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Tycoon1-呪われた王女は逆ハーよりも魔女討伐に専念したい-  作者: 甘酒ぬぬ
第六章 傷跡

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6-8 見知らぬ彼

 サヴィトリが呟くように尋ねると、菫色の髪をした美女――いや、もしかすると異常に綺麗な男かもしれない。なんとなくだが――は顔をくしゃくしゃにした。人目もはばからずぽろぽろと大粒の涙をこぼす。

 突然のことにサヴィトリはうろたえることしかできない。自分でも気付かないうちに、彼女(彼?)に対して何かひどいことをしてしまったのだろうか。

 情動のまま涙する姿も見惚れてしまうほど美しい。サヴィトリは泣かせてしまったことに心が痛みつつも、うっとりと眺めてしまう。

 この人は自分の知り合いなのだろうか。こんなに目を惹く容貌の人物なら、記憶に色濃く残るに違いないのだが。


「サヴィトリ様……」


 菫色の髪の麗人は、濡れてなお蠱惑的になった深紅の瞳でじっとサヴィトリを見つめる。

 サヴィトリは数秒ともたず目を逸らしてしまった。あまり長い間見ていると何かに呑まれそうになる。

 思ったよりも麗人の声は低く、どちらかといえば男性的だった。いよいよ性別がわからなくなってくる。


「あの、大丈夫ですか?」


 かけるべき言葉が見つからず、サヴィトリは当たり障りのないことしか言ってあげられない。

 自分が「サヴィトリ」であることは覚えている。だが、目の前の人物の名前や自分との関係はわからない。そもそもここがどこで、今が一体どのような状況なのかもあやふやだ。


「サヴィトリ様……!」


 麗人は再びたおやかにサヴィトリの名を呼び、すがるようにサヴィトリの腕をつかんだ。そこから遠慮がちに背中へと腕をまわし、サヴィトリの濡れた身体を抱きしめる。

 サヴィトリの鼻先にふわりと柑橘類の香りがかすめた。妖艶な雰囲気とは裏腹な柑橘類の爽やかさが、かえってサヴィトリを困惑させる。


(この匂いは知っているような……)


「サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様!」


 麗人は懸命に呼びかける。先ほどからサヴィトリの名前しか言葉を発していないが、それしか喋ることができない、というわけではないだろう。

 サヴィトリはなんとなく居心地の悪さを感じた。おそらく「様」という敬称をつけられているせいだ。記憶の有無にかかわらず、生来、かしこまったことをされるのが苦手なのだ。


「あのー、できたら様付けはしないで――」

「サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様!」

「すみませーん」

「サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様、サヴィトリ様!」

「……聞いてます?」

「サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様!」

「……おい」

「サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様サヴィトリ様――」


「――うっとおしいぞ、カイ!!」


 サヴィトリはカイラシュの胸倉をつかみ、怒号とともに背負うようにして投げ飛ばした。

 綺麗な弧を描き、カイラシュの身体が地面に叩きつけられる。

 サヴィトリは大きく肩で息をつき、肺の中に空気を落としこむ。深く呼吸をするたびに、流れ出てしまっていたものが呼び戻される。

 たった数分とはいえ、よくもこんなアクが強くて印象深すぎる男のことを忘れていたものだ。


 タイクーン補佐官カイラシュ・アースラ。

 ド過保護でドSMでド変態。

 けれど、今までサヴィトリのことを支えてくれた大事な人だ。


(……大事? うん、いや、まぁ、大事だな。多分。きっと。そのわりには手荒な扱いしかしていない気もするけれど)


「サヴィトリ様‼」


 何事もなかったかのように跳ね起きたカイラシュは全力の笑顔を見せた。サヴィトリには、ぱたぱたと盛大に左右に揺れる犬の尻尾の幻影も見えた。


(おっと……これは、逃げよう)


 第六感が警鐘を鳴らし、脳が逃走命令を発する。

 しかし一手遅かった。

 カイラシュはサヴィトリに飛びつき、木の幹にしがみつくコアラよろしく、両手足でしっかりとホールドした。

 カイラシュの全体重がかかったが、サヴィトリは気合で踏みとどまった。膝を軽く曲げて腰を落とし、下半身を安定させる。押し倒されるのだけは御免こうむりたい。

 そんなサヴィトリの苦労も知らず、カイラシュは頬ずりの洗礼を容赦なく浴びせかける。


「あぁんっ、サヴィトリ様! サヴィトリ様ったらサヴィトリ様! ほんの数分のことではありましたが、このカイラシュめをお忘れになるなんてあんまりです! 地獄に突き落とされ、筆舌に尽くしがたいあらゆる責め苦を受けたかのような心持ちでございました。今後、二度とこのようなことが起こらぬよう、しっかとわたくしを再調教してくださいませ。ちなみに調教と教育の違いをご存知ですか? 動物に施すのが調教。人間に施すのが教育です。さ、わたくしをいやしい犬畜生だと思って無慈悲かつ鮮烈に躾けてください! 縄も鞭も首輪も蝋燭も用意してございます。なんなら三角木馬も今ここでちゃちゃっと作って――」


「……わかった。望みどおり躾けてやる」



***しばらくおまちください***



「――ふぅ。今回はいちだんと激しかったですねサヴィトリ様。わたくし危うく三途の川で六文銭を支払うところでした」


 調教後のカイラシュは、澄みきった青空よりも清々しい表情を浮かべる。


(化け物かこいつは……? いっそ泉に突き落としてやったほうがお手軽簡単に綺麗なカイにできたかもしれない)


 サヴィトリは徒労感に押しつぶされそうになる。

 カイラシュの悪ふざけなど放っておけばいいとわかっているのに、どうしても手足が先に出てしまう。

 もしかするとサヴィトリのほうが、そうするように、カイラシュに躾けられてしまっているのかもしれない。


(いや、それを認めたら負けだ。人間として)


 サヴィトリの身体が悪寒で震える。


「申し訳ありませんサヴィトリ様、いつまでもそのように濡れたままでいては寒いですよね」


 サヴィトリの震えの理由を勘違いしたカイラシュが心配そうに顔をのぞき込んでくる。

 カイラシュに指摘されてから、自分が全身ずぶ濡れだということを思い出し、サヴィトリは遅まきながら冷たさを感じた。悪寒の理由はこれも一因かもしれない。


「わたくしとしたことが突然のことに慌てていたため、調教道具セットは完備していたのですが、お着替えのほうはうっかりさっぱり忘れておりました」


 サヴィトリは色々とつっこみたいのをぐっとこらえる。

 カイラシュが物欲しそうな寂しそうな顔をしていたが見ないふりを突きとおす。

 だがカイラシュもめげない。


「なのでサヴィトリ様、わたくしから提案がございます。ここはひとつ、肌と肌を重ね合いしっとりねっとり温めるという王道展開でもいたしませんか? サヴィトリ様の濡れた御髪を見ているだけでわたくしの身体のあれやそれが熱く――」


 服の中に手を入れ、腰をなすりつけようとしてきたので、サヴィトリは自己防衛のために拳を振るわざるをえなかった。

 ここまでくるとカイラシュの行為はただの痴漢と変わりない。セクハラではなく強制猥褻だ。


「服は村に戻ればどうとでもなるだろう。帰ろう、カイ」


 倒れてびくびくと痙攣しているカイラシュに、サヴィトリは一応声をかけた。


「はい、サヴィトリ様」


カイラシュは三秒で起きあがり、嬉しそうに微笑んだ。


「……あ。カイ、ちょっとしゃがんで」


 サヴィトリが頼むと、カイラシュはすぐさまなんの疑問もなく膝を曲げた。

 ふと、どこまでサヴィトリのお願いや命令を無条件で聞いてくれるのだろうと思ったが、実験するのはあまりに趣味が悪い。

 努めて頭の中から追い出した。

 サヴィトリは手を伸ばしてカイラシュの顔に触れた。親指の腹でこするように、頬についた白いものをぬぐう。

 カイラシュが立ったままでも届かないことはないが、しゃがんでもらったほうが顔がよく見える。


「サヴィトリ様?」

「頬に涙の跡が残っている」


 サヴィトリが微笑むと、カイラシュは少しだけ恥ずかしそうに目線を逸らした。


「なにも泣くことはなかっただろう」


 サヴィトリは半ば呆れ、半ば嬉しく思った。口が裂けてもカイラシュには教えてやらないが。


「サヴィトリ様に忘れ去られるより悲しいことなどありません」


 カイラシュの深紅の瞳が再び潤む。

 また泣くところを見たい、とサヴィトリの中で加虐心が疼く。完全にカイラシュの悪影響を受けてしまっているようだ。我ながら気持ちが悪いと思ったが、一度自覚してしまったものを否定はできない。


「そんなにカイがしおらしくなるなら、記憶喪失もたまにはいいかもしれないな」

「サヴィトリ様!」


 サヴィトリは舌を出して見せ、踵を返して歩き出した。これくらいの意地悪なら言ってもいいだろう。

 ぶちぶちと文句を言いながら、半歩あとにカイラシュがついてくる。


 泉のある場所から出る際、血みどろにされたアイゼンのような何かが視界の端に映りこんだが、サヴィトリはあえて見なかったことにした。

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