2-2 立ちはだかるはペットと変態
サヴィトリの放った氷の矢が開戦の合図となった。
構えるだけでサヴィトリの手の中に氷の矢が現れる。そのおかげで数本の矢をタイムラグなしに連射することができた。
後肢で強く大地を蹴り、飛ぶようにして距離を詰めてくるミントちゃんの着地予想地点に氷矢が炸裂する。サヴィトリの読みどおり、自ら足を差し出したかのごとく矢が当たり、地面もろとも凍りつく。
だがそれだけでは巨狼の強靭な足を縫い止めるにはいたらなかった。力ずくで凍った地面から足を引きはがし、先ほど以上の勢いでサヴィトリに迫る。
サヴィトリは動かない。
――動く必要がなかった。
まるで空気から溶け出してきたように、ミントちゃんの動線上にカイラシュが現れる。ややもすると獣ですら見惚れてしまいそうな笑みを浮かべて。
「駄犬風情が、恥を知れ」
呪詛を吐きつけ、ミントちゃんの頭部にまわし蹴りを放つ。まとった長衣の裾や衣がはためき、舞っているようでもあった。
そのままカイラシュをなぎ倒そうと勢いを殺さなかったことが仇となり、鼻っ柱にカウンター気味に蹴りがきまった。衝撃の強さから、ミントちゃんは弱々しい悲鳴をあげて棹立ちになる。
その瞬間を見計らっていたかのように、ミントちゃんのななめ後方あたりから鎖が伸びた。二重三重に首へと絡みつく。
「カイラシュさん、どんだけ脚カタイんですか。折れますよ、普通」
軽口を叩きながら鎖を引き、動きを止めているのはジェイ。
ジェイが扱うのは腰からさげている、近衛兵に支給される長剣ではなく、術によって特殊練成された鎖鎌だった。
サヴィトリの氷弓と同じく、普段は根付けの飾り玉の中に封じられている。
「少なくとも、市販の鉄の剣よりは硬いだろうな。へし折るのを見たことがある」
生真面目に答えたヴィクラムは、無防備に晒された喉を刀で刺し抜き、息ひとつ乱さず頭部を断ち割った。
真っ二つにされた断面からは血の代わりに大量の葉がこぼれ、どこからか吹いた風に乗って散らされる。
胴体部分も術が解けたかのようにどさりと葉が崩れ落ち、枝で作られた骨組みがむき出しになった。
「戦いの時だけは、ずいぶんと息が合うのでございますね」
感心したようにニルニラが呟く。
事前の打ち合わせなどもちろん何もしていない。それでも自分がどの役割を担うのか瞬時に判断し実行できるのは、個々の戦闘能力の高さと、ほとんど神がかり的な相性の良さによるものだろう。
戦闘時においてのみ、ある種の共通意識でも生まれるのか、誰が何を考えているのか手に取るようにわかる。
「さぁサヴィトリ様! わたくし、褒められる準備はできております!」
ミントちゃんの残骸を検分しようとしていたサヴィトリの前にカイラシュが立ちふさがる。
サヴィトリは露骨に嫌な顔をしてみせたが、それくらいで怯むカイラシュではない。
「はいはい、褒めてつかわす褒めてつかわす」
今言える最大限の賛辞を送り、サヴィトリはカイラシュの横をすり抜ける。
だが、瞬きの間にカイラシュはサヴィトリの前へとまわり込みディフェンスの構えを取った。構ってもらいたい時のカイラシュは、しつこいを通り越して妄執すら感じさせる。
「どけ」
サヴィトリは邪険に言い、フェイントを交えた動きで抜こうとするが、カイラシュはそれに寸分違わず食らいつく。それどころか、動きが早すぎてあたかも分身しているかのように見えてきた。
「相変わらず口下手ですねサヴィトリ様」
「でもそれって照れ隠しですよねサヴィトリ様」
「最近ではそういうのを『クーデレ』って呼ぶそうですよサヴィトリ様」
「言葉で上手く伝えられないのならボディランゲージでも構いませんよサヴィトリ様」
「サラウンドで喋るなうるさい!!」
なぜか都合良く近くにあったバールのようなもので、サヴィトリはカイラシュを滅多打ちにする。
悲鳴ではなく艶っぽい喘ぎ声が聞こえた気がしたが、サヴィトリは努めて聴覚を一時的に遮断した。
「うふふふふ……イイです、すごくイイですサヴィトリ様。こちらの起きあがりざまにフルスイングを叩きこんでくるあたりが特に絶望を感じられてイイです。うふふふふふふふふ。稀代の暴君の片鱗がこのカイラシュにはしっかと見えました」
気持ち悪い笑みを浮かべたカイラシュが何かぶつぶつ言っているが、いちいち取り合うとこちらが大怪我をする。
サヴィトリはこっそり通りすぎようとしたが、あっさりと腕をつかまれてしまった。
「……死骸の検分をしたいんだ。離してくれないか」
サヴィトリはため息をつき、素直に頼む。
「サヴィトリ様ご自身がなさる必要はありません」
「この先、いつまたリュミドラの魔物に襲われるかわからない。少しでも対策を立てるヒントが欲しいんだ」
以前、他の形状をしたリュミドラの魔物と戦った時、サヴィトリの攻撃はまったくと言っていいほど効かなかった。
自分の腕に多少の覚えがあり、意気揚々と戦いを仕掛けた結果がそのざまだ。また同じ轍を踏みたくはない。
「サヴィトリ様のすべては、不肖カイラシュ・アースラが身命を賭してお守り申しあげます。ですから、そのようなことは――」
「誰かに守られるだけというのは好きじゃない」
サヴィトリはきっぱりとはねつけた。
「次期タイクーンを失いたくないというカイの気持ちもわかるよ。だけど、お願いだからほんの少しでいいから私を信用して、私の言い分も受け入れてほしい」
「……サヴィトリ様はまったくわかっておられません」
今度はカイラシュが強い口調で言い返した。
「わたくし以上にサヴィトリ様のことを信用している者がいるとお思いですか? サヴィトリ様が他人の意見など聞かずに独断専行なさるお方だと信じているからこそ、こうして飽きるほど諫言しているのです。一万回言っても聞き入れてくださらないのならば、百万回でも幾千万回でも言うまでです。たとえサヴィトリ様が厭おうとも、常に影のごとくそばにはべり、御身をお守り申しあげます」
一気にまくし立てると、カイラシュはサヴィトリの手を取り、その甲に唇を押し当てた。
呆気にとられていたサヴィトリは、数秒たってから思い出したように強く手を振り払う。
「……っ、こういうのも好きじゃない!」
無性に落ち着かない気分になり、サヴィトリは必要以上に声を荒らげてしまった。
カイラシュのせいで、自分はずいぶんと性格が悪くなってしまったように思う。
カイラシュに出会ってからというもの、毎日無条件に敬われるために思いあがった言動をとることが増えた気がする。傲岸不遜な人物が育ての親だったせいもあり、元々態度は大きいほうだが。
「ああ、申し訳ございませんサヴィトリ様。ですがこれは牽制というか示威行為なので」
カイラシュはちっとも申し訳なくなさそうに目を細めた。
「まわりにはたくさんの獣がいますから、ね」
一瞬、ぴりっと周囲の空気がひりつくような感じがした。




