第17話 風の都エルレニア
俺たちは繁華街のカフェテリアの中にいる。
店内は満席で、なんとか小さな丸テーブルの席を見つけて座れたのだ。
「この街は人が多くて目が回りそうにゃ」
ラッシュがふらふらしている。
「あたし、これとこれとこれ食べたい!」
アヴィがメニューを指差した。
「エルレニアは王都グラン・ル・グランに次ぐ大都市で、広い内湾を持ち運河も発達して古くから貿易港として栄えている。自由都市、風の都とも呼ばれ、温暖な気候で富裕層も多く住み芸術や音楽、演劇、舞踏など文化の中心地でもある」
クマザサが観光パンフレットを閉じた。
「もうここに来て一週間ですよ。そろそろ動かないんですか、ゆーじ?」
「わかってるよ。みんな、ご苦労だった」
改まった言葉に、アヴィ、ラッシュ、クマザサがじっと俺を見つめる。
俺は丸テーブルに紙を広げた。
「みんなで調べ上げた奴の一週間の行動パターンだ。几帳面なのかこの動きを繰り返している。で、目指すはあのガナニカ城」
カフェテリアの窓から、丘の上にそびえる壮麗な白い城が見える。
俺は声をひそめた。
「あの城に、四つ目の魔解門がある」
「えっと、正確にはあの城の城主の部屋にね」
アヴィは広げた紙の余白にペンで絵を書いた。
「ダーク・インフェルノっていう黒い水晶球の中にあるの」
「それを身近に置いている城主は、魔物なのですか?」
クマザサが小声でアヴィに言う。
「尾行していても、そうは見えませんでしたが」
「もちろん魔物ね。それも、おそらく凄まじい魔力をもった」
「姫、そんな強力な魔物、大丈夫なのですか?」
ラッシュが心配そうに訊く。
「正面からやりあうわけじゃない、こそっといただくの」
「こそっと?」
「わかりました」クマザサがうなずく。「盗むんですね」
「ということで、作戦を立ててみた」
俺は女たち三人を順に見て言った。
「奴は大の音楽愛好家で、街で聴いて気に入った歌手やミュージシャンは必ず城に呼び、自分だけのコンサートを開く。ここまでオーケー?」
「オーケー!」
三人は小さく叫ぶ。
「で、奴のお気に入りのクラブで新人オーディションがある。支配人とは話をつけてきた。オーディションは今夜だからよろしく! オーケー?」
「ノォー!」
ラッシュとクマザサが同時に叫ぶ。
「オーケー!」
ピンクはメニューを指差す。
「あとこれ!」
「話を聞けー!!!」
「ごめんなさい、ぐすん」
「では、姫が歌を?」
ラッシュがぱちぱちまばたきする。
「えーあたし歌えるよーちっちゃいときから歌ってたもーん」
「その棒読みでなんか想像つきます」
クマザサが額に手を当てる。
「いや、アヴィはよく鼻歌うたってるよな。俺はリズム感はいいと思っている」
「でもそれだけでは」
クマザサが疑いの目でピンクを見た。
「えー、実はわたしも歌うのは大好きです」
ラッシュがぐっと身を乗り出した。
「魔界にいたころは殺戮の歌をよく歌ってました」
「それコワイわ」俺はびびった。
「キシャーって?」クマザサが笑う。
「あ、かちんときた。なんで笑うの? じゃぁクマザサは歌えるの?」
「と、とーぜんです! 黒猫さんに歌えて私が歌えないわけないじゃないですかぁー」
「うあー、後輩があおってるー」
俺はテーブルに身を伏せ、頭を抱えた。
「コニーベル様からはクリスタルヴォイスって褒められました!」
「なにがクリスタルよ。黒マスクしたらがらがら声で怒鳴るくせに!」
「へぇ、じゃぁキシャー! でどう歌うんですか、キシャー! で!」
「普通に歌うわよ! わたしは魂で歌うの! 魂のヴォーカリストなのよ!」
「私、黒猫さんには、ぜったい負けませんから!」
「上等じゃないの! かかってらっしゃい!」
丸テーブルの上に身を乗り出し、にらみ合った二人は同時に叫んだ。
「ステージで勝負!」
バチバチバチッ!
二人の女の間に火花が散った!
「……えっと」
アヴィが頭を低くして言う。
「あとこれも……」
ワーッ!
カフェテリアの外を人々が声を上げて走っていく。
俺は思わずイスから腰を浮かせた。
なにか、騒ぎが起きたのだろうか?
「号外だ! 精霊紙の通告が出たぞ!」
男がカフェテリアのドアを開け、手に持った号外を突き上げた。
「王都の名前が変わった! グラン・ル・ルージュ、偉大なる赤の都に!」
「ええーっ?」店内にどよめきが起きる。
「通告がまたでたぞ!」
紙を振りながら、別の男が店の中に入って叫ぶ。
「真紅の烈女、ベルガメイズ様が婚約された!」
「本当か?」
「まさかーっ?」
周りの客たちが激しく反応している。なんで?
「そうだ!」
男は号外を紙吹雪のようにばらまいた。
「大法王の子息、メイビスクランと!」
悲鳴のような叫びが店内から湧き上がった。
「な、なんだぁッ?」
俺は焦って周りを見まわした。
「これで……決まったな」
隣の席の紳士が、ガタリと椅子に座り込んだ。
「な、何が起きたんですか?」俺は紳士に声をかけた。
「グラン・グランに真紅の女王が……誕生してしまう」
紳士は絶望したように、首を振った。
「……重税と圧政の、暗黒王の時代が再び始まるんだ」
「暗黒王って……?」俺はアヴィを見た。
「数百年前のグラン・グランに突然現れた、狂気の暴君……」
ピンクは顔をこわばらせ、低く言った。
「……まさか、そんな時代が……また?」
カフェテリアの外では、人々が不安と恐怖の声を上げ続けている。
ベルガメイズはベッドで目覚めた。隣で寝ているはずの少年がいない。
時刻はまだ夜明け前だ。ベルガは重たげに身体を起こし、少し考えてから大きなベッドから床に降りる。
赤い薄絹の寝間着をなびかせ、開け放された窓からバルコニーに出た。
眼下に広がる王都に、昇り始めた朝陽が最初の光を投げかけようとしていた。
「メイビス……?」
華奢な少年の背中にベルガは声をかけた。
「どうしたの、まだ早いわ?」
振り返った少年の金髪が朝日を受けて黄金の冠のように輝く。
ああ、天使のようだ、とベルガは思った。
天使でなくても、奇跡には違いない。なぜなら、まだ幼いこの少年はロシュ・アベルの生まれ変わりと思えるほど、生き写しだったから。
あの舞踏会で出会った瞬間に、ベルガは奇跡を手に入れた。
失った弟を取り戻したのだ。
あの魔力の暴走で消え去った、最愛の弟を。
「ベルガ……」
少年は歩み寄ると、真紅の少女の胸にその顔を埋めた。
「今日は祝福される日になるよ」
「そうね、王都の名前が変わり」
ベルガは少年の亜麻色の髪の毛を優しくなでた。
「あなたとの婚約が発表される。グラン・グランの歴史が変わるのよ」
「ベルガが、変えるんだ」
メイビスは少女の赤い髪の香りを深く吸い込んだ。
「僕は身体が弱くて王宮の外には出られない。ベルガがこの世界を変えるんだよ」
「あたしが、変える……」
「そう、ベルガが好きなようにね……」
少年の眼が緑色に光り、真紅の少女の瞳をとらえた。
「まずは税率の引き上げ、新税の導入、国防軍事費の緊急予算成立」
「税率……新税……国防……緊急……」ベルガはぼんやりと繰り返す。
「そして、王家のすべての資産凍結」
「王家……王家……アヴリル……」
「いい? 忘れないで、すぐにやるんだ」
「わかった……すぐに……」
「もう少し、眠ろう」
真紅の少女と少年は、大きな真っ白いベッドに戻った。
そして再び、つかの間の眠りに落ちる。
姉弟のように抱き合って。
寝室の四方の壁に朦朧とした影が現われた。
影は気泡が浮き上がるようにぷつぷつと言葉をささやきかける。
眠っている少年の身体のあちこちで、奇妙な古代文字が光っては消えた。
壁の影がすっと動き出し、王宮の壁を音もなく風のように走る。
長い廊下の突き当りのドアに、影は吸い込まれた。
「……うまくいっているようね」
背の高い装飾椅子に座ったファンファンは、眼を閉じたままつぶやいた。
暗い室内で、壁に貼り付いた影が薄く燐光を発している。
人が見ることのできない「隠者」という影が。
クラブ『ミナージュ・エルレニア』の店内は開店前の準備で慌ただしかった。
支配人のコロネオはテーブルから椅子を下ろし、太った身体をドカッと乗せた。ステージに立つ三人の少女を見上げる。
「おいマネジャー! 時間がない。早く始めてくれ!」
「はいはいはい! ちょっと待って下さい!」
俺はバンドのバンマスであるピアノ弾きに譜面と紙幣を手渡した。
「すいません! よろしくお願いします!」
「あー、こんだけ?」
酒臭い髭の中年は顔をしかめた。
「テンポが早くなっちゃうかもな?」
「お願いします!」
俺は頭を下げ、バンマスの手に札を追加した。
「……ちっ!」
他のバンドメンバーはステージにいるが、楽器を持とうともしない。
バンマスが金を受けとっても配分しないのだろう。
白けた雰囲気が漂う中、俺は全員の譜面立てに譜面を置いた。
「おいマネジャー! まだか!」
コロネオが苛立たしげに叫ぶ。
「ん? あんた、どっかで会わなかったか?」
「いやいや気のせいですよ。……アヴィ、ラッシュ、クマザサ」
俺は三人の少女に小さく声をかけた。
「リラックスしろ! 練習したとおりにやれば、大丈夫だから!」
「ついさっきまで、たった三時間の練習だったんですけど?」
ピアノに近い、ステージ下手のクマザサがため息をつく。
「まぁ歌詞は覚えたけどね、わたしは楽勝かな?」
上手に立つラッシュが余裕を見せる。
「へぇ? 魂で歌っても音は外さないでくださいよ?」クマザサ。
「いくよ」
センターのアヴィは冷静だ。
「クマザサ、キューだして」
クマザサは、すうっと息を吸い、指を鳴らしてカウントした。
1、2、3……。
ピアノの最初のコードが鳴る。
バンマスがイントロをしっかり弾いたあと、クマザサが歌い出す。
その透き通った声は、一瞬でクラブの中に静寂を生んだ。
風の中 光がゆれる
鳴り続ける鐘の音
誰に 別れを 告げているの?
ラッシュが歌い出す。
張りがあって力強い声がクラブの隅々まで満たしていく。
歩きだせ 旅人よ
疲れた足踏みしめ
時の 重さを 背に負って
「な、なんだこれは……?」
コロネオは呆然としてつぶやいた。
センターのアヴィが歌い出す。
その艷やかで伸びのある声は空間を一瞬で塗り替え、ステージから鮮やかな色彩が一気に広がった。
嵐に打たれ 倒れようとも
その魂が 天に召されるまで
立ち上がれ旅人よ
何度でも
ドラムとベースが入った。すぐにギターも続く。
ミュージシャンたちは俺の置いた譜面を正確に読み、音楽を生み出す。
アヴィをリードに、ラッシュとクマザサがハーモニーをつけた。
見失った夢は 胸の中にあった
絶望の衣 脱ぎ捨てて
歩き続けよう 風は 導いている
空 高く
演奏が止まる。
三人のアカペラがその場にいたすべての人の心に響き渡った。
夢の果まで!
クラブの中がシーンと静まり、誰も声を発しない。
「これは、希望の声だ……」
俺はへなへなとステージの袖に座り込んだ。
「アヴァイの歌は、奇跡だ……!」
ステージからぱちぱちと拍手が聞こえた。
バンドメンバーの拍手に、三人の少女は照れながら何度もお辞儀をしている。
「大変だ……!」
コロネオはイスからひっくり返った。
「くそっ! おい! 看板を書き換えろ! メインに入れ替えだ!」
ステージでもピアノ弾きのバンマスが躓いてひっくり返っている。
「だ、大丈夫ですか?」
アヴィが駆け寄って抱え起こした。
「いてて! あ、あんたら、持ち歌どれくらいある?」
顔を見合わせて首を振る三人。
「嘘だろ! よしこれ見て!」
抱えていた分厚い譜面の束を差し出す。
「五曲いや四曲! 通すだけでいい、今からすぐリハーサルだ!」
アヴィが振り返ってステージ袖の俺を見る。
俺はもちろん親指を立ててみせた。
「行け! アヴィ!」
「うん!」
アヴィはにっこりと微笑んだ。