6-3 恋とはどんなものかしら
「……ようやく女の子だけになりましたわね」
胡散くさい含み笑いをし、ル・フェイが眼鏡のブリッジを押しあげた。
発言するタイミングも部屋を出るタイミングもつかめなかったのか、ニルニラもまだ部屋に残っている。
「ル・フェイさん?」
サヴィトリにはル・フェイの意図が読めない。何か用があるのだろうか。
嫌な予感でもするのか、ニルニラがこっそりと部屋から出て行こうとしている。サヴィトリは道連れにするために服をつかんで引きとめた。
「サヴィトリさん」
姿勢を正し、きわめて神妙な面持ちでル・フェイは名前を呼ぶ。
「はい」
「ぶっちゃけ本命はどなたですの?」
「……はい?」
既視感。以前にも、誰かに同じような質問をされた気がする。
「補佐官カイラシュ・アースラ、羅刹三番隊隊長ヴィクラム・キリーク、近衛兵ジェイ、そして我らが術法院術士長ナーレンダ・イェル。タイプは全員ばらばら。まぁ、一番空回りしているのはうちの術士長ですけどね。サヴィトリさんがあと一日――いえ、数時間でも目覚めるのが遅かったら一人で棘の魔女の所に特攻していましたわね絶対。サヴィトリさんの身体に絶対傷を一つも残すなとか、まがりなりにも上司であるキリーク導師に無茶をしいるし。もし導師がいらっしゃらなかったら、回復術使える者全員、あやうく焼死するところでしたわ。常識的に考えて傷まで完全に消すとか無理ですもの」
ル・フェイは一気にまくしたてると、やれやれとでも言いたげにため息をついた。情報量が多くてサヴィトリの処理が追いつかない。
「その話、将来になんの楽しみもない哀れなこの老いぼれにもこそっと教えてくれんかのう? 絶対誰にも言わんから。ね、ね、ちょこっとだけならいいじゃろ、ちょこっとだけ!」
ニルニラの服をつかんでいたはずの手が、誰かに握られる。さっき部屋を出て行ったはずのドゥルグだ。いつの間にかニルニラの姿はない。
(間違いなく情報漏洩しそうなんだけど……)
ドゥルグから羅刹の隊士に伝わり、あっという間にクベラ国内外に情報が巡る未来がサヴィトリの脳裏に浮かぶ。
「……本命もなにも、よくわかりません。そんなの」
サヴィトリは髪をくしけずるように頭を押さえ、息を吐いた。偽りでもごまかしでもなく、それが今のサヴィトリが出せる最大限の答えだった。
ル・フェイとドゥルグは目を瞬き、互いに顔を見合わせた。数秒見つめ合った後、示し合わせたように同時にサヴィトリに視線を戻す。
「『好き』と一口に言っても色々な種類がありますよね。あんまり良いたとえではないんですけれど、食べ物で言えば、主食のように毎日食べても飽きない物だとか、時々無性に食べたくて仕方がなくなる物とか。あとは、食べられなくなると知ったら急に惜しくなったり、以前は嫌いだったけれど何かをきっかけに好きになったりとか。どれも『好き』であることには変わりないけれど、意味合いはまったく違う。そのどれが、みんなの言うところの本命なのかは、私にはまだわかりません」
サヴィトリは自分の説明下手さ加減に軽い頭痛を覚えたが、他に伝えようがなかった。
「ふぅむ、なるほどのぅ」
ドゥルグは腕組みをし、サヴィトリの瞳をじっと覗きこんだ。ドゥルグの視線は柔らかいが、妙に落ち着かなくなる。
「ようはお嬢ちゃんの心持ち一つだとワシは思う。食べ物であれば、何をどれだけ食おうが誰も文句は言わん。食い方によっては、不快感を催すこともあるがの。だがお嬢ちゃんも知ってのとおり、人間はそういうわけにもいかん。欲望のまま好きなだけ食い散らかすのは人としての信義に反する」
「信義、ですか」
相手の信頼に応え、正しいおこないをすること。
耳の痛くなる言葉だ。余裕のなさを言い訳に、今まで自分ばかりを優先し、相手のことを考えたことなどあっただろうか。
「あくまでワシ個人の意見、じじいの戯言じゃよ。ま、複数を平等に、相手に不満を感じさせないくらい愛せる、というなら何股をかけようともアリじゃが」
ドゥルグは声の調子を明るくし、茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせた。
「歴代のタイクーンは一夫多妻であることが多かったですからね。サヴィトリさんが一妻多夫でもなんの問題はありませんわ。まぁ、あの女装補佐官とイェル術士長は発狂しそうですけれど」
ル・フェイは口元に手を当て、ほほほと意地悪く笑う。
「ん? おぬしはペダの秘蔵っ子を推しておるのではないのか?」
「圧倒的アドバンテージがあるにもかかわらず、現状抜きんでていないだなんて呆れて言う言葉もありませんわ」
「いつの世もおなごはおそろしいのう……」
(しかし、なんでみんな人の好きとか嫌いとかそういう話に興味があるんだろう)
サヴィトリは頬杖をつき、こっそりとため息をついた。
(次期タイクーンの結婚相手になるかもしれないから? そう考えるなら、わからなくもない……か?)
自然とサヴィトリの頭がかたむく。悩みや疑問が質量を持っているかのようだ。
「――おお、そうじゃそうじゃ。もしも体調がよければ、お嬢ちゃんに一つお願いがあるんじゃが、どうじゃろう?」
ぽんと手を叩く、という古典的な動作をし、ドゥルグは何か企みがありそうな視線をサヴィトリにむけた。
「内容にもよりますが……」
「いやなに、羅刹の幕舎に顔を出してもらえんかと思うてな。皆、お嬢ちゃんのことを案じていた。少しだけでも姿を見せてやってもらえるとありがたい」
ヴィクラムや総隊長のドゥルグだけでなく、羅刹の隊士達にも色々と世話になっている。サヴィトリに断る理由などなかった。
サヴィトリが快諾すると、ヴィクラムをむかえによこすからそのまま待っていてくれと言い、ドゥルグとル・フェイは足早に部屋から去って行った。どことなく不自然な感じがするが、その正体はサヴィトリにはよくわからない。
(まぁ、いいか)
数日ぶりに歩くのだからヴィクラムが来る前に柔軟でもすましておこう、とサヴィトリはベッドからおりた。ぽきぽきと身体の色々な所から音がする。
今日何度目かわからないため息をつき、サヴィトリはひとまず、大きく伸びをした。




