7-9 厚待遇! アットホームな職場です
「ジェイはこんな時でもいつもと変わらないんだな」
隠れ家として利用している建物の隣に、調理場と食堂が別棟で設置されていた。
以前火事を起こして半壊させてしまったため石材で造りなおした、とはドゥルグの弁だ。
食欲をそそる香りに誘われて調理場の中をのぞいてみると、予想どおりせっせと何かを作るジェイの姿があった。何かを茹でているようだ。
「だって何をしたからって今日一日で急成長する、なんて都合の良いことはないからさ。俺にできるのは平常心を保つことくらいだよ」
ジェイは喋りながら、茹でたドーナツ状の物を天パンに並べる。
「それはドーナツ、じゃないよね?」
「ベーグルだよ。茹でてから焼くんだ。あと十五分くらいかかるけど、食べてく?」
「もちろん」
サヴィトリは笑顔でうなずく。
今日はまだ何も食べていない。いつ何があるとも知れないし食べられる時に食べておかないと。
「平常心、か。この一団の中ではジェイが一番落ち着いているように見えるな」
窓の外では、羅刹が訓練をおこなっているのが見えた。ヴィクラムとヨイチが指揮をとっている。どことなく隊士達の表情がこわばっており行動が荒い。
「そう? ま、俺はサヴィトリが勝つ未来しか見えてないからね」
ジェイはさらっと言った。顔はいつものへらへら笑顔。
「簡単に言ってくれる」
サヴィトリは困ったように笑った。
リュミドラに勝てるかどうかは、正直なところよくわからない。
もし仮にサヴィトリが討ち漏らしたとしても剣聖ドゥルグや導師ペダ、他のみんなもいる。なんとかはしてくれるだろう。
「いつだってサヴィトリは無理を押し通してきたでしょ? 大丈夫だよ、俺もついてるから」
「ああ、パンの焼けるいい匂いがするな。まだ焼けないのか?」
「ガン無視ですねわかります」
ジェイは涙目になりながらベーグルの様子を見に行った。
まだ数分しかたっていないがほんのりと甘い香りが部屋の中に漂っている。
「多少膨らんでるけどまだまだだね。焼き色もしっかりつけたほうが美味しいよ。お腹すいてるなら先に何かちょっとつまむ?」
サヴィトリの返事を聞く前にジェイは何かを切って皿に乗せた。ハムのようだ。まぶしてある黒胡椒のぴりっとした香りが食欲をそそる。
「ハムまで作れるのか。さすが肉屋の息子だな」
サヴィトリはジェイからフォークを受け取り一枚刺した。かざすようにしてまじまじと見つめる。綺麗な桜色をしており既製品とほぼ遜色ない。
「これは鶏ハムだから結構簡単に作れるよ。本当はベーグルにはさもうと思ってて、だからちょっと塩味が強いかも」
ジェイは頬をかいた。おもに困った時にする仕草だが、作った料理にあまり自信がない時にもこうする。
「いただきます」
サヴィトリはきちんと両手を合わせてから、頬張るようにしてハムに食らいついた。
噛んだ瞬間に一気に口の中に肉の旨みが広がる。鶏肉とは思えないほどしっとりとしており、肉の繊維が舌の上ではらはらとほどけて消えてしまう。
確かに単品で食べるにはややしょっぱい気もするが、サヴィトリとしては好みの範囲内だ。胡椒の刺激と鼻に抜ける感じも心地いい。
「よかった。大丈夫そうだね」
サヴィトリの表情を確認し、ジェイはほっとしたように肩の力を抜いた。
「ジェイ、真面目な話なんだけれど近衛兵を辞めて私専属の調理師にならないか?」
二枚目の鶏ハムを食べながらサヴィトリはできるだけ真剣にジェイを見つめた。ハムを食べている時点で真面目さが欠けているがあまりに美味しくて止められない。
「嬉しいけどさ、俺なんかよりちゃんと王城の調理師さん達に作ってもらったご飯のほうが美味しいと思うよ?」
「完全週休二日制、祝日、年末年始休暇、季節休暇、慶弔、誕生日休暇あり。残業手当百三十五パーセント、給与改定年一回、賞与年二回(六か月分)、海外研修制度、退職金制度、様々な福利厚生完備の待遇で迎えると言ってもか?」
「いや別に俺は調理師の労働条件に問題があるって言ってるわけじゃないんだけど」
「じゃあ何が不満なんだ。たとえ技術的に劣っていたとしても私にはジェイの作る物が一番美味しい」
サヴィトリは腕組みをし、頬を膨らませた。
ジェイがそれほど近衛兵の職に執着があるとは思えない。だとすれば断る理由はなんなのか。
「……やっばい。浮かれすぎて俺明日死ぬかも」
ジェイは自分の顔をあおぐようにぱたぱたと手を振った。
「問題ない。未来の私の食の確保のためだけにジェイを守ってみせる」
「真面目に動機が不純だね。あと、『確保のためだけ』って正直が過ぎるよ。しかも男女逆な台詞だと思うんだ」
「ジェイごとき――いや、程度?に私が守れると思うのか」
「事実だけに傷付くからやめてね」
ジェイは大きく肩を落としたままベーグルの様子を見に行った。
サヴィトリは皿の上のハムをじっと見つめる。ベーグルにはさむために数枚残しておくべきか、欲望のままに食べるべきか、それが問題だ。
フォークにかじりついて悩んでいると、微かに甘くて香ばしい焼けたパンの匂いがサヴィトリの鼻先をかすめていった。匂いだけですでに美味しい。
「サヴィトリー、焼けたよー。焼きたてだから俺的には最初はそのまま食べるのがおすすめー」
ジェイはベーグルを一つ手に取り、熱さと格闘しながら半分にちぎった。
「ありがとうジェイ。いただきます」
サヴィトリもベーグルを取り、そのままかじりついた。唇や舌が火傷しそうなくらいに熱い。だが、噛んだ時のぱりぱりっとした表面の食感と、咀嚼した時のもっちり感が幸せをもたらしてくれる。
「サヴィトリは物を食べてる時はわりと素直だよね」
なぜかジェイは笑っている。
口の中の美味しさを逃がしたくないので、サヴィトリは尋ねる代わりに首をかしげてみせた。
「全部顔に出てるってこと。美味しい時だと、ほんと幸せそうな表情するじゃん。……この顔を独り占めにできるなら、サヴィトリ専属になるのもいいかも」
ジェイは目を細め、呟くように言った。
「ごめんごめん! 俺なんか恥ずかしいこと言った! 忘れて!!」
「わかった」
サヴィトリは今のジェイの言葉を頭の中から消し去った。
「……忘れてって言ったけどそこまでしなくていいよ」
ジェイは大きくため息をついた。
「サヴィトリ、このあとの予定が決まってないならベーグルサンドを羅刹の人達に差し入れに行ってもらってもいいかな。俺はこれから術法院の人達――っていうかほぼナーレンダさんのためにお菓子作らないといけないから」
基本的にサヴィトリとナーレンダの味覚は似通っている。味覚が形成される時期にナーレンダと暮らしていたせいだ。
「いいよ」
サヴィトリは軽く返事をし、残っていたハムをはさんでベーグルを食べた。ハムの強めの塩味がベーグルの甘さを引き立てる。予想どおり、いやそれ以上の味だ。噛んでも噛んでも、飲みこんだあとまでずっと美味しさが続く。
文字通りベーグルを噛みしめているとジェイにまた笑われた。
そんなに独り占めにしたくなるほど、面白い顔をして食べているのだろうか?
サヴィトリは窓に映る自分の顔を見つめたが、ただの見慣れたものにすぎなかった。




