第20話 特訓はつらいよ
俺は砂漠のど真ん中に立っている。
見渡す限りどこまでもなだらかな砂丘が続いている。
西の方から砂煙が上がった。反対側からも砂煙。ナイアガラの滝のような砂の瀑布が立ち上がり、猛スピードで押し寄せてくる。
今度は挟み撃ちか。
俺は背負っていた黄金のフライパンを引き抜き、剣のように構えた。
「パパさんの土遁の術、キター!」
俺はどんどん高さを増しながら迫ってくる砂の壁に叫んだ。
「今日こそ絶対に耐えきってやる!」
ゴゴゴゴゴゴ!
左右から高層ビルほどもある巨大な砂の壁が崩れてのしかかってきた。
「シールド!」
俺は黄金のフライパンを頭上に掲げ、叫んだ。
「コンプリート!」
全方位防御結界が発生し、透明な力場が俺を包む。
ドザザザザァッ!
落ちてきた膨大な量の砂に叩かれながら、俺は結界を維持し続けた。
砂に埋まった俺は、中腰になってお尻に意識を集中した。
「おしりシールド! いっけぇぇぇぇ!」
限定範囲で発生させた結界を伸張させ、俺はコンプリートシールドそのものを推進させた。砂の上に飛び出してゴロゴロと転がる。
「ファイヤーレイン!」
アヴィの声とともに、上空から炎の豪雨が降り注いだ。
「熱いー! なんちゃって!」
俺は限定結界を後方に次々に発生させ、砂の上を飛ぶようにジグザグ移動した。
「どうだアヴィ! 発生に『ため』があるお前の魔法じゃ、俺は捕まえ」
ドン!
バリバリドッカーン!
俺は砂に頭から突っ込み、もんどりうって転がった。
砂漠に雷撃って拡散するんじゃなかったのー?
「サンダーアロー!」
遠くの砂丘でアヴィが高らかに術名を叫ぶ。
「狙いは、外さないッ!」
「かっこいいー! アヴリル、よかったよーいまの!」
王様がぱちぱち手をたたく。
「ちょっと休憩しよっかー!」
砂漠に張ったレジャー用のターフに戻り、俺は椅子にへたりこんだ。
「うあー、きっつい。もう帰りたいー」
「あーこのアイスティーおいし~い」
アヴィがグラスを傾けると、白いのどからタンクトップの胸に汗が流れる。
俺は豊かな膨らみの谷間に眼が釘付けになった。
幸い、ここには俺の視線を見咎める鋭い子はいない! ラッキー!
「めつぶし!」
「いってー!」
飛んできた砂が顔に当たる。
「パパさんひどいよー!」
「休憩中に休むやつがどこにいる!」
「は?」
「常に気を張っているんだ!」
ドラモンはサングラスをかけ、ディレクターチェアで雑誌を読んでいる。
リゾート中のスター俳優みたいに絵になっているのが口惜しい。
うしろからドロドロのドレッドヘアかぶせたろうか!
「うはぁ……」
俺はぐったりテーブルに顔を伏せた。
「……あまりの暑さに思考停止中」
「あれ、ゆーじ、思考してたんだ?」
「なんだと!」
「きゃーっ!」
アヴィは笑いながらターフから駆け出し、くるりと振り向いた。
「ここまでこーい! へんたーい!」
「くそっ! いつか押し倒してやる!」
パパがサングラスをあげて視線を俺に向ける。
「聞き捨てならんセリフだな?」
「あ、いまのは冗談」
「娘はやらーん!」
眼から光線が出た。
「パパビーム!」
バキン!
防御結界が真っ青に染まり、ビームをかろうじて屈折させる。
「あっぶねー! なにすんだいきなり!」
「ドラビーム! のほうがいいかな?」
「どっちでもいいいいい!」
杖の先どころか眼から光線でてるじゃないか!
どんだけフリーダムなんだよこっちの魔法は!
「オートモードとでも呼ぼうか」
ドラモンは静かに言った。
「術式の発動時間を極限まで圧縮し、予知感覚で瞬時に結界を張る。いまの感覚をしっかり憶えておけ」
「もーゆーじ! なんで追いかけてこないのー! つまんなーい!」
アヴィがはあはあ言いながら戻ってきた。
「あーお腹すいたー! お昼はパスタがいーなー!」
「ゆーじ、姫は昼食をご所望じゃ。私はカツ丼定食で」
「お二人ともパスタですねかしこまりました」
俺はささっとトマトソースのシンプルなパスタを作った。
オリハルコンの黄金フライパンは実に使いやすい。
魔獣化ラッシュとの戦いのときもフライパンで身を守ったし、どうも調理器具に縁があるのだろうか。
「戻ったら、ちゃんと調理学校に行こうかなぁ……」
俺は皿を洗いながらボソリと言った。
「あ、戻れるかなんてわからないんだった。こっちの世界でも勇者じゃ食ってけないだろうし、どこ行っても仕事で悩むのかよ俺は……」
「おいしかったよーゆーじ!」
アヴィがピッタリくっついてきた。
「ありがとー!」
「お、おう! ていうか熱い! くっつくな!」
「もう女の子にくっつかれて照れてる? ドキドキしてる?」
「てめーわざとかー!」
「きゃーっ!」
また駆け出すアヴィ。ほんとおバカだこいつ。
「あははは! あははは!」
「おいしかったよーゆーじ! ありがとー!」
ピッタリくっついてきたドラモンが低く凄む。
「オレ、ごはん派って言ったよな?」
「どっちも炭水化物だ気にするな」
俺はドラモンを肩でぐいぐい押した。
「あの子があんなに楽しそうなの初めてみたぞコラ」
ドラモンもグイグイ押し返しながら凄む。
「あいつが一人でどんなに寂しかったか知ってんのか家出おやじ」
グイグイ。
「うるせー俺にはこの世界を守る責任があるんだよひよっこ」
グイグイ。
「世界の前に家族守れや十年ニート」
グイグイ。
「正論で片付けば苦労しねーよガキ」
グイグイ。
かすかに空気が震える。
俺とおやじは押し合いながら地平線を見た。
「ん?」
遠くの砂丘から小さな竜巻がもの凄い勢いで近づいてくる。
ほとんどジェット戦闘機並みの速さで!
「うわーっ!」
竜巻はあっという間に俺とドラモンとキャンプ道具一式を吹き飛ばし、さらに後ろの大きな砂丘まで吹き飛ばして止まった。
「ほらどーすんですか先輩、昼ごはん食べそこねたじゃないですか?」
クマザサが妖刀春雨を構えながらぜいぜい喘ぐ。
「晩御飯は風の都で高級ディナーだ、我慢しろクマザサ」
ラッシュがトンファーを構えて息を切らす。
「はいそこまでー!」
俺は砂に身を伏せて叫んだ。刃物の戦いに巻き込まれるのはごめんだ。
「二人には焼きおにぎり作ってあるから、もうやめろ!」
「はぁ〜!」
ラッシュとクマザサは武器を収め、砂の上にへたり込んだ。
「あの、オレにも焼きおにぎり……」
砂の中からドラモンが顔を出した。やっぱアヴィと親子だわこのおっさん。
砂漠に陽が傾く。
真っ赤に燃える夕陽の中に、小さな黒い点が浮かんだ。
その点はみるみるうちに大きくなる。
「来たようだな……」
ドラモンが額に手をかざし、つぶやく。
「魔法艦シルバー・ブリーズ」
細くスマートな銀色の船体に銀の帆をいくつも立体的に重ねて展開した、帆船型魔法艦が俺たちの頭上に静止した。
やはり銀色のゴンドラのようなボートが降下してくる。
俺たちはキャンプ道具をそれぞれ抱え、ボートに乗り込んだ。
「お疲れ様でした、ドラモン」
銀色のドレスを着たミナージュが艦橋に立っている。
「そして、みなさんも、お疲れ様」
「お疲れ様でした!」
俺たちは揃って頭を下げる。
「わざわざすまない、ミナージュ」
ドラモンは銀色の魔法艦の艦長に歩み寄った。
「いいえドラモン、私はとても嬉しいの。やっとあなたが動き出したことが」
「時が来たのだ。隠棲の日々は終わった」
「雌伏の日々よ」
ミナージュは手を伸ばし、指先でドラモンの髪に触れる。
「とても素敵よ。眼が輝いているわ。おかえりなさい、王様」
「私はもう、王ではない」
「貴方は私の王様よ」
「ミナージュ、私は亡くなった妻を永遠に愛している……」
「わかっています。私は陰からお支えします」
「……ミナージュ」
「……ドラモン」
「……」
「……」
「おい、ゆーじ!」
パパが俺を振り返る。
「早く突っ込めよ。恥ずかしい」
「ずっとやってろ。十年待たせてたんだろ?」
顔を赤くするドラモンとミナージュ。
「……ったく」
俺はでかい舵輪を握る魔法ロボットの横に立った。
「ええと、ヴェル……なんだっけ?」
「ヴェルグリギウス。ヴェルギリウストハファーストロット、オリジナル六体ノ中ノ二体デス」
「最初の魔杖兵ってわけか。残りは?」
「三体ハ失ワレマシタ。一体ハガナニカ城ノ地下ニイマス」
「そいつもいただこう。とりあえず特訓の打ち上げだ!」
俺は振り返って叫んだ。
「みんな、今夜は御馳走だぞ!」
「やったー!」
アヴィ、ラッシュ、クマザサ、ドラモン、ミナージュまで叫ぶ。
額にたらりと汗が流れる。
「あ、あれー? パパのおごりじゃないの?」
ヴェルグリギウスが舵輪のメーターを倒した。
「夜間デスノデ割増ニナリマス」
ちょ! マジかぁぁあーッ!
クラブ『ミナージュ・エルレニア』の店内は真っ暗だった。
バーカウンターの内部照明に照らされた酒のボトルが、暗夜の海に浮かぶブイのようにほのかに光っている。
太った支配人は、茫然とした顔でストゥールに座っていた。
「……なにがあったの、コロネオ?」
ミナージュが歩み寄る。
「オ、オーナー?」
コロネオはストゥールから降り、銀のドレスの貴婦人に向かい合った。
「申し訳ありません。私の力では、食い止められませんでした……」
「入り口に真っ赤な×が描いてありました。あれは?」
「ベルガメイズ様より、遊興奢侈禁止令が発令されました」
支配人は力なくうなだれた。
「営業停止です……無期限の……」
「あのゴーマン女! なんてことしやがる!」
俺は拳を握りしめた。
「打ち上げできないじゃないかッ!」
「それだけではありません。一ヶ月後の即位式が正式に決まりました。それまでにグラン・グランの主要都市すべてを巡回なさるそうです」
「ふん、まだ打つ手はある」
ドラモンは冷静に言った。
「そう嘆くな支配人。真紅の烈女の好きにはさせん」
「あ、あなたは?」
「パパ」アヴィ。
「王様」ミナージュ。
「おっさんニート」俺。
「何を言っているのかわからないが、オーナーのお知り合いなら高貴な身分のお方なのですね? どうぞ、お願いいたします!」
コロネオは太い腕で涙をぬぐった。
「音楽を、歌を、取り戻してください!」
「……歌を……」アヴィがつぶやく。
「それは感動、笑いと涙、人生のひかりなのです!」
「わかった支配人、グラン・グランを暗黒の世界にはさせない!」
ドラモンは力強く言った。
「はい! あとうまい酒とうまい料理と美味しいケーキと美人なダンサーと安定した売り上げを」
「わかった。ストップ!」
ドラモンはコロネオの肩を抱いてささやく。
「まったく同感だが彼女たちの前で口にはだせないだろ。オーケー?」
「オ、オーケー」
「それからここでのディナーを楽しみにして、あの子たちは大変お腹をすかせている。文字通り飢えた魔獣もいるから」
「ぐるるるる……」ラッシュの眼が光る。
「ぐるるるる……」クマザサの眼が光る。
「近くで食事できる店を教えてほしい」
「わかりました。それでは異国の料理、中華になりますが、エル・ヤンの店へどうぞ」
「ありがとう支配人」
ドラモンは戻ってくるとドヤ顔で得意げに言った。
「オレの知ってる美味い中華があるから、そっちいこーかー!」
いや全部聞こえてたんだけど!




