1-1 騒々しい朝
「――起きてください わたくしの 可愛い サヴィトリ様。今日は とても 大切な日で ございます」
どこからか不思議な声が聞こえる。
「サヴィトリ様が 旅立つ日。わたくしと 結ばれ めくるめく 快楽の果てへと 旅立つ日――」
明らかな違和感を覚えたサヴィトリは、ばちっと音がするほどの勢いで目蓋をこじ開けた。
容赦なく入りこんでくる光によって、視力が数秒間奪われる。
(……あの光景は、夢だったのか。そんなところにまで出てくるとは本当に嫌な女だ)
サヴィトリは強く拳を握りこんだ。まだ身体に棘がまとわりついているような気がする。
「おはようございます、サヴィトリ様」
さっき聞こえたのと同じ声がし、世界が色と形を帯びていく。
サヴィトリのごく至近距離に、非常識なほど美しい顔があった。男と言われれば男、女と言われれば女。どちらの性にせよ、万人が見惚れずにいられない美貌だ。
「いかがなさいましたか、サヴィトリ様?」
ぞっとするような赤い瞳をした麗人が、心配そうに眉をひそめる。
寝起きで思考回路が正常に機能していないのか、目の前の人物が自分にとってなんなのか思い出せない。しかしこの顔には嫌というほど見覚えがある。
「……とりあえず、どいてくれないか」
サヴィトリはまっすぐに見返して言った。
理由はわからないが、ベッドで眠っていたサヴィトリの上に麗人が覆いかぶさっている。
これは犯罪がおこなわれる三秒前だろう。もしも犯人がこちらの要求に応じなかった場合、すみやかに憲兵を呼んで現行犯逮捕してもらわなければ。いや、現行犯であれば一般人でも逮捕してよかったような。
「ダメです」
麗人は眉間に皺を寄せ、首を横に振った。
「あれほどわたくしがお諫めしたというのに、また全裸でお休みになるなど……サヴィトリ様はいったいどのような神経をしていらっしゃるのでしょうか。口で言ってもご理解いただけないようなので、僭越ながら、ちょっとしたお仕置きをさせていただきます」
これは犯行声明ととっていいだろう。どうあっても犯罪者になりたいらしい。
麗人は形のいい唇を弓形につり上げ、サヴィトリの頬にそっと右手を当てた。喉の中心から鎖骨の少し下まで線を引くように、左手の指先をゆっくりと這わせる。
「ちぇすとー」
やる気が微塵も感じられないかけ声が聞こえ、天井から何かが降ってきた。
麗人は露骨に嫌な顔をし、その場から素早く飛びのく。ちょうど入れ違いになるように、茶髪の青年がベッドのそばに降り立った。
「一体ナニしてるんですかカイラシュさん! いつまでたっても帰ってこないから様子を見に来てみれば……せっかくの朝ご飯が冷めちゃうじゃないですか!」
茶髪の青年は手に持っていたフライ返しを振りかざして抗議する。
こちらの地味な青年にも見覚えがあったが、どうしても名前が出てこない。一過性の健忘症だろうか。
「ほら、サヴィトリもいつまでも寝てないで、起きて顔洗って着替えて朝ごは――」
サヴィトリの腕をつかんで強引に起きあがらせたところで、茶髪の青年はなぜか硬直してしまった。
数秒後、我に返った青年は顔から湯気が出そうなほど顔を赤くし、サヴィトリの身体に掛布をかぶせた。
「も~~~~~~!! なんでパジャマ着てないの!? 昨日、お風呂あがりに着替えてね、ってベッドの上にちゃんと用意しておいたよね? ね? ね? たとえ今まで服を着ないで寝るのが習慣だったとしても、郷に入っては郷に従えで、クベラではちゃんと服を着て寝なきゃダメなの! っていうかクベラ以外でも服着てお願い!!」
口うるさい母親のようにまくし立てる青年をよそに、サヴィトリは掛布の下の自分の身体をのぞいた。確かに何も身に着けていない。
昨日の夜は湿度が高くて蒸し暑く、自分で服を脱ぎ捨てた記憶がぼんやりと残っている。
床に目をやると、パジャマや下着が力なく散乱していた。
「ジェイ殿! このわたくしを差しおき、わたくしの至宝であるサヴィトリ様に触らないでください!」
性別不明の麗人――カイラシュは茶髪の青年の首根っこをつかみ、力ずくでサヴィトリから引き離す。
「白昼堂々――まぁ、今は朝だけど――とにかく、サヴィトリのことを押し倒してた人が何言ってんですか!」
「ふっ、あれは補佐官の特権です!」
「明らかに越権行為――っていうかただのセクハラでしょ! だったら俺だって一応サヴィトリ専属の近衛兵ですよ。多少触るくらい、業務上必要な行為です!」
「一生口を閉じていらっしゃいやがれ存在感皆無の雑用が!」
「ちょっと事実だけどそんなにはっきり言わなくても……! それならカイラシュさんだってド変態ストーカーじゃないですか!」
(朝から騒々しいな……)
取っ組み合いの喧嘩を始めてしまった二人を見やり、サヴィトリは頭を抱える。
ようやく二人が誰でどんな人物なのかをはっきりと思い出した。
今回の旅路には、ここにいるカイラシュとジェイの他にもあと二人の同行者がいる。カイラシュとジェイがこの有様では残りの二人が様子をうかがいに来るのも時間の問題だろう。