第21話 異世界の深夜食堂
「いつから私は魔獣枠になったんですか!」
クマザサがぷーっとふくれる。
「先輩と一緒にしないでください!」
「がうっ! ぐるるるる!」
飢えたラッシュが空腹を猛アピールしている。
「はいどうどう!」
クマザサは黒猫をなだめながら狭い店内を見回した。
「それにしてもガラガラですね。ホントに美味しいんですかここ?」
「い、いやあ……」
ドラモンは顔をピクピクさせながらカウンターを見た。
「ほら、客ならあそこにいるし」
店の一番奥、黒コートの長髪男が顔を伏せて冷酒を飲んでいる。
「……いらっしゃい……ませ……」
三つ編みおさげの少女が水のコップを置き、暗い声で言う。
「……今できるのは……エル・ヤン闇定食Aと……エル・ヤン闇定食Bです……」
「や、闇定食?」ビクッとするクマザサ。
「あの、『闇』じゃないのは?」アヴィが恐る恐る声をかける。
「……ぜんぶ……闇……です……」
女の子は暗い眼でつぶやくと、ふら〜っと行ってしまった。
「怖いーッ!」
俺たちは震え上がった。
「おいおっさん、大丈夫なのかここ!」
俺は声を押し殺して言った。
「王様の見立てに間違いはないと、私は信じています」
ミナージュがやわらかく微笑む。
「それすっごいプレッシャーなんだけど」
ドラモンは額の汗をぬぐった。
カウンターで三つ編みの子と、父親らしい痩せた調理人が話している。
「……タミ・ヤン……注文……は……?」
「……A定食……むっつ……です……」
「……あい……よ……」暗く答える主人。
「なんか勝手に通されてるー!」
「みなさん覚悟を決めましょう。先輩がもう限界なので」
クマザサは割り箸をラッシュに噛ませながら言った。
「そ、そうだ! 明日の作戦を立てなきゃ!」
アヴィがはっとして言った。
「特訓に夢中で忘れてた! ガナニカ城の魔王をどうやって倒すの?」
「そうですね、どうなさるのですか王様?」ミナージュがおっとりと訊く。
「そりゃあこう、魔法でガーンと!」ドラモンが身振りをつける。
「ガーンと?」真似をするミナージュ。
「ズバッてきたら、バシッと!」
「はい、バシッと!」
「で、ズウーンっとなったらドワーンって!」
「ドワ〜ン!」
「可愛い!」
「やめーい! デレデレすんなもう!」
俺は叫んだ。
「はっきり言えよ王様、何も考えてないって!」
「え?」
クマザサがキョトンとして言った。
「それ、ゆーじが考えてるんじゃ?」
「はい?」
「だって、勇者じゃないですかぁー!」
「ええーっ!」
俺は思わず立ちあがった。
ドラモンとミナージュは手を握り合いお互いを見つめている。
「王様、お顔が凛々しくて素敵です」
「貴方こそ女神のように美しい」
このセレブ・バカップルは役に立たん。アヴィはメニューを食い入るように見つめているし、クマザサは魔獣を抑えるのに手一杯だ。
俺がやるしかないのか!
「状況を整理しよう。箇条書きにするといいって頭のいい人が言ってたな。えーと。
・魔王は超強い
・特に作戦はない
・演奏の練習してない
……マジやっべー!」
「どうしたのゆーじ? 顔が真っ青だよ?」アヴィが驚く。
「やばい! 曲の練習するの忘れてた!」
「うそ! あ、でも譜面があればプロなら初見で弾けるって!」
「おいおっさん! 初見でいけるか?」
「え、しょけんってなに?」
「はぁぁ? 譜面は読めるんだよな?」
「譜面は……読めん!」
「ぎゃぁー!」
「ごめん!」
「もういい!」
「ぎゃおおおおん!」
「うわーラッシュが切れたー!」
「……こちらをどうぞ……」
三つ編みの子が、黒猫の前にコトリと皿を置く。
「……中華だけど生春巻き、ヤミヤミソース添えです……」
「え?」
ラッシュが目を丸くする。
「頼んで……ないけど?」
「……あちらから……」
カウンター奥の黒髪男がシュッと片手を上げる。
「……この席のレディに……と……」
「は、はぁ?」
「いいからラッシュ、とにかくいただこう」
俺は急いで言った。
「しかし美味そうだなそれ!」
「わ、わたしが食べますっ!」
黒猫は生春巻きに赤いソースをつけて口に入れた。
「んー……」
俺たちは全員、ごくりとつばを飲んだ。
「どう……だ……?」
「うーん」ラッシュはにっこりした。「ヤミ〜!」
「は?」俺はクマザサを見た。「なに『ヤミ〜』って?」
「美味しいってことです!」
「じゃぁ、闇定食って?」
「……おまちどうさま……」
三つ編みの子と主人が、料理でいっぱいのトレイを両手に運んできた。
「……ヤミー定食Aです……」
「いただきまーす!」
食欲をそそる酸辣湯のスープにくらげと春雨のサラダ、エビチリソース、特上牛肉のチンジャオロース、ピリ辛ザーサイと肉入り粥に手羽先の唐揚げ、点心の熱々春巻きに小籠包、もちもちの中華ちまきとプリプリのえび焼売、デザートは杏仁豆腐という盛り沢山の内容だった。
「う〜ん、ヤミ〜!」
俺たちは揃って叫んだ。
「美味しかったー!」
「王様おすすめのこのお店、素晴らしいです!」
ミナージュがうっとりとドラモンを見る。
「ごはん派のオレも大満足!」おっさんもごきげんだ。
「もうおどかさないでよ、闇定食とか言って〜」
俺は熱いウーロン茶を持ってきた三つ編みの子、タミ・ヤンに言った。
「……驚きましたか……?」
「いやぁ、マジビビったよ!」
「……くっくっくっ……計算通り……」
「え?」
「……こいつら、ちょろいぜ……くっくっくっ……」
タミ・ヤンは暗く笑いながら、ふら〜っと行ってしまった。
「怖いーッ!」
俺たちは震え上がった。
「あの……」
ラッシュが腰を浮かせた。
「生春巻きのお礼をしなければ……」
「そういえば誰でしょう? あの黒い服のひと?」
クマザサが身体をねじって店の奥を見る。
「でも、なんで先輩だけに……?」
ラッシュが黒服の長髪男に声をかけ、お礼を言っている。
男が立ち上がると、突然、黒猫の悲鳴が響き渡った。
「きゃあああああ!」
「ラッシュ!」
「先輩!」
「エロ猫!」
「おまえは、まさかっ!」王様が叫ぶ。「ロックロック!」
「久しぶりだなドラモン。まだ生きていたのか?」
ラッシュの首にナイフを当てたロックロックが嘲るように嗤う。
黒猫は背中にまわされた手を外そうともがいている。
「風の魔法使いも一緒とはな。なるほど、二人はそういう関係だったのかうらやましいッ」
「へ?」
「こんな場所で会うとは想定外だった。しかし勝利の魔神は私に微笑んだようだ」
「なん……だと?」
「会話は聞かせてもらった。歌姫たちがドラモンの仲間だったとはショックだッ。しかし、私の正体を知った上でなお挑んでくるとは、なんと愚かなことか」
「なんか、ところどころ声が裏返ってないか?」俺は言った。
「そんなことはない」低く言うロックロック。
「とにかく、調子にのるなよ魔王! お前なんかギッタギタに叩きのめすって」
俺はドラモンの背にかくれた。
「このヒトが言ってました」
「こら! ゆーじ!」慌てるドラモン。
「面白い、やってもらおうか」
ラッシュを抱えたまま、じりじりと店の奥に後退するロックロック。
「約束通り明日、城に来るがいい! 逃げないようにこのレディはあずかっておく!」
裏口を開けた魔王の背に、アヴィが叫んだ。
「サンダーアロー!」
伸ばした指を振る。
「あ、あれ? 魔法が出ない!」
「さらばだ!」
魔王と黒猫はドアの向こうに消えた。
「待てーっ!」
俺は後を追って裏口から飛び出した。
ひっそりとした裏通りは暗く、左右を見ても誰もいない。
アヴィとクマザサ、ドラモン、ミナージユも裏通りに出てくる。
ドラモンが険しい顔で通りの先を指差した。
「あれを見ろ……」
夜空の三日月の下、尖った塔が立ち並ぶガナニカ城がシルエットになっている。昼間は白く壮麗な城は、月光を浴びてまがまがしい魔城に見えた。
「……この店は、魔力を封じている……」
振り返ると、店の裏口にタミ・ヤンとエル・ヤンの親子が立っている。
「……私たちは、魔封術士……」
「魔封術士?」俺は聞き返した。
「……ここでは魔力を使った争いはない……」
エル・ヤンが暗い声でぼそぼそ言った。
「……どんな魔物も……ただ、食べて飲む……安心して……」
「たしかに聞いたことがある」
ドラモンは腕組みをした。
「エルレニアには魔力が使えない店があり、なぜか魔物たちが集まると」
「それで、魔王も、ここに……?」アヴィが問いかける。
「……あのひとは常連さん……いつも一人……寂しい……」
「魔王のくせに《《ぼっち》》かよ! しかし!」
俺は拳を握りしめた。
「人質を取るとは卑怯な奴! みんな、ラッシュを助けに行くぞ!」
「待てゆーじ!」
ドラモンは手で俺を制し、考えながら言った。
「ロックロックは勝利の魔神が微笑んだと言った。だが、それはこちらのことだったようだ」
「なに言ってるんだ、おっさん?」
「流れはこちらにある。絵札が来たんだよ」
ドラモンは不敵に笑った。その鋭い目はヤン親子に向けられている。
「いまから作戦会議だ!」
翌朝、俺たちはガナニカ城のでかい城門の前に立っていた。
全員が寝不足で、丘の上の門に来るだけですでにぐったり疲れている。
ラッシュが魔王に連れ去られた後、エル・ヤンの店で作戦会議を開き、そのまま朝まで準備をしていたからだ。さすがに徹夜はつらい。
アヴィとクマザサは門を見上げ、あくびしながら言った。
「あれ、門がひらくよ〜ふあああ〜」アヴィ。
「自動とは便利〜あふぁああ」クマザサ。
「……さすがに……眠いです……」
ミナージュもふらふらしている。
「どうする、猛獣の檻に入るようなもんだぜ?」
俺は眼をこすりながらドラモンに言った。
「この結界の中なら、魔王の力が使えるんだろ?」
「オレの作戦を信じろ。あいつは手も足も出せなくなる」
目の下にくまを浮かべたドラモンはニヤリと笑った。
「行くぞ、ゆーじ」
俺と王様は車輪のついた大きな箱の楽器ケースをゴロゴロ引っぱり、歩きだす。こいつを朝までかかって作ったのだ。
「お、重い……!」
よろよろと歩く俺たちの後ろで巨大な城門が音を立てて閉まった。
石畳の広場を渡り、人気のない城の中に入る。
どこからか音楽が流れてくる。俺たちは音のする方に通路を進んだ。
「なにかな? 初めて聴く曲」
アヴィが耳を澄ます。
「う〜ん、いい曲だね。男の人の歌がすごく素敵!」
「そりゃそうだろ」
廊下の奥の広い部屋に足を踏み入れ、俺はつぶやいた。
「世界的なバンドの大ヒット曲だからな」
「残念だよ異邦人。君の世界の音楽の話を聞きたかったが」
ロックロックは古い蓄音機のレコードから針を上げた。
「今日でお別れだ」
「先輩!」
飛び出そうとするクマザサをミナージユが制止する。
「くまちゃん、待って。王様が必ず助け出してくれます」
「くうっ」
ラッシュは大きな鉄製の鳥籠の中に囚われていた。
魔王に強いられたのか黒く豪華なドレスに着替え、緊張した顔で椅子に座っている。背筋を伸ばした姿は、貴婦人を描いた肖像画のように美しかった。
「……黒猫さん……きれい……」
クマザサはつぶやいてから、はっとして叫んだ。
「せ、先輩! 大丈夫ですか? なにもされてませんか!」
「クマザサ、わたしは心配ない」
黒猫は首を振り、訴えるような目で後輩を見た。
「それより」
「ロックロック!」
ドラモンが前に進み出る。
「ずっと聞きたいことがあった。お前は魔界から来た。しかしこの城に居続けている。なぜだ?」
「いきなりだな」
魔王は苦笑して言った。
「お前のような迷妄愚昧な王に言うべきことはない」
「悪口だよねそれ! 失敬だぞキミは!」いきりたつドラモン。
「……暗黒王」
「なに?」
「暗黒王だ。お前たちは圧政と重税を課した狂気の暴君と考えているようだが、数百年前に世界を破滅から救ったのは、やつなのだ」
ドラモンは胸を張って言った。
「歴史はわからん!」
「言い切ったー!」全員で呆れる。
「暗黒王は魔物より悪知恵が働く恐ろしい男だった。やつの策略にはまり、私はこの城に閉じ込められた。魔解門の魔力そのもので結界を張られたのだ。そしてもう一人も」
「もう一人って?」アヴィが訊く。
「ファンファン」
「え?」
「こちらでは、魔導士ファンファンと名乗っている」
「そんな、まさか……」
「やつがもう一人の」
ロックロックは静かに言った。
「魔王だ」




