最初の町
ナックスとルミナリエの二人が町を旅立ってから一日。二人は魔導協会のあるキール・ウエストはおろか、未だ次の町にすら辿り着いていなかった。
その理由としては……。
「はあっ、はあっ……この坂、結構急ですね」
「大丈夫か? ルミナリエ」
「はい。畑のお手伝いで、もっと大変なときもありましたから」
「んや、ダメだ! 一旦休憩! そこに川もあるし、ちょうどいいだろ」
ナックスは異常なまでに心配性なのだった。ルミナリエが疲れている様子を見せれば、休憩を挟んでしまう。ルミナリエはそれをすぐに気づき、なるべく疲れてた様子を見せないようにしている。
「いえ、本当に大丈夫です」
ナックスは、彼女が否定するとそれ以上強く言わなかった。
「それよりメシアさま。魔導、協会? のある町は、まだまだ遠いのでしょうか」
「んーそうだな。まだちょっと遠いよ。このまま歩きっぱなしで、あと四日ってところかな」
「そうですか……。町は大丈夫でしょうか? 今は、町にリーダーと呼べる人が居ませんから……」
「心配か? まあ、あいつらが居なくなっても町が裕福になる訳でもないしな……」
ナックスは少し考えた後、
「ルミナリエ。疲れてないか? これからちょっと、休憩減らすぞ」
と言った。彼は意外と単純で加減を知らないので、何をするにもやり過ぎてしまうきらいがあるのだ。
「あ……はい! 大丈夫です!」
二人はほんの少しだけ、歩くスピードを上げた。
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そして二日目の昼過ぎ、二人は旅に出て初めての町に着いた。
「キナルドフの町ですね。昔何度か父と来た事があります」
「ふーっ、やっとゆっくり休めるな。とりあえず飯にしよう。その後買い出し……ん?」
ナックスは足を止めた。路地裏、人目に付きにくいところで、何か騒ぎが起きている。殴り合いだった。
「メシアさま、どうかしました?」
「……いや、ただの喧嘩だなありゃ。酒場に行こうぜ」
「えっ! 喧嘩なら止めないと! ああでも私じゃ……」
「大丈夫だって。もうケリ着いてるから」
ナックスがそれを言い終わるのと同時に、路地裏から二人の男が吹っ飛ばされる。風貌からして、ただの一般人だとナックスは判断した。それに続いて、今度はナックスよりも僅かに背が高い赤髪の男が現れた。背中に剣を担いだ、旅人のような格好をした男。赤髪は若干逆立っていて、勇ましい印象をルミナリエは受けた。
「くっそ……いい気になるなよ!」
吹き飛ばされた方の一人は、男へ向かって捨て台詞を吐くと大急ぎで走り去った。もう一人もそれに続く。赤髪の男はナックスたちを見る事もなく、ため息を着いて去っていった。ルミナリエはそれを追おうとしたが、ナックスの、
「ありゃただの奴じゃない。ケガなんてしてる訳ないだろうぜ」
という言葉を聞いて立ち止まった。
「ただの喧嘩なんてどこにでもあるさ。とっとと行こうぜ」
「あ、はい……」
……でも今どき、魔導士に喧嘩を売るチンピラなんて珍しいくらいだけどな。まあ、あいつが魔導士って決まった訳でもないか。密かにナックスはそう思った。
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酒場の前まで二人はやって来た。ナックスは勢い良く店の中に入っていく。それに続いてルミナリエも入ったが、そこである事気付いた。ナックスに駆け寄り、小さい声でそれを伝える。
「メシアさま、私まだ十六歳です! 王国の令で十八歳未満は酒場での飲食禁止ですから、私は……」
しかしナックスはそれを、バレないバレない、と一蹴して席に着いた。ルミナリエも仕方がないので席に着いたが、なんだか落ち着かない気分だった。
「マスター、とりあえずサンドイッチくれ。あと燻製も適当に。飲み物は……とりあえず水」
「あいよ。……やけに若い娘さんだが」
店主はこの時既に理解していた。見るからに、この娘は十八ではない。
そして店主の鋭い目線と罪の意識に耐えきれなかったルミナリエは、
「ううっ、ごめんなさい! 私まだ」
と立ち上がって自白を始めてしまった。それをナックスは慌てて遮る。
「ちょ、ルミナリエ! 言わなきゃ大丈夫だってのに!」
「……いい、いい。昼間は食堂みたいな扱いだ。食ってけ食ってけ」
店主は「はっはっは」と笑い調理のため店の奥へ向かうのだった。
「や、優しい方で良かったです……」
「最初から分かってて言ってんだよああいうのは。趣味悪いぜあのマスター」
とりあえず安心して席に着いたルミナリエだったが、今度はきょろきょろと店の中を見渡している。
「どうした? なんか居るのか?」
「いえ、酒場で食事をとるのは初めてなので……なんだか新鮮なんです。酒場自体、数えるほどしか入った事がないので」
するとナックスは笑みを浮かべ、
「俺に着いてくるなら、これから嫌になるくらい来ることになるさ。その内喜んで酒を飲むようになるぞ」
と得意げに言った。
「なりません! ……あれ、さっきの方じゃないですか? あの二人」
ルミナリエが見ている方向、カウンターの隅には、確かに先ほど赤髪の男にやられた二人組が居た。ぶつぶつと何かを言いながら、酒を飲んでいる。
「そうだな。反省会でもやってんじゃねえか?」
ナックスは興味が無かったのでそっけない返事を返した。ルミナリエもしばらく眺めると、別段その男たちを気にする事なく、運ばれてきた料理に舌鼓をうつのだった。
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「あーうまい! マスター、サンドイッチもう一個くれ」
「……あいよ」
店主は呆れた顔を浮かべ、また店の奥へと戻っていった。対するナックスは、やっと腹八分といった具合で、まだまだ余裕の表情を浮かべていた。
あれから三十分程。ルミナリエはとうに食事を止めて、ナックスの食べっぷりに驚いていた。それとともに、一つの心配事。
メシアさま、支払いはどうされるんでしょうか……。ここは払えても、これからの食料が買えないかもしれない。
ルミナリエは家にあったお金を全て持ってきたが、暮らしは貧しかったため大した額ではない。そして、ルミナリエの知る限りではナックスは一文無し。
ああ、これからどうしよう……。
「ん、どうしたルミナリエ?」
「い、いえ……メシアさま、お金は……」
「ああ、金? 大丈夫。ヴィレントたち閉じ込める時に貰ったから。山ほど」
「え!? 誰からですか?」
町に謝礼金をくれる程裕福な人が居ただろうか? とルミナリエは不思議そうな顔をした。
「ヴィレントたちだけど。んで酒場に行って金払って服も返してもらったし」
ナックスとしても術式を刻んだ馴染みの服は手放したくなかったので、あの後しっかり服を返してもらっていたのだ。
「ああ、だから作業着は私に返したんですね……って、それ『貰った』っていうんですか……?」
ルミナリエがこの行為に適すると思った言葉は「奪った」である。実際、ナックスはヴィレントたちから魔術結晶を回収するとともに、溜め込んでいた大量の現金を「奪って」いたのである。本当は町の人々に渡るべきお金だが、ナックスはこういったところで自分主義である。
「こういうのは、貰ったってことにした方がいいんだよ」
ナックスは、何を当たり前のことを、と言った具合でさらっと返した。ルミナリエもそのお金が無いとこれからの旅が不安であったので、それ以上は何も言えなかった。
お母さん……メシアさまって、意外とゲンキンな人なのかもしれません……。
「邪魔するぜ」
店に新しい客が入ってきた。あの赤髪の男である。ナックスは最後のサンドイッチを頬張りつつ、その男の動向を見張った。理由は単純であった。
「おい、てめえ! 俺たちの酒場に入ってきてんじゃねえよ!」
酔っ払った先の二人組が、赤髪の男にまたしても絡んだからである。ルミナリエも、それを不安そうに見つめていた。
「うるせえよ。ちょっと飯食ったら、てめえらに言われなくたって出て行くぜ」
「減らず口を……。カグラ! てめえ、小さい頃は俺たちに歯向かえなかった癖によぉ」
二人組のうち、小柄な方が赤髪の男カグラを突き飛ばした。しかし、カグラは一切仰け反ることなくその場に留まった。
「魔導士になったからっていい気になるなよ! おい、聞いてんのか!」
やはり魔導士か、とナックスは納得した。ナックスは魔導士を気配で判別できる。しかしこれはナックスに限った話ではない。一定の力を持つ魔導士なら誰でも、同じ魔導士の持つ「気配」が分かるようになるのである。
「……おい、またぶっ飛ばされてえのか?」
「どの口でんな事言ってんだ! ぶっ殺すぞ!」
二人組はすっかり酒が回っていて、先ほど負けたことなど少しも反省していなかった。そしてそのまま、カグラに殴りかかる。もちろん、カグラには大したダメージにもならない。カグラとしてはこんなところで喧嘩などしたくはなかったが、怒りは次第に大きくなっていき、そして__。
「野郎、まだ殴られ足りねえみたいだな」
カグラが己の拳で反撃しそうになったその時。店全体が一瞬、揺れた。二人組はバランスを崩して倒れる。ルミナリエは驚いた。ナックスが一瞬でカグラの元へ移動していたのだ。
「止めとけよ。お前が本気で殴ったら、そいつら死んじまうぜ」
ナックスがカグラの肩をとんと叩いて諭した。先の揺れは、ナックスが魔力をこの酒場一帯へ送った事によるものだったのだ。
「……悪りい、カッとなっちまった」
「ちょっと付き合えよ。食い物ならこれやるからさ」
ナックスは自身が一口かじったサンドイッチをカグラに差し出した。カグラは、「よく分からん男だ」と思いつつも笑ってそれを受け取り、ナックスと共に店を出た。
「ああっ、メシアさま待ってください! あとお金!」
「すぐ戻ってくる! ちょっとだけ待ってろ!」
「……大変だな、嬢ちゃん」
「はい……」
旅の苦労というものを、ルミナリエはまた一つ知った。