第11話 瞬間移動でセクシー温泉
「姫!」
ラッシュの声にぎょっとして振り返る。だが黒猫の様子はもとに戻っていた。
「魔力は弱まりました。わたしはもう大丈夫です」
「紐をほどいてあげてクマザサ。みんなで瞬間移動するよ」
「姫、早くしたほうが」
「え?」
「魔解門からの魔力のほとんどが、魔封魔符に送られているので」
「うん」
「コニーアイランドが沈みます」
「…………」
ゴゴゴゴゴゴ!
足元が激しく揺れ始める。
「わぁーっ!」
俺はピンクに駆けより、わさわさと揺さぶった。
「早く早く早く! その呪文で脱出しよう! 行き先を念じればいいんだろ?」
「そうなんだけど、えへへ」
アヴィは困ったように笑った。
「行ったことはあるけど、ちっちゃかったからよく思い出せなくて」
「思い出せぇぇぇええー!」
俺は叫んだ。
「いや思い出して! なんでもいいからぁぁぁぁぁ!」
「あはは、なんだっけなぁー、何か美味しいもの食べたような」
「美味しいものね? 美味しいもの! こんなときに食べ物かぁぁあ!」
「待てゆーじ! その食べ物から場所を思い出させるんだ!」
「よしわかった! アヴィ! どんな食べ物だった?」
ズズン! と音がして、床が傾く。
「うわぁぁぁ! 思い出して早く!」
「えっとー、熱々のスープの中にヌードルとお肉とトウモロコシがー」
「札幌だ! それ札幌ラーメンだよ!」
「スープは白くって濃厚でー」
「博多だ! 豚骨スープだ!」
「それを平たいパンでいただくの」
「どんな食い物だよ!」
「それ、パチョメンじゃねぇか?」クマザサ。
パ……突っ込んでる時間も惜しい!
「あ、そうかも?」ピンクが小首を傾げる。「ガナンシャの名物だったよね」
「行きましょう、そこに」
ラッシュが静かに言う。
「もう海水が」
トンネルから海の水がどっと流れ込んできた。
「みんな! あたしにつかまって!」ピンクが手を広げる。
俺たちは必死になってアヴィの身体にしがみついた。
「マズィカル・テレポゥ!」
なぜか巻き舌で叫ぶと、ピンクの魔法使いは赤いカードを指に挟み、空中にスペルを描いた。
「そうだ! ガナンシャに行こう!」
冗談かと思ったら、本当の呪文でした。
「どこだここは?」
俺は震えながら叫んだ。
「寒いんですけどー!」
なんか目の前にヒマラヤみたいなでかい雪の山脈がそびえている。
ネパールかチベットみたい。行ったことないけど。
「ここはグラン・グラン最北部、歴史ある古い寺院の街ガナンシャ」
ラッシュが震えながら言う。
「ちなみに今は年に一度の大祭礼の週で、どこの宿も満員と思われます」
俺たちはゆっくり振り返った。
山の斜面に広がる丸い尖塔の古い寺院が立ち並ぶ街は、大勢の観光客でごった返していた。
「ということで、今日からこの宿屋でバイトすることになりました!」
俺は女たちに向かって宣言した。
「宿はすべて満員。しかしその宿で働くなら飯も食えて寝るところもある! 街は大祭礼で大賑わい、どこも人手不足で猫の手も借りたいくらいだからな!」
ラッシュが片手を上げる。俺は無視して言葉を続けた。
「ここの支配人には話はつけてある。さぁ頑張って働こう!」
「なんか生活力があるっつうか、有無を言わさず働かされるっつうか」
クマザサがぶつぶつ言う。
「はいそこ文句言わないー! その黒マスクもとるー!」
マスクを取ったクマザサは健気な声で言った。
「私、がんばります!」
「クマザサちゃん! か、可愛いー!」
「えー、あたしはー?」アヴィがふくれる。
「くっ! メイド服さえあれば」ラッシュが唇を噛む。
「じゃあみんな食堂にいって配膳手伝って! ほらさっさと歩く!」
「ねぇねぇ、ゆーじはなにをするの?」ピンクが寄ってくる。
「俺はフロントで知的労働だ。バイトで経験済みですって支配人にアッピールしたら即採用だ。きみ達とは違うのだよ!」
「ふうーん、知的ねぇ」疑う黒猫。
「ゆーじはすごいです!」クマザサ。
「いやぁ、それほどでもぉ~」
「あたしお腹すいたー! 晩御飯なにかなー?」
「その前に働けー!」
で。
俺はいま、露天風呂の掃除をしている。
深夜だ。満月が綺麗だ。
思えば異世界に来てから、月の光の美しさをしみじみ知った気がする。
名月や、異世界の宿、風呂掃除。
ザッケンナコラー!
デッキブラシを放り投げる。
「こんなはずじゃなかったのに……!」
俺は月を見上げてしくしく泣いた。
誤算の連続だった。
俺は忘れていたのだ。
ここが異世界だということを!
フロントで宿泊客の応対を始めたのは良いが、客の名前が頭に入ってこない。
なにしろコロネオ・コオネロとかチュヂェワチェンとかハバヌーンバヒクとか憶えられるわけねーだろーが!
焦ってオタオタする俺を見て、支配人は失望した顔で即座に客室係を命じた。
客室係になったのはいいが、ドアをノックして入ったとたんに客が激怒してわめき出した。あっけにとられたが、どうも異世界だけの日常マナーがあるらしい。そんなもん知るか!
結局、賄い場のゴミ出しとか宴会場の後片付けとかの雑用にまわされ、最後は露天風呂の掃除だ。
宿泊客の入浴時間は終わり、従業員たちがひと風呂浴びては出ていく。で、俺は最後に浴場の清掃をしているわけ。
「はい終わり! 風呂入ろう」
俺は道具を片付け、脱衣場で裸になると露天風呂に飛び込んだ。
「うへあああ~」
思わず変な声がでた。
「きっもちええー!」
冷え切ったからだに温泉最高ー!
もうもうとあがる湯気の中から、夜空の満月を見上げる。
「……あいつら、うまくやれたかなぁ……」
ゆるんで眠くなってきた。眼を閉じ、鼻まで湯に沈む。ぶくぶく。
……明日は俺が、しっかり教えてやらなきゃなぁ……。
竹を並べた塀の向こうから、女たちの賑やかな声が聞こえてきた。
「わー! 気持ちいいー!」
「これは、良いにゃ……」
「温泉、初めてです!」
俺はぼんやり目を開けた。あれ、この声は?
「今日はたすかったわー! 三人ともありがとうね」
「ほんとピンクちゃん手際がいいし、黒ちゃんはオジサンのあしらいうまいし!」
「そうそう! それにくまちゃんは明るくてかわいいし!」
今度はおばちゃんたちの声だ。ここの従業員のひとだな。
「い、いやぁ~」三人で照れた声。
……なんだよ。
なんかほめられてるじゃん女たち。
ううっ! 俺はダメダメだったのに!
俺は陰険なワニのように湯から目だけ出し、静かに竹塀に接近した。
ピタリと耳を当てる。
すぐ向こうで声が聞こえる。ち、近い!
「忙しいのは明後日までだから、もうすこしがんばってね」おばちゃんが言う。
「なにかあるんですか?」クマザサ。
「え? 知らないの? 大僧正様の御幸会だよ」別のおばちゃん。
「おさちかい?」アヴィが訊く。
「広場に集まった人たちに、一年の幸運を与えてくださるんだよ」
「大僧正様に近い人ほどいっぱいもらえるんだよ」
「でも前の席は、すっごく高いんだけどねー!」
コンサートのS席かよ!
なんかちょっと……うさんくさいな。
「いいなー!」アヴィが声を上げる。「あたしも幸せになりたーい!」
ピンクはまず借金をどうにかしような。
「わたしは恐れられるのでなく……優しく愛されたい!」ラッシュの切実な声。
それならまず『キシャー!』ってのをやめような。
「あの……」
クマザサがぽつりと言う。
「しあわせって……なんですか?」
うっ!
コニーから聞いた悲しい生い立ちを考えると突っ込めない!
塀の向こうは、しーんとしてしまった。
「しあわせねぇ……」
おばちゃんたちも考えてしまう。
「よく考えたら……わかんないわねぇ」
「……でも、あんたたちみんな綺麗で可愛いし、絶対幸せになれるわよ!」
「そうよ! ピンクちゃんなんてすごくいいからだしてんだから!」
「え、ええ~? あたしなんて……」
「なに言ってんの! 肌はつやつやだし、おっぱいはおっきくてきれいだし! うらやましいわー!」
おっ! おっぱい!
「黒ちゃんもおおきくはないけど美乳よ! ツンと上向いてるし!」
おっぱいがつんと!
「くまちゃんはこれからだけど、なんか色気あるのよね。もう絶対、男はメロメロになるわよ!」
メロメロ!
「そ、そんな~」照れる三人。
俺は直立した。
もちろん湯から立ち上がったという意味だ!
竹の塀に沿って移動する。もしかして竹塀に隙間や穴があるのではないかという探索行為ではなくちょっとお湯が熱いなーのぼせそうかなーすこし冷やさないとなーという軽い気持ちからだ。
だって女湯を覗いたら完全に犯罪者だろ!
「ううむ、確かに美人ぞろいじゃのう」
横を見ると白髪のじいさんが竹塀に眼を押し当てている。
「さぁ早く立ち上がるのじゃ。その美しい女体を見せて……」
「あのー?」俺は小声で訊いた。
「なんじゃ?」
「どうやって竹に穴を?」
「指で突いた」
「できるかそんなこと!」
俺は裸のじいさんに掴みかかった。
「エロじじい! つまみ出してやる!」
「ほっほっほっ」
「あれ?」
俺はいつの間にか後ろを取られていた。そんなまさか?
「すまんな若いの。死んでくれ」
「はい?」
じいさんは後ろから俺の両肩をガシッとつかんだ。次の瞬間、俺は空中に投げ上げられていた。竹塀を越えて女湯の中に落下する。
ばっしゃーん!
「ぶふあっ!」
俺は湯を吹きながらからだを起こした。顔を上げると目の前になんか赤黒くてでかいものが立っている。
「へ?」
赤銅色のボディビルダーみたいなマッチョな身体、筋肉ムキムキ。
背の高さはどう見ても俺の倍以上。ボサボサの髪の毛に額には二本の角。
鬼でした。
「シールド!」
反射的に叫んだとたん、ガン!と凄い衝撃がきた。
岩みたいにデカイ鬼の拳が防御結界に阻まれ、目の前でブルブル震えている。
一瞬遅かったら潰されてたぞ俺!
「ほほう」
水飛沫とともにじいさんが横に立った。
「若いの、結界が張れるのか?」
「なんなんだこいつわぁぁあ!」
俺は右腕を突き出したまま叫んだ。
「哀れな魔物よ」じいさんは指を揃えて印を切った。「業火滅却の」
「伏せて! ゆーじっ!」
背後からアヴィの叫び声。
「ファイヤボール!」
俺は湯の中に飛び込んだ。
頭の上を灼熱の火球がすっ飛んでいく。
「ぶっふあっ!」
再び湯から顔を出し、右腕を突き出した。
「みんな逃げろ!」
露天風呂を囲む竹塀を突き倒し、炎に包まれた鬼が走り去っていく。
暗い木立の中を遠ざかっていく炎は小さくなり、ふっと消えた。
俺はゼイゼイと喘いだ。
なんなんだあれは?
ていうかどうなってんだいったい!
俺の横にいた爺さんもいなくなっている。
急に膝ががくがく震えだした。『死んでくれ』と言った意味がわかったのだ。
それは……。
俺を鬼の前に投げ込んで、わずかな時間を稼ぐため……!
あのじじい!
ひとの命をなんだと思ってやがる!
「ゆーじ……」
アヴィの小さな声。
「だいじょう……ぶ?」
ふう!
俺は大きく息を吐き、くるりと振り向いた。
アヴィ、ラッシュ、クマザサが湯の中で身を寄せ合い、こちらを見ている。
「みんなこそ大丈夫か?」
俺は湯をかき分けて進み、アヴィの前に立った。
「あんな化け物がでるとは、この街はいったい……」
「ひ…………」
ピンクが眼を見開いている。
「あ」
視線を落とした。
ぼくちゃん、フルオープンでした。
俺とアヴィは同時に叫んだ。
「いやあああああああああ!」
強烈なアッパーをくらい、俺は星空に舞い上がった。
……セクシーに!