1-6 朝食よりも構ってほしい
「……そろそろ構ってくださいサヴィトリ様」
カイラシュはいじけたように半熟卵をつつき、同情を誘う瞳をサヴィトリにむける。
「まぁ、構う構わないは別として、あとどれくらいでヴァルナに着くのかとか、どんな所なのかとか聞いておきたいな」
おざなりに言い、サヴィトリはパンにバターをぬって食べる。
ジェイお手製のジャムも捨てがたいが、まずはやはりバターだ。パンの余熱でじんわりと溶けたバターと、外はかりかりに焼け、中はふんわり柔らかなパンの相性は最高で、お互いの良さを最大限に引き出しあっている。
「はい、サヴィトリ様。ヴァルナの地は――」
「ここからヴァルナへは約半日もあれば着く。中規模な森林地帯で、いくつかの集落が寄り添うように生活している。……いや、数年前にそれらが合併してヴァルナ村になったんだった。王都ではいまだに『蛮族の地』とか言って忌み嫌う人も多いけど偏見きわまりないね。クベラ人は無駄に選民意識が強い奴が多くて嫌だよ。他に何か質問は?」
カイラシュの発言をさえぎるようにして、ナーレンダが流暢に答えた。
原形を留めないほど、カイラシュの顔が怒りで歪む。
「両生類サマはおとなしくお黙りになりやがってください。術の使えない術士など足手まとい以外の何ものでもありません。ただちにお帰りになってくださって結構ですよ」
というかむしろお前帰りやがれ――カイラシュの剣呑な瞳は言葉よりも雄弁に圧をかけている。
「自業自得とはいえ、サヴィトリが呪いにかかった原因の一端は僕にある。見て見ぬふりをするわけにはいかないね。できることなら今すぐにでもこの子をハリの森に強制送還してやりたいところだけど、呪いをくっつけたままクリシュナに返したんじゃあ大陸全土が未来永劫不毛の地になる」
ナーレンダは自分の発言に、ぶるりと全身を震わせた。
サヴィトリの養父であり、また術の師匠でもあるクリシュナは、「むしゃくしゃしてやった」程度の理由で一国を滅ぼしかねない人物だった。比喩や冗談でなく、次元の違う力を持てあましている。
「……本当に嫌な呪いだよ」
サヴィトリは食事の手を止め、ぽつりと漏らす。
日常生活に支障はないが、ある条件下――ナーレンダに近付くと、全身を幻視の棘に覆われ、皮膚という皮膚に穴を穿たれたような激痛にさいなまれる。
なぜ棘の魔女リュミドラがサヴィトリにこのような呪いをかけたのかはわからない。そもそも、リュミドラに狙われる理由自体もわからなかった。棘の魔女リュミドラというのは悪質な天災のようなもので、意図も理由もなくこつ然と現れ、魔物をばらまいて去っていく。大陸全土に出没するらしいのだが、ここ最近はクベラ領内に集中していた。
クベラに来るまでずっとハリの森で暮らしていたサヴィトリに、リュミドラと面識はない。
だが、リュミドラはサヴィトリのことを知っていた。「ずっと遊びたかった」のだという。
サヴィトリにとっては迷惑この上ない話だ。いきなりわけのわからない肉塊――もとい、魔女につきまとわれ、厄介な呪いをかけられた。
ナーレンダが金色のカエル姿になっているのも呪いが原因だった。なんでもナーレンダの術力に反応して棘が発生するらしい。術力を封じるために色々やった結果がこれだ。
カエル姿になってまで一緒にいてくれようとするナーレンダの気持ちがサヴィトリには嬉しい。そもそも、ハリの森を出てクベラにやって来た目的の一つは、十年近く音信不通のナーレンダに会うことだった。
「そんな顔をするな。呪いを解くためにヴァルナへ行くのだろう」
大きな手がサヴィトリの頭をそっと撫でる。
ヴィクラムだった。
「棘の魔女の後手にまわった俺にも責がある。羅刹の一部隊を預かる身として恥ずべき失態だ。たとえヴァルナで解呪の法が見つからなかったとしても、俺はどこまででも付き合う」
まっすぐにサヴィトリを見つめ、ヴィクラムは微笑む。鋭く近寄りがたい雰囲気が一気に和らぐ。
出会った当初こそ、口数の少なさと喜怒哀楽の乏しい顔に反感を覚えたが、しばらく接してみると意外に世話焼きで責任感のある人物だった。でなければ、羅刹三番隊隊長として歴戦の勇たる隊士達を束ね、彼らに慕われることもないだろう。
「ヴィクラムさんって、何気に美味しいとこ持ってく人ですよね」
給仕を終えたらしいジェイが、サヴィトリとヴィクラムとの間にずずいと割って入る。
そのすぐ後に、可視の殺意をほとばしらせたカイラシュによってヴィクラムの腕がつかまれるところを見た気がしたが、サヴィトリは努めて考えないことにした。
「俺は絶対にヴァルナにあると思うよ、呪いを解く解呪の泉。だって変態万能補佐官カイラシュさんの情報だよ。あの人かなり頭おかしいけど、情報収集能力はどの国のスパイよりすごいと思うな」
ジェイはへらへら~とした笑顔を見せ、「俺の自信作なんだからジャムも食べて食べて」とジャムをたっぷり乗せたパンをサヴィトリの口に押しこむ。
一瞬ぐっと息が詰まったが、一噛みすると爽やかな酸味と甘さが口いっぱいに広がった。サヴィトリはパンを落とさないように両手で支え、一生懸命にかぶりつく。
「癪に障る表現がいくつかありましたが、わたくしの情報は精確無比です。クベラ国内外のことから、サヴィトリ様の好物、戦闘時における癖や肌質・髪質、スリーサイズにいたるまで完璧に把握しております」
ジェイを足蹴にし、カイラシュはサヴィトリに詰め寄ってアピールする。
「余計なものまで把握しているんじゃあない!」
サヴィトリが銀のトレイでカイラシュを殴打するより先に、ナーレンダの投げた塩の小瓶が眉間に直撃した。カエル姿のわりに力がある。
「……ちなみにスリーサイズは?」
何食わぬ顔で尋ねたヴィクラムの頭にも、胡椒の瓶という名の天罰が下った。
「えーっと、とにかく今日はヴァルナにあるらしい解呪の泉にむかう、ってことでいいかな」
どう見ても収拾がつかないので、サヴィトリは無理矢理話をまとめようとした。
このままでは美味しい朝食を味わうどころではない。
あらためて思うがこのパーティーはまとまりがなさすぎる。