5-13 羅刹零番隊
違う。
熱さがあるうちは、まだ生きている。まだ終わらせない。
サヴィトリは左手を握りしめた。
なぜそうしたのかは、自分でもよくわからない。唯一動かせる場所だったから、というだけの気もする。
「往生際が悪いのね。でもそういうの、人間らしくって好きよ」
サヴィトリの微かな動きに、リュミドラが目ざとく気付いた。
棘の締めつけが若干だが弱まる。
「ねぇ、サヴィトリちゃん」
初めて、リュミドラ自身が動いた。
のそのそとサヴィトリに歩み寄り、頬に手を当てる。意外なほど、温かな手だった。
「どうしてそんな、身に合わない氷術なんか使うの? あなたの本質はまったく別でしょう。アタシが欲しいのは――」
突然、地面が揺れた。
身体のバランスが悪いリュミドラは大きくうしろに倒れこみ、そのままごろごろと転がった。
「なんなのよ、もうっ!」
自力で起きあがれず、リュミドラは手足をばたつかせる。
更に揺れが激しくなり、リュミドラの足の間の地面から円錐状の岩が生えた。それを皮切りに、次々とあたりに岩が隆起する。何体もの魔物が岩の錐に刺し抜かれ、絶命した。
「これは……!?」
地揺れが終わると同時に、空に無数のきらめきが現れた。星にしては時間が早すぎる。
目を凝らしてみると、きらめきは矢尻だった。雨のように矢が降り注ぐ。岩の錐を避け、生き残っていた魔物を地面に精確に縫い止めた。
数撃てば当たるだろうと闇雲に放ったのではなく、明らかに狙って撃っている。サヴィトリには一本もかすっていない。
岩のせいで見えないが、もしリュミドラが倒れたままなら、さぞグロテスクな針山ができあがっていることだろう。
「つらい思いをさせてしまってすまんのう、お嬢ちゃん」
両手足を支えていたものがふっと失われ、サヴィトリの身体が落下する。
目をつむり、地面に打ち付けられる痛みと衝撃とを覚悟していると、硬い何かに抱きとめられた。
サヴィトリはおそるおそる目を開く。
どこかで見覚えのある顔があった。
白髪の初老の男。身体つきこそ筋骨隆々でたくましいが、全体的な雰囲気は柔らかく、親しみやすいお爺さんといった感じだ。
それに、サヴィトリのことを「お嬢ちゃん」と呼ぶのは――
「羅刹の……!」
白髪の男は悪戯っぽくウインクをし、サヴィトリの身体をそっとおろした。
地面に突き立てていた巨大な剣を引き抜き、岩にむかって振りおろす。水を切るようになんの抵抗もなく刃は進み、岩が真っ二つに割れた。
割れた岩のむこう側には、不機嫌そうに眉をつり上げたリュミドラの姿があった。
どうにか無事に起きあがれたようだ。尻に何本か矢が突き刺さっているが。
「ずいぶん派手に暴れてくれたのう、棘の魔女よ。ここからは、羅刹総隊長兼零番隊隊長ドゥルグ・ジウラクがお相手しよう」
大剣を肩に担ぎ、白髪の男は高らかに名乗りをあげた。
ドゥルグはヴィクラムの直属の上司だ。不世出の剣士であるヴィクラムをして憧れと言わしめ、剣聖とも称されている。これ以上頼もしい援軍はいない。
「一人で格好つけるな、ドゥルグ! 俺もすぐに行くから少し待っていろ!」
上の方から男の声が降ってきた。声の発生源を探すと、弓矢を背負った男が屋根から降りようとしているのが見えた。
「弓使いはおとなしく遠くからちくちくやっとれ! 貧弱病人のくせに前衛に出しゃばるなジャガンナータ!」
「うるさい! 腰痛痛風糖尿持ちの後期高齢者が! お前こそおとなしく隠居でもしていろ!」
屋根から降りてきたのは、褐色の髪をした男だった。ドゥルグよりは若いように見受けられるが、病的に頬がこけているため正確な年齢はわからない。
サヴィトリはこの男を知っている。だが、決してここにいるはずのない、いてはいけない人物だった。
そんなサヴィトリの胸中をよそに、ドゥルグとジャガンナータは口論を続ける。
「ワシはまだまだ現役じゃもんねーだ。腰痛になるほど腰を使っておるんじゃ。羨ましかろう羨ましかろう?」
「色ボケ爺が! 介護されているのを都合よく解釈しているだけじゃないのか? さっさと棺桶に入れ!」
「じゃかしいっ! 隊士がワシに命令するな! 零番隊で一番偉いのはこのワシじゃ! 導師だろうが大師だろうがタイクーンだろうが黙っとれ!」
「一人娘の危機に黙ってなどいられるか!」
「何を今さら、この根性なしのロリコンヘタレ親父が!」
「黙れ出歯亀クサレ脳筋!」
口論はつかみ合いにまで発展してしまった。
サヴィトリはどうすればいいのかわからない。
リュミドラも同じらしく、所在なさげに髪をいじり倒している。
「もー、やめなよ二人ともー。威厳がないよー。いい歳なんだから、最初からそんなに張りきると息切れするよー?」
また新たに初老の男が現れた。
こちらは初めて見る顔だ。白髪混じりの栗色の髪をしており、右目につけた色つきの片眼鏡が目を引く。
ドゥルグとは対照的に、細身で学者然としている。
『ペダは黙ってろ!』
ドゥルグとジャガンナータはハモるほど息ぴったりに怒鳴りつけ、喧嘩を再開した。
「本当に二人は仲が良いなぁ。ごめんねえ、サヴィトリちゃん。色々びっくりしたでしょう?」
ペダと呼ばれた男は困ったように笑い、サヴィトリの右手に手をかざした。
ペダの手から白くぼんやりとした光が生じ、みるみるうちに傷をふさいでいく。
「これは応急処置だから、無理しちゃだめだよ」
肩の傷にも手をかざし、同じように治癒の術を施す。ナーレンダも回復術を使うが、それよりも遥かに効果が高い。
「あなたは……?」
「あ、そういえば直接顔を合わせるのは初めてだったねー」
ペダは頭を軽く下げ、優しく笑ってみせた。
「いつもうちのラムちゃんとナーくんがお世話になってます。術法院のペダ・キリークって言えばわかるかな?」
導師ペダ・キリーク。
ナーレンダが所属している術法院の最高責任者。また、ヴィクラムの父親でもある。
サヴィトリは頭が割れるほどの頭痛を覚えた。
クベラの核である人物が三人も来るなど前代未聞だ。
羅刹総隊長ドゥルグ・ジウラク。
術法院導師ペダ・キリーク。
サヴィトリの血縁上の父で、当代のタイクーン――ジャガンナータ。
「私を含めて、みんな悪ふざけが好きでねー。昔、私がまだただの術士で、ぐっさんがならず者の隊士で、ガンさんが放蕩王子だった頃、遊び半分で遊撃隊を作ったんだよ。ここにはいないけど、もう一人、クリリンと一緒に四人で。それが羅刹零番隊」
ペダは懐かしそうに目蓋を伏せる。
良い思い出なのだろうと、容易に感じ取れる表情だった。
「確か『零』が格好良いとかいう、わけのわからん理由じゃったな。いつまでたってもクリシュナのセンスは理解できん」
喧嘩の手を止め、ドゥルグも感傷的に呟いた。
「クリシュナって、もしかしなくてもうちの師匠ですか?」
サヴィトリの問いに、ドゥルグはにやりと笑って応えた。
「あやつは副隊長のくせに引きこもってばかりおる。まったく、今日の招集も無視しおってからに。一度、皆で森まで殴りに行かねばならんのう」
「そろそろいいかしらん、老い先短いおじ様方?」
痺れをきらしたリュミドラが呆れたような声をあげた。
今まで律儀に我慢していたことが地味にすごい。
「『年寄りの冷や水』ってまさにこのことよねぇ。ご老体は、仲良く温泉にでもつかっているのが良いんじゃなぁい?」
威嚇するように棘が激しくくねる。
大剣を担いだドゥルグがリュミドラの正面に立ち、すべての威圧を受け止めた。
「ほっほ、こいつはちとグラマラスすぎるのう。若人には荷が重かろうて」
揉むように顎髭を撫で、ドゥルグは斜に構え、剣先を後方に下げた。年齢に見合わない俊敏な動きで駆け、地面をするように斬りあげる。
リュミドラは重い斬撃を数本の棘で受け止める。が、すべて切り裂かれた。当たりこそしなかったが、剣風がリュミドラの髪を一房散らした。
「女にとって髪は命なのよん。責任取ってもらえるかしら、おじいちゃん?」
リュミドラの巨体が後方に高速移動する。棘に自分の身体を引っぱらせたようだ。
リュミドラを守るように、新たに緑狼と緑蜂が現れる。
「せめて、あと十年若かったら責任を取ったんじゃがの。今は死んだ婆さんに操を立てておる。あの世に逝った人間は裏切れん」
ドゥルグはかっかと豪快に笑う。
頭上で大剣を振りまわし、魔物の群れにむかって突撃した。
「サヴィトリちゃん、悔しいかもしれないけれど、今はいったん退こう。外にいたラムちゃんとカイくんが退路を作ってくれてる」
ペダの提案に、サヴィトリは素直にうなずいた。
今はドゥルグが押しているが、すぐに押し返されるだろう。
棘と魔物。その二点を封じなければ物量で圧倒される。
「歩けるか……サヴィトリ?」
ジャガンナータが、躊躇いがちに手を差し伸べてきた。土気色をした、骨と血管の目立つ弱々しい手だ。
サヴィトリはわざとらしく背をむけてしまう。
「結構です、タイクーン」
やはりまだ馴染めない。
決してジャガンナータのことを恨んでいるわけではない、とサヴィトリ自身は思う。
サヴィトリが災厄の子だったからこそ、クリシュナとナーレンダに育ててもらえた。王城で姫として窮屈に育てられるよりずっといい。
でも、自分が意識しない深層では、恨んでいるのだろうか。
見捨てられたこと。母のこと。
いつか、あの手を取れる日は来るだろうか。
「うふぅ、アタシがそう簡単に逃がすと思って?」
ドゥルグと交戦していたはずのリュミドラが、唐突にサヴィトリの目の前に現れる。
答えの出ない思案に溺れていたサヴィトリはまったく身体を動かせない。
ゆっくりと、棘が自分に伸びてくるのが見える。
このままだと喉を貫かれる。
身体はまだ動かない。
「サヴィトリ!!」
サヴィトリの身体に強い衝撃が走った。突き飛ばされ、地面に転がる。
顔をあげると、赤い雫が垂れているのが見えた。
視線を上にむけると、棘に鎖骨のあたりを貫かれたジャガンナータの姿があった。
ぶ、じ、か。
ジャガンナータの唇が動く。音は聞き取れなかったが、サヴィトリにはそう読み取れた。
棘が抜かれ、支えを失った身体が地面に崩れ落ちる。
サヴィトリの頬に冷たいものが触れた。
雨粒。
サヴィトリが知覚した数秒後には、あたり一帯に激しい雨が打ちつけていた。
水で薄められたようにあらゆるものの輪郭がにじむ。
冷たさで身体の震えが止まらない。
泣いているから視界がにじんでいるわけではない。
恐怖で身体が震えているわけではない。
全部、雨のせいだ。
サヴィトリは叫ぶ。
その声は喧噪のような雨音にかき消され、身体の内側だけに響いた。




