5-9 棘の魔女vs蒼炎の識者
「あん、残念。でもぉ、お隣のナーレちゃんはどうかしらぁ?」
リュミドラは目を細め、唇を指でなぞる。
すぐ近くで、ずるりと何かが這う音がした。
全身をびっしりと棘に覆われた守備兵の姿が、その末路が、サヴィトリの脳裏に浮かぶ。
「ふん、こんな物に寄生されていたのか。どうりで身体が重いと思ってたんだ」
ナーレンダの身体の上を、蛇のように棘が這い登っていた。所々で血がにじんでいる。
「ナーレ!」
取りすがろうとするサヴィトリを、ナーレンダは静かに手で制した。
「これくらいのことでいちいち騒いでどうするのさ。おとなしく、少し下がっていなさい」
サヴィトリは言われるままに下がった。
今自分にできるのはナーレンダの邪魔をしないことだけだ。
「まったく、お前には何度もしてやられているよ、棘の魔女。人質なんて言うから釣られて来てしまったけれど、この棘はお前に近寄らなければ発芽しなかったろう」
ナーレンダは肩をすくめ、大きくため息をついてみせた。
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
心なしか、リュミドラの声に冷たさが帯びる。
「お前の扱う棘は二種類ある。一つはサヴィトリにかけた幻視の棘。もう一つは僕に鬱陶しくまとわりついているこれや、ヴァルナ砦を覆っている本物の棘。
前者は単純な幻術で、後者は非常に特殊な植物だ。遥か昔に絶滅した種で、記録文献もほとんど残っていない。その植物の特徴の一つとして挙げられるのが、母株の気配に共鳴して急激な生長をする。こんな風にね」
ナーレンダはふらつく足取りでリュミドラに近付いた。
ナーレンダの身体を覆う棘がにわかに動きを速める。きつく締めあげられ、ナーレンダは少し顔を歪めた。
「さすが術士長サマ、物知りね。でも、それがわかったところでなんだと言うの?」
リュミドラの声に、表情に、明らかな怒りがにじむ。
「別に。お前がどうしてこの子を執拗に付け狙うのかほんの少しわかった、というだけさ」
ナーレンダの足元に青い火がともった。棘を伝って燃えあがり、ナーレンダの全身を覆い包む。
「そして僕の推測が正しいなら、なおのことサヴィトリに手出しをさせるわけにはいかない!」
ナーレンダが右手を前に突き出すと、身体を覆っていた青い炎が一気に収束した。直径三十センチほどの火球となり、ぐるぐると渦巻いている。
絡みついていた棘は青い炎に焼き尽くされたのか、跡形もなく消え去っていた。
「灰と消えろ、棘の魔女」
青い火球がまばゆく光り、長い尾羽を持つ巨大な鳥の形へと変じた。羽ばたくだけで周囲に熱風が生じる。
管楽器のような声で一鳴きすると、炎の鳥は垂直に舞いあがった。青い火の粉が軌跡を描く。
上空で旋回し、獲物を捕捉した猛禽のように、リュミドラ目がけて鋭く急降下する。
「まぁ綺麗。さすがあの男の秘蔵っ子ね」
リュミドラは心なく言い、ゆっくりと手を叩いた。リュミドラを守るように、棘が幾重にも折り重なってドームを形成する。
棘のドームがリュミドラの巨体を覆い終える直前、炎の鳥によってドーム全体が青い炎に包まれた。
次の瞬間、激しく発光し、鼓膜が破れそうなほどの轟音が鳴り響く。
爆発の余波によって髪や服がはためき、サヴィトリは立っているので精一杯だ。
「やだぁ~ん、ちょっとお肌焦げちゃったじゃなぁい!」
生死の確認をするより先に、ねばっこい声が聞こえてきた。
棘のドームは完全に焼失していたが、リュミドラにほとんどダメージは見られない。多少すすで汚れているくらいだ。
「やはり防いだか、魔女め。まぁ、二発目の用意はもうできているんだけど」
ナーレンダの背後で、先程よりも巨大な炎の鳥が羽ばたく。
「あらあら、そんな悠長なこと言っている間に撃てばよかったのに。クリシュナったら肝心なことを教えないのねぇ。相手の息の根を完全に止めるまで余裕ぶっこいたらダメなのよん、ナーレちゃん♪」
リュミドラは新たに棘を伸ばす。
身を守るドームを作るわけでも、ナーレンダに攻撃を仕掛けたわけでもなかった。
棘はナーレンダの頭上を通り越し、サヴィトリへとむかう。
「うふふ、ナーレちゃんの弱点は織りこみずみよん♪」
「サヴィトリ!」
ナーレンダは炎の鳥に棘を焼き払わせる。
棘は一瞬にして炭化したが、ナーレンダは忌々しげに顔を歪めた。
炭化させたものの他に、更に数本の棘が忍び寄っていた。ナーレンダの胴にしっかりと絡みついている。
「あはっ、過保護すぎるのも考えものよねぇ。別にわざわざナーレちゃんが助けなくっても、サヴィトリちゃんならあれくらい簡単に対処できたわよん」
リュミドラはせせら笑う。
棘によってナーレンダの身体が持ちあげられる。ぎりぎりと強い力で締めつけられ、ナーレンダは細いうめき声を漏らす。
「そろそろちゃんと二人で遊びたいから、小うるさい保護者はちょっとお休みしててねぇ~」
リュミドラはひらりと手を振る。
その別れの仕草に合わせて、棘が動いた。ナーレンダの身体が地面に叩きつけられる。




