EX 二人を照らす色彩1
「ナーレ! 城下に行こう!」
タイクーンのお歴々がまつられている霊廟で即位奉告の儀に臨んでいるはずの国家元首が、僕の研究所に勢いよく飛び込んできた。昨日のような儀装服ではなく、いつも着ている身体に沿った仕立ての藍色の長衣だ。
僕の研究所は術法院の地下にある。途中で誰かに見とがめられなかったのだろうか。いや、見つけたとしてもスルーするのが術法院の連中か。術の研究開発以外に興味のない奴がほとんどだ。
「君の不真面目さは承知しているけれど、まさか即位翌日に祭祀をサボるとはね。カイラシュが発狂する前にさっさと帰りなさい」
僕はしっしと手を振って追い払うしぐさをした。
身勝手で好奇心が強く、突撃しかできないこの娘がタイクーンにむいているとは思っていない。しかし最低限の責任は果たせると思っていた。どうやら買いかぶりすぎていたようだ。
「大丈夫だよ、だって今日は公式にサボっていい日だもん。カイが言ってた」
サヴィトリは頬を膨らませ、僕の机の引き出しを勝手に漁り始めた。長方形の缶に入ったクッキーを見つけだし、にこにこしながらラングドシャをかじる。
「はぁ?」
「タイクーンってみんな即位式が終わると疲れちゃうんだって。だから、その翌日は即位奉告にかこつけて休みにするらしいよ。表向きは霊廟に一人こもって一日中祈りを捧げ続ける、ってことにして」
どうやら嘘ではないようだ。こんなシナリオを作れるほど彼女は頭がまわらない。
「だから一緒に城下に遊びに行こう! お祭りやってるんだって。夜には打ち上げ花火も上がるって!」
瞳をきらきらと輝かせ、子供の顔をしてサヴィトリは言う。
儀装服をまとっていた時とはえらい違いだ。
即位式でタイクーンの座に就くことを宣命していた時の顔は、人を自然とひざまずかせる威厳があった。彼女がどんな人間なのかよく知っている僕でさえ、そう思ってしまった。クベラの血統至上主義は嫌いだし滅びた方が良いと思ってるクチだけど、やはりあの血筋には何かがあるのだと痛感せざるを得ない。
「お祭りねえ……」
サヴィトリからクッキー缶を奪い、中を見ずに適当に三枚ほど手に取る。
人混み嫌いなんだけどなぁ。さてどうやって断るのが一番穏便にすむか。
チョコチップクッキーを咀嚼しながらサヴィトリの表情をうかがう。
サヴィトリはにこにこと機嫌よく笑っている。自分の要求が100パーセント通ると思っている顔だ。
僕はため息をつき、手に持っていたクッキーを全部まとめて口の中に放り込んだ。
……まったく、君の思っている通りだよ。
僕はサヴィトリの頭を押すように強く撫で、しぶしぶ研究室を後にした。
* * * * *
城下は色とりどりの紙製のランタンで彩られていた。家の玄関や街路樹、露店、噴水にまで飾り付けがされている。空が見えなくなるほどランタンで埋めつくされている道もあった。普段は青と白を基調とした落ち着いた街並みだがこれはこれで新鮮で良い。
手持ちの小さなランタンを売っている店も多く、老若男女問わずかなりの割合の人間がランタンを携えている。
「なんでみんなあれ持ってるの?」
祭りの由来を知らない国家元首はすれ違う人々に視線を送る。
サヴィトリがタイクーンであることに気付いた者はいない。誰もが祭りや一緒に来ている相手に夢中なのだから当然か。
「少しは勉強したら」
「ナーレが教えてくれるなら勉強する」
「はいはい」
冗談ではなく、サヴィトリは自国について勉強する時間を取った方がいい。
こんな小娘に政治経済を任せる官吏はいないとは思うが、最低限の知識は入れておくべきだ。無知で損することはあっても有知で困ることはない。
「今日は即位奉告の儀――即位したタイクーンが霊廟で祈りを捧げることによって霊界の扉が開き、歴代のタイクーンがこちら側に留まることができる日だとされている。そこから転じて、開いた霊界の扉から死者の魂を迎える日となり、ランタンを飾り付けるようになったんだ。魂が迷わないための目印としてね。祭りの最後に花火を上げ、ランタンを空に飛ばすのは魂を霊界へと送るという意味があるそうだよ」
「私祈らずにここで遊んでるけれど」
「あくまで僕が今言ったのはいわれだからね。極端な話、実際は何がおこなわれていても、おこなわれていなくとも構わないのさ。即位したタイクーンにとってはただの休息日。民衆にとっては新王の誕生を祝い、死者をしのぶ日。それでいいんだよ」
サヴィトリはわかったようなわからないような顔をしている。これ以上言葉を重ねてもかえって混乱させるだけだろう。
僕はサヴィトリの手を引いて、小さなランタンを売っている露店へと立ち寄った。サヴィトリに選ばせて二つ買う。選んだのは水色と黄色で、花の透かしが入っている。
「それにしてもナーレは色んなことよく知ってるね」
水色のランタンを太陽にかざすようにして眺めながらサヴィトリは言った。
「貴族の子息相手の家庭教師で食いつないでいた時期があるからね」
仕事の斡旋をしてくれたのは導師ペダ様だった。クベラに来た時から今に至るまでペダ様には世話になりっぱなしだ。
「カイとヴィクラムにも教えてたんだっけ?」
「ああ。二人とも素直で飲みこみが早くて、とても優秀な生徒だったよ。数年会わないうちにどちらもベクトルの違う阿呆になってたけどさ」
僕はため息を禁じ得ない。特にヴィクラムは脳みそをすげ替えられたんじゃないかってくらいのド阿呆になってしまっている。嘆かわしいね、まったく。
一番の賑わいを見せる商業区に着くと、あちらこちらから食べ物の匂いが漂ってきた。食事を提供する屋台が多い。限定メニューを出しているレストランもあるが祭りは食べ歩きが醍醐味だろう。実際食べ歩きをしている人がたくさんいる。
「そろそろ何か食べようか。昼も過ぎているし、お腹すいているだろう」
あたりを見回すと、ちょうどベンチが空いたところだった。すかさず場所を確保する。
「見てきてもいい?」
一緒に暮らしていた頃くらいまで精神年齢が戻っているサヴィトリは今にも駆け出しそうだ。
「迷子にならないようにね」
僕は財布を渡し、サヴィトリの背中を軽く押した。
あっという間に雑踏の中にサヴィトリの姿が消えて行ってしまう。
……大丈夫かな。
「ナーレンダさんじゃないですか」
誰かがなれなれしく声をかけてきた。
「一人でこんな所に来る――タイプじゃないですよね」
最初、鎧をつけていないから誰だかわからなかった。エプロンをつけて店の商品を両手に持つその姿は、完全にただの店員にしか見えない。
「君こそこんな所で何やってるのさ? 近衛兵は全員霊廟の警備に駆り出されているはずだろう」
エプロンをつけた茶髪の男――ジェイはへらへらと気弱そうに笑った。
「えー、だって中にサヴィトリいないのに守る必要あります? 市中警備をしつつ、こうやって小金を稼ぐ方が有意義ですよ。よかったらこれ二つどうぞ」
ジェイは両手に持っていたチュロスを差し出した。
プレーンとシナモンシュガーがかかった二種類だ。遠慮なく二つとももらっておく。
「なんでいないって知ってるのさ。おおやけにされている情報ではないだろう」
僕は声をひそめて尋ねた。
おそらく、今日がタイクーンの休息日だということを知っているのは、補佐官、左右丞相、導師くらいまでだろう。僕が知らなかったことを一介の近衛兵ごときが感知しているはずがない。
「あはは、情報収集得意なんで。それにほら」
ジェイは親指をある方向へと向けた。
視線をそちらにやると、両手いっぱいに食べ物やら飲み物やらを抱えたサヴィトリの姿があった。さては目についたもの片っ端から買ってきたな。財布ごと渡すんじゃあなかった。
「ジェイ! 何やってるの? バイト? 近衛兵クビになったの?」
サヴィトリは鶏肉の串焼きを食べながら気軽に話しかけた。お忍びだという自覚はないらしい。そりゃまあ、ないだろうな。
「屋台の店員に扮しての市中警備だよ。似合う?」
近衛兵姿よりもエプロン姿の方が板についている。確かに物々しく警備をしているよりは祭りの雰囲気を壊さないし良いのかもしれない。……いや、良いのかそれで?
「じゃあ俺店に戻るね。チュロス美味しかったら買いに来てね~」
ジェイはひらひらと手を振ると、どこかへ去って行ってしまった。本当にただ商品の宣伝をしに来ただけなのか。
「はい。こっちの方が好きだろう」
僕はサヴィトリから食べ物をいくつか受け取り、代わりにシナモンシュガーのかかったチュロスを渡した。
「ありがと」
サヴィトリはチュロスを受け取ると早速かじりついた。食い合わせはあまり気にしないようだ。僕も人のことを言えた義理じゃあないけれど。
「ジェイは飲食関係の方が絶対にむいてるよね。なんで近衛兵続けてるんだろ」
「さあ、給料とかそこらへんの問題じゃない?」
おざなりに返事をしながら僕もチュロスをかじる。作りたてなのかまだ温かかった。外はカリッカリ、中はもちっとふんわりしていて食感がとても良い。しっかりと甘さが効いており、紅茶が欲しくなる味だ。
確かにジェイは料理が上手い。でもあのへらへら顔で心の底を隠している節があり、どうにも信用しきれない。戦闘技能についてもそうだ。本人は最弱だと言っているが、遮蔽物のない平地での戦闘を想定しているならそうだろう。特殊な状況下、夜陰の中だとか狭い建物内で真価を発揮するタイプであるような気がする。
そんなことはどうでもいいか。




