2 おあずけ
サヴィトリは視線がさまようのを抑えられない。まばたきも不自然に増えてしまう。
やめてほしいのかこのまま続けてほしいのか、自分の鼓動の音がうるさく思考の邪魔をする。
(頭おかしくなりそうだ……)
今でさえ混乱の極みだというのに、これ以上続ければどうなるのかは想像もできない。どのように続くのかも想像の埒外だ。
だがサヴィトリの中に今までになかった欲も生まれていた。もっとカイラシュの体温が欲しいと身体の奥底がざわめいている。
サヴィトリはカイラシュの胸板に手を当て、その上から額を押しつけた。
「サヴィトリ様?」
「……うー、もしここでやめるって言わなかったらどうなる?」
「人には言えないあんなことやこんなことやそんなことをいたします」
カイラシュの手がサヴィトリの背中をゆっくりと撫であげる。
「じゃあやめる」
サヴィトリは両手を突っ張ってカイラシュを押しのけた。
予想通りの行動だったのか、カイラシュは即座にサヴィトリの腕をとって自分の首にかけさせた。慇懃な微笑みを浮かべる。
「お断りします」
「従うってさっき言ったろう!」
「意に沿わぬご命令は聞き入れられません」
「私は心からやめろって言ったんだ!」
「わかりました。これ以上くちづけはいたしません。次の段階に移らせていただきます」
「おい」
「『思いが通じ、くちづけを交わしたなら最後まで突っ走れ』がクベラの流儀にございます」
「私はクベラの流儀など知らない!」
「次代のタイクーンではありませんか」
「それとこれとは別だ!」
「では、身をもってクベラの流儀を体験していただきましょう」
「っ、どこ触ってるんだ! やめろ脱がすな!」
「寝る時はいつも全裸でしょう?」
「他人の揚げ足ばかり取って……! 何がしたいんだお前は!」
「サヴィトリ様が欲しい。それだけです」
カイラシュは急に声のトーンを落とし、請うようにサヴィトリの瞳を見つめた。
この瞳にサヴィトリは弱かった。本心で言ってるにせよからかっているにせよ、この瞳に見つめられると自分の意思などたやすく流されてしまう。
「……わかりました」
カイラシュは目蓋を伏せ、深く息を吐いた。
「カイ――」
言いかけたサヴィトリの唇に、カイラシュは人差し指を押し当ててふさぐ。
「おあずけされたほうが俄然燃えるのでどうぞお気遣いなく。その代わり……」
「その代わり?」
「今夜、一緒にいてくださいませんか。独りでは、眠れそうにないので」
カイラシュは恥ずかしそうに声をひそめて言った。
普段の要求の方がよほど恥ずかしいことを言っているのに、とサヴィトリは不思議でならない。
気弱なカイラシュには手を差し伸べずにはいられない可愛らしさがあった。
いいよ、とカイラシュにだけ聞こえる声で囁き、サヴィトリはカイラシュの手を握った。
シングルベッドは二人で寝るにはせまい。ベッドから落ちないように向かい合う形で身を寄せ合った。
相手の体温や鼓動、息遣いが伝わってくる。身じろぎするだけでベッドが軋む。
「……提案したのはわたくしですが、むごい方ですね、サヴィトリ様は」
カイラシュは指先に自分の髪を巻きつけ、ため息混じりに言った。
髪をほどいたカイラシュからは甘く瑞々しい花の香りがする。髪に使用している香油だろうか。
「シングルなんだから仕方がないだろう。カイの身長が無駄にでかいのが悪い」
「本当に、むごい方です」
カイラシュはうずめるようにサヴィトリの髪にくちづけ、身体を抱き寄せた。
(これでは寝返りも打てないな。ちょっと動いただけでも落ちそうだけれど)
サヴィトリは目蓋を閉じた。
誰かと一緒に寝るのは何年振りだろう。
子供の頃はクリシュナやナーレンダと一緒だったが、いつから一人で寝るようになったのか。
ぼんやりと記憶をたどっているうちに、意識はぬくもりに溶けていった。




