4-11 静寂の朝
何かの音が鼓膜を突き抜ける。
最近、気持ち良く目覚められたことがないなと思いつつ、サヴィトリは上体を起こした。
打ちつけた背中がまだ痛むが、動作に支障はない。
サヴィトリは左手中指にしているターコイズの指輪をはずし、もう一度はめなおした。
ちゃんと呪いは解けている。
何かが絡みついているような違和感があるが、長く呪いにかかっていたせいだろう。意外と繊細な性質だったのかもしれない。
外を見てみると若干の霧が立ちこめていた。少し薄暗い。
時計は五時二十七分をさしていた。二度寝をするべきかどうか迷う。うっかり寝すぎるとカイラシュが起こしにやってくる。
今日は朝食を取ってからヴァルナ村を出発し、ヴァルナ砦を目指す。
おそらく、もう二度とヴァルナ村を訪れることはないだろう。また棘の魔女に呪いでもかけられたら別だが。
(見納めに散歩でもしてこよう)
サヴィトリは軽く伸びをして身体をほぐし、外へとむかった。
村長の家を出ると、まず肌寒さにぶるりと震えた。何か上着を持ってくるべきだったかもしれない。
腕をさすりながら息を吸いこむと、冷たく清浄な朝の空気が肺に染みた。それだけで気分が引き締まる。
(王城に戻れば、ゆくゆくは私がクベラの王タイクーン、か。つくづく実感の湧かない話だ)
足のむくまま、サヴィトリは村の中を散策する。
見て興味を引くようなものは何もない。それが逆に、取り留めのないことを考えるにはちょうどよかった。
(母は、今の私を見たらどう思うのだろう。私を生んですぐに亡くなった、タイクーンの側室。蛮族と差別されたヴァルナ族。どうして、私は生まれたんだ?)
思考が出口のない迷路に落ちこみかけた瞬間、嫌な匂いが微風によって運ばれてきた。
鉄錆、血の匂い。
サヴィトリはすぐさま指輪にくちづけ、氷の弓を構える。争いの気配はどこにもないが、用心するに越したことはない。
血の匂いがする方へ、ゆっくりと歩いていく。
霧のせいで視界が悪く、なかなか足を進められない。
「……ぁ……う、ぅ……か……」
人のうめき声が聞こえる。
サヴィトリは思わず声の方に駆け出した。
もしこれが罠だったら諦めよう。
「大丈夫か!?」
村の入り口近くに一人の若い男が倒れていた。
ジェイが身に着けているのと似た軽鎧姿で、いたる所が赤黒く汚れている。
右手に握られた抜身の剣は、真新しいにもかかわらずひどい刃こぼれで、よほど激しい戦いがあったのだと推測される。
しかし何よりサヴィトリの目を引いたのは、男の左肩から腕にかけて巻きつく半透明の棘だった。
生きているかのように脈打ち、今もなお男の腕を締めあげている。
「あ……あ、あなたは、確か……ヴィクラム、さ、ま、の……」
サヴィトリに気付き、虚ろだった男の瞳に光が宿った。剣を杖代わりにしてふらふらと立ちあがる。
「無理をするな。まずは手当てを。詳しい話はそれからだ」
サヴィトリは肩を貸し、男を支えるようにして歩く。
こういう時、自分の非力さに腹が立つ。
ヴィクラムほど力があれば、もっと早く連れて行けるだろうし、ナーレンダのように回復術を使えれば、早く痛みを取り除いてあげられる。
「どうか、ヴィクラム様に、至急、お取次ぎを……! ヴァルナ、とり、でっ、が……」
男は咳きこみ、鮮やかな血を吐いた。
肺をやられているのかもしれない。あまり喋らせないほうがいい。
「無理に喋るな。すぐにヴィクラムを呼ぶ。その時にあなたが喋れなくては意味がないだろう」
村長の家までがひどく遠い。
どうしてこういう時に限ってカイラシュは現れないのか。
男は口の中に残った血を吐き出し、口元をぬぐった。言葉を紡ぐために呼吸を整える。
サヴィトリの制止など、耳に入っていない。
男は、しっかりとした口調でこう伝えた。
ヴァルナ砦が、棘の魔女によって、陥落しました――




