第5話 飢えた怪魚と少女忍者
傾いた太陽が茜色の残照を引き連れて、水平線の向こうに沈もうとしている。
空は深い藍色に染まり、大海原に夜の帳が降りてくる。
俺は海に垂らした釣り糸を見つめ、はぁーっと溜息をついた。
一時間以上こうやっているがまったくアタリがない。魚いるのかこの海?
晩飯は俺の釣果にかかっているというのに、もう夜になってしまった。
「ゆーじーまだ釣れないのー? あたしお腹すいたー」
不満げなピンクの声。
俺はイラッとした。
「こっちは準備いいぞー、後は魚だけだぞー」
黒猫娘も急かしてくる。
俺はさらにイラッとした。
戦艦ピンク・ランページは着水した途端、あっと言う間に縮小した。
あれだけ大きかった船が釣り船みたいな小舟になって、今はゆらゆら波に揺られている。船室もなく、エンジンもない。動力は船尾の船外機だ。
魔力の節約とは言え、こんなちっぽけな船で海をわたっていけるのか?
いや、それより問題は何も食料がないことだった。
魔法で海水を飲水には変えられるが、パンや卵や肉はだせないんだと。
なにか魔法=便利ではなく、魔法=不便としか思えなくなってくる。
俺は首を回し、数メートル先の船首の甲板に座っているピンクと黒を見た。
二人は自分の前に白い皿を置き、ナイフとフォークを両手に持ってこちらを見ている。
わたしたち食べる人=手伝う気ありません、というあっぱれな態度だ。
思わずピクピクと頬がひきつる。
ていうか黒ネコ娘はまだメイド服のままだ。
「おい、着替えないのか、ラッシュ?」
「え?」
メイド服の黒猫はナイフとフォークを持ったまま、急にもじもじする。
「……いやその……これは……」
「ん?」
「まぁ……気にするな」
「……あ」
俺はすぐに気づいた。
「……気に入ったのか、それ?」
「え……なにがだ?」
「とぼけるなよー」
俺はにやりと笑った。
「そーかー気に入ったのかー……そのメイド服!」
「わ、笑うな!」ラッシュが怒る。
「悪い悪い。でもたしかに似合ってるな。猫耳メイド最強だし」
黒猫の反応が面白いので、ちょっと大げさに言ってみる。
「ラッシュ、すっげー可愛いぞ!」
「ひうっ! にゃ、にゃにを言うか!」
ラッシュは真っ赤になって顔を手で隠した。
ビィーン!
俺がもたれていた操舵室の板壁にナイフが突き立った。
顔のすぐ横なんですけど。
「あのラッシュさん」
俺はずるずると腰をずらし、甲板に寝そべった。
「照れ隠しにナイフ投げないでください」
「えーあたしはー?」
アヴィがほほを膨らませて俺を睨む。
「可愛くないのー? 可愛いって言ってよー」
「はいはい。おまえは髪が元に戻ってよかったな」
「ぶー!」
自分の雷撃でアフロになったピンクの髪は、今はまたふさふさウェーブになっている。
「わ、わたしが、可愛いだなんて」
黒猫は顔を手で覆ったまま、いやいやをする。
「もっと言って」
「あたしはー?」
「もっと」
「あたしー」
「もっと」
「あた」
「うるせー!」
俺は怒鳴った。なんて面倒くさいやつらだ。
「魚が釣れねーだろーが!」
「もーゆーじは、すぐ怒るー」
「器の小さいオスですねー」
「ねー」
「ねー」
きゃっきゃっ言って喜んでいるピンクと黒を見て、俺は遊ばれていることを知りました。
あぐらをかいて二人に向き直る。
「あのなぁ、俺の釣りを邪魔をしたら晩飯抜きなんだぞ。いいのか?」
「えー、でも釣れてるよ」アヴィが海面を指差した。
「なに言ってんだよ?」
手に握った釣り糸は引かれていない。
俺は腰を浮かし、太陽が沈んで暗くなった海を覗き込んだ。
「かかってるわけ……げっ!」
俺は驚いて甲板に尻餅をついた。
波間から、口に釣り糸をくわえた大きな魚の頭が突き出している。
そいつはシーラカンスそっくりの不気味な魚だった。
「あ、あのでかい魚、こっち見てるぞ! キショイなおい!」
「あれはシーラ・カーン、古代からの生きてる化石」
アヴィは立ち上がると黄金の金属棒を構えた。
「そして人間をも襲う、どう猛な肉食魚」
「姫、囲まれました」ラッシュが静かに言う。
「リング・オブ・フレイム!」
ピンクが頭上にかざした金属棒から、燃え上がる炎の輪が広がった。
船の上に浮かんだ炎輪が周囲の海面を照らし出す。
黒い魚の頭がいくつも浮かび、小舟にじわじわ近づいてくる。
「ひえーっ!」なんかホラーな展開に俺は震え上がった。
「エンジンかけて! ラッシュ!」
炎の輪が飛び散った。火の粉の雨が接近するシーラ・カーンにふりかかる。
「ゆーじは舵を!」
「わかった!」俺は小さな操舵室に飛び込んだ。
ラッシュが船外機のスターターを引き、エンジンがかかる。
ばしゃっと激しい水音がして、暗い海面に白い飛沫が上がった。
「危ない!」アヴィが叫ぶ。
海面からジャンプしてラッシュに飛びかかったシーラ・カーンは、強烈な回し蹴りをくらって海に叩き落とされる。
小舟が走り始め、ぐんぐんスピードを上げていく。
舵を握った俺は暗い海の先を凝視しながら、とにかくまっすぐ進むことを考えていた。
振り返ると追いかけて来る怪魚に向けてぼんぼん火球が飛んでいる。
ピンクの魔法使い、攻撃呪文もってるじゃねーか!
小舟は波にぶつかり激しく揺れながら、かなりのスピードで海面を突っ走る。
暗くて何も見えないから、俺はただ感覚だけで船をまっすぐ走らせようと懸命に舵を操作した。
そのまましばらく船を走らせた。結構な距離を進んだはずだ。
アヴィが後ろから狭い操舵室に入ってきた。
試着室くらいのスペースしかないのに無理矢理に身体をねじ込んで来る。
なんで隙間にぎゅうぎゅう入ってこようとするんだよ!
「お前はネコか!」
「ちょっとどきなさいよ。邪魔よ!」
「先に言えよ!」
なぜかピンクはぴりぴり気が立っている。
だが無礼は許さん。
俺は操舵室を出てアヴィの後ろに立ち、あっかんべーをした。
「見えてるんだからね」アヴィが低く言う。
暗い窓ガラスに舌を出した変な顔が映っている。
自分が少し情けなくなった。
ピンクの魔法使いは窓ガラス越しに夜の海を見つめた。
暗闇の中に、月明かりを反射して白い波頭がちかちかと瞬く。
アヴィは小さく呟きながら指先をガラスに当て、左から右にすっと流した。
操舵室のガラスが一瞬緑色に輝くと、前方の闇の中にぼうっと暗緑色の形が浮かび上がった。
まるで暗視装置だ。いや、それと同じ機能をもった魔法なのか。
小舟の前方に大きな緑色のかたまりが見える。
それは切り立った断崖の島で、すでにのしかかるような高さまで迫っている。
気がつかなければ正面衝突していたかもしれない。
いや、なんか変だ。
なんでぴたりと針路の先にいるんだよ。
「アヴィ! なんだあれは?」
「島よ」
「島がなんで波を立ててこっちに向かってくるんだよ!」
「眼がいいのね」
アヴィが振り向いた。緊張して強張った顔だった。
「ラッシュ! 機関停止!」
「どうしたんですか?」
船外機を止めたラッシュが操舵室を覗き込む。
「う……! まさか、あれは……」
アヴィは嘆息し、がっくりと肩を落とした。
「コニーアイランドよ。最悪だわ。こんな近くにいたなんて」
「コニーアイランド? 何それ遊園地?」
ピンクと黒は俺を振り返り、ものすごく重い吐息をついた。
「おいおいなんだよそのあたし呆れちゃったわみたいなため息はなんかまるで俺がなんにも知らないバカな質問したバカみたいじゃないか?」
「だいたい合ってる」二人がうなずく。
「なんだと!」
その瞬間、俺の背筋に悪寒が走った。
反射的にアヴィとラッシュの腰を抱えてのけぞり、後甲板に引き倒す。
直後、風切り音を立てて真上から落ちてきたなにかが操舵室に激突した。
「ううっ!」
俺はうめきながら肘をつき、身体を起こした。
太い鉄柱が操舵室の屋根から船底までまっすぐ貫いている。鉄柱の上端にはロープが結ばれていて、捕鯨船で使う銛のようだ。
顔を上げるとロープは垂直に夜空に伸び、それを伝ってなにかが落ちてきた。
「アヴィ! ラッシュ! 気をつけろ!」
ロープをつかんで落ちてきた《《そいつ》》は、すとんと鉄柱の上端に脚をかけて止まった。
「ちっ、生きてやがるか」
俺は唖然とした。
全身黒ずくめの忍者装束だが、尖ったスタッズだらけの黒革ベスト、逆立った金髪にバンダナ&耳ピアス、口には黒マスク。忍者なのかパンクミュージシャンなのかわからない。
小柄なパンク忍者は甲板に座り込んでいるアヴィに視線を向けた。
「おーいアホピンク。生きてたんならしょうがねぇ。案内してやるぜ」
乱暴な言葉遣いだが、その声は《《少女》》だった。
俺は立ち上がって一歩前に出た。
「おいおい君、年上に向かってその口のききかたは」
忍者少女は黒マスクの顔を露骨にしかめた。
「何だてめぇは?」
「俺は」
俺の横にラッシュが立っていて、その手は投げナイフを掴んでいた。
鋭く尖ったナイフの先端は、俺の胸に刺さる寸前だった。
「ただの通りすがりです」
「ふん、腰抜けめ」パンク忍者は吐き捨てた。
ラッシュはナイフを逆手に構え、俺をかばうように前に出た。
「わたしが相手になろう、クマザサ」
「やなこった。おまえと闘るなんてごめんだね」
好戦的に思えた忍者少女は視線をそらし、ピーッと指笛を吹いた。
「お館様がお待ちだ。せいぜい命乞いをするんだな」
「ええと、二人はお知り合い?」
俺はクマザサと呼ばれた忍者少女と黒ネコ娘を交互に見て言った。
「みたいだね。それもかなりワケありの」
クマザサはちっと舌打ちする。態度わりーガキだ。
ガクン!
小舟が揺れ動いた。鉄柱のロープがピンと張り、俺たちを乗せたまま船体を空中に吊り上げ始める。船はすぐに海面を離れ、ぐんぐん上昇していく。
船の真上には、真っ黒に塗られた飛行船が浮かんでいた。
「アヴィ!」
俺は振り返った。ピンクは甲板に座ったままだ。
「どういうことだ、これは!」
アヴィはじっと俺を見上げ、独り言のように呟いている。
「よりによってこちらから近づいていくなんて考えられない。でも偶然ではないとしたらこれはむしろ決着をつけろということか。いつまでも逃げ回っているんじゃないって……」
黒い飛行船は小舟を吊り下げたまま高度を上げ、断崖絶壁を越え島の上空に進入した。島の中央、森に囲まれて黒々とした建物のシルエットが見える。
それは西洋風の白い城館で、数多くの窓には明るい光が灯っている。
飛行船はまっすぐ城に向かっていく。
「ゆーじ」
アヴィが手を差し伸べている。俺は手を握って引き起こした。
俺とピンクは甲板に並んで立ち、前方を見据えた。
暗い森から屹立する白亜の城館にどんどん近づいていく。
「ねぇ、ゆーじ」
「なんだよ」
「どうして……銛が飛んで来るってわかったの?」
「勘だよカン。不意打ちされんのは嫌だからな」
「へぇ……」
アヴィは呟くと、小さな声で、自分に言い聞かせるように言った。
「……これは勇者の示した道なのか。ならば……」
「はぁ?」
「進みましょう……共に」
なに言ってんだこいつ?
俺は横に並んだピンクを見て、はっとした。
馬鹿みたいに怒ったり泣いたりする顔が、青ざめ、強張っている。
こいつ、こんな顔するのか。
「おい……おまえ、だいじょうぶか?」
「ゆーじ」
アヴィはささやくように言った。
「あたしを、守って」
「え?」
「……」
つないだアヴィの手が震えている。




