4 誓い
五人で食事をとるのはもはや習慣だ。
リュミドラとの決戦を間近に控えていてもそれは変わらない。
ジェイがそれぞれの好みに合わせて料理を用意し、ナーレンダとヴィクラムが競い合うように大量の食物を胃の中に納めていく。カイラシュは母親以上に甲斐甲斐しくサヴィトリの世話を焼く。
クベラに来てから、それがサヴィトリにとっての日常になった。
でもその日常ももうすぐ終わってしまう。
棘の魔女リュミドラを打ち倒し王城に戻れば、サヴィトリは正式にタイクーンになる。他の皆も本来の職務へと戻ってしまう。
食堂に行くと、すでにサヴィトリとナーレンダ以外の三人がそろっていた。先に朝食をとっている。
他の兵達はいない。先発隊はすでに出発していた。サヴィトリ達と同じ後発隊の者はまだ残っているはずだが、次期タイクーンと食事を共にしようと思う者はいないらしかった。
「あーあ、わたくしもサヴィトリ様から『キスして』っておねだりされたーい」
サヴィトリとナーレンダが食堂に着いた直後、先に食事を取っていたカイラシュがおかしなことを呟いた。
いや、呟いたにしては大声だった。
「朝から何を言っているのかなお前は?」
額に青筋を浮かべたナーレンダが大股でカイラシュに近寄った。もちろん右手には青い炎が灯っている。
「まあまあまあ。ナーレンダさん、今日の朝食はキャラメルソースがけパンケーキですよ。追いキャラメルもありますから必要なら言ってくださいね」
ジェイがさっと二人の間に入り、テーブルにナーレンダ用の食事を置いた。薄めのパンケーキの上に山のように生クリームが盛られ、さらにキャラメルソースが網目状にかけられている。美味しそうだがかなり甘そうだ。
ナーレンダはパンケーキを一瞥するとふんと鼻を鳴らし、おとなしく席に着いた。
ジェイは日に日にナーレンダの扱い方が上手くなっている。
「おはようサヴィトリ。いよいよ決戦だね。ちゃんと寝れた?」
ジェイはデフォルトのにこにこ顔でサヴィトリの食事も用意する。
かりかりに焼いたベーコンと半熟卵の乗った食事系パンケーキだ。バターが香るクリーム色のソースが食欲をそそる。添えられたフルーツカクテルも瑞々しくて美味しそうだ。
「寝はしただろう。首に跡がある」
ヴィクラムに指摘され、サヴィトリとナーレンダは同時に首に手を当てた。やってしまった、という顔をしたのも同時だった。
「ああああああああああなんで余計なこと言うんですかヴィクラムさん空気読んでください!! せっかく事なきを得たのに……!」
発狂したジェイがヴィクラムの肩をつかんで前後に激しく揺さぶる。
「別に寝てない! いや、寝たけど……寝たっていうか……」
黙っていればいいのに、ナーレンダは自ら墓穴を掘り進めていく。
「一晩一緒にいたにもかかわらず手を出さなかったんですよこの人。いえ、手は出しましたか。最後までやらなかっただけで。サヴィトリ様の貞操が守られたのは喜ばしいことですが……意外とヘタレですね、イェル術士長殿」
ねっとりと含みのある声音でカイラシュは挑発する。
「はぁ!? ヘタレ? 僕が? っていうかなんで知ってるんだお前は!」
簡単に挑発に乗ってしまったナーレンダは、クリームのついたフォークをカイラシュに突きつける。
サヴィトリは頭を抱えた。本当にナーレンダは煽り耐性がない。このままいくと食堂が焼け野原になる。
それよりなにより、そもそも当人の前で朝からやったとかやらなかったとか言わないでほしい。
「夜中に二人で部屋にいたなら普通手を出すだろう」
空気の読めないヴィクラムが追加で爆弾を投下した。
空気の読めるジェイがフライパンでヴィクラムの頭を全力殴打する。
「常識的に考えてするわけがないだろう! タイクーンもペダ様もいるんだ。そんな状況でできる奴の方が頭おかしいね!」
「わたくしはできることなら今すぐにでもどこででもサヴィトリ様としたいです!!」
サヴィトリはジェイからフライパンを借り受け、渾身の力を込めてカイラシュの後頭部に投げつけた。
ようやくカイラシュが静かになる。
「カイじゃなくてジェイを連れて行こうかな」
目玉焼きの黄身を潰しながらサヴィトリはぼそっと呟いた。
カイラシュは本当に昏倒しているらしく、ぴくりとも反応しない。
「俺としては嬉しいけど、あの人絶対外から結界破るからダメだよ」
ジェイは力なく笑って顔をかいた。
「あと、サヴィトリとナーレンダさんがそんな感じだろうなーっていうのは予想ついてたからいいんだけど、今度から二人揃って目立つ所にキスマークつけてくるのはやめてね」
やんわりと注意をすると、ジェイは調理場の方へと去っていった。
サヴィトリとナーレンダは顔を見合わせる。
鏡がないためサヴィトリ自身には確認できないが、確かにナーレンダの首の目立つ所に赤い跡がついている。自分にも同じ場所に同じような跡があるのだろう。
(たった一晩でこんなに周りが見えなくなるなんて恥ずかしい……)
サヴィトリは黙って付け合わせのサラダを口に運んだ。咀嚼音がやけに頭に響く。
「たとえあなたのお心がむけられていないとしても、わたくしの身体も心もサヴィトリ様だけのものです」
ふわっと柑橘の香りが漂った。
サヴィトリは思わずフォークを取り落とす。
カイラシュに後ろから抱きしめられた。薄衣をかけられたような柔らかく心もとない強さだった。
「カイ……!?」
いつものような冗談であれば力ずくで押しのけられるが、今のカイラシュには危うさのようなものが見え隠れしている。どうしても拒む気にはなれなかった。
「ですが、いつかわたくしだけを見てくださると信じています」
カイラシュはサヴィトリの咽喉に手を当て、そこからスライドさせるようにして顎を押し上げた。カイラシュと目が合う。
次の瞬間、平手打ちの勢いでナーレンダに口を塞がれた。頬にわずかにあたる指輪が冷たい。
「僕の見てる前でよくそういうこと平気でできるね」
声だけでナーレンダが怒っていることがわかる。このペースで怒っていたら近いうちに血管が切れてしまう。
「わたくしはいつも通りですよ」
カイラシュは嫣然とした笑みを浮かべる。優位を取りたいときの笑い方だ。
サヴィトリをはさんで向かい合う二人の間に火花が見えた。
どちらを選んだとしても結局いがみ合いは収まらないらしい。
(やっぱりナーレとカイじゃなくてジェイとヴィクラム連れて行こうかな)
自分がいさかいの根源であることは重々承知した上で、サヴィトリは薄情なことを考えた。
万が一リュミドラとの戦いのときにもこの内輪もめが始まってしまったら、結界の維持時間など余裕で超えてしまう。
(……まぁ、なんとかなるか)
不思議とサヴィトリには不安がなかった。
リュミドラと相対することが楽しみでもあった。良いのか悪いのか心が妙に浮足立っている。
「ナーレ、カイ」
サヴィトリは二人の名を呼び、それぞれの手を取った。三人の手を重ね合わせる。
「今日できっちり終わりにしよう。棘の魔女リュミドラとの禍根はここですべて断つ」
ナーレンダもカイラシュも驚いたような顔を見せたが、すぐに微笑みへと変わった。
「……だから、少なくとも今日はもう喧嘩はなし、ね?」
サヴィトリの提案に、ナーレンダはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。生クリームの塊を頬張る。不機嫌そうだが反論がないということは納得はしてくれたらしい。
カイラシュは仰せのままにとこうべを垂れ、食後のお茶を用意してまいりますと調理場の方へ歩いていった。カイラシュの方が素直だ。
サヴィトリは祈りの形に手を組み、指輪を額に押し当てた。
誰一人として欠けることなく勝利して帰還する。
願いをターコイズの輝石に込め、誓うようにくちづけた。




