神鏡の巫女 2
応接室から出て、渡り廊下を一人歩きながら考える。
勇者になる、とは言ったけど、僕は戦闘訓練を受けたことなんてないし、はちようさまのように結界が張れる訳でもない。ナナセさんみたいに前向きな性格でもないし。
「はあ……」
思わず深い溜め息が漏れ、僕は扉の前で座り込んでしまった。壁越しに村の人々の声が聞こえる。
「サトル殿」
「は、はい!」
女子から名前で呼ばれるなんて幼稚園のとき以来で、素っ頓狂な声が出てへたり込む。
はちようさまがいつの間にか、すぐ後ろに立っていた。そのさらに後ろには、侍女さんが影のように付き従っている。
「巫女さまはこれより、民に帰宅してもよいと伝えなければなりませんので、そこをおどきください」
侍女さんが言う。
「そうですよね、すいません、邪魔しちゃって……なんか僕、いきなり名前で呼ばれてびっくりしちゃって、あはは」
立ち上がって、はちようさまと目線を合わせる。彼女は僕より少し背が低い。この細い肩に彼女は今までどれだけのものを背負って生きてきたんだろう。
「英雄になる、とおっしゃったのはあなたでしょう、それまではヨシダ殿ではなく、サトル殿と呼ばせていただきます。私はまだあなたをヨシダ姫の再来であるとは考えておりませんので」
「あっそういう、そういう感じですよね……」
「? 他に何か」
「あの、えーと、はちようさまのお名前知りたいなって。さっき神鏡ハチヨウっておっしゃってたんで、はちようさまってあだ名なのかなって」
「ああ、なるほど。巫女という立場もあり、名を明かすのは望ましくないのですが……」
彼女は心底困惑した表情を浮かべた。
「えっと、すいません! 無理に、とは言わないので、あの、ほんと、すいません……」
巫女だから、名乗れない、がどうしてイコールで結ばれるのかは分からないけど、はちようさまはここの責任者らしいから、魔王に命を狙われたりもするんだろう。相手に知られる情報は少ない方がいいに決まってる。
「ふ、おかしな方」
僕が慌てて謝るのを見て、はちようさまが少し笑った。
「よろしい、ならば、名を明かすのもあなたを英雄として信頼に足ると私が認めてから、ということにいたしましょう」
「分かりました!」
僕が答えると、はちようさまは再びきりっと表情を引き締めた。
「では」
彼女がそう言うと、侍女さんが扉を開け、二人はさっきの体育館っぽい建物に入っていった。
「……あの方が微笑まれるのを久しぶりに見た気がする、です」
突然頭上から声がして、僕はまた腰を抜かしかける。
さっきの忍者らしき女の子が、梁のところに膝をかけて、逆さまにぶらさがっていた。
すっと降りてくる身のこなしも軽い。見た目は小学校高学年くらいに見えるけど、もしかしたら僕よりずっと年上なのかも。だって忍者だし、ベテランの忍者になれば変装なんて楽勝だろう。
「あの……ありがと、です。巫女さまを笑わせてくれて……」
口元を覆う黒いマスクをずらしながら、ボソボソと言った。
「お礼を言われるほどのことなんてしてないですけど、えっと、どういたしまして」
「これから、サトル殿と行動を共にするように、と巫女さまから仰せつかった、オトワ、です。くのいち、まだ半人前、ですけど。困ったりしたときは、このオトワにお申し付け、です」
やっぱり忍者だ!
「あの、じゃあ、さっそくで悪いんですけど」
「敬語、なし、です。サトル殿が主、オトワは従、はっきりするべき、です」
「分かりました、あ、分かったよ」
主従かあ。なんか緊張してしまう。
「で、何をおっしゃろうとしてた、です?」
「あっそうだ、あの僕、今度、魔王軍が来たときに、避難するんじゃなくて、前線に連れて行ってもらいたいんです」
オトワちゃんはジト目で僕を見た。
「……連れて行ってもらいたいんだ」
僕が言い直すと彼女は頷いた。
「オトワちゃんはさっきの戦闘でも前線に偵察に行ってたんだよね? はちようさまに報告しに来てたってことはそうなのかなって」
「うーん、オトワの仕事は、伝令なので、ちょっと違うです。でも、かしこまり、です。とても危険なのは、ご承知、です?」
「それは……もちろん。だけど、僕は見なくちゃいけないと思うんだ」
きっと勇者になるために必要だから。