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第3話 勇者の俺は最低クズ野郎

「……あたしの、ファーストキスがぁ……」


 アヴィはフードをかぶった顔を伏せ、まだべそべそ泣き続けている。


「……あたしの、初めてのキスがぁ……」


「だから悪かったよう。もう許してくれよう。だっていまさらどうしようもないじゃないかあ」


 棒読みで答える俺を、隣に立ったアヴィがキッっともの凄い眼で見つめる。

 あちゃー、これかなり怒ってんなー。


 俺とアヴィは客引き看板(プラカード)を持ち、バザールに近い大通りの歩道に立っている。


 所持金ゼロになった俺たちは、バイトをすることになった。

 俺とピンクはサンドウイッチマン、ラッシュは通りの向こうのカフェテリアに雇われた。メイド服の黒髪ネコ耳娘は大人気で、早くも来店客にちやほやされている。


「おまえの言葉には誠意がまったく感じられない!」

 ピンクのお嬢様は吐き捨てるように言った。

「……初キスの相手が、こ、こんな最低のクズだとは……」


 は? 

 最低ですかクズですか。まさに底辺まで落ちましたね。どーもすいません。

 でも。


 俺にも言い分はある。

 いきなり異世界に召喚された上に、なんでこんなヒドい眼にあわなきゃいけないのか。勇者だとかそんな役割を勝手に押し付けやがって。

 全部そっちの都合だろうが!

 とにかく平凡に暮らしたいと、目立たぬようにずっと生きてきたのに。


「なぁ」


「……なによ」


「あのファンファンは間違いはないって言ったが、俺が勇者っていうのはやっぱりおかしいと思う。おまえだってそう思うだろ?」


「……」


「だからその、これが契約とかいうものだったら、解約クーリングオフできないか?」


「……」


「契約がなくなれば、もとの世界に戻れるかも」


「……」


「なぁ?」


「……知らない」


 思いっきり不機嫌な声。

 俺はムッとした。こいつ全然考える気ないな。


「……おまえさぁ」

 俺は思わず刺々《とげとげ》しい言い方になっていた。

「よく人から騙されるだろ?」


 アヴィの肩がビクッと震える。


「やっぱり」

 俺はフンと鼻で笑った。

「見ててわかったよ。お前すぐ人を信じるだろ。ファンファンの言うこともそのまんま信じてたよな。あんな怪しい恰好してる奴がまともなわけないだろ。なんで疑わないんだよ」


「……ファンファンは」

 アヴィは低く、押し出すように言った。

「グラン・グラン最高の魔導士だ。おまえになにがわかる?」


「わからないね。だから疑うんだ。嘘か本当か確かめるんだ。皆が善意の人間ばかりじゃない。おまえだっていろいろ騙されたり、嫌な目にあったりしたんじゃないのか? 違うか?」


「……くっ」


「だろー?」

 俺はかさにかかって言った。

「おまえ人が良くて騙されやすそうだからな。ポーっとして隙だらけなんだよ」


「……うう」


 ピンクの伏せた顔から、地面にぽたぽたと水滴が落ちる。

 ああ、俺は今ものすごく嫌なやつになっているな。

 そう自覚しながら、言葉を止められなかった。


「お姫様ごっこかなんだか知らないが、いつまでも遊んでられるほど世の中甘くないんだよ。もっとちゃんと現実をみろよバカ」


 アヴィは黙ってしまった。


 ……言っちまった。


 俺は深い溜息をつき、通りに眼を向けた。

 初期の自動車、T型フォードのような箱型の乗り物がガタガタ走っている。

 内燃機関は開発されているようだ。


 ……もう、終わりだな。


 俺はぼんやりと風景を眺めながら、今日のうちにこの少女と別れようと考えていた。

 一緒にいたら、俺はこいつをどんどん傷つけてしまう。それはわかっていた。

 もうこれ以上嫌な男にはなりたくない。


「……わかってる」


 アヴィの押し殺した声が聞こえた。


「え?」


「わかってる」


「……」


「あたしは……自分がお人好しの馬鹿だって……わかってる」


「いや、おまえ……」

 俺は少女の震える肩に眼を落とした。

「……アヴィ……」


「あたしは!」

 少女は握りしめた拳を震わせた。

「すぐ人を信じてしまう。だから騙される。なのにまた信じて、騙される。ほんとうに、本当に馬鹿だ。そのせいであたしは、とても、とても大事なものを失ってしまった」


「……」


「だけど」


 アヴィはゆっくりと顔を上げ、俺を振り仰いだ。

 子どものように泣きはらし、涙に濡れた顔。

 しかし紅の瞳はルビーのように燃え、視線は俺をまっすぐに貫いた。


「必ず、取り返す。奪われたものを奪い返す。絶対に!」


「奪われたもの?」

 俺はごくりとつばを飲んだ。

「なんだよ……それは?」


「王宮」


「え?」


「王宮だ」


「お、おう?」


「あたしは王宮を奪還する」


「……はぁぁぁぁあああ?!」


「来たぞ」


 通りの向かいの建物の前に、黒い箱型自動車が何台も止まった。

 ラッシュのいるカフェテリアのすぐ隣だ。

 黒いスーツのような服を着た男たちが車から降り、ぞろぞろと建物に入っていく。はっきり銃器とわかる金属筒をかついでいる男もいるし、それを隠そうともしない。崩れてすさんだ雰囲気。どうみても武装した暴力組織だ。


「あのぉ……」

 

 声をかけられ、振り向いた俺はギョッとした。

 ボロボロの服を着たホームレスみたいなおっさんが立っている。

 すごい悪臭が鼻をつく。


「頼まれてた、これ……持ってきた……」

 足元にこんもり膨らんだズタ袋が置いてある。


「ああ、ふまない。ありがふぉお」

 アヴィが袖で鼻を押さえながら言った。


「それじゃぁ……」

 おっさんは片足を引きずりながら去っていく。


 アヴィは汚れたポンチョの端で顔をごしごしこすった。

 涙を拭き取ると俺に向き合い、凛とした声で言った。


「勇者よ!」


「はいはい」

 もういちいち否定してもはじまらない。


「頼みがある!」


「はいなんでしょう?」


 俺はもうこいつと別れる気でいた。

 だからその前に、こいつの言うことはなんでも聞いてやろうと思う。

 王宮奪還とか言ってたが、なんか全然わかんないし。


「この袋をあの建物に運んで欲しい」


「……黒服たちが入っていったとこか?」


「そうだ」


 なぜだ? と訊こうとして、俺は口をつぐんだ。

 こいつの望むことをやってやろうじゃないか。


「まずあたしが中に入る。あたしが出てきたら入れ替わりにこれを放り込め!」


「わかった。それで?」


「それだけだ」


「はぁ?」


「落とし前をつける。あたしを騙したことの」


 アヴィはカフェテリアにいるラッシュに視線を向けた。

 腰を落とし、両手で頭の上に大きな○のサインを作る。


 通りの向こうのカフェテリア、路上のテーブル席の間にいるラッシュがすぐに合図に気づいた。

 メイド服の猫娘も腰を落とし、同じ格好で応える。

 なんだそのポーズは! ていうか周りの客に大受けだ。あの店に就職したほうがいいんじゃないのか。


「……よし!」


 アヴィは着ていたポンチョを脱ぎ捨てた。

 髪留めを外し、鮮やかなピンクの髪を振りほどく。

 背筋を伸ばして胸を張り、吹っ切れた声で俺に命じた。


「行くわよ! 勇者……」

 アヴィは、あれ? という顔で俺を見た。

「勇者……なんだっけ?」


「勇士……ゆーじ、だ」

 俺は少女のルビーの瞳を見つめて言った。

「俺は、志堂勇士……ユージ・シドウだ!」


 アヴィも俺を見つめ返し、こくりとうなずいた。


「行くぞ! 勇者ユージ・シドウよ!」


「おう!」


「ん? 勇者シドウ? ……えええ?」


「ほら、歩け!」


 俺はアヴィの手を取り、もう一方の手でズタ袋を肩に担いだ。

 ピンクを引っ張り、通りを渡り始める。

 急停止した箱型自動車から変なクラクションと運転者の罵声があがった。


「お、おまえは?」

 アヴィは眼を見開いた。


「アヴィ」

 俺は言った。

「教えてくれ……お前の名前を!」


「わかった」

 アヴィは俺の手をぎゅっと握り返した。

「あたしはアヴィ。アヴリル・アストリア・ナナナ・エリシア・グラン・アリストレイタス。魔法王国グラン・グランの第一皇女だ」


 俺は頭がクラクラした。

「ごめん、なに言ってるか良くわかんない」


 通りを渡りきり、黒く大きなドアの前に立つ。

 黒服たちのアジトだ。


「それではこう憶えろ」


 アヴリルナントカさんは装飾バンドから黄金の金属棒を引き抜いた。


「我が名はピンクランページ!」


「はぁ?」


「オマエラ―!」


 金属棒から雷撃が走り、頑丈そうな黒い扉が粉々に吹っ飛んだ。


「ヨクモワタシヲ、ダマシタナー!」


「なんでカタコト?」


 ピンクお嬢様は破片を踏みしめ、ズカズカと建物の中に入っていく。


「ヤクソクノカネハラエー!」


 もうもうと煙の立ち込める中で、男たちが咳き込みながら叫んでいる。


「ピンクランページだぁぁ!」

「暴れピンクが仕返しに来たぞぉぉぉ!」

「ビビるな! 殺ってしまえ―!」


 ドン! 

 バリバリドッカーン! 

 凄まじい雷光と炸裂音が轟き、建物も地面も揺れた。


 あの女、室内で雷撃をぶっぱなしやがった!


 吹き出す煙の中からアヴィが飛び出してきた。

 髪の毛がピンクのでかいアフロヘアになっている。


「今よゆーじ! 投げ込んで!」


「おっしゃぁーっ!」


 俺は担いでいたズタ袋を力任せに放り込んだ。


「逃げろーッ!」アヴィが叫んだ。


「え?」


 隣のカフェテリアでは客が悲鳴を上げて逃げ惑っている。

 ピンクのアフロはその中に飛び込んで、姿を消した。


「お、おい、アヴィ?」


 キューッという動物の鳴き声が聞こえた。

 次の瞬間、ボフン!と真っ黄色いガスが建物から噴出した。


 男たちの絶叫が響き渡る。それはまさに断末魔の叫びだった。

「くっせー!」

「くさくさくさ!」

「キングスカンコだーッ!」


「がふっ!」

 俺はもろに黄色いガスを吸い込んでしまった。

「うっげえええええ! くっさー!!!」


 キングスカンコがどんな動物かは安易なネーミングだけにすぐわかる。

 しかもピンクの馬鹿女、自分だけさっさと逃げやがった。

 俺を捨て駒にしやがったな!


 俺は集まってきた野次馬の間に飛び込み、かきわけて裏通りに走り出た。

 ずっと先にメイド服の黒ネコ娘とピンクのマリモ頭が見える。

 二人は停めてある荷台付きの箱型自動車に乗り込もうとしていた。


「てめえ待てこのピンクー!」


「きゃーッ!」

 アヴィとラッシュが振り向いて叫んだ。

「ばか! こっち来るな―!」

「しっしっ!」


 しっしっじゃねぇー!


 俺の背後から足音が重なって追いかけてくる。

「いたぞ! あそこだ!」

「ぶっ殺せ―!」


 いきなり発砲しやがった。

 俺の耳をかすめて弾丸が飛んで行く。


「うわーっ!」


「撃て撃てー!」


 軽トラみたいな箱車はまだ動かない。エンジンがかからないようだ。


「逃げるなこらぁー!」


「急いでラッシュ! 早く出して!」アヴィが叫んでいる。


「にゃー!」ダッシュボードに猫パンチ。


 エンジンがかかった。

 なんだそれは。


 箱車が動き出した。俺は必死に走りながら手を差し伸べた。

 あと少しで荷台に指がかかる。


「アヴィ!」

 俺は全力疾走しながら叫んだ。

「手を!」


 荷台に座ったアヴィは蒼白な顔で俺を見つめ、小さく首を振っている。


「アヴィ!」


「だめだよ……」

 ピンクは小さく呟いた。

「……こっちに、こないで」


「アヴィ!」


 ピンクアフロは虚ろな顔で俺に金属棒を向けた。


「……ごめん……ありがとう……」


 唇だけが動いて、俺にこう告げた。


 さ・よ・な・ら



「アヴィ!」


 弾丸が荷台に当たり、木片が飛ぶ。


「俺を連れて行ってくれ!」


「え?」


「俺も一緒だ! 一緒に行こう!」


「なん、で……?」


「一緒に、行きたいんだ!」


 脚がもつれる。肺が焼けるように痛い。

 俺は残った空気を振り絞って叫んだ。


「俺を信じろ! 俺は……」


 弾丸が頬をかすめて飛ぶ。

 最後の一歩を踏み出す。


「お前の勇者だろ!」


 もう、足が……。


「アヴィ!」


 ピンクは金属棒を投げ捨て、荷台から身を乗り出した。

 差し伸べたお互いの指先が触れ、

 手が重なり、

 俺とアヴィは固く手を握りあった。


「ラッシュ!」アヴィが運転席に叫ぶ。


「にゃーっ!」


 急ブレーキを踏んだ箱車の荷台に俺は飛び込んだ。

 アヴィにぶつかりながら、なんとか停止する。


「伏せて!」

 アヴィが俺に覆いかぶさった。箱車の運転席に弾丸が命中する。


「うおおおおおお!」

 ラッシュの叫びとともに、箱車は急加速した。


 彼女は俺の頭を守るようにしっかりと胸に抱きかかえた。

 顔に押し付けられたやわらかいふくらみの中で、アヴィの心臓が激しく脈打っている。それはバクバクする俺の心臓と、まったくおなじ鼓動だった。


 ……ほんとに、あきれた奴だ。


 熱い鼓動を聞きながら、俺は目を閉じた。


 ……お前みたいなバカは、誰かが守ってやらなきゃいけないんだよ……。


 顔に押しつけられた胸のふくらみがあたたかい。


 ……だから、俺が……。


 気持ちよさに息を深く吸い込んだ。

 吸い込もうとした。

 吸い込めない。

 

 ……く、苦しいんですけど……!


 俺はもがいた。アヴィはしっかりと抱きかかえてくる。

 俺は必死にもがいた。ピンクはますます力を強くする。

 た、助けてくれ!


 ……女の子の胸で窒息って……。


 薄れていく意識の中で、俺は叫んだ。


 ……天国か地獄かわからん!

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