第24話 死と幻想の夜
リズミカルにドアをノックする音が響く。
決められた合図のパターンだ。
ラッシュが並んだ鍵をすべて外してドアを開けた。
「外は憲兵だらけです」
ボロボロの服を着たクマザサが入ってきた。
髪の毛はクシャクシャに乱れ、顔も泥で汚してある。
この隠れ家のあるスラム街のストリートチルドレンそっくりだ。
「皆殺気立っていて、無抵抗の市民を撃ったやつもいます」
「なんとひどい……」
食卓の木の椅子に座っているドラモンが顔を歪めた。
「食料です。パンしかありませんでしたが……」
クマザサは王様を見た。
「……ごめんなさい、ごはんじゃなくて……」
「このパンは命がけで手に入れたもの。すまない、クマザサ」
ドラモンは深く頭を下げた。
「ありがとう」
「やめてください。あなたは王様なんですよ!」
クマザサはきつく言ってから、声を落とした。
「……ミナージュさんとヤンさんたちは、エルレニアに戻れたでしょうか?」
「精霊紙を飛ばすこともできん。無事であることを祈ろう」
王様は受け取ったパンの紙袋を覗き込んだ。
「では晩飯にしようか。ゆーじ、これを……」
ドラモンとクマザサは部屋の隅を見て、重い吐息をついた。
「……無理か……」
俺は汚れた木の床に膝を抱えて座っている。
隣のアヴィが身を寄せ、俺の手をしっかり握りしめていた。
俺はその暖かい手にも、痛みしか感じなかった。
「……ゆーじのせいじゃないんだよ……」
アヴィはその言葉を、朝から繰り返している。
「……ゆーじは、なにも悪くないんだよ……気にしないで……」
「……アヴィ……初めて会った日に、言ったよな……」
俺は呻くように声を絞り出した。
「あんな怪しい奴がまともなわけない。なんで疑わないんだよ……って」
「……うん」
「おまえのこと馬鹿にして、ひどいことも言った……」
「やめてゆーじ。もういいから……」
「……馬鹿は、俺だった……結局、俺が騙されてたんだ……!」
アヴィの手を振りほどき、俺は自分の頭を殴りつけた。
「それなのに、俺は!」
「やめて!」
アヴィが俺の腕をつかみ、震える声で言った。
「やめてよ……ゆーじ……お願い……」
「……どこまでファンファンが仕組んでいたかはわからない。でも俺は……あいつの狙い通りに騒ぎを起こした……」
俺は声を落とした。
「……おまえが行動を起こすように、怒らせたり泣かせたりしたんだ……」
「……そうじゃない。みんな、あたしが決めたこと……ゆーじのせいじゃない……」
アヴィは言ったが、その言葉には力がない。
俺は大きく息を吐き、汚れた床板を見つめた。
「あの時、別れればよかったんだ……」
「あの時?」
「黒服会を襲った後、俺はおまえたちの乗った車を追いかけた……」
「ゆーじは言ったんだよ」
アヴィは俺の腕をつかんだ指に力をこめた。
「俺はお前の勇者だって。一緒に行くって。あたし、どんなに嬉しかったか!」
「……嘘に決まってるだろ」
「え?」
「嘘だよ。車に乗らなければ黒服に撃たれてた。それだけだ」
「…………」
「あんな嘘つかなけりゃ、こんなことにはならなかったんだ」
「……ゆーじ……ひどいよ……」
床板にぽつぽつ水滴が落ちる。
俺の隣でアヴィは顔を伏せ、大粒の涙を流した。
「……そんなひどいこと……言わないで……ゆーじ……」
「……もうやめよう」
「え」
「なにをやっても、ファンファンの思う壺だ。もうなにもしないほうがいい」
俺はふらりと立ちあがった。
小さなテーブルからドラモンとクマザサが俺を見つめている。
その奥のソファには、うなだれている魔王に黒猫が寄り添っている。
「みんな。俺もう行くわ」
「行くって、どこに行くんですかっ?」クマザサが硬い声を上げる。
「帰るんだよ」
「は?」
「元の世界へ」
「な、なに言ってるんですか、ゆーじ?」困惑するクマザサ。
「妹たちが待ってる」
俺はドアノブに手をかけた。
「めし、作らなきゃ……」
「ゆーじーッ!」
アヴィが張り裂けるように叫んだ。
「行かないでーっ!」
「悪い、アヴィ」
ドアを引き開けた。
「俺はほんとうに、馬鹿だったよ……」
ギシギシなる古い階段を降りて建物の外に出た。
ゴミの散らばったスラム街の通りに夕日が差し込んでいる。
人影はわずかで、誰もが重い足を引きずるように歩いていた。
ドラモンが隠れ家に選んだこの街が、王都のどこなのかもわからない。
俺はアヴィたちのいる部屋から離れようと、力の入らない足を無理やり動かし、ただよろよろと歩き続けた。
気がつくと、あたりが暗くなっている。
いつの間にか夜になっていたらしい。
路の先が開けて、空間が広がった。
目の前には幅広い運河が流れていた。パリのセーヌ河みたいだ。もちろん行ったことないけど。
運河沿いに遊歩道がある。遠くに大きな橋が見えた。
俺は長い時間をかけて橋までたどり着いた。
これだけ大きな都市なのに、遊歩道にも橋にも人影はない。走っている箱車もまばらだった。
俺は橋の真ん中まで進み、鉄の欄干にもたれた。左右の岸には古い石造りの建物が立ち並び、窓には明かりが灯っている。
静かで美しい、幻想的な古都の夜景だった。
俺は欄干から真下の川面を覗き込んだ。
黒い水が滔々と流れている。吸い込まれそうな闇の色だった。
「……そうか……死ねばいいんだ……」
俺はぼそりとつぶやいた。
「……死ねば、元の世界に戻れる……なんで気づかなかったんだろう……」
欄干に登って立ちあがった。風が吹いて身体がぐらぐら揺れる。
俺は美しい王都の夜景を見渡した。
「……この世界にも、俺の居場所なんてなかったな……」
ふっと息を吐く。
「……もう……どうでもいいや……」
俺は、目をつぶった。
背後で箱車の止まる音がして、重い足音が重なった。
「おい! なにをしている!」
振り返ると金属兜に赤マントの憲兵たちが俺を見上げている。
「ほっとけよ。これから死ぬんだから……」
「降りろっ!」
服をつかまれて引きずり降ろされた。
「なにすんだくそっ!」
暴れて抵抗する俺を憲兵はなんのためらいもなく殴り倒した。
「立て! きさま反対派だな!」
「な、なに言ってんだ?」
「連行する! 来い!」
一人がライフルを肩にあて、銃口を俺の顔に向けた。
「シールド!」
反射的に叫んでしまった。
発生した防御結界に跳ね飛ばされて赤マントたちが橋の上を転がる。
俺はダッシュで逃げ出した。
「あいつ魔法を使うぞ!」
「テロリストだ! 殺せーッ!」
背後で叫びとともに銃声が鳴り響いた。
銃弾が肩をかすめる。
「うわーっ!」
俺は夜の街を必死に突っ走った。
橋の欄干に登った時は死ぬつもりだったが、撃たれるなんて嫌だ。
死ぬのと殺されるのとは違うだろ!
暗い街角を曲がった途端、正面からヘッドライトが浴びせられた。
眩しくて前が見えない。
「いたぞ!」
銃声が響き、俺は石の舗道にひっくり返った。
なにがおきたのかわからなかった。
やけに腹が熱い。押さえた手がぬるぬるする。
再び銃声が響き、倒れた背中にバットで叩いたような衝撃が走った。
肺を撃たれた俺は、咳き込んで鮮血を吐いた。
足音が駆け寄り、堅いブーツの靴先が俺を仰向けにひっくり返す。
街灯を背に、影になった憲兵たちが俺を覗き込んだ。
「魔法を使うそうです。即位式を狙ったテロリストでしょうか?」
「そうに決まっている」
上官らしい憲兵が答えた。
「殺せ」
「はっ」
憲兵は銃を構え直し、俺の胸を狙った。
銃口が光った。
音声が消え、
映像が消えた。
あ、死んだんだ。
と、わかった。
遠くから叫び声が聞こえてくる。
そして銃声。爆発音。
断末魔の絶叫。
俺はゆっくりと目を開けた。
硝煙の匂いが鼻を突く。
堅い大理石の床に俺は倒れていた。
上体を起こして周囲を見回すと、豪華な内装の天井の高い広々とした部屋だ。
ここは王宮の中だ、と直感した。
王宮は戦争でも起きたように破壊されている。
いや、それは戦争そのものだった。
大理石の壁は崩れ、大きな破片が床に飛び散っている。
異臭のする白い煙が流れ込み、前方がよく見えない。
俺は腕で鼻と口を押さえながら、隣の部屋に入った。
大勢の人間が死んでいた。
この大広間で、激しい戦闘があったらしい。
憲兵や王宮の兵士たちが重なり合い、くすぶって煙を上げている。
周囲の壁は叩きつけられた兵士の血で真っ赤だった。
兵士たちが重なり合った山ができていた。
息絶えた兵士の体の隙間から、目を見開いたラッシュの顔が見えた。
黒猫は全身を剣で突き刺されて絶命していた。
死骸を踏み越えてさらに進む。
礼拝室のような真っ白い小部屋があった。
奥の壁に背をつけて、アヴィが足を投げ出して座り込んでいる。
「アヴィ、どうしたんだ?」
俺はふらつきながら足を踏み出した。
「……アヴィ?」
つまさきにごつん、となにかが当たった。
俺は視線を落とした。
斬り落とされたクマザサの首がこちらを見上げている。
「ひいッ!」
俺は跳ね上がって、つんのめるように転がった。
「あああ!」
俺はよつん這いになってアヴィに向かった。
「アヴィ! アヴィ! あぐっ!」
手がズルリとすべって俺は硬い床にあごを打ちつけた。
「ぐ、ぐうぅっ!」
顔をあげると座り込んだアヴィが虚ろな目で俺を見ている。
アヴィの服が大きく切り裂かれ、胸と腹が真っ赤に染まっている。
腹を押さえた手首は切り落とされ、服の下から内蔵が飛び出していた。
「うわああああああああッ!」
俺はアヴィの流した血溜まりに尻もちをついた。
「うわッ! うわッ! うわああああああッ!」
俺は絶叫した。
「うわああああああーッ!」
「……うるさい……」
誰かの声が聞こえた。
「はっ! はっ! はっ!」
俺は激しく喘ぎながら振り返った。
部屋の入口の横の壁に、《俺》が座り込んでいる。
「……え?」
《俺》は首のないクマザサの身体を抱きかかえていた。
「……うるさいんだよ……」
土気色の顔の《俺》は、聞き取れないほど小さい声で繰り返した。
俺は血に滑りながら、這うように進んだ。
「おまえ……俺……なのか?」
俺は血まみれで虫の息の《俺》を見た。
「……ど、どうなって……るんだ?」
「……守れなかった……」
クマザサの身体を抱えた《俺》はぼろぼろと涙を流した。
「……みんな死んだ……守れなかった……俺は……」
「……おまえ……?」
「……戻れ……」
「……え?」
「……どこから来たか……知らないが……ちがう結末が……あるはず……」
「……なにを言って」
「……戻れ……」
《俺》は、がはっと血を吐いた。
「……守れ……みんなを……」
「お、おい?」
「……守れ……」
《俺》は、はぁーっと深く息を吐いた。
「……アヴィを……」
「おい!」
「……アヴィ……」
動かなくなった《俺》は、これ以上ないほど口惜しさに顔を歪めていた。
俺は立ち上がり、クマザサの首を拾い上げて胴体の上にのせた。
ラッシュを失ったアヴィたちはここに追い込まれ、処刑されるように殺されたのだろう。どうして王宮に攻め込んだのかはわからない。この世界では、そういうルートしか選択できなかったのだろうか。
建物がグラグラと揺れた。
怪獣のような雄叫びが空気を震わせる。
礼拝室から出て窓の外を見ると、深い霧の中で巨大なふたつの人影が対峙している。
頭に大きな角を持った二人の巨人。
魔王と魔王の戦いだった。
「……帰らなくちゃ……」
あの世界のラインに戻れるのだろうか。
無数にある並行世界をどうやったら渡ることができるのか。
何もわからないが、俺に出来ることはもうひとつしかなかった。
「……帰るんだ……みんなのところへ……」
俺は死んだ兵士の手から拳銃を引き剥がし、撃鉄を起こした。
「……絶対に守るんだ……みんなを……」
銃口を胸に当てる。
「……アヴィを……」
トリガーを引いた。
暖かな金色の光が俺の身体を包み込んでいた。
この感覚は覚えがある。
ああ、これはアヴィの治癒魔法だ。
薄く目を開ける。
ピンクの髪に赤い瞳の女の子が俺を覗き込んでいる。
その横には銀のドレスを着たミナージュが。
そして向かい側には白いドレスのきれいなお姉さんが。
三人は俺の胸に手を重ねて魔法をかけていた。
「……アヴィ……」
自分とは思えないかすれた声が出た。
「……アヴィ……」
「おかえり、ゆーじ」ピンクはにっこり笑った。
「……ミナージュ?」俺は婦人に目を向けた。
「はい、戻ってきましたよ。いろいろと用意して」
「……は、はぁ?」
俺はきれいなお姉さんに目を向けた。
「……あ、あの、あなたは?」
「何いってんだい。私だよ!」
「まさか……コニーベル?」
「アヴリルの治癒魔法が止まって、元に戻りつつあるのさ」
「うそ!」
俺はおもわず手を伸ばした。
「あんた」コニーは目をピクピクさせた。「どこつかんでるんだい?」
「あ」
俺は豊かな胸の膨らみを鷲掴みにしていた。
「このド変態……って、今はやめておこうか」
髪飾りを揺らしてコニーは笑った。
「また死んじゃうからね」
「じゃぁ、俺は……?」
「アヴィが見つけて、憲兵たちを吹き飛ばした」
ドラモンとクマザサが視界に顔を出した。
「蘇生できたのは奇跡ですよ! 超ギリギリセーフだったんです!」
俺はピンクの魔法使いに視線を戻した。
「アヴィ、俺は……」
「しゃべらないで、ゆっくり休んで」
アヴィは優しく微笑んだ。
「アヴィ、俺は……」
俺の目から涙が溢れ出した。
「……すまなかった……許してくれ……アヴィ!」
「ど、どうしたの、泣かなくたって……」
アヴィの顔がゆがむ。
「……すまなかった……アヴィ……アヴィ!」
俺は泣くのをとめられなかった。
「……ごめん……アヴィ!」
「…………」
アヴィは口をへの字に曲げている。その目から涙がこぼれた。
「……ゆーじ!」
アヴィは俺の胸に突っ伏して、声を上げて泣いた。
俺もアヴィの肩をつかみ、子供のように泣きじゃくった。
恥ずかしかったが、感情が押さえられなかった。
「あーあ、見てらんないです」
クマザサがそっぽを向いた。
「傷口が開きますよ!」
俺はアヴィの身体をきつく抱きしめた。
皆が見ているが、かまうもんか!
一瞬、あのおぞましい血まみれの光景が頭をよぎる。
ピンクの髪の匂いをかぎながら、俺は俺自身に言い聞かせた。
絶対にルートを間違えるな。
誰も死なせるな。
誰一人もだ!




