第2話 異世界グルメと乙女の鉄拳
俺は、たったいま出てきた背後の建物を振り返った。
ファンファン魔導商会。
店の中にあった奇妙な形の骨董品や陳列ケースの宝石や装身具は、すべて魔導具という魔法のアイテムだそうだ。
でもってここはグラン・グランとかいう偉大な魔法王国なんだと。
へぇ、魔法ねぇ。
「コンビニないかな―、あるわけないかー」
俺は目の前のバザール広場を眺め、ほとんど放心状態で呟いた。
どう見ても産業革命も文明開化もしてない、そのかわり魔法が存在している中世のような世界だ。
現代文明の象徴、コンビニやファーストフードなんてあるわけない。
朝コーヒーも朝バーガーセットも朝ハムエッグ定食も牛丼もカレーもない。
うう、なんか泣けてきた。
「で、ラッシュ。今いくら残ってるの?」
ピンクと黒が俺の前で話している。
二人はファンファン魔導商会を出るときから、ボロ布のような汚れたフード付きのポンチョを着ている。
確かにアヴィのピンク髪や高級な服装は目立つが、なにか隠さなくてはいけない事情でもあるのか。
ラッシュはポンチョ下のタクティカルベストをごそごそやり、小銭を出した。
「ええと……240グランです」
「じゃぁ蜂蜜パンが三個、買えるわね」
「三個、ですか?」
「だって」
アヴィとラッシュが冷たい目で俺を見た。
俺の腹がぐぎゅるるると鳴った。空腹マックス。
つられてピンクのお腹もぐきゅ〜と鳴り出す。
「い、行くわよっ!」
恥ずかしそうに顔を赤くしたアヴィが歩きだす。
俺たちは熱気と喧騒に溢れたバザールの中に足を踏み入れた。
露店と露店の間に曲がりくねった狭い通路ができていて、大勢の人がゾロゾロと歩いている。人でごった返すとはこのことだ。
俺ははぐれないようにピンクと黒猫の後をついていった。
衣類や生地、野菜や穀物の店が雑然と並び、香辛料の利いた焼き肉や揚げ物の匂いが漂ってくる。
う〜ん、エスニックー。
急に手首を握られて、ぐいと引っ張られた。
「うわっ!」
アヴィは露店の間の隙間に俺を引っ張り込み、いきなり抱きついてきた。
「おひょい!」
「変な声出さないでよ」
アヴィは上目遣いに俺を睨み、小声で言った。
「あたしを抱いて。ギュッと!」
訳がわからないままピンクの背中に手をまわして引き寄せる。
やわらかくて硬い。こ、これが女の子のからだなのか……。
そして!
俺の胸に当たるふくらみ!
こいつけっこうあるんですけどぉぉぉ!
俺の目の前を金属兜にごつい肩当てのついた赤マントの大男が二人、足早に通り過ぎていく。
一人が鋭い視線を俺に投げる。その眼に侮蔑の色が浮かんだ。
朝から女と抱き合っている好き者め、と。
何なんだ、あいつら?
睨まれただけでウハウハな気分が吹っ飛んだ。
マジで背筋がゾクッとした。絶対にヤバイ奴らだ。
「行った?」
俺の肩に顔を伏せたまま、アヴィが訊く。
「あ、ああ。行った」
「離して」
力を込めてアヴィは俺を押しのけた。
「こっちよ」
アヴィは俺の手を取り、バザールの人混みの中に入っていく。
俺はつんのめるようにアヴィの後を歩いた。
前方にポンチョのフードから黒い猫耳が飛び出したラッシュがいた。
アヴィがラッシュに耳打ちする。
「憲兵隊がいる。ここから離れよう」
「わかりました、姫」
「パンは?」
「大丈夫、買ってきました」
「行くわよ、ラッシュ」
バザール広場を通り抜け、そのまま街を数ブロック進んだ。
通行人も少ない、裏通り。
植栽で囲まれた小さな公園があった。
中央に噴水があり、動物の彫像の口から水がちょろちょろ流れている。
アヴィとラッシュは芝生の上に腰を下ろした。
俺はアヴィの横に立って、周囲をぐるりと眺めた。
見知らぬ風景、町並み。外国旅行をしている気分だ。行ったことないけど。
「なんだか、古い街だな」
噴水の彫像や台座、壁は経年劣化して、細かいヒビが入っている。
周囲の低層階の建物も、築数十年たってますという感じだ。それでもどこのベランダもいっぱいに洗濯物が干されて、住んでいる人々の生活感が溢れていた。
「でも不思議だ、なんか懐かしい感じがする……」
甘くて香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
「あっ、おまえら!」
芝生に座ったラッシュが紙袋から丸いパンを取り出している。
焼き立てパンのすごくいい匂いがする。反射的にグルルルと腹が鳴った。
こ、これがさっき言ってた蜂蜜パンなのか!
「はい、姫」
ラッシュがアヴィにひとつ手渡す。
「ありがとう、ラッシュ」
ピンクと黒は丸いパンを捧げ持ち、「いただきま〜す」とかぶりついた。
「おいおいおい!」
俺はあわててアヴィの隣りに腰を落とした。
「ラッシュ、俺のパンは?」
「……にゃい」
黒ネコ娘は口をはむはむさせながら言った。
「え?」
「にゃいよ」
「にゃにゃにゃんだとー!」
「値上がりしてたんだって。だから二個しか買えなかった」
アヴィが指についた蜂蜜をちゅっと舐め、頬をゆるめる。
「ん〜美味し〜! 蜂蜜パンサイコー!」
「そんなー……」
俺はがくりと肩を落とした。
でも、お金も出してないのに俺にもパンをくれなんて言えない。
「あ〜すんごく美味し〜っ! 香ばしく焼き上がったサクサクの生地にかかった濃厚な甘さの蜂蜜はコクがあるのにしつこくなくてお口がとろけちゃいそう。もうたまんな〜い!」
ピンクが俺の目の前で、これみよがしにはぐはぐパンを食べていく。
うおおお性格悪いなこの女!
「はい」
アヴィが半分になったパンを差し出した。
「へ?」
「残り食べて。あたしもうお腹いっぱい」
うおおおすごくいい人だあああ!
「姫?」
ラッシュが変な顔をする。
「いつもは5つはたべ……ひゃう!」
黒猫の尻尾をつかんだアヴィは、そっぽをむいて言った。
「いいから食べなさいよ。お腹鳴ってたわよ、変態エロ勇者」
お前もだろ! なんて俺は言わない。
なんか慈悲を与えてくれたみたいだ。そこらへんはホントにお姫様っぽいな。
ここが異世界なのはわかったが、こいつが本当のお姫様なわけないから虚言癖でもある痛い子なんだろうけど、そんなことはどうでもいい。
俺は今、猛烈に腹が減っているんだ!
「い、いただきます!」
俺は食べかけのパンにかぶりつこうとした。
その時!
脳にバシッと電流が走り、俺はパンをもったままのけぞった。
「はうっ!」
「ど、どうしたのエロ変! だいじょうぶ?」
アヴィが驚いて俺の肩に手をかける。
いつの間にか変な省略形になってるが気にしている場合じゃない。
俺は硬直しながら眼を最大限に見開き蜂蜜パンの切断面をズームアップした。
ピンクのお嬢様のお口によって噛みちぎられたパンの断面、そこにチラチラと輝く微細な水滴がいくつも見える。
おおお! これはピンクの唾液ではないか!
ということはこれを食べたら俺はお嬢様と間接的にくちづけを……。
いや!
いやいやいや!
違ーう!
「……細菌だ」
俺は誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
「異世界のッ! 未知の口腔常在菌がッ! 俺の体内に侵入してしまうッ!」
あー鍋とかダメなんだよね俺みんなで食べるのって全員が唾液のついた箸を同じ鍋に入れてかき回すんだぜそれってきたなくない控えめに言って絶対ムリだからそれにちょっと一口ちょうだいとかいって口に入れたスプーンで人のスイーツをすくう女とか信じられないぜそんなシチュエーション今まで一回もなかったけど。
つまり僕、潔癖症なんです。
『潔癖症』でしかもかなり『神経質』で『こだわりや』の『変態』『エロ』『勇者』なんです!
「うきゃぁーっ!」
俺は奇声を上げ、片手で自分の頭をひっぱたいた。
「落ち着け! 俺は混乱している! 落ち着くんだ!」
「ひいいッ!」
「こいつ、狂ったかっ!」
アヴィとラッシュがマジで顔をひきつらせ、ドン引きしている。
しかし!
しかし!
「このパンを食べなければ俺はピンクの好意を踏みにじってしまう。口ではなんだかんだ俺のことを罵倒しながらも空腹な俺を見かねていつもは5つ食べるというバカ食いなのにたったの半分だけで我慢して残りを俺に分けてくれたと言うのにそれを俺は常在菌がいやだとか唾液はきたないからムリとか言って拒んだとしたらまさに人としての道を踏み外すことになってしまうそんなことはできないいや絶対にしてはならない!」一気に言った。
俺はパンを蒼天に突き上げ、心からの叫びを上げた。
「俺はおまえの唾液を受け入れ、このパンを食べるのだあああ!」
「おい」
アヴィが低くドスの利いた声で言った。
「それって、あたしの食べかけがきたないって言ってんの?」
「…………」
「おまえェェェッ!」
「いただきます!」
俺は高く掲げたパンを口に入れようとした。
その瞬間、風切音とともに黒い影が俺の頭上を擦過した。
「うわっ!」
俺は顔を押さえてひっくりかえった。
振り返ると大きな鳥が脚でパンをつかんで飛び去っていく。
俺は茫然として、黒い鳥の姿を見送った。
「あー」
「おまえって、サイテー」
かすれた声がした。
ピンクのお嬢様は眼に涙をため、俺を睨みつけている。
「あたしが、き、きたないだなんて……」
「ち、違う!」
俺は芝生の上を四つん這いになってアヴィの前に這い寄り、頭を下げた。
「俺が悪いんだ! お前はきたなくない! お前の唾液ならうけいれられる!」
「ここここの!」
アヴィの絶叫が公園に響き渡った。
「超ど変態ーッ!」
「信じてくれ!」
俺は腕を伸ばしてアヴィの肩をつかんだ。
「いやーっ!」
暴れるアヴィにバランスを崩し、俺は芝生に倒れた彼女の上にのしかかった。
「証明しよう」
「え?」
「お前の菌をうけいれると!」
「ぎゃーっ!」
俺は叫ぶピンクの口を自分の口でふさいだ。
何秒間押し当てていただろう。
俺はぷはぁっと顔を上げた。
胸の下で、アヴィが眼を見開いてブルブル震えている。
俺はお姫様に優しく微笑んだ。
「な、大丈夫だろ?」
「ばかぁぁぁあああーッ!」
強烈なアッパーが俺を空高く吹き飛ばした。




