エピローグ 契りの指輪は重なり合って
城の外ではすでに大きな歓声が上がっている。
クベラ国民の誰もが、これからおこなわれる華やかで盛大な行事が待ちきれないようだった。
あと一時間もすると、新たなタイクーンを乗せた四頭立ての儀装馬車が王城を出発し、即位式が執りおこなわれる神殿へとむかう。
ここ数年、クベラ国では不幸が続いていた。二人の皇太子が立て続けに逝去し、そのショックから国の長たるタイクーンも病床に伏していた。
跡継ぎもおらず、タイクーンの病状も悪くなるばかり――そんな暗い雰囲気を打ち消すように、とある一報がもたらされた。
大陸全土に魔物を放ち混乱をもたらす神出鬼没の生ける天災「棘の魔女」を打倒し、ヴァルナ砦を奪還した若き女傑。彼女こそが亡くなったとされていたタイクーンの息女である、と。
暗殺者から命を守るため、生まれて間もなく密かに賢人に預けられ、身分を隠し異国の地で研鑽を積んでいた。
クベラと父王の危機を知り、唯一の世継ぎとしての責を果たすため国へと舞い戻った儚い美貌に果敢な心を秘めた姫。
サヴィトリのあずかり知らぬところでそんなシナリオが出来あがっていた。
よくもまぁそんなデタラメを考えつくな、とサヴィトリは感心するばかりだ。
身体の線をしっかりと拾う胸元が大きくあいたベルスリーブの黒を基調としたドレス。胸元から首周りにかけてボリュームのある白のフリルがあしらわれているため、ほどよく印象を和らげている。
即位式のために伸ばした髪はきっちりと結いあげられ、広げた翼を模した精緻な銀細工のティアラが彩っている。ティアラの両端には絹糸の長い房飾りがついていた。胸のあたりまで長さがあり、サヴィトリが動くたびに追従して揺れる。
「どう?」
サヴィトリはドレスの裾を持ち上げ、その場で一回転してみせた。履きなれていないハイヒールのせいで止まる時に若干もたついてしまう。
「似合ってるよ」
ナーレンダは感想を一言で済ますと、包み紙を開いてキューブ型のチョコレートを口の中に放り込んだ。
「それだけ?」
「他に何を言えっていうのさ」
「せっかく一番に見せに来たのに」
サヴィトリは子供っぽく頬を膨らませる。
ナーレンダの反応はほぼ予想通りだ。それが余計に腹立たしい。
即位式のための着替えが終わったサヴィトリはカイラシュの制止を振り切って、術法院にあるナーレンダの研究室にまで来ていた。
「クベラの王がそんな顔をするんじゃあない」
ナーレンダはサヴィトリの頭を撫でようとして、やめた。髪型が崩れるのを気にしたのだろう。
「即位式まであまり時間もないだろう。送っていくからもう戻りなさい」
ナーレンダは分別のある大人の顔をする。
「……はーい」
耳元を飾る大ぶりのイヤリングをいじりながらサヴィトリはおざなりに返事をした。
「まったく、僕が並び立つのがおこがましいくらい綺麗だよ」
ナーレンダはサヴィトリの手を取った。高すぎるハイヒールのせいで同じくらいの身長になっている。
「もうちょっと素直に褒めて」
「カイラシュが隣の方が映えるだろうね。あいつ派手だし身長もある」
「カイを褒めてどうするの」
「似合ってる、綺麗だ、ってすでに正直な感想を言ったろう? 僕に美辞麗句を期待しないでよ」
「……もう少し喜んでくれるかと思ったのに」
確かに言葉はもらったがサヴィトリは釈然としない。
「国の長として見栄えを良くしておく必要があるのはわかる。でも僕個人としては、そんな風にされたら気が気じゃあないんだよ」
ナーレンダはサヴィトリの顔に手を伸ばしかけ、途中で握りつぶした。
「どうして?」
サヴィトリは首をかしげた。ナーレンダは遠回しな言い方を好むので、サヴィトリには意図がくみ取れないことが多々ある。
「……君は時々救いようがないくらい鈍いね」
ナーレンダは心底嫌そうにため息をつく。
じっと睨むような強さでサヴィトリの瞳を見つめてから、ナーレンダは遠慮がちに両腕をサヴィトリの背にまわした。顔を隠すようにサヴィトリの肩に顎を乗せる。
「がさつで無神経で無茶で無鉄砲なのを全部覆い隠すくらい君が綺麗だからだよ。わざわざ一番に僕の所まで見せに来るとか、柄にもなく可愛げのあることまでしてくれちゃうし。こっちは化粧落としたり髪を乱したりしちゃいけないと思って必死に自制してるのにさ」
緊張している時や感情が昂っている時によくナーレンダは早口になる。
触れあった部分からナーレンダの鼓動が伝わってきた。毎秒二回ペースの心音がナーレンダの真意を教えてくれる。
「ナーレ?」
「口紅くらい、あとで引き直してよ」
怒ったように言い、ナーレンダはわずかに顔をかたむけた。唇が重なると、いつもと違いチョコレートの味と香りがした。ナーレンダがさっき食べていたせいだろう。
「んっ……ナーレってその、意外とこういうこと好きだよね」
口紅を引き直すの意味がわかってから、サヴィトリはじわじわと顔の温度が上がるのを感じた。
まわりくどくてひねくれた性格をしているのに、ナーレンダはこういったストレートな愛情表現をしてくることが多い。
「君が言ってもわからないからだろ」
「えぇ……」
「何か文句でも?」
「えっち」
「は? ……ばっか! 何を言ってるんだ君は!」
「ナーレはえっち」
「僕は主語をつけてわかりやすく言いなおせって言ったわけじゃあない!」
ナーレンダは顔を真っ赤にしてサヴィトリの眼前に指を突きつける。
「ふふ、はいはい」
サヴィトリは笑って受け流し、ナーレンダの手をやんわりと下ろした。今度はサヴィトリの方からナーレンダを抱きしめる。
からかいすぎて本気で怒らせると後が怖い。ここは甘えてうやむやにしてしまおう。
「はい、は一回でいいよ。まったく、こんな調子で本当にタイクーンが務まるのか心配だよ……」
「大丈夫、必要最低限のことはちゃんとやるし、必要以上には踏み込ませないつもり」
サヴィトリはナーレンダを抱く手に力を込めた。
いくら「クベラの再来」を称したところで、サヴィトリが「災厄の子」として亡き者とされた過去を知っている人間はいる。その者達にとってサヴィトリは次代へのつなぎだろう。そんなことに利用されるつもりはない。
「一人で勝手に覚悟決めないで、ちゃんと僕にも相談しなさい。君のギセイシャは僕だけで充分。これ以上増やしたら許さないよ?」
ナーレンダはこつんと額を押し当てた。
「これから先も、ナーレだけだよ」
サヴィトリは目蓋を伏せ、キスの代わりにナーレンダの右手を組むように握りしめた。指輪が擦れあう感触が心に響く。
「……ふん。そろそろ本当に行こう。僕のせいでパレードに遅れたら何をされるかわかったもんじゃないしね」
サヴィトリとナーレンダは手をしっかりと握りあったまま扉を開けた。
〈了〉




