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第1話

 めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と去年の夏に読んだ小説の主人公が言っていた。

 だから、自分もやると決めた。


 それは、中学二年の夏休みの終わり間際、新学期開始である九月一日まで一週間を切った晩のこと。

 父母と二歳年下の妹に僕を加えた四人で囲む食卓。我が家は母の方針でご飯時はテレビを点けないことになっている。

 普段、父は仕事が忙しくて夕食時には不在であることが多いのだが、今日に限って珍しいことに仕事が早く終わったらしい父が居た。

 とはいえ、食事中は基本的にお喋り好きな母と妹とが喋っていて、

「今日ね、母さんの遠い親戚だっていう人から手紙が届いたんだけどね、今度こっちに来るからよろしくって」

「お母さんの方の親戚って会ったことなんだけど、でもその前にその話だけ聞くと新手の詐欺かなって思わなくもないね」

「そうそう、詐欺と言えばね、裏のお爺ちゃんから聞いた話なんだけど……」

 コロコロと変わる話題についていくことも出来ず、僕と父はそれを聞き流しているだけのことが多い。

 そのことを母も妹も分かっているのだろう、会話をこちらに振ってくることも滅多にない。だからこそ、この食卓に父が居ようが居まいがあまり変わりはないというのが常だったのだが、

「そういえば佑輝、彼女は出来たのか?」

 いきなりの爆弾投下に、場は一瞬で沈黙する。

 ニヤニヤとした笑みを浮かべる父。その横で、興味ないとでも言いたげに無言のまま、サンマの塩焼きの骨と格闘中の母。隣に座る妹の顔は見ていないが、身を乗り出してきて興味津々、といった雰囲気を感じる。

 とはいえ、僕は答えに窮して悩むなんてこともなく、

「彼女とかいたら、毎日毎日家でゲームやってたりしないし」

 それを聞いた妹が笑いながら、

「だよねー。全然かっこよくないお兄ちゃんじゃ、彼女なんて難しいよねー」

「またそんなこと言って。だいたいこの間、」

「わーちょっと待ってお母さんストップストップ!」

 僕に彼女が居ないことで盛り上がる母と妹の話を聞き流し、どこか申し訳なさそうな表情を見せる父の、

「ほら、なんだ、その。父さんだって母さんと結婚出来たんだ。佑輝だって幼馴染の、」

 茶碗に残ったご飯を一気に口に掻き込んで、

「ごちそうさまでした」

 父の話を最後まで聞くことなく、なんだかやりきれない思いを胸に食卓を後にする。


 だから、これから学校のプールに忍び込んで、泳いでやるんだと、僕、三吉佑輝はそう決めたのだ。


 彼女がいないことが悲しい訳でも、妹に笑われたことが悔しい訳でもない。

 彼女を作ることなんて、そもそも難しい話ではないのだ。勇気を出してクラスの女子の誰かに告白すれば、彼女の一人や二人楽勝のはずである。

 だが、僕はあえてそれをしないのだ。かわいい彼女が欲しくない訳ではないが、でもなんというか、その、女子ってちょっと怖いし。

 それにそもそも、妹にだって彼氏なんていないではないか。僕を笑う権利があるのかっていう話だ。……居ないよな?

 もし妹に彼氏が居たとしたらそれはそれで悲しいが、よくよく考えてみればこの夏休みの間、妹はほぼ毎日僕の部屋に来て一緒にゲームをやったり漫画を読んだりしていたはずで、だとするとやはり妹に彼氏なんて居ないに違いない。

 その結論に辿り着いたところで、話を本題に戻そう。

 僕がこれから決行するのは、夏休みの思い出作りでもある。

 この夏にやったことが、宿題と妹とゲームだけなんて、いくら何でも悲しすぎる。

 だから、夜の学校のプールに忍び込んで泳ぐなんていうのは、この夏最大の冒険にして、友人達に自慢出来る武勇伝ともなるはずだ。

 もちろん、それだけじゃあない。

 僕は、この思い出作りの原典とでも言うべきあの小説の内容を思い出す。


 その小説の主人公は、夏休みの終わりに忍び込んだ学校のプールで、かわいい女の子と出会う。ちょっと変わったところのある、でも飛び切りの美少女だ。

 泳ぎ方を知らないというその少女に、主人公は泳ぎ方を教えてあげるという素敵イベントまで発生する。

 そしてそんな夢みたいな出会いをした翌日、つまりは夏休みが明けて新学期の一日目に、その女の子が主人公のクラスに転校してくるのだ。

 そこから始まる甘酸っぱい青春ストーリーに、


――いやいや、何を考えてるんだそんなのありえないし。

 僕は首を思い切り振ってプールの準備を再開する。

 まずは自分の部屋の片隅で眠っていたプールバッグの中身を確認する。

 学校指定の紺色の水着、白色メッシュの水泳帽、ゴーグル、おしまい。

 バスタオルが入っていなかった。自分の部屋を出て、

「おかーさーん。僕の水泳用のバスタオル、どこにあるー?」

 キッチンで洗い物をしている母に聞いてしまった後に、聞くんじゃなかったと後悔。

 その一瞬の心の動きが顔に出ていたのか、母が洗い物をしている手を止めて僕の瞳を覗き込んで、

「何? プールあるの?」

 妙に勘の鋭い母である。嘘や悪だくみや悪戯の類は、そのことごとくを事前に察知され、いつの間にか白状させられてしまう。

 母いわく、「佑輝もお父さんも、二人とも顔に出るのよ。そっくり同じ顔してるから、すぐわかるわよ」とのことである。

 ここで目を逸らしたらその時点で負けである。母の追求が始まり、逃げられない僕は洗いざらい白状することになって計画は開始前から終了である。

 それは、それだけはよくない。だから、

「プール、行こうと思って。学校の」

 嘘は言っていない。母は学校のプール公開日があると思っているだろうが、そこはあえて勘違いさせたままでいいのだ。

 そのまましばし母と見つめ合う。が、すぐさま興味をなくしたようで目を逸らされ、洗い物が再開される。

「お風呂場のとこのバスタオル入ってる棚のところにあると思うわ。あんたのプールバッグの中に入れたと思ってたけど、たぶん間違えて片付けちゃったのね」

 僕は心の中でガッツポーズを決めながら母に礼を言い、その場を離れる。

 バスタオルさえ手に入れば、あとはもう家族の皆に見つからないようにこっそり出発するだけである。

「いいなぁお兄ちゃん。小学校じゃ、もうプール開放日ないよ」

 妹よ、黙って父と食後のテレビタイムを堪能していろ。中学校でもプール開放日が終わっていることを母が思い出したりしたらどうするのだ。

「そっか。それなら明日、父さんが市民プールに連れてってやろうか?」

――父さん、ナイスだ。

 僕は心の中で父に拍手を贈るも、

「んー、止めとく。面白くなさそう」

 妹のそっけない返事を聞いた父は、どこか悲しそうな顔をしていたが、僕には何のフォローも出来ない。心の中で父に同情しつつも、居間を後にする。

 バスタオルを手に入れたら、後は母さんに見つからないように家を出るだけだ。

 主人公が読んだという小説は、わかる人には即わかるであろう、古いラノベです。

 申し訳程度の異世界要素もあるこの世界で、主人公が過ごす夏にお付き合い頂きたく思います。

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