第12話 身代わりでGO!
異世界の朝は早い。
俺と女たちは従業員食堂で落ち合い、気まずい空気の中、黙々と朝ごはんをいただいた。
味なんかわかんない。
うーん、これはマジできついぞ。
「さて、ゆーじ」
ラッシュがお茶を飲みながら言った。
「セクハラ勇者、モロ出し勇者、プリケツ勇者。今日からどれがいい?」
「全部やだ」
俺はムッとして答える。
「私はプリケツがちょっと可愛いかなぁ?と」
「ありがとうクマザサ。でもそんなの名乗ったら一生笑われる」
「すくなくとも女湯を覗いてたんだな?」ラッシュは厳しい。
「それは濡れ衣です。温泉なだけに」
俺は懸命に抗議した。
「絶対覗いてなんかないんだからねっ!」
「私は信じてます」
クマザサが真剣な顔で俺を見る。
「ゆーじは、鬼から私達を守るために飛び込んできたのだと」
クマザサちゃん、ええ子やー。
……でも、ちょっと違うんだけど。
「あたしがいけないの……」
ずっと黙り込んでいたアヴィが低く言った。
「……みんな、あたしのせいだわ」
「姫?」
黒猫が不安そうにピンクの顔を覗き込む。
「なにを言って」
「あたしが!」
ピンクは苦しげに首を振った。
「ゆーじを勇者だと、いえ、勇者としてしか見ていなかったから!」
「お、おい、アヴィ、どうしたんだ?」
こんなに思い詰めたようなピンクは見たことがない。
「体調悪いのか? 朝ごはんもおかわりしなかったし……」
「違うの!」
「アヴィ……?」
「あたしは! ゆーじを……勇者だとしか思っていなくて、急に抱きついたり、手を繋いだり、いろんなことをしちゃって……だからゆーじは誤解しちゃったの! だって……ゆーじは……」
アヴィは顔を真赤にして、うつむいてしまう。
「……お……男だった……から……」
へ?
あれ?
じゃぁ、俺は男として意識されてなくて、この子の頭の中ではなんか抽象的な『勇者』だったわけ? だから抱きついたり手を握ったり、平気でしてたんだ?
ちょっとショック。
しかし!
俺は男だ!
ピンクもそれを確かに目撃した!
そう!
フルオープンの俺を!
「…………」
「…………」
「なんで二人でうつむいて、真っ赤になってるにゃ?」
ラッシュは気怠げに溜息をついた。
「あーあ、どこかにいい出会いはないかにゃぁー」
「あの、黒猫さん?」クマザサが訊く。
「なんにゃ?」
「メロメロって、なんですか?」
「厨房でこっちをチラチラ見てる若い料理人たちのところに行って『朝ごはんとっても美味しかったです!』って言ってみて」
「はい!」
席を立ったクマザサは厨房のカウンターに行き、明るい声でセリフを言った。
ばたばたと男たちが倒れる。
「ある意味、魔性の女。末恐ろしいわ」
ラッシュはつぶやく。
「で、なんの用にゃ?」
「そう警戒なさらずに」
ラッシュの後ろに立った、詰め襟の服を着た男が言った。
「刃物をおしまいください」
「ふん」
黒猫はミニナイフを手の平に包んだ。
「何者だ、おまえ?」
「ここの支配人です。皆さま、貴賓室へお越しいただけますでしょうか。さる尊いお方が是非お会いしたいと……」
支配人は深々と頭を下げ、ささやくように言った。
「……ピンクランページ様に……」
宿屋の最上階に貴賓室はあった。
階段を昇ると、その階だけガラリと内装が華美になる。俺たちは真っ赤な絨毯を踏みしめて廊下の奥に進んだ。
「こちらです」
支配人が分厚い木の扉の前に立つ。
両手を使って扉をリズミカルにノックし、最後に指パッチン。
カココン! カココン! カッコンコン! パチン!
「アヴィ、なに今の?」
「え? ノックだけど?」
「指パッチンは必要なのか?」
「当たり前でしょ。失礼よ」
もうやだこの異世界。
ドアが開き、民族衣装を着た女性が頭を下げる。
「お入りください」
キラキラ豪華な部屋に入った途端、俺は怒声を上げて前に出た。
「このじじい許さねぇーッ!」
左右の壁際に並んだ武士たちがいっせいに抜刀する。
俺はラッシュに羽交い締めにされ、それでもつかみかかろうと脚でばたばた絨毯を蹴った。
「若いの、死ねば後悔もできんぞ」
豪華な椅子に座った銀色の民族衣装を着た老人が笑う。
このエロじじいめッ!
「ザンパル、何事じゃこれは?」
中央の大きな黄金の装飾椅子に少女が座っていた。金色に輝く豪華な民族衣装をまとい、美しく高貴な顔立ち。そしてその髪は鮮やかなピンク色。
そう、少女はアヴィそっくりだった。
ただひとつの点を除いては。
「ほう? こやつがあのピンクランページか?」
少女は椅子から身を乗り出し、分厚い眼鏡越しにアヴィをじろじろ見た。
「たしかに綺麗じゃが……」
そのマンガみたいなぐるぐる眼鏡で見えんのかよ!
「我よりは……不細工じゃのー!」
眼鏡ピンクは椅子にそっくり返り、高らかに笑った。
「ほーほっほっほっ!」
はぁ? なんだこいつ!
「さぁ、座るがよい」
眼鏡ピンクの手の一振りで俺たちの後ろに椅子が並べられる。
左右の武士たちは不承不承といった顔で刀を鞘に収めた。
ザンパルと呼ばれたじじいはアヴィに向かって言った。
「ウムウの港からわずか数日でガナンシャに現れるとは、魔法戦艦とは足のはやいものであるな」
「えっと、そうじゃなく」
アヴィが答える前にラッシュが声を上げた。
「用件を聞こう、辺境の王族よ!」
「な!」
眼鏡ピンクが椅子の上で跳ね上がった。
「なんじゃとぉ!」
「グラン・グラン第一皇女の皇位は凍結されたがいまだ失ってはいない。いまここで礼を失すれば、領地を手放す事になるぞ」
ラッシュは裂帛の声を放った。
「その覚悟があるのか!」
「……うううっ」
眼鏡ピンクは口惜しげにうめいた。
いいぞラッシュ、もっとやれ!
「恐れながら、王権を取り戻されることはもはや困難かと」
支配人がザンパルの横に立つ。
「ですが、ベルガメイズ第三皇女様が王位に就かれることもまた困難」
「え、ベルガが?」アヴィが不思議そうに言う。「なんで?」
「専横、圧政、そして重税。時代を逆行して暗黒王の世に戻ろうとしています。グラン・グランの経済界はベルガメイズ様を望んではいません。ですが……」
支配人は声を重くし、ピンクに視線を向けた。
「貴方様も」
ぐっ、とアヴィが息を呑む。
「予算を嵩上げされても気づかず、ずる賢い官僚どもにむしり取られて国庫はからっぽ。放漫経営もいいとこじゃったな!」
眼鏡が仕返しとばかりに言い募る。
「王家最高といわれた魔法使いでも、政治は動かせんということよ!」
「うう……」アヴィが膝に置いた手を握りしめる。
「第二皇女、レティシア様」
支配人の声が響く。
「あの方こそが、我々の希望」
「擁立する、というのか?」ラッシュが支配人をにらむ。
「時が来ればのう」
ザンパルがにやりと笑う。
「どうじゃ? その時は、共に……」
「だめ!」
突然、アヴィが叫んだ。
「レティシアは重い病気なの! ずっと安静にしてなければいけないの!」
「ふん、我の知ったことではないわ」
眼鏡ピンクは隣の席の老人に顎をしゃくって言った。
「ザンパル、どうするのじゃ? こやつを従わせるのではなかったのか?」
「はぁ?」
俺は思わず椅子から立ちあがった。
「なんだその偉そうな言い方は!」
じじいは細長い平箱から一枚の紙を取り出した。キラキラと光っている。
「ん? なんだそれ?」
「あれは精霊紙」
ラッシュが静かに言う。
「風の精霊による魔法通信。契約した相手のもとに、一瞬で届く」
ザンパルは眼を細めて言った。
「第一皇女を指名手配にするとは真紅の烈女の狼藉もいいところ。しかし事実は事実。協力を拒めば、この地にいると通報する」
「協力って、なんだ! アヴィになにをさせる気だ!」
「若いの。言っておくが結界を張る前に腕が飛ぶぞ」
ゆらりと立ち上がったザルパンから、ぞっとする殺気が広がる。
「これは交換条件じゃ。通報はしない、そのかわり」
「そのかわり?」アヴィが老人を見つめる。
「我らが主、ランラン様の身代わりになってほしい」
「ええーっ!」
俺は叫んだ。
「名前がシンプルすぎて逆に驚きーッ!」
「そっちかい!」
眼鏡のランランが顔をしかめ、俺を指差す。
「いちいちうるさい奴じゃ! なんじゃお前は!」
「男」ピンク。
「モロ出し」猫。
「プリケツ」クマザサ。
「なにを言ってるのかわからんが、いやとは言わさんぞ」
ザンパルが左右に目配せする。
立ち並んだ武士たちが刀の柄に手をかけ、鯉口を切った。
「ランラン様の代わりに、大僧正に見染められた花嫁となるのだ」
「はい?」きょとんとするアヴィ。「は、花嫁ぇ?」
「まぁ実際は、生贄です」
支配人が冷たく笑う。
「なにしろ大僧正は、この地の闇の眷属を支配する魔物ですから」
貴賓室の中に、沈黙が流れる。
「あ」
眼鏡のランランがあわててぱたぱたと手を振る。
「これ民には絶対に秘密だから! 口外したら死罪にするのでよろしく!」
「……まさか」
ラッシュが息を呑む。
「昨夜の赤鬼が?」
「初夜を待ちきれずに見に来たのでしょう。なにしろこの美貌ですから」
眼鏡ランランがふんと顎を上げる。かわいくねー!
「いや、おい、ちょっと待てよ!」
俺はアヴィとランランを交互に見た。
「交換条件になってないぞ。こっちにはなんのメリットもないだろ!」
「……ゆーじ」
ラッシュが声を絞り出す。
「ここでアイアン・ルージュを呼ばれては……勝ち目はない」
俺は固く握った拳をブルブルと震わせた。
こんな不利な条件を出されても、何もできないのか?
俺は、勇者じゃなかったのよ!
「あの、ゆーじ」
クマザサがくいくいと俺の袖を引っ張る。
「ゆーじ!」
「な、なんだ、クマザサ? どうした」
「私……新しいお館様をお護りしなければならないので」
「あ、うん?」
「返してください。あれ」
「あれって……あ」
俺はポケットをごそごそやった。
「わかった。頼む、クマザサ」
「では」
クマザサは立ち上がり、可愛い声で叫んだ。
「装着!」
三分後。
ランラン、ザンパル、支配人、武士たち全員が並んで絨毯に正座していた。
「なめてんのかてめえら! ドタマかちわるぞコノヤロー!」
黒マスクのクマザサが恐ろしい声で怒鳴りつける。
「ああ? なんか言えよ! 魔獣けしかけっぞオラーッ!」
ラッシュが泣きそうな顔で『キシャー……』とやる。
「いいか? 世の中にはやっていいことと悪いことがあんだよ! わかってんのかてめえら! おい!」
「はい、えと、すいませんでしたぁ」ランランが答える。
「声がちいせえ!」
「すいませんでしたーッ!」
「おいじじい! おまえほどの武芸者がなにクソ曲がったことやってんだ!」
「この小娘……」ザンパルが歯を食いしばる。「いわせておけば」
「はぁ? おまえの誇りはどうしたんだよ? おまえは修行を極めた漢じゃねぇのか!」
「……ぐっ!」
「極めたてっぺんから、何が見えた!」
「う!……ううっ!」
「言ってみろ!」
「…………」
「……すげえもんが見えたんじゃねぇのか?」
「!」かっと目を見開くザンパル。
「ええ?」
「と、とても、言葉では……」
「……だよな?」
「…………」
「おまえは本当に残念なバカヤローだ。……早くくたばっちまえ」
「くっ、くぅぅぅッ!」
す、すげえクマザサちゃん!
あのじじいが絨毯つかんで震えてやがる。
「もうやめて、クマザサ」
アヴィがかすれた声で言った。
「もう、かわいそうだから」
「はあ? こいつらにはこれくらい言わなきゃ」
「あたし、なります」
「え?」
貴賓室にいた全員が、ピンクの魔法使いを見つめた。
「あたし、身代わりに、なります!」
ちょっと待てぇぇぇえええ!