3-7 ひとときの休息
サヴィトリは目についた料理を適当に小皿に取り、壁にもたれてそれらをつまむ。ヴァルナの料理は肉が多く、少量でもかなりお腹にたまる。
何人か村の若い男がサヴィトリに話しかけようと近付いてきたが、なぜかみんな一様に顔を引きつらせ震えながら逃げていった。
どこからかカイラシュが圧力をかけているのかもしれない。ついさっきまで気絶して床に転がっていたはずが、またどこにも姿が見えなくなった。
「サヴィトリ、突然だけど、寝る前にちゃんと歯を磨いてる? 生水飲んだりしてない? 睡眠は毎日八時間以上とってる? くもりの日でも抜かりなく日焼け止めクリームぬってる?」
近くのテーブルにいたナーレンダと目が合った瞬間、いきなり質問攻めにされた。
「どうしたの、いきなり?」
困ったサヴィトリは首をかしげる。
「君の様子を報告しろ、ってクリシュナから連絡が来てたのを思い出したんだ。嫌がらせのように大量の手紙が届くんだよ。『サヴィトリはどうしてるか?』って。僕が出てから、一度だって連絡なんかよこさなかったのに」
ナーレンダは心底嫌そうにため息をついた。
「……そういうナーレだって、一度も連絡くれなかったじゃないか」
サヴィトリはつい、うらめしそうな言い方をしてしまう。
年に一度、数年にたった一度でも、ナーレンダが連絡をしてくれさえすれば、おとなしく森でナーレンダのことを待っていられたかもしれない。
「僕のことはどうでもいいんだよ。あとは……そうだ。変な虫に言い寄られたらすぐに僕に言いなさい。いいか、すぐにだ。可及的すみやかに焼却処理するから」
サヴィトリの恨み言をさっくりと切り捨て、ナーレンダは神妙な顔でサヴィトリに指を突きつけた。
ナーレンダにとって連絡をしなかったのはその程度のことなのだと思うと寂しくなったが、サヴィトリはどうにか感情を飲みこむ。あれこれ言ったとしも、過去のナーレンダが過去の自分に手紙を送ってくれるわけではない。
「虫、ね。そういえば、洞窟から戻る途中に虻みたいなのに刺されたな。かゆくて仕方がない」
サヴィトリは髪を手でまとめ、虫に刺された首筋をナーレンダに見せる。自分で鏡で確認した時、かなり腫れていた。
「……あっそ」
ナーレンダは長く深いため息をついた。呆れているらしい、ということはなんとなくわかる。
「私は何かおかしなことを言った?」
「別に」
ナーレンダはふっと鼻で笑う。カエルになっても態度がでかい。
「あっそ」から「別に」のコンボで、イライラが規定値以上に達したので、とりあえず手が滑ったふりをして爪で弾いておいた。
「他に師匠は何か言っていた?」
森を出る時、クリシュナとは喧嘩別れのような形になってしまった。サヴィトリの身を案じてくれているようだが、クベラにいることには反対だろう。
「あんな国になんぞ行ってくれるな」と言ったクリシュナの顔は、今まで見たことがないほど、悲しくてつらくて寂しそうだった。
だが、自分はそれを振り切った。
「あの人のことだから、口にはしないけど相当寂しがってるよ。僕や君と住むまではずっと色んな所をふらふらしていただろうに。独りでの時間の過ごし方がわからなくなっているみたいだ」
ナーレンダの語り口から、現在のクリシュナの様子をたやすく想像することができた。
部屋の隅っこで、約百九十センチの巨体を縮こめ、伸び放題でもっさもさの髪を指に巻きつけていじけている――そんな画がサヴィトリの脳裏に浮かぶ。
「色々落ち着いてからでいいから、一度、顔を見せに戻ったら?」
ああ、やっぱりそういう流れになるよなぁと思いながら、サヴィトリはナーレンダからそっと視線をはずした。
クリシュナに会うのは、まだ気まずい。別れ方が最高によくなかった。会いに行って拒絶されたらと思うと怖い。どう考えてもクリシュナのほうが傷付いているのに、自分が傷付けてしまったのに、なんて身勝手なことだろう。
「一人で行ってクリシュナと話しつけてこい、なんてハードルの高いことは言わないよ。行きづらいなら、僕も一緒に行ってあげる」
クリシュナとの対面について、あれこれよくない推量をしていたため、サヴィトリはナーレンダの言葉を理解するのに数秒の時間を要した。
「いっしょ? ……一緒に行ってくれるの、ナーレ!?」
サヴィトリは思わず、ナーレンダの身体をつかんで顔に近付けた。
「ちょっとサヴィトリ、近いし苦しいんだけど! まったく、何もそんなに驚くことでもないだろうに。たまには我が師の顔を拝みに行ってやらないとね」
ナーレンダは不機嫌そうにふいっと顔をそらす。
本当に不機嫌な時は、ナーレンダは不機嫌な顔をしないのを、サヴィトリは知っている。
「約束ね、ナーレ」
サヴィトリはナーレンダの身体を手のひらに乗せ、自分の指の先とナーレンダの吸盤のついた手とを合わせる。
「あ、違う違う。確かこういう時は、『この戦いが終わったら一緒に故郷に帰ろう』って言うんだった。そうすると死亡フラグが立つって師匠が言ってた」
「死亡フラグ立ててどうするんだ君は!」
「襲い来る無数の死亡フラグをことごとくへし折る、あるいは電光石火で回避してのけるのが主人公が主人公たる所以だ、って師匠が。だからフラグは極力立てたほうが自分のためになるって」
「なるわけないだろう! 馬鹿か君は! そういう君に対するわけのわからない我流教育も含め、あの馬鹿師匠には一度きっちり文句をつけてやらないとな」
あーあ、怒ったらなんかまたお腹がすいてきた、とナーレンダは料理の乗ったテーブルへと飛びおりた。料理やグラスにまぎれ、あっという間に姿が見えなくなってしまう。




