8 どうして真面目に戦わないのか
「リュミド――」
「はい、ストップ」
リュミドラに先制で飛び蹴りを叩きこもうと駆けだした瞬間、サヴィトリはナーレンダに服の裾をつかまれた。大きく前につんのめる。
「飛び蹴りなんかして、もし棘につかまったらどうするのさ」
ナーレンダは先んじて指摘し、サヴィトリの文句を封じた。
「よく私が飛び蹴りするってわかったね」
サヴィトリは素直に感心する。
単純な運動能力ならサヴィトリのほうが上だ。予測していなければ止められない。
「ふん、僕を誰だと思ってるわけ」
ナーレンダは高慢に言い、サヴィトリの額を人差し指でつつく。
「ついでに――」
見覚えのある笑みがナーレンダの顔に浮かぶ。サヴィトリの記憶が正しければ、これは予備動作だ。
ナーレンダは目だけを動かす。その先にあるのは、数日前と同じく、広場の中央に鎮座した、緑の棘と黒い布きれとをまとった肉塊――棘の魔女リュミドラ。
「先制攻撃っていうのは、こうやってやるのさ!」
ナーレンダの背中から大きな青い翼が生える。正確には、蒼炎の身体を持つ鳥が生じていた。
炎の鳥はナーレンダの背を蹴るようにして一気に加速し、地面と平行を維持しながら飛翔した。獲物を狩る猛禽のような速さと獰猛さをもってリュミドラに襲いかかる。
「あはっ、ナーレちゃんは最初から本気なのねぇ」
リュミドラを守るように幾重にも棘が編まれ盾を作る。
炎の鳥と接触すると、激しい光と熱風が発生し、双方共に跡形もなく消え失せた。しかしすぐさま新たな棘がリュミドラの周囲の地面から伸びる。
「当たり前だろう。これ以上、お前ごときに費やす時間なんてないんだよ」
ナーレンダは更に間髪入れず炎の鳥を放つ。
南中を迎える前に決着をつけるつもりなのだろうか。
サヴィトリも他人のことを言えた義理ではないがナーレンダも結構脳筋で出たとこ勝負なところがある。心配性なくせにどこか大雑把だ。
(そもそも師匠が超脳筋だから仕方ないか……)
クリシュナは基本的に力でねじ伏せることしか解決法を持たない。その弟子がどう育つかは言わずもがなだ。
「そりゃあリュミリュミと遊ぶより、サヴィトリちゃんといちゃいちゃらぶらぶしてたほうが楽しいし気持ち良いものねぇ。うふふっ」
リュミドラは嘲るように目を細め、ありあまる贅肉をたぷんたぷんと揺らした。
「誰がするかそんなこと!!」
ナーレンダはあっさりと挑発に乗ってしまう。いい歳をした大人のわりに心理誘導に弱い。もっと簡単に言うと色々ちょろい。
「まぁ、そんなに声を荒らげちゃって。あれこれ理由をこじつけて手を出さなかったヘタレ野郎のく・せ・に♪」
「はぁ!?」
色素の薄いナーレンダの額に、くっきりはっきりと青筋が浮かぶ。
「その点については同意ですね」
なぜかカイラシュがリュミドラの意見に賛同した。
「手を出さなかったことにより、逆にサヴィトリ様に攻められるなんて本当に羨ましい……わたくしもサヴィトリ様と色んな所にキスマークつけ合いたい……!」
カイラシュは血の涙を流して悔しがる。
「カイラシュ! 本当にお前はどこからどこまで見てたんだ!!」
ナーレンダは火球をカイラシュの方にも投げつけた。
サヴィトリが取りなしても結局喧嘩になるようだ。
「サヴィトリちゃんはどうしてこの二人を連れてきたのかしらん?」
リュミドラは自分そっちのけで喧嘩を始めてしまった二人を見やる。
「単純に近接タイプより遠距離攻撃できる方が棘との相性いいかなーと」
「結構ドライな人選理由なのねえ」
「正直失敗だったと思ってる。今からでもヴィクラムとジェイにメンバー交代したい」
「サヴィトリ!! 人のことを失敗って言うんじゃあない!!」
「サヴィトリ様ああああああああっ!!」
耳ざとく聞きつけた二人が異議を申し立てる。
その瞬間、世界が音を立てて凍りついた。ガラスの砕けるような音がし、世界から色彩がはがれ落ちていく。サヴィトリ、ナーレンダ、カイラシュ、リュミドラの四人を残して、すべてが無彩色へと塗りこめられる。
(うだうだしているうちに南中になってしまった)
「あらぁ、何か用意してるとは思ったけど、意外と手の込んだ鳥籠ねえ」
リュミドラは縦横に棘を伸ばす。すると一定の範囲で、見えない何かに弾かれた。本当に物理的な障壁が張られているようだ。地面から棘が生えてくる様子もない。
舗装がはがれていたり、棘が張っているにもかかわらず、地面を踏んだ感触は平面だ。ちゃんとニルニラの説明を聞かなかったが、おそらく不可視の四面体の中にいるような感じなのだろう。
「お前のような十二分に肥え太った脂肪肝のカモにはお似合いだろう」
サヴィトリは腐毒入りの小瓶を取り出し、蓋を親指で弾き飛ばす。
いつものように矢を番える構えを取る。青みがかった透明の氷の矢ではなく、黒曜石のような光沢のある黒の矢が手の中に現れた。
近接武器を扱う兵には武器に直接塗布するタイプのものを、術士には術力に感応するよう調整した腐毒が配布されていた。
サヴィトリは出来うる限り連続して黒い矢をリュミドラに射かける。狙いはさほど定めない。ジャガンナータがやっていたような射撃が理想だがそこまでの技術はまだない。
黒い矢はかするだけで棘を黒く腐らせた。接触面から腐食が進んでいき、自重に耐えきれず崩れ落ちる。
中にはかすったにもかかわらず、なんの変化もないものもあった。あれがナーレンダの言っていた幻視の棘なのだろう。
「やぁん、何その汚いの。腐った蛇の匂いがするわぁ」
リュミドラは知覚する価値のない屑でも見るような目を腐った棘にむける。
「うふっ、こちらもお返しをしなくっちゃあね」
リュミドラの身体に巻きついていた棘がずるりと伸びる。蛇に似た動きをするそれは、何度見ても気持ちが悪い。
棘が不規則にうねりながらサヴィトリにだけ襲いかかる。
「サヴィトリ!」
ナーレンダは叫び、両手に蒼炎を集め始めた。渦を巻きながら炎が体積を増していく。
「また、一番の足手まといである私を狙うか」
サヴィトリは迫りくる棘を見つめた。笑わないでいるのが精一杯だった。
「ええ。過保護な子達が勝手に守ってくれるでしょう?」
「ふん。何より大事なんだから、当たり前だろう」
リュミドラを冷たく一瞥し、ナーレンダは集めた炎を放った。
渦巻く炎は螺旋を描きながらリュミドラへとむかっていく。
「ナーレちゃん、言ってることとやってることが違うんじゃなぁい?」
リュミドラは更に棘を繰って盾を編む。
サヴィトリに向かう棘は減速することなく、眼前にまで迫っていた。
「違ってなどいないさ。一度やられたことに、僕が策を講じないわけがないだろう」
それが合図となり、サヴィトリを囲うように火柱が上がった。迫っていた棘が一瞬にして炭化する。
砦に来る前にナーレンダがかけた術だ。攻撃に対して一度だけ反撃をする。
行軍の途中で抱きついてきたカイラシュに対して発動してしまったため、かけてもらうのは二度目だ。
「お力があることは認めますが、そのイキリ癖なんとかなりませんかイェル術士長殿」
蔑んだ目をしながら、カイラシュは黒い刀身の飛刀を投擲する。
「さっきからお前は僕のやる気を削ぐことしかしないね」
ナーレンダは手を払うように振るい、前方の広範囲にこぶし大の火球をばら撒く。カイラシュを巻き込むように。
(……またやり始めた)
ぷちっとサヴィトリの中で何かが切れる音がした。
十分しか猶予がないと知っていてどうして真面目にやらないのか。
サヴィトリは呼吸を整え、氷の矢をつがえた。
凍らせるのではなく、すべてを貫き、あらゆるものを凍結させるイメージを矢に乗せる。
サヴィトリの願いに応じるように氷の矢が膨れ上がる。
「全員凍って砕け散れっ!!」
「え?」
「え?」
「え?」
サヴィトリは腹の底から吠え、氷の矢を放った。前の戦いの時ほどの勢いはないが、それでも普段の数倍は大きく、まばゆい白光を放つ氷の矢がまっすぐにつき進んでいく。




