3-2 未知との遭遇
村長からもらった地図どおりに進むと、行き止まりにぶち当たった。採掘を途中で放棄したのか、壁は中途半端にえぐられ、スコップやもっこなどの道具が地面に投げ出されている。
「地図にはここにバツがついているが、肝心のリュミドラの魔物が見当たらないな」
ジェイが広げている地図をのぞき込んで確認したあと、サヴィトリは注意深くあたりを見まわした。今まで通ってきた通路となんら変わりはない。
「身を隠せるような場所もないが、何かの気配はする。油断するな」
ヴィクラムは片手でサヴィトリを制止し、もう片方の手で鯉口を切る。
サヴィトリは素直に従い、氷弓を構えた。気配はまったく感じられなかったが、手練れであるヴィクラムが言うのだから何かいるのだろう。
どんな小さな違和感も見逃さないように気を張っていると、ぴりっ、と左足首に静電気に似た微かな痛みを感じた。
視線を自分の足首にむけるよりも先に、サヴィトリは身体がかたむいていることに気付いた。まるで誰かに払われたように足が横滑りし、腕から地面に倒れこむ。
「っ、なんだ!?」
「サヴィトリ様!」
カイラシュが手を伸ばすが一瞬の差で間に合わず、サヴィトリは身体をしたたかに打ちつけた。衝撃自体は大したことはないが、こすってしまったらしく、手が血でにじんだ。
(転んだ……いや、転ばされたのか?)
原因を探ろうとサヴィトリは自分の足首に手を伸ばす。が、カイラシュによって阻まれた。
「あああっ、サヴィトリ様! こんなにもお怪我を……!」
カイラシュはサヴィトリの手を取り、自分の身を引き裂かれたかのように悲愴な悲鳴をあげた。
「ただのかすり傷じゃないか。何をそんなに大袈裟に……」
「いけません、大事にいたる前にすぐに手当てをしましょう! そこの茶髪で地味で無能で下賤な道具袋! すみやかに先ほどのやくそうを出しなさい!」
「……はーい」
ジェイは不満を飲みこんでから、カイラシュにやくそうを手渡した。
「前から思っていたけれど、やくそうってざっくりした名前だな。種類がわからないから、使い方や効能もよくわからないし」
サヴィトリはやくそうを観察してみる。
薬学や野草などの知識がないため、ただの雑草と言われればそう思ってしまうだろう。
「おや、やくそうは初めてですかサヴィトリ様」
なぜかカイラシュは目を細めた。サヴィトリは嫌な予感しかしない。
「確かに初めてだが、その何か含みのある言い方はなんだ?」
サヴィトリは本能的に逃げ出そうとしたが、すでにカイラシュに両肩をがっしりとつかまれていた。
「いえいえ。やくそうとは、このように徹底的に噛み砕いて細胞壁を破壊し、薬効成分を充分に引き出してから口移しで飲ませるものなのですよ」
息の荒いカイラシュが、口から緑色のでろでろした物体Xを垂れ流しながら顔を近付けてきた。
「気持ち悪い近寄るなあああっ!」
サヴィトリは全力でカイラシュの顔面を押さえつけた。しかし、ゾンビのようなしつこさでじりじりと迫ってくる。
「最初はちょっと苦いかもしれませんが大丈夫ですよ。後味が残らぬようにしっかりと口腔を舐めますので」
「わあああああああああっ!! 誰かっ、傍観していないで早く助けて!!」
「俺は今まで誤ったやくそうの使い方をしていたのか……!?」
「ヴィクラムさん、真に受けないでくださいね。どう考えたってカイラシュさんの嘘ですから、嘘。それより、早くカイラシュさんを取り押さえましょう」
ヴィクラムとジェイの二人がかりでカイラシュは取り押さえられ、再び宝箱の中に押しこめられた。
「ふう……実におぞましい魔物だった。よし、これで魔物は無事に封印できたことだし、村に戻って村長に報告しよう!」
サヴィトリは額に浮き出た脂汗を服の袖でぬぐい、一仕事終えてあーすっきり! という風な清々しい笑顔をみせた。
「ちょっと待ってサヴィトリ! 確かにカイラシュさんは限りなく魔物に近いけど、俺達が退治するのは違う魔物だからね!」
村に戻ろうとするサヴィトリをジェイが慌てて引き止める。
「なに!? 奴以上におぞましい魔物が存在しているというのか!」
一緒に帰ろうとしていたヴィクラムの顔に驚愕が走る。
「……ヴィクラムさん、もしそれ本気で言ってるんなら、決死の覚悟でツッコミ入れさせてもらいますよ」
「俺はいつでも本気だ」
「…………」
「まったく君達は揃いも揃って馬鹿なのか! くだらないかけ合いをしている場合じゃあないだろう!」
状況を見かねたナーレンダが大声を張りあげた。
「一瞬だったけど、サヴィトリの足に半透明でゼリー状のものが取り付くのが見えた。おそらく敵の攻撃はもう始まっている!」
「うーん。カエルに言われてもあんまり危機感がないな」
サヴィトリはつい思ったことを口にしてしまう。
人を見た目で判断してはいけないと思うが、目の前にいる存在はナーレンダである前に、手のひらサイズの金色カエルだった。
「人のことを馬鹿にするのも大概にしなさい! 僕だって好きでこんな姿に――って馬鹿っ、サヴィトリ! 君のうしろだ!」
ナーレンダに言われてサヴィトリが振りむくと、自分の方に緑がかった半透明の塊が飛びかかってきていた。サヴィトリを包みこむように大きくネット状に広がる。
サヴィトリはどの方向によけるか迷い、対応が一瞬遅れた。そばにいるナーレンダを射程範囲外に弾き出すのが精一杯だった。
ジェイとヴィクラムとが同時に駆け出すのが視界の端に見えたが、おそらく間に合わない。
「――屑どもがああああああッ! よくもこんなせまっ苦しい所に押しこめてくれやがりましたなあああッ!!」
万人を震えあがらせるような雄叫びをあげたのはゼリー状の物体――ではなく、宝箱だった。
と同時に勢いよく、おぞましい魔物を封じた宝箱の蓋が吹っ飛び、偶然ゼリー状の物体に当たって弾き飛ばす。
「ナイス! カイラシュ!」
サヴィトリは笑顔でカイラシュの手をぽんと叩いた。
「……え? はい?」
カイラシュは毒気を抜かれてしまい、笑顔のサヴィトリと自分の手とを交互に見る。
「申し訳ありません、状況がうまく飲みこめないのですが、とりあえずサヴィトリ様自ら触れてくださったこの手は洗わないことにします」
カイラシュはうっとりと微笑み、自分の手を頬にすりつける。
「なにそれ汚いな。洗わないんだったら、その手で二度と私に触れてくれるなよ、カイ」
サヴィトリはカイラシュのささやかな幸福をさくっと切り捨て、ゼリー状の物体とむかい合う。
宝箱の蓋と一緒に壁に激突したゼリーは特に何をするでもなく、その場でうじゅうじゅと蠢いていた。
いや、よく見ると宝箱の蓋や落ちている石を取りこみ、少しずつ溶かしている。
「あれが村長の言っていた奴のようだな。喋る知性があるようには見えないが。もっとも、そうでなかったとしても、転ばされた分の礼は百倍にして返すけれど」
サヴィトリの右手に白い冷気が集まっていく。
氷の矢で凍らせても、全体が凍る前に自切されては意味がない。広範囲に渡って冷気を浴びせかけ、一気に凍らせて固める。
「珍しく止めないんですね、カイラシュさん」
ジェイはじとっとした目をカイラシュにむけた。
たとえいかなる理由があろうとも、カイラシュはサヴィトリが穢れることを嫌う。にもかかわらず、今はただ笑顔でサヴィトリを見守っている。
「……確かに。止められても面倒だけど、にやにやしながら見られるのも気味が悪いな」
サヴィトリはゼリーに注意を払ったまま、カイラシュの方をちらりと見る。
「ご気分を害してしまったようで申し訳ありません。さ、わたくしに構わず、あのゼリー状の何かと戦ってください」
カイラシュは言葉と手の両方でサヴィトリの背中を押した。
サヴィトリは気を取り直して冷気を集める。
だが、言葉にはまだ続きがあった。
「――あの手の魔物は必ずと言っていいほど敵の服だけを都合良く溶かす能力を持っています。ということはですよ、うまくすればサヴィトリ様のあられもないお姿を拝見できるというわけなのです。そのような僥倖をどうしてわたくしが止めるでしょう? いや、止めるわけがない!」
「そんなくだらないことを反語を使ってまで力説するな!」
サヴィトリは足払いでカイラシュを転ばせ、仰向けに倒れたところを踵でぐりぐりとにじる。
「――わかった。そういうことであれば俺も手出しを控えよう」
ヴィクラムはくわっと目を見開き、カイラシュにむかって深く重くうなずいた。
「控えるなヴィクラム! 貧相な身体には興味がないんじゃなかったのか!」
「あくまで布越しに見た感想だ。着やせしているという可能性も捨てきれん。それに色や形や質感など、実際にこの目で見てみないとなんとも言えんな」
ヴィクラムは妙なところが真面目で性質が悪い。
「実際に見ても残念ながらボリュームはないですよ。サヴィトリ様のちっぱ……繊細で慎ましやかなお身体、わたくしは好きですけれど」
こそっとカイラシュが自分の主観をつけ加える。
「カイ! ラム! まったく、どうしてお前達はそんなにも救いようのない大馬鹿なんだ!」
ナーレンダは血管が切れそうなほどの怒声をあげ、ぴょんぴょんと跳ねてカイラシュ達を威嚇する。
「さあ。高名で優秀なナーレンダ・イェル先生のご指導ご鞭撻の賜物じゃあありませんかねえ」
「カイ! 情操教育は僕の管轄外だ!」
「イェル先生のむっつりさを反面教師としたらこうなった」
「ラム! おかしな言いがかりで僕の名誉まで傷付けるな!」
「むっつりは事実じゃないですか」
「むっつりは事実だ」
カイラシュとヴィクラムの声がきっちりと揃った。
「僕はむっつりじゃあない!!」
「「むっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっそりーにむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつりむっつり――」」
「やめろ!!!!」




