3-4 嚆矢
サヴィトリ達が村に戻った頃には、夕陽によってあたり一面がオレンジ色に染めあげられていた。
早朝に村を出て、昼過ぎには戻る算段だったが、予想以上に時間がかかってしまった。魔物のせいというより、主に身内での悪ふざけが過ぎたせいだが。
「これが、洞窟に巣食っていた魔物を封じた箱です。どこかに埋めるなりして、決して封印が解けないよう、厳重に取り扱ってください」
サヴィトリは神妙な面持ちで静かに箱を置いた。
村の出入口の所でサヴィトリ達の帰りを待っていた村長以下ヴァルナ村の人々は、一呼吸の後、耳をつんざくほどの歓喜の声と紙吹雪を巻きあげる。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます! これでこの村も救われます! しつこいようですが、本っ当にありがとうございます!!」
村長はむせび泣き、サヴィトリ、ヴィクラムと固い握手を交わす。
魔物を封印した箱は、村の男達によってどこかへと慎重に運ばれた。
「……俺しーらないっと」
歓喜の輪から少しはずれた所にいるジェイは、誰にともなく呟き、小さく舌を出した。
ジェイの頭の上に乗ったナーレンダも、大きなため息を一つつく。
「村長、早速はじまりの泉とやらに案内してほしいのだけれど」
嬉しさのあまり今にも踊りだしそうな村長の首根っこをつかみ、サヴィトリは詰め寄った。
「ええ、ああ、そうですね。ですが今から行くと泉に着くのは夜になってしまいます。今日は憎き魔物が倒された喜ぶべき日ですし、それを祝い、戦いの疲れを癒してからでも遅くないと思いますよ。泉に足が生えて逃げるわけでもありませんし」
サヴィトリはふっとナーレンダの方に目をやった。ナーレンダとしては、一刻も早く元の姿に戻りたいだろう。
「サヴィトリ、明日でもいいんじゃない? 夜陰に乗じてリュミドラの魔物が襲ってこないとも限らないしさ」
サヴィトリの心中を察したようにナーレンダは言った。
ナーレンダ自身がそう言うのであれば、強行する理由はない。
「村長、申し訳ないがもう一日世話になる」
ヴィクラムが短く言い、頭を下げた。
「いえいえ、元はといえば私が無理を言ってお願いしたわけですし、どうぞお気になさらないでください。では、これから大急ぎで祝宴の準備をいたしますので、皆さんはどうぞごゆるりとおくつろぎください」
(なんか昨日と同じようなパターンだな)
「サヴィトリ、このあと時間はあいているか?」
手持ち無沙汰だったサヴィトリに、ヴィクラムが声をかけてきた。
「ん、あいているよ。ちょうど何をしようか困っていたところ」
「昨日言っていた弓の稽古でもするか。お前さえよければ、だが」
ヴィクラムの提案に、サヴィトリは目を瞬いた。約束を覚えていたなんて意外だ。空気の読めない朴念仁だと思っていただけに、こんな些細なことでも軽い感動を覚えてしまう。
「疲れているなら今日でなくてもいいが」
「いや、お願い、よろしくお願いします!」
サヴィトリは勢いよく頭を下げた。妙に嬉しいのはなぜだろう。
* * * * *
意識して息を吐き、サヴィトリは数メートル先の木に取り付けた手製の丸い的を見つめた。
雑貨店で買った小振りの合成弓を構え、矢をつがえる。片目をつむって焦点を合わせ、放つ。
ひょうと風を切って飛んだ矢は的の下の方をかすり、木の幹に当たって情けなく弾かれた。
かれこれ十数回ほど弓を引いているが一度も的に矢が刺さらない。それ以前に、かすることすら稀だった。
「また片目をつむったな」
出来の悪い生徒に落胆したように、ヴィクラムはため息混じりに言った。
「あともう一つ、矢を引く時に手首が内側に曲がっていた。一直線になるように引かなくては力が上手く伝わらない」
「わかった。すぐ直す」
サヴィトリは素直にうなずき、矢をつがえず、弓を構えて弦だけを引いた。
ヴィクラムがサヴィトリの引き手の手首を正しい位置に直す。自覚はなかったが、相当曲がっていたらしい。
最初は弓を上向きに引いていたことを指摘されたが、それにばかり気を取られていたせいか、今度は手首がおろそかになってしまった。
「なかなか難しいな」
サヴィトリは両目で焦点を合わせようとするが、的を見れば弓柄が、弓柄越しに見れば的が、それぞれ二重に見えてしまう。
「意識のしすぎだろう。普段お前が氷弓で戦っている時は、両目でものや状況を見ている」
少し休め、とヴィクラムはサヴィトリから弓を取りあげた。
ヴィクラムの素っ気ない言い方に少しむっとしたが、サヴィトリは長く息を吐き、自分の指をさすった。むきになって練習を続け、身体に負担をかけても事だ。
「もっと不満や文句を垂れるかと思っていた」
ヴィクラムは目蓋を伏せてふっと笑い、弓を引く。
身体の芯は地面に対して垂直、腕と矢は水平。綺麗な十字の形になっている。これが理想的なフォームなのだろう。
「いや、頼んだのは私だし、未熟なのも事実だ。せっかく教えてもらっているのに、文句を言う道理はない」
「ふ、うちの隊士よりよほど肝が据わっている」
ヴィクラムの手から矢が離れる。
風を切る音からしてサヴィトリのものとは違った。
サヴィトリの放った矢の倍の速度で飛び、吸いこまれるようにして的の中心に刺さった。否、突き抜けた。的を真っ二つに断ち割り、木の幹に深々と突き刺さる。
「すごい……!」
サヴィトリは感嘆のため息を漏らし、矢の所に駆け寄った。両手で力いっぱい引っぱっても矢は抜けない。
「ダメだな。的に当たりはしたが力の加減が上手くできなかった」
ヴィクラムは刺さった矢を片手でやすやすと引き抜く。
「これではお前の練習ができない」
無残に折れた弓と矢尻のひしゃげた矢、二つに割れた的を、少しだけ申し訳なさそうにサヴィトリの目の前に差し出した。
サヴィトリは勢い良く首を横に振る。
「いや、ありがとうヴィクラム。充分参考になったし、それに、最後にすごいものも見せてもらった」
弓も矢も的も、残骸としか呼べない代物になってしまったが、サヴィトリの心には奇妙な充足感があった。
「それにしても、すごい腕だな」
サヴィトリは無遠慮にヴィクラムの腕をぺたぺたと触る。
まず何より、自分の物とは感触が違う。力が入っていると金属と錯覚するほどに硬い。太さも、下手をすると倍近くある。
急に、ヴィクラムが腕を持ちあげた。
なぜか反射的にサヴィトリはぎゅっと腕にしがみついてしまい、そのまま身体が数センチ浮かぶ。
「え」
サヴィトリが足をばたつかせても、つま先は何も蹴らない。
「これが、次代のタイクーンか。心許ないな」
ため息混じりに独りごち、ヴィクラムはつかまれていないほうの腕をサヴィトリの腰にまわし、抱きあげた。
「え? え?」
普段とは逆に、少し見下ろした位置にヴィクラムの顔がある。
何が起こっているのかサヴィトリの理解が追いつかない。
まるで子供でもだっこするように、ヴィクラムによって簡単に持ちあげられたのはわかる。理解ができないのは、その行為の意味だ。
腰から下はヴィクラムの腕で支えられ、互いの身体が密着しているために安定しているが、上半身はほんの少しの体重移動だけで
ぐらついてしまう。
手の置き場所に迷っていると、背中をぐっと押された。身体が前にかたむき、自然とヴィクラムの首に腕をまわす形になる。
「え? え? え? え?」
サヴィトリの思考はほぼ完全に停止した。頭の中が真っ白になる、というのは今のような状況のことだろう。
サヴィトリがかろうじてわかることは、顔が発熱したかのように熱く、ヴィクラムと触れている部分のすべてがどくどくと脈打っているような感じがする、という自分の身体の不具合だけだ。
「いくらか力はあるが、それでも女の範疇は超えない。腕も腰も、たやすく手折れるほどか細い。……これが、クベラを支えるのか」
腰にまわされた腕に力がこもる。恋人にするような甘く艶っぽいものではなく、何かを確認する、といった感じの強さだった。今の思考停止したサヴィトリにはどちらも同じようなものだが。
「サヴィトリ。お前は嫌がるだろうが、これではどうしても守ってやらねばと思ってしまうな」
ヴィクラムの指が、サヴィトリの腰から背にかけての線を確かめるように滑る。
「っ……!」
サヴィトリはたまらず声をあげそうになったが、プライドがそれを噛み殺させた。
(ヴィクラムのことだ、どうせ意図も他意もなく、無自覚にやっているに違いない。その程度のことで心を乱されてたまるものか)
少しだけ冷静さを取り戻したサヴィトリは両腕を突っぱり、ヴィクラムから距離を取った。意思をもってヴィクラムの顔を見据える。
「……もっとも、それは俺の役目ではないだろうが」
視線から逃れるようにヴィクラムは目蓋を伏せ、サヴィトリの身体をおろした。
すっと温度が下がり、いっそ肌寒ささえ覚える。
「~~~何がしたいのか、言いたいのか、さっぱりわからないぞ、馬鹿ラム!」
結局心を乱されたサヴィトリは、拳でぽかぽかとヴィクラムの胸板を殴った。
「私は、守られるよりも、たとえ足手まといになったとしても、一緒に戦いたい。だから、少しでも強くなりたいんだ」
硬い胸板は叩けば叩くほど、こちらの手が痛くなる。それでも、サヴィトリは殴った。
「それに、私は信頼できる人にそばにいてほしい。ヴィクラムにはヴィクラムの職務があるのはわかってる。だから時々で構わない。協力してほしい。俺の役目じゃない、なんて私のことを投げ出してくれるな」
「俺のことは、気に入らないんじゃなかったのか」
サヴィトリの手首がつかまれる。万力で固定されたようにびくともしない。
「ああ、気に入らない。とても気に入らないな。人の気も知らないで急に近付いたり触ったりしてくるところはむかつくし、クールぶったところとかいけ好かない。でも、信頼もしている。背中を預けてもいいと思える」
にらむようにヴィクラムの目を見て、サヴィトリははっきりと自分の意思を伝えた。
ヴィクラムは手を放し、サヴィトリに応えるように強い視線を返した。
「タイクーンでもそうでなくとも、お前が呼びさえすれば、いつでもそばにいる」
低音で重みのあるヴィクラムの言葉に、サヴィトリは嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
しかし、それと同時に恥ずかしさにも襲われる。
(……そばにいてほしいだとか、人の気も知らないでだとか、私は一体何を言っているんだ)
サヴィトリは自分の頬に手を当て、ヴィクラムをちらっと盗み見る。いつもと同じ顔のはずなのに、今は少しだけ違って見えた。
(なんか、変だ)
サヴィトリはもやを払うように頭を振り、地面に落ちている壊れた弓と矢を拾い集めた。
「ヴィクラム、よかったらまた今度、練習に付き合ってくれ。次はちゃんと、射抜いてみせる」
ぴっとヴィクラムを指差し、サヴィトリはひとり先にその場から離れた。このまま一緒にいると、何かがおかしくなりそうだった。
「……人の気を知らないのは、どっちだ」
ヴィクラムは喉に手を当て、呟いた。




