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第7話 満月と魔獣の夜

「……眠れねぇ!」


 俺はベッドの上でからだを起こした。

 外国のリゾートホテルみたいな広い寝室の中は真っ暗だ。

 背の高い窓から月光が差し込んでいる。俺は豪華なベッドから降りて窓際に立った。


 夜空には銀の円盤のような大きな月が煌々と光っている。


「……すげえ満月だな」


 与えられたパジャマはシルクの高級品、ふかふかベッドに羽毛布団。

 元の世界の万年床とは大違いだ。眠れるわけがない。


「……なんで俺、こんなところにいるんだ?」


 俺はゲーム中に寝落ちしてしまい、気がつくと目の前にピンクと黒の美少女がいて、二人ともすごい可愛かったが一人はアホで一人は猫だった。しかもここは魔法の世界で魔法戦艦が空を飛び氷のロリ少女にパンク忍者とか。


「……どうしてこうなった……!」


 俺は髪の毛をかきむしった。

 たった一日でいろんなことがありすぎだ。


 この世界に来る前の、俺の生活。

 六時起床、家族(母1姉2妹2)の朝食と弁当作り、昼はバイト、スーパーで買い物して帰宅、家族の夕食作り、風呂は最後、洗濯してゲームやって就寝。

 うちの女達は皆優秀で、バリバリ外で働き、大学も特待生だ。

 だから俺が家を守る。別におかしくないだろ?

 それでいいと、俺は決めたんだ。


「なんて規則正しい生活ッ。俺は平凡な日々に、なんの不満もなかったッ」


 力を込めて呟いてみても自分ではわかっている。そうではないと。

 不満がないのではなく、自分からなにかをやろうとしなかった。なにかをやれば結果から能力を評価され、お前の価値はこんなもんと決められてしまう。

 利益を上げたか、貢献できたか、役に立ったか。

 誰もがそう生きなければいけないのか?


 俺は月光に誘われるように窓を開け、石造りのテラスに出た。

 潮騒が聞こえ、海風が吹きつけてくる。

 俺は胸いっぱいに風を吸い、吐き出した。


 じゃぁ。

 本当の俺はどうしたいのか。

 家族のためにと家事をこなしているだけの俺。

 それが俺自身が望んでいる俺なのか。なりたかった俺なのか。


 俺って……なんなんだ……。


 テラスの前には幾何学的なデザインの庭園が広がっている。

 俺は石造りのテラスを乗り越え、庭に降り立った。素足に芝生が冷たくて気持ちいい。


 低い植栽で囲まれた路をぶらぶら歩く。

 月光に照らされた夜の庭園は幻想的な美しさだ。

 俺は晩餐の最後の場面を思い出していた。ずっと気になっていたのだ。


 俺の名前を聞いたコニーベルはなぜあんなに驚いたのか。

 そしてアヴィは連行されるように氷の少女の自室に連れて行かれた。

 いったい、俺のことでなにが起きているのか。

 この異世界に、俺に関する情報なんて一つもないはずだろ。


 突然、声が響いた。


「こんな真夜中になにしてんだコノヤロー」


 ぎょっとして立ち止まる。あの忍者少女の声だ。

 俺は前方の闇をじっと見つめた。


「……出てこいよ、パンク忍者」


 指差した植木の影からクマザサが現れた。眼を丸くしている。


「な、なんでわかった?」


「勘だよカン。ていうかお前こそ何してんだ。子供は寝ろ」


「おいらは館を警備中だ。お前こそ夜中にフラフラ歩いてんじゃねぇぞボケ」


「リアルで『おいら』って言うやつ初めて見たわ。それよりお前には厳しいしつけが必要だな。その口の悪さを直してやる」


 黒いマスクを付けていても、クマザサの顔色が変わるのがわかった。


「……そうか」

 低い声に殺気がこもる。

「警備中断。死なない程度に殺してやる」


「もう投げナイフはくらわないぜ」


 俺は背中にしょっていたでかいフライパンを構えた。

 パンク忍者は呆れたように鼻で笑う。


「ふん。厨房からくすねるとは、手癖の悪いクズ勇者だぜ」


「それより晩餐の皿洗いを客にさせるなんてあり得ないだろ。しかもなんで俺が残った料理をタッパーに仕分けして冷凍保存しなきゃならないんだよ」


「おまえ凄い手際よかったな。ちょっと感心したぜ」


「家事は得意だからな。いや誰もいないのかここは。あの料理はどうしたんだ?」


「ぜんぶケータリングだ。魔法で取り寄せた」


「そんな便利な魔法あるのか。でもお高かったでしょう?」


「お館様のへそくりだ。おかげであの残り物でしばらく食いつなげる。いつもは干物ばっかりで」


「そうか。大金持ちだと思っていたが、結構家計は苦しいんだな」


「昔は大勢使用人がいたが今は給料が払えねぇ。それもこれも全部あのアホピンクのせいだけどな」


「アヴィの?」


「何も聞いてねぇのかコノヤロー」


「はぁ?」


「あいつのせいでグラン・グランが大混乱になったんだよ!」


「うそ?」


「誰だ!」

 

 クマザサはくるりと振り向いた。

 一瞬で背中から真っ直ぐな忍者刀を引き抜き、構える。


 蒼い月光に照らされた植栽の中から、黒い影がゆらりと立ちあがった。


 俺は黒い人影に目を凝らした。

 スレンダーな身体つき、頭の上の猫耳。そしてメイド服。

 どう見てもラッシュなのだが、なんか様子が変だ。


「……ラッシュ? だいじょうぶか……おまえ?」


 足を踏み出した目の前に、ギラリと光る日本刀が突き出される。


「近づくな!」クマザサが低く叫ぶ。


「おい危ないだろ。刃物を引っ込めろ!」


「ばか! あれを見ろ!」


 ラッシュはぐらぐらゆれながら両手を高く夜空に差し伸べ、踊るように動かす。

 まるで月の光をかき集め、飲み干そうとするかのように。


「は、走るぞ!」クマザサの声が震えている。


「え?」


「絶対に止まるな!」


 ぎゃぁぁぁぁああああああ!

 突然、ぞっとするような絶叫が響き渡った。

 ラッシュが身をよじって狂ったように叫んでいる。

 その体が膨らみ、メイド服が裂け、みるみる大きくなって……。


「走れ!」


 俺とクマザサは館に向かって同時に走り出した。

 全身が悪寒に包まれている。足がガクガクする。

 やややばいぃぃぃぃぃいいいい!


 頭上を巨大な黒い影が飛び越した。


「……!」


 クマザサが無声の気合とともに忍者刀で前方の空間を斬り上げた。

 バキィィン!

 激突音。火花。折れた刀身がすっ飛んでいく。


「くっ!」


 忍者少女はいきなり反転すると、頭を下げて俺に突っ込んできた。


「伏せろ!」クマザサが叫ぶ。


 激突するように体当りされ、俺は植栽の中に押し倒された。


「きゃぁ!」


 クマザサがのけぞる。

 俺に覆いかぶさった少女の肩越しに、金色に炯る眼が見えた。


「……まさか……」


 ぐったりするクマザサを地面に横たえ、俺は立ちあがった。


「まさか……おまえ……ラッシュなのか……?」


 目の前に、巨大な黒猫が牙を剥いている。

 いや。

 尖った耳、裂けた口、鋭くつり上がった金の眼。黒猫ではなく黒い魔獣だ。

 しかも見上げるほどでかい。いったいどうなってるんだ!


「ラッシュゥゥゥ!」

 俺はフライパンを構えて叫んだ。

「なんだその馬鹿でかいきぐるみはァァァ!」


 キシャァーッ!

 黒猫魔獣は真っ赤な口を開けて俺を威嚇した。頭からぱっくりいかれそう。


「ダメだ、ボケが通じねぇ」

 俺はゼイゼイと喘いだ。

「やばいラッシュさんマジ野獣。これ食われるわ俺たち」


 黒猫魔獣がすっと前肢を引いた。パンチが来る。

 交互に繰り出される猫パンチをかいくぐって俺は前に出た。

 フライパンを突き上げるが顎にも届かない。

 弱点である耳や尻尾をつかむなどちょっとムリっぽい。


 地面を転がってクマザサのところまで戻る。

 このクソガキ忍者だけでも助けなければ。


「ぼ、防御魔法だ……」

 クマザサが声を絞り出す。

シールドを……」


「え? は? なにシールドって? どうすればいい?」


 クマザサは倒れたまま肩で息をしている。服の背中が裂けてどくどく血が流れている。

 やばいやばいやばいぞ!

 こいつ、死んじまう!


「おい! しっかりしろ! おいっ!」


「……クソ勇者」少女が薄く目を開けた。


「クマザサ!」


「逃げろ……」


「……」


「早く……」


「……」


 俺はふーっと息を吐き、立ちあがった。


「……おいラッシュ」


 ガン!

 爪攻撃を片手のフライパンで弾き返す。


「……なにやってんだよおまえ」


 一歩、二歩、踏み出す。

 巨大な黒猫はジリジリと後ずさる。


「……人を傷つけるな。誰も傷つけるな」


 牙を剥き、シャーッ! と威嚇する魔獣。


「そんなことを……しないでくれ!」


 グワァァァッ!

 黒い魔獣が吠える。全身の毛を逆立て、からだが倍になったようだ。

 いや、黒猫は後脚で高く立ち上がっていた。

 前肢を上げ、体重をかけて爪を振り下ろそうとしている。


「くそっ!」

 俺はフライパンを両手で握りしめ、祈るように頭上に捧げ持った。

「防御結界! 盾! なんでもいい!」


 黒猫がのしかかってきた。爪を振り下ろす。


「出ろーッ!」

 

 バキィィィンン!

 頭の上で青い火花が散った。

 黒猫の前肢が感電したように撥ね返される。


 なんか出た!


 グワァァァァアアアア!

 魔獣は全身を震わせて怒号を放った。

 空気が震え、地面が震え、俺のからだの骨や内臓までビリビリ振動する。


 ギシャァァァァアアアア!

 爪が来る!


 ガキッ! バキン! ギャン!


 黒い魔獣の連続攻撃はすべて跳ね返された。

 爪が当った瞬間、俺の頭上が青く光る。これが防御魔法の『盾』なのか?

 とにかくこれで、助かった!


 いや。

 いやいやいや。


 俺、防御しかできないじゃん。

 いつまで防御すんだよ。きりがないよ。ループ防御だよ。

 助けてー!


 一瞬、視界が真っ白になった。


 俺の眼の前に、巨大なスノードームが現れていた。

 それは猛烈な吹雪の《《塊》》だった。氷雪が半球型のドームの中で轟々と唸りを上げ荒れ狂っている。

 吹雪は現れた時と同じに、瞬時に消えた。


 夜の静寂が戻った。

 見上げると、巨大黒猫が氷に覆われて固まっている。

 爪を振り上げたポーズは完全に招き猫だ。


「危なかったわね」

 白いネグリジェの少女が、髪飾りをひらひらさせながら優雅に歩いてくる。

「やはり封印が破られちゃったか。でもこの満月じゃ仕方ないわね」


「ロリ……」


「なにか言ったかしら」


「お、おばあ様……!」

 俺はへなへなと座り込み、頭を下げた。

「ありがとうございます!」


「コニーでいいよ」

 少女は俺を見下ろし、静かに言った。

「おまえ、がんばったじゃないか」


「え?」


「どきな」


 氷の少女は俺を足蹴にすると、倒れているクマザサの傍にしゃがみこんだ。


「すぐ楽になるよ」

 片手をかざすと金色の光の粒子が渦を巻き、忍者少女の背中を覆った。

 初めて見るが、それが治癒魔法なのだと俺にでもわかる。

 コニーは眼を閉じ口の中で呪文を唱えながら、しばらく手を当て続けた。


「う……うう……」クマザサが呻く。


「クマザサ! 大丈夫か!」

 俺は地面に手をついて顔を覗き込んだ。

「え?」


「部屋に連れて行くよ。抱え上げて」

 コニーが立ち上がる。


「は、はい」

 俺は忍者少女の体を抱きかかえた。思ったより軽い。

「あの、ラッシュは?」


 もうコニーは館に向かって歩きだしている。

「朝陽を浴びれば封印された姿、ヒトガタに戻る。まぁその時は全裸だけどね」


「あ、俺心配なので残ります」


「殺すよ」


「すんませーん」


 城館の中に入る。

 クマザサの部屋は一階の一番はじの小部屋だった。

 質素なベッドがあり、俺は少女の体をそっと横たえた。


「あっちむいてな」


 コニーがクマザサの忍者装束を脱がす音がする。

 俺は床にひざまずいたまま、気づかれないようにごくりとつばを飲んだ。


「いいよ」


 裸のクマザサはうつぶせにされ、背中の傷に濡れた布が当てられている。

 黒いマスクが取れた顔は驚くほど整っていて、人形のような可憐さだった。


「忍者には向かないのさ、この子は」


 美しい横顔から目が離せない俺を見ながら、コニーは声を落とした。


「美しすぎる。顔も心もね。生まれた戦闘部族から間引かれるのを私が引き取ったんだよ。がさつで汚い言葉は全部演技。そうでもしなければ仕事で男たちとやりあえないからね」


「なんで、異世界に……忍者が?」俺は茫然として白い少女を見た。


「クマザサ、というのも伝説の忍者でね。数百年前にこの世界に迷い込み、忍法を持ち込んだ『異邦人エトランゼ』。お前と同じ民族じゃないのかい?」


 コニーは俺の前に立つと、すっと表情を消して言った。


「アヴリルに聞いたが、あの子自身もわからないでいる」

 白い少女は水晶の棒を取り出し、俺に向けた。

「ならば本人に答えてもらおう。ユージ・シドウ、お前は伝説の勇者リュウ・シドウと同じ名前。いったいどういう関係なんだい?」


「そ、それは……」


「それは?」


「それは……」


「それは!」


「えーと」


「きょろきょろすんな!」

 コニーはどんと床を踏んだ。

「どこ見てんだい!」


「でも、ここは! この部屋は!」


「わかってる。それ以上言うな」


「ああっ! 窓に! 窓に!」


「うん、アレは子どもに大人気のピッカちゃんだ」


 小さな窓には可愛らしいキャラシールがいっぱい貼ってある。


「ていうか何この部屋〜! お布団は花柄だしクッションはハートだしぬいぐるみだらけだしキャラグッズがいっぱいだしもうファンシィー&プリティィィ&ラブリィィィー! 可愛すぎるううううう!」


 俺は少女の小部屋の床を転げ回った。


「ううっ、なんて痛い奴」コニーがのけぞる。


「はうっ!」

 俺は我に返った。必死でクマザサを守ったのに、これでは変態として認識されてしまう。


「失礼いたしました」

 俺は動きを止め、かっと目を見開いた。

「では申しましょう。リュウ・シドウとは志堂龍。俺の、実のおじいさんです」


「……そう……だったのか……」


 コニーは眼を閉じ、低くつぶやいた。

 なぜか握りしめた拳がぷるぷる震えている。


「あのー?」


「おまえ、どこ見てんだい?」


「あ」


 床に仰向けになった俺の顔は、ちょうどコニーの両足の間、短めのネグリジェの真下にあった。

 俺はちょっと迷ったが正直に気持ちをお伝えした。

 スマイル&サムアップで。


「白、最高」


「この隔世遺伝ド変態ーッ!」


 強烈なキックに蹴り上げられ、俺は天井に突き刺さった。

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