7-8 朝は普通、穏やかなもの
ここ最近で最も穏やかな朝だった。
悪夢にうなされて起きたわけでもなく、カイラシュの度を越えた悪ふざけがあるわけでもなく、嫌な予感で目覚めたわけでもない。
自然と意識が浮かびあがり、目蓋が開く。
今日は特にすることが決まっていなかった。明日の出兵とリュミドラとの決戦を万全に迎えられるようにしさえすればいい。
(とりあえず、あの人の所へは行かないとな……)
ぼんやりと予定を決め、サヴィトリは身支度を始めた。
一人で支度をするのもひさしぶりだ。頼んでもいないのに、たいていカイラシュがやって来て、あれこれ世話を焼いてくれる。
習慣化されていたものがないと寂しい。ほんの少しだけ。もちろん口には出さない。どこであの地獄耳が聞いているかわからないからだ。
窓ガラスを姿見の代わりにし、身なりを整えてからサヴィトリは部屋を出た。
* * * * *
「まさか、お前が一人で訪うてくれるとはな」
ベッドの上の人物は、驚きつつも少し嬉しそうな表情を見せた。
相変わらず頬はこけているが、昨日よりも顔色は良さそうだった。棘の呪いが消えた分、いくらか気持ちの部分でも楽になったのかもしれない。
「もうすでに他の誰かが伝えているとは思いましたが、一応自分の口からご報告しておこうと」
サヴィトリの口調は意識せず硬くなってしまう。相当気を付けないと、父と娘の会話はできそうにない。
「明日、ヴァルナ砦へと出兵し、かの地を奪還いたします。こんな所で療養させるなどご不便をおかけして申し訳ありません。もう少しご辛抱いただければと思います」
ヴァルナ砦を取り戻さなければ、王都ランクァへとジャガンナータを送り返すことができない。
どうしても護衛に戦力を割かなければならないし、万が一、護送中にリュミドラやその他勢力、魔物等の襲撃に遭うとヴァルナ砦どころの話ではなくなる。
「よかれと思って来たが、私のほうが迷惑をかけてしまっているな」
ジャガンナータはサヴィトリから視線をはずし、細く息を吐いた。
「いえ、タイクーンの援軍があったからこそ私はこの場に立っていられます。それより何日も王都をあけてしまって大丈夫なのですか?」
まさか勝手に城から抜け出してきた、ということはないだろうが、何日もタイクーンが不在でいいものなのだろうか。
「いつもどおり影武者を寝かせてあるから問題ない」
ジャガンナータはさらっとおかしなことを言った。
サヴィトリが聞き流すべきかどうか迷っていると、ジャガンナータは悪戯っぽく笑った。
「昔から公務や式典など堅苦しいことが嫌いでな。しばしば影武者を立てて抜け出していた。数日くらいタイクーンなんぞいなくとも、クベラは滅びはせんよ」
「……怒られません?」
「補佐官には口うるさく言われたな。前任のカイラシュは更に輪をかけて四角四面で生真面目な奴だったから」
ジャガンナータの瞳がふっと遠くの方を見つめる。懐かしさと、何かそれ以外の複雑な感情が込められている気がした。
「今日はゆっくりするといい。カイラシュにもつけまわるなと言い含めてある。こんな場所・状況下で心からくつろげはしないだろうが、あまり思いつめないことだ」
ジャガンナータは遠慮がちに手を伸ばし、指先で触れるようにサヴィトリの肩を叩いた。
「はい。では、失礼します」
サヴィトリは一礼をし、静かに部屋から出た。




