは……上司のつまらない接待の玉打ちに、初めて感謝する……」


 黙々と上がる煙が徐々に霧散して薄れてゆく。その中で、俄かに信じがたい奇跡への実感が数秒の時間差を置いて彼の中で湧きあがり、耐えがたい喜びが爆発する。


「フフ、フヒヒハハ、ヒャアァァアッハァア! まさか、当たったのか!? 当たったのか!! よぉうし! あんのクッソ悪魔め! 死ね! クタバレ! ザマァ見やがれ! 砲弾に体を引きちぎられ、無残に戦場に肉片や脳症を散らせ! 野獣共の餌に、いやそれも惜しい! ゴミ虫どもに啜り食われて蛆の餌となってもだえ苦しみながら惨めに死ね! それですら多くの部下や同朋の命をゴミのように散らしてくれた報いには軽すぎるほどだっ!!」


 そして、完全に煙は晴れる。


 だが、微笑んだ神は、彼の味方ではなかった。


『痛てて……ったく、誰だよ。今日はお気に入りの服だったのに汚れちゃったじゃんか。これは高くつくぞ……って、あそこか。なんだ、おっさん一人なのか。命一つじゃ弁償に足らないし、とりあえず此処の部隊も全滅させとくか』


 空中に浮遊していた冒険者風の明るい色調の服をした男は、溜息と共に肩を落とし、気だるげに詠唱を手短に唱えた。


『別にこんな詠唱さえいらないんだけどね。特別に少しだけ威力上げて相手してあげるよ』


 そんな薄ら笑いと共に放たれた巨大な火の玉は丘の先端を削り取り、丘一つを黒く染め上げ、そこに存在していた動植物の一切の生命活動を消滅させたのである。


 そして、この一撃で帝国軍の抵抗は完全に沈黙した。

 歩兵各員は大隊本部が一瞬で姿を消した事、そしてその超常的一撃に絶望し、戦意を喪失。投降を叫ぶも一瞬で肉塊にされ、それを見た兵達が半狂乱で豆鉄砲を散発的に乱射するも、一人一人順番に肉塊にされてゆく。

 味方が犠牲になる間に逃げようと塹壕を飛び出せば、遠距離魔術の餌食となり次々戦場は赤の面積を広げていった。恐怖に逃げ惑う兵を弄ぶかのように一方的な虐殺を行う一人の若者は、行動とは裏腹に非常に冷めた、無感情にも近い感覚で攻撃の度に溜息を漏らすほどであった。


 そして、帝国軍は王国軍以上の損害を被って敗北したのである。


 国柄の事情があるとはいえ、一歩進んだ装備、軍事制度を手にし、半世紀足らずで地域覇権を手にする目前まで迫った帝国軍は、この時初めての大敗を喫したのである。


 これが、後の世に長く、永く、延々と語り継がれるバンガルの大虐殺である。





 もはや、前世の記憶などほとんど残っていない。

 前世でくたびれたリーマン時代、覇気のない部下から言われたことがあった。

「トラックに轢かれて死ねば、僕らも異世界に栄転して満ち足りた夢の生活遅れるんですかねぇ」などと。

 話に聞くに、つまらない人生程ギャップ的に英知を与えられて逆転したような人生を送るのだとか。誰が検証したのかもわからない流行りのサブカル小説の話を時折聞かされた。


「なるほど。道理でこうして平々凡々な生活を送るわけだ」


 前世での記憶はほとんど残ってはいないが、それほど不幸かと言うと恨み辛みも妬みも憎しみも無い程よく人並みの幸せを掴んだ人生だった。

それ故なのか、かつて憧れた中世の石造りの街並みから、僅かに近世が顔を覗かせた様な鉄板剥き出しの丈夫そうなシンプルデザインの車や鉄道が走る。それでいて今も尚、目を疑う様な非科学的技術が独自に派生したこの世界で、俺は特別な力も無かった。


(とはいえ、俺は西欧旅行を楽しみたかっただけで、こういった環境を望んだわけではないのだが)


俺はかつての人生同様、この世界に生まれ直しても地道な努力で勉学に励み、身を鍛えて、特別の目的も無いまま漠然とした平均以上の幸せを求め、大学へと入った。

 この世界では、大学にはいるだけで優秀な部類らしく、卒業後は貿易商社へと入った。

そして在学中に結婚。卒業後に一人の娘が生まれ、順風満帆な人生の筈であった。


「アナタ、何が平々凡々な人生ですか。御国が初めて敗北して、半数近い人が無くなってしまった戦いで、アナタは運よく生き延びたんですよ? 平凡な人はこんな修羅場人生で経験なんてしません」


 我が家は小洒落た庭付きの白い一軒家。白く大きな犬が飼いたいという彼女の要望で、出勤には少し面倒ながら、帝都中心街を外れた山寄りの地域に居を置く事となった。


「いや、酷い衝撃の所為か昔を少し思い出してね。それに、この修羅場だって君へのプレゼントを別の子に相談したあの時『泥棒猫!』って買い物現場に君が現れた時に比べれば大したことないさ」


朝食を終えたコーヒータイムはあまり面白くも無い人生の僅かな楽しみ。愛する彼女をからかう事に生きがいを覚えるしょうも無い男の幸せの一時。


「だ、だって、アナタは私より後輩ちゃんへの接し方の方が優しかったし、彼女の方が胸も大きいし……アナタ好みかと思って……」


「そりゃ、多少の好みはあるかもしれないけれど、ボクが惚れたのは君なんだ。胸を張っておくれ。って、あぁ、張る胸はあまり無いんだったね」


「ほ、ほら! そういうところぉ!!」


「はは、からかい甲斐のあって頬を膨らませる愛らしい君が好きなんだ。どうかそのまま見送っておくれよ」


 この一時はいったい、人生で後何度繰り返せるだろう。全てを総和したら、どの程度の時間になるのだろう。想うほどに気が重くなる。消費されゆく一刻一秒が鉄の一滴の様に背中へ積み重なり、いずれ我が身を押し潰すのかと思うと、恐怖に駆られて妻子を連れて国外逃亡を図りたいとさえ思うのだ。

平和がこれ程に貴重で、価値あるものだと前世では微塵も気が付かなかった。平和も、水や空気の如く当たり前にあるとその価値を失う。いや、見失う。

俺はこの世界に生を受け、幸せの尻尾を掴んだ段階でようやく気が付いた。


「……それは、無理よ」


「はは……軍役なんてすぐ終わるさ。この帝国は世界最強だろ? またすぐ戦争も終わる。何も心配なんていらない。何なら、今回の負傷で満期を待たずとも退役させてもらえるかもしれないよ?」


「そうだといいけれど……でも、アナタの顔はそうはいってないもの」


 学生時代、詐欺師に向いてるとからかわれた俺も、さすがの恐怖に顔が引きつっていたようだ。

 軽症で済んだ俺は、再び軍司令部に呼び出され、特務大尉の任官を受けた。死んでも居ないのに二階級の特進に思わず怪訝な顔を隠さなかったが、どうやら中尉殿の意見が反映された結果らしい。


 とはいえ、ただの一中尉の意見で司令部の意向が動き、少尉がいきなり大尉まで成れるという事は無い。

 理由の一つは、急な軍拡で仕官不足の折りに不幸な化け物との遭遇と死闘、これによる災害的な現実味のない大損害で仕官不足に拍車がかかった事。

 そして、未確認の化け物と現場から複数の証言が司令部に上がるも、豆粒ほどの影を黙視するものばかりで、双眼鏡で姿をはっきり視認した者も僅か。その中で相当な近距離で戦闘を行った生き残りが俺しかおらず、中尉曰く『この小隊長が敵の中の何かを見抜き、行動した。故に唯一生き残ったのだ』と、大尉が発言していたと伝えたのだという。司令部は情報に乏しい敵への対応策を練るべくそれなりの地位に付かせつつ、俺を地位で縛ることで容易に軍から逃れられない様にする意図があった。


「ははっ、ボクの顔ってそんなに素直じゃないかい?」


「うん、ひねくれものよ。だってからかってくるもの」


「そうだったね、でも、君を不幸にする顔じゃない。信じて」


「……えぇ、そうね。いってらっしゃ」

「ママ……? パパ、またどこかへいっちゃうの……?」


 玄関で靴を履き終え、まさに今家を出ようとするとき、子供部屋の扉が開く。

 今し方、愛しい妻と今生の別れになるかもしれないと覚悟を決めたけれど、やはり娘の顔を見ると死にたくはないという気持ちが溢れ出る。


「こーら。リィニャ。君はまだ病み上がりなんだからゆっくり寝ていなさい。こんな朝から起きてくることも無い。お医者さんの所へ行くのはお昼なんだろう? それまではゆっくり寝てるんだ。いいね?」


「でも、パパ、またしゅっちょういっちゃうんでしょ? や!」


「こらぁ、リィニャ。パパを困らせないの。またすぐに帰ってくるのだから、少しだけ待ってましょ? ね?」


 貿易商社にいた頃も忙しく、余り家族に構えなかった。にもかかわらず、娘もよく懐いてくれて、目に入れても痛くない。

妻もよく家庭を守って支えてくれている。収入は軍属に兵役として放り込まれてからは少なくなったが、商社時代の蓄えもあるから切り詰める必要はない。であるにも拘らず贅沢のしない良妻賢母である。


 あぁ、この別れが痛くて辛い。体感的には半世紀を生きているが、前世での歴史の戦時の人々はこのような気持ちだったのだろうか。勝ち馬である軍事強国である帝国の所属であることが幾ばくの救いだ。


「わるいね。では、行ってくるよ。リィニャを宜しく」


「えぇ。怪我も、しないようにね?」


「ははは、なぁに。退役できるように道中で軽く車にでも曳かれて来ようか。上手くすれば死なずに無事退役さ」


「もう! そうやって!」


「わ、悪い悪い。それじゃ!」


 そう言って家を出たあの日も今となっては昔の事。

 思い出せば思い出すほど、あの頃だって平和で幸せな日々だったじゃないか。今に比べれば、よほど。



あの日からたった二年弱。大陸歴2211年となった。


そして――今



 かつての幸せの記憶が嘘のように、帝都は荒廃していた。

 何と、最強の軍事帝国として一時代を築いた帝国は、半世紀の栄華を経て、一度の戦いに敗れ、その歯車を大きく狂わせた。

 帝国は、初めての狂いを誤差と捉えた。たった一人の人間で戦況が変わるはずはないのだ、と。

 天から与えられた英知が、その時代に生きる全ての英知の総和を遥かに超さんばかりの英知がたった一人の手に握られることがあろうとは。どんな名将や宰相、英傑や天才的皇帝の頭脳を持っても想像しえなかったのだ。


「ミ……ケールヒン大尉! 本営からの遅滞戦術の指示された時間は過ぎました。総撤退しましょう!」


「中尉殿か……わかった。砲兵の斉射を合図に全軍撤退せよ。……それでも、奴には傷一つ付はせんだろうがな……」


(大尉はあの戦いの最期を、見届けて……いや、そんなはずは)


 俺はかつての自宅近くにあった役場を部隊本部として使い、指揮を執っていた。

 役場の二階は正面の壁が爆裂魔法の至近弾で崩壊し、吹き飛ばされたのか柱のみを残す見晴らしの良い状態であった。吹き飛ばされた瓦礫に粉砕されたカウンターや机を見るに大層な威力が想定される。

 見聞きしたことも無いレベルの圧倒的な魔法に軍を指揮するのも馬鹿馬鹿しいとさえ感じる。しかし、俺は前代未聞と言われた死と言う概念を連れ歩いているかのようなあの男と遭遇したことがあり、今もこうして生きながらえている。

 そして、何よりも俺はこの世界で軍人となってしまった。国民の大部分の連中程、忠勇義烈の国士と言う訳ではないが、それなりの愛着や郷土愛、国への誇りだってある。それに、何よりこれより後背地、自分の立つ戦場の背には常に愛すべき妻と子が、そして家族同様の部下や戦友の家族もまた不安に思い悩み、怯えながら暮らしているのだ。一方的な敗北戦闘を馬鹿馬鹿しいと放り投げることができるほど、我が身と命恋しさに逃げおおせるほどの無責任ではない。


 ならば、戦うしかないではないか。


 とはいえ、瓦礫の山と化した帝都で伝達手段は乏しく、時が経つにつれ優秀な部下たちの才覚に頼る展開が続いた。


 金属ボトルの水筒から僅かばかりの水を口に含む。恐怖と緊張に乾く口は水が染み込むと一瞬で消える。


 土化粧をした美麗な中尉は一度だけ目を閉じ、そして開くと力強い視線を俺に向ける。


「……戦場の女神が勝利の女神となる事を祈りましょう」


「祈っても無駄さ。百門の砲よりも奴一人の火力が勝る。誰だ、魔法は限界があるから科学で軍拡するべきだ、なんて論説繰り出したバカな軍学者は」


「……流石に、あれは規格外と言うもの。さぁ、急いでください。囮となった決死隊が消し炭になる前に逃げてください! 大尉だけでも!」


 俺は振り返る。言葉に疑問を抱いて。


「ん? 中尉殿はどうするんだ。まるでここに残るかのような」

「奴にあなたの顔が知られるわけには行きません。只今より、私が隊を指揮します。あなたはその間にお逃げください」


「バカな! 寧ろ君だけでも逃げろ。上官命令だ! 即時撤退」


「大尉!」

「ッ!?」


「私、二度も大好きな上官の命を盾に逃げるなんてしたくないんですよ。でも、まさか少尉だったあなたが、これほど早く出世して、ましてや追い抜かれるなんてね」


 中尉は元々医療班出身であった。

肝っ玉が据わっているのか、土壇場での底力は凄まじく、前線部隊が壊滅し負傷兵と共に敵勢力圏に取り残された時、死者の武器を手に取り、敵から炸薬を奪って腕一本でも動く人員は総動員して小さな陣地を敵中で死守することに成功した。

 中尉の奮戦を見た司令部は好機と判断。予備戦力を総動員してその戦いに勝利した。その功績を讃えられて少尉を任官され、所属も移動。移動先の部隊でも実績を上げたことで若くして中尉になったのである。

 そして、俺はそんな現場叩き上げの中尉に二年間熱心な教育を受けて名実共に大尉になったのだ。


「……中尉殿の教育の賜物です」


「実はミラー大尉を指導したのも私なのよ? しかも少尉の頃にね。その時は見習士官上がりでデスクワーク、前線は物見遊山程度でしか知らなかった当時中尉の彼をね。年上の中尉を教育するなんてやりにくかったけど。あなたは年下で助かったわ」


「……恐縮です」


「あぁ~あ。なんで私が好きになる男は皆既婚者かな。まぁいいわ。次女が生まれたって奥さんからの手紙が来てたわよ。優しそうで美人な奥さんじゃない。……悲しませちゃだめよ?」


「ミラー大尉……いえ、少佐の御家族は無事でしょうか」


「ふふ、口調が戻ってるわよ。あの人の家族は無事に逃がした。頼まれてたからね。……ふぅ。すぅ、はぁ。では、大尉殿!」


「……あぁ、任せた。中尉殿。敵を引き付け、残存兵力が引き上げる時間稼ぎを頼む」


「御武運を祈ります。そして、後を……帝国の未来を、お願いします。どうか、人の慈悲も涙も無いあの化け物に、怒りの鉄槌を!」


「……了解した。皆の期待に応え、必ず奴に一矢報いて見せる」


 俺は中尉と堅い約束を交わすと、敬礼し、その場を後にした。


 この後、帝国は帝都陥落を受け、帝国の前身である大公国時代の首都、現在では旧都と呼ばれるケイルスブルクへと遷都し、再び防衛線の構築を始めた。

 しかし、精鋭を集めた帝都防衛ラインさえ一蹴されたのだ。俄作りの防衛線が役に立つと思えない。軍内にはこの認識が広まるに時を要さなかった。そして、当然国民の思いも似たようなものであった。

プロパガンダも限界に達し、勝報や危機扇動、ナショナリズム運動を利用した戦争誘導は出来なくなり、今や殺された国民の屍を忠実に数え上げて怒りと憎悪を利用することで、国民を戦争へ意識を向けさせるのが精一杯の極限状態である。


 もはや、世界からも帝国の敗北と滅亡は秒読みであるかのように思われている。



 部下の七割を失った俺はお役御免にでもならないかと願ったが、運命は常に想いと逆を向く。

 驚くべきことに、功績の無い俺が参謀本部に招集され、少佐に任官されたのだ。と言うのも、この二年間であの意能力の化け物が転生者であることを確信するに至り、周囲に愚痴紛いでいろんな対抗策や文句を並べていたら、それが参謀本部に届いていたらしい。

 加えて、至近距離で奴の姿を視認しながら生き残った指揮官は殆どいないらしく、意見聴衆の意も含めて招集されているものは俺の他にも数人程居た。参謀本部もどんな情報でも言いからかき集めようと焦っているのが見て取れる。


(なんだか、不安になる光景だな)


 参謀将校数十人が集まる旧都の大会議室で、たった一人の人間に対する対策会議が開かれた。


 そのたった一人とは、当然転生者であり、帝国軍を幾度となく数千単位で兵員の命を消し炭にした憎き仇のあの男である。尤も、転生者である確証も無ければ、その可能性を知るのも俺の他には居ないのだろうが


 例の男は、参謀本部でコードネームを付けられていた。まぁ、当然だろう。二年も苦しめられた相手の個体に名称を付けていなければ会話に困る。まぁ、例の奴、とかでも通じそうだが。


 そして、 満を持して現れた参謀総長は、細身ながら貫禄ある空気感を漂わせ、豊かな口髭を揺らしながら現れた。


「皆の者。帝国軍事の英知の精鋭達よ。よくぞ集まってくれた。これから我々は、未だかつてどんな学者も解けなかった難問の壁……それすらをも児戯と笑い飛ばすかの如き凌駕超越した難問の壁と挑まなければならない。数学、化学、物理学……他多数のあらゆる分野での存在しうる全ての難問を解くより難しい課題を君たちに課す。これを成した時、諸君らは帝国の英雄となることはまず間違いはなく、それどころか人類の英雄として大陸全土に、人類衰滅のその日まで長き歴史に名を刻み続ける事を保証する」


 大会議室に集められた参謀達でさえ絶望に打ちひしがれて士気が下がっており、これではまともな案など浮かぶべくもないと言った様相である。

 それを、参謀総長は敢えて難関であることを意識させたうえで、名誉を餌に一同を鼓舞する。


「さて、その難問だが、それは知っての通り、たった一人の男によってもたらされている。皆も存じて居る通り、先週の間に帝都は陥落した。強固な市街戦を試みたが、あらゆる作戦や戦術、方策もすべて無に帰し、灰塵となって消え果た。だが、帝国を此処まで追い詰めたのはコードネーム“マスティマ”の存在一つである! この者さえどうにかできれば、帝国は再び返り咲き、千年帝国を築くのも夢ではない。さぁ、諸君。あの化け物“マスティマ”を封じる方法に、大いに頭を悩ませてくれたまえ!」


「は!!」


みたいな、現地民主人公か異世界転生者の思考や物事理解するために主人公側にもチートは無いけど前世記憶が微かにあるよ、くらいの凡人達による、末期戦の中で紡がれる悲惨な抵抗が見てみたいんですよね。


誰か書いてくれないかな。異世界勇者の敵側陣営、蹂躙される側の話とか。

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