6-6 再び、ヴァルナ村
最初に訪れた時と違い、ヴァルナ村はしんと静まり返っていた。前回のアレが異常であっただけで、これが本来の姿なのだろう。
サヴィトリは羅刹の幕舎から堂々と拝借した軍馬から降り、労わるように青毛の身体を撫でてやった。手綱を引いて村の中を歩く。
羅刹に躾けられているにもかかわらず頭の良い馬だった。名は「キスイ」というらしい。馬の世話をしていた隊士が、「お願いですからキスイにだけは乗っていかないでください!」と半泣きで騒いでいたが、馬――キスイのほうからサヴィトリに駆け寄ってきたのだから仕方がない。
乗馬経験の少ないサヴィトリを振り落すこともなく、むしろ思いに応えるように懸命に駆けてくれた。勇敢な性格で獣道や魔物をものともしない。おかげで想定よりも早く到着することができた。
「お嬢様……じゃなくて、サヴィトリ様!?」
キスイを休ませる場所を探していると声をかけられた。
村のジューススタンドで働いている、村長の娘ユーリスだ。彼女には様々な迷惑をかけてしまった。にもかかわらず、気安く家を宿代わりに貸してくれたりなど世話を焼いてくれた。父親のしたことに対する贖罪なのかもしれないが。
「お一人でどうかしたんですか? 忘れ物とか?」
「いや、また急に泉の水が必要になってしまって。申し訳ないが、どこか馬を休ませられる場所はあるだろうか?」
「あ、よかったらウチ使ってください。使ってない厩舎ありますし」
ユーリスは笑顔で応え、サヴィトリの返事も聞かずに先導する。
一瞬だけ迷ったが、サヴィトリはあとをついて行くことにした。
わざわざ断る理由もない。それに事態が事態なので、ここは感謝して素直に甘えておこう。
「あの、サヴィトリ様。話は変わるんですけど、いいですか?」
ユーリスは背中をむけたまま言った。
何を言おうとしているかはわからないが、言いづらいことだというのはわかる。
「いいけれど、その前にこちらも一ついいかな?」
サヴィトリは歩みを速めてユーリスの隣に並んだ。キスイも素直についてくる。
「できれば、『様』をつけないでほしい。苦手なんだ。これから嫌ってほど様づけで呼ばれるだろうから、せめて今だけは」
「……タイクーンって、もっと超然としていて、嫌な人なのかと思ってました」
ユーリスは目をしばたいた。
口調に悪意はない。純粋に疑問に思っているようだ。
「まだちょっとだけ、ヴァルナ族に対する迫害があるんです。だから、私も本当は金髪なんだけど染めてるんです。金髪緑眼なんて、どっからどう見てもヴァルナ族だから」
ユーリスは明るい栗色の髪を指でつまんで見せた。言われても気付けないほど違和感なく染まっている。
「サヴィトリ様はその迫害の原因を作った国の人でしょう? 父があなたにしたことは本当に許せないことだけれど、ざまあみろ、ってほんの少し、ほんのちょーーーっとだけ思ってました。ごめんなさい」
サヴィトリの思っていた以上に、ヴァルナ族への偏見や迫害は根の深いものらしい。
クベラから離れて暮らしていたサヴィトリには想像が及ばない。サヴィトリが暮らしていたハリの森はほとんど人が訪れないというのも一因だろう。
一番近くの町である商業都市トゥーリも、三国すべての物や人が集まる場所であったため、様々な種族が雑多に暮らしていた。そこにあるのは貧富の差だけで、外見や生まれた国や地域での差はなかったように思う。
「でもサヴィトリ様もヴァルナ族で、だけどクベラの王女様で、あたしと同じ金髪緑眼なのに、それを全然隠そうともしないで堂々としてて……あー、もう何言いたいかわかんなくなってきた!」
なぜかユーリスは頭を抱えてしまった。
サヴィトリとしては、単純に様づけをやめてもらいたかっただけなのだが。
「ユーリス、さん?」
「あたしのことも呼び捨てでいいです。サヴィトリちゃんは、たまたまヴァルナに観光に来た女の子で、タイクーンに即位するまであたしはそれに気付かなかった――って思いこむことにします」
ユーリスは何か納得したように自分の手のひらをぐっと強く握りしめた。
「ヴァルナ族だクベラだタイクーンだなんて、変にごちゃごちゃ考えるからいけないんですよね。そんな面倒なことは国の偉いおじさん達が考えればいいんですもん。サヴィトリちゃんだって身分隠してぱーっと遊びたい時くらいありますもんね。あたしもいろんな所に行って、いろんな人に出会って、いっぱい素敵な体験したいですもん」
ユーリスの考えはどこか明後日の方向へ飛躍してしまったようだ。害はなさそうだし、無理に訂正する必要もないだろう。
「ところでユーリス、私に何か話があったんじゃないのか?」
サヴィトリは話の方向を無理矢理ねじり戻した。ユーリスには申し訳ないが急ぎの用事がある。
途端にユーリスの顔がくもった。
「……怪我をした兵士さんのことです」
悪い話、で確定だ。
「もしかして、亡くなったのか?」
「いえ……その、なんて言ったらいいか……」
ユーリスは言葉に迷っているようだった。うまく説明できる状況ではないのかもしれない。直接見たほうが早そうだ。
ユーリスの家の厩舎にキスイをつなぎ、サヴィトリとユーリスは足早に兵士が休んでいる部屋へと向かった。
それ自体にはなんの罪もないが、蔦と棘のある植物――いや、植物全体が嫌いになるかもしれない。
ベッドに横たわる兵士とジャガンナータの姿とがだぶって見える。
自身も傷を負いながら、ヴァルナ砦陥落の一報を伝えてくれた兵士もまた、幻視の棘に巣食われていた。身体のほぼ半分が覆われてしまっている。
「棘だけでもどうにか抜いてあげたいんですけど、全然触れなくって……」
「不用意に触らないほうがいい」
棘に向かってユーリスが手を伸ばそうとしたため、サヴィトリの語調が思わずきつくなってしまった。
「私も同じように触ろうとして怒られた」
サヴィトリは努めて笑みを作る。
「もしかしたら、彼の棘も泉の水で消せるかもしれない。私の知り合いも同じ症状で、それを治すために水を採りに来たんだ」
見たところジャガンナータよりもこの兵士の方が棘の進行が早く、身体自体の衰弱も激しい。できれば彼も隠れ家に連れていき術法院の治療を受けさせた方がいいのだろうが、サヴィトリひとりでは道中で容態が急変した時に対処できない。
死力を尽くして伝えに来てくれた彼のためにも、一刻も早く水を手に入れてこなければ。
「水天様の洞窟ならあたしも一緒に……」
「いや、ユーリスは彼の看病をしていてほしい。あと私の連れが遅れて来るかもしれないから、その時の道案内を頼みたいんだ。世話をかけてすまない」
洞窟に行って水を汲んでくるだけだが、あそこにはアイゼンがいる。
ユーリスが金髪緑眼だというなら、矛先が彼女にむくことも充分ありうる。
それともう一つ、戻れなくなった時の保険をかけておきたい。何度も遅れをとるつもりはないが万が一、ということもある。
最初から複数人で来るべきだったが、飛び出した時はそんなことを考えられる精神状態ではなかった。
もし後を追って来るとすれば、機動力の高いカイラシュかジェイだろう。ジェイならまだいいが、カイラシュのお説教は長そうだ。
「つらいと思うが、少しの間耐えてくれ」
サヴィトリは名も知らぬ兵士の肩に手を置いた。




