8.その男、教皇につき
サム・ライに助けを求めることは可能だった。
だがビルはそれを選ばなかった。
「女をくれ→了承ってのはいいんだよ。商売の範囲内の話だ。原価割れはしていないがもう少しボロもうけしていい品をある程度で抑えてんだから。だがおんぶに抱っことなると話が違わあ。下手に借りを作ったら親に請求が行く。おやじと姉貴にぶっ飛ばされる」
「姉ちゃんがいるのか」
「ああ。次期ボスだって言われてんだ。俺と違って頭は切れるし射撃も得意だ」
ちょっと疑問に思った。
「ボスってのは女でもなれるのか」
「通常の三倍ぐらい実力があればなー。ああ、しかしベッピンはダメだ」
権力のみならず美を備えた女は男たちに渇望される。そして手に入れられなかった奴らの心を泡立たせる。
「以前北区にいたそうだぜそんなボス。最初のうちはみんな女王様に仕えるみたいに嬉々として従ってたらしいが、そいつが男を選んだとたん穴だらけになって死んだそうだぜ」
どっちの意味かは聞かないことにした。
灯りの間遠な方に足を向けていた。
そろそろ人の多い区域を離れる。そこらはそれでまずいが、人けのない地区もヤバイ。ヤク中のコロニーもあるし腐り果てた臭いのする放置された工業地帯もある。
エリアのボスさえ放置している箇所だ。
「マズくないか? 撃っても平気な奴が襲ってきそうだ」
「この辺りまでなら大丈夫だ。寺がある」
「寺?」
「双十字教のやつだ。以前は教会だったがサム・ライの支配下になってから建て替えられたんだ」
いろいろな宗教を取り込んでいるので、その末端の形は様々だ。ビルは苦笑した。
「シェリルが怒ってた。あんな形じゃ行く気がしねえって」
「信心深かったのか?」
「フツーじゃね。ああ、おまえヨソ者だったな」
地獄の住人は他よりもむしろ信心のあることが多い。目の前で人が死ぬことに慣れた人たちは救いを求める気持ちも大きい。
「東エリアのやつは寺と神社だ。全部で二つだ」
「くわしいな」
「うち、教皇がいるからな。うちの地区には三つある。みんな教会だ」
普通地区の教会は一般的に一つ、天国地区は教会一つと大聖堂がある。寺や神社があるかは寡聞にして知らない。
俺も信心深い方ではないが、もちろん子供の頃に母親に連れられて行ったことはある。験の悪い時には左手の二本の指に右手の一本を添えて双十字を切ることも……。
「おい」
思わずゆっくりと歩くビルを止めた。
「ああん?」
顎を上げてこっちを見るビルに向かって勢い込んだ。
「シェリルのメモ! あれ双十字教のことじゃないのか!」
「…………なるほど」
ビルは少し足を速めると一番近い街灯にたどり着いた。そこでメモを取り出して眺めている。
2+1=2。最初の2+1がシンボルである双十字を指し、最後の2が双十字教自体を指しているのではないだろうか。
「可能性は高いな。サム・ライ側にばれないように俺に伝言したんだな。さすがは俺のシェリルだ」
本当にこいつがそれに気づくと思ったのか。買いかぶり過ぎじゃないのか。あるいは他の誰かに対するメッセージか。
「他に男がいたりはしないんだな」
「ったりめーよ。シェリルは処女だ」
この地区でそれは架空の生き物だと思っていた。
「いるんだ」
「十六歳でそうなのは珍しい。ううっ、無事だろーか。過去形になってたら……」
ビルが身もだえしている。
「希少品だから気に入ってるのか」
「何を言う! んなわきゃねーけど無事な方が百倍いいわい!」
……健全だ。女の扱いは悪いって話だったが。実際クラブでもひどかったんだが。
そのことを口にするとビルは顔をしかめた。
「あの手の女は気色悪ィ。黙って従っときゃどうにかなるって思ってやがる。馬鹿にしてんぞ」
ここらじゃちょっと珍しい価値観な気がする。
俺たちは寺を目指した。それはすぐに見えてきた。そびえたつ壁の中に神秘的なカワラ屋根の建物がある。
門のベルを押すとインターホンで応待される。ビルが教皇について二、三語るとすぐに遠隔操作で門が開いた。
ライトアップされた庭園には清らかな白砂が敷いてある。そしてそれには絵文字が描かれている。
「……ナスカの地上絵だ」
子供のころ本で見たことがある。
「ワビ・サビだな。渋いわ」
そうなんだろうか。
十歳ぐらいの青い目の小坊主が出てきて案内してくれた。
「イッキューさんだ。道の端は歩かない」
この手の小坊主の総称らしい。
本堂には双十字クルスを首にかけた金色の仏像が飾ってあった。成人男性ほどのサイズの立像だ。
床はすべすべの木製で、ワックスでピカピカしている。仏像に供えられたバラの香りの線香が趣を深める。
壁には天使が描かれている。チョココーティングされたパイを供えると御利益があるそうだ。
「アナタは神を信じまーすか」
現れた黒人の坊さんが開口一番尋ねた。
「神? 仏じゃないんですか」
思わず聞き返すとにこやかに答えられた。
「本地垂迹です。気にしなくてよろしい」
よくわからんから流した。
他の地区でもそうだが、双十字教の末端は情報の集積地だ。ここの一般人の持てない電話やテレビも持っている。日を決めて参拝者にも使わせてくれる。地区のボスも所有しているし手下の一部にケータイを持たせているがビルは持っていなかった。
「いいでしょう。期日ではありませんが、教皇様の守護者のご子息の願いはかなえて差し上げたいと思います」
電話を貸してくれた。
西区と連絡を取ったビルは送迎を依頼し、罵倒されながらも了承してもらった。ちょうど境界にあたる中央点近くにいる車があったらしい。
俺は坊さんに尋ねた。
「最近十六歳ぐらいの少女が、救いを求めて来ませんでしたか?」
「老若男女に関わらず毎日来ます」
「魂の救済ではなく実際的な保護、もしくは他地域への移送を依頼する少女はいませんでしたか」
双十字教の教義は命と宗教の存続にかかわらない限り嘘を禁じている。教義上の虚構や矛盾はスルーしてるが。
「いませんでした」
「そうですか。それでは少女に限定せずもっと年上の女性だとか、あるいは老人だとか」
変装してきたかもしれない。黒人の坊さんはしばらく考え、そのあと口を開いた。
「単に食べ物やねぐらを求めてくる人は多いです。そのために週に一度温かい粥をふるまいます。ただし継続的な保護は受け付けておりません。しかし他地域の移送ってほどではありませんが、一週間ほど前に西区に向かう者たちの中に加わった少年はいました」
教皇庁の定期便に見知らぬ十四、五の少年が加わりたいと現れた。
「薄汚れてはいましたが利発な子で、念のため尋ねた聖典の質問にはすべて答えました。教皇様を拝んでささやかながらも寄付をしたいと言うので、レイキューシャにのせてやりました」
双十字教の末端はそれぞれ人や物資の輸送のため教会車を一~二台持っている。
この寺のそれはレイキューシャと呼ばれる華やかなリムジンだそうだ。
地獄地区では自動車を個人で所有できるものは少ない。公共の交通機関としてのバスはある。ただ、マズいことをやって逃げる人たち以外は地区外移動は割に少ないらしい。
「その子だろうな」
「ほら見ろ。シェリルは俺の地区に行ったわけだ」
鼻高々なビルに尋ねる。
「で、おまえに会いに来たのか?」
途端にしゅんとなる。
ダイレクト燃焼式の水素燃料車が迎えに来た。男が三人車から降りた。ソフト帽とスーツは黒だがネクタイは鮮やかな深紅だ。よく見るとタイピンは揃いの双十字だ。
「無事ですか」
「見りゃわかるだろ」
「ガードはどうしましたか」
「ドンパチやっててはぐれた。バスで戻るだろ」
少し苛立ってそっけないビルに彼らは丁寧だがいくらか距離を置いた態度で接している。
「この男は?」
「サムのとこの客人。うちでしばらく預かる」
「どうもー」
にっ、と笑って片手を上げる。
彼らは帽子をほんの少し持ち上げて見せた。
別れ際、黒人の坊さんに彼女のことを尋ねてみた。
「緑の目のご婦人……。いえ、知りません。ですがこちらに戻られることはありますか? 信者に尋ねておきましょう」
「よろしくお願いします」
頭を下げた。
道中男たちは話しかけてくることはなかったし、ビルもむっつりと黙り込んでいた。もう俺が来る意味もなかったんじゃないかと思ったが、できるだけ広範囲で彼女を探したかった。
それに、タダで移動できるチャンスはあまりなさそうだったのでちゃっかりと便乗した。
しかしそのうちに居眠りしてしまって、中央点の状況は見過ごした。
天国都市の一つにある教皇庁は壮麗な宮殿の中にある。だが、十七地区西区に存在する教皇庁は一つだけ塔のある地味な教会の脇にあった。
それでも、この辺りでは一番上等の建物だ。
教皇は教会堂のホールでミサの最中らしい。教会を挟む形で両側に付属する建物があり、右が教皇庁だそうだが左に連れていかれた。
けっこう手入れのいい大理石の廊下を渡って奥に行くと、不規則に表れる扉の一つが開いた。
そこに入ると茶髪の女性が一人立っていた。周囲を黒服紅タイの男たち三人が囲む。
彼女の背は高い。ただし俺よりは高いがビルより低い。他の男とたちと同じ黒スーツに紅ネクタイだが女性特有の丸みは感じられない。よく鍛えた鋼を思わせる体つきだ。
容姿も特に良くも悪くもないが、刃を思わせる鋭さを持つ。
「お帰り、ビル」
低い声だ。
「た、ただいま、姉ちゃん」
「無事でよかった」
「おう……はい」
「だけどガードから離れたのは感心しない」
もごもごと何か言い訳を仕掛けたビルが一瞬で倒れた。
腹部を殴った手を払いながら女性は俺を見た。
「おまえは?」
「シロウと言います。サム・ライのところでやっかいになっていました」
軽く説明すると女性は右手を差し出した。
その様が意外に優雅だったので俺は無意識にその手を取り、軽く口づけた。
女性は目を丸くするし、周囲の男たちは銃に手をやるしえらいことをしてしまった。
「失礼。将来を嘱望されるレディだと聞いていたものですからそれにふさわしい対応をと思いまして」
ボス候補ってのは口に出さない方がいいよな。
彼女は頬をわずかに緩めた。
「職業はホストか」
「違います。ただの無職です」
彼女は送迎の男たちにビルを下げさせ、俺をソファーに座らせた。
自分はその真向いの安楽椅子にどっかりと座ると足を投げ出した。
「ビルは組織には属していないが私の身内だ。バカなヤツだが勘はいい」
「はあ」
「たぶんやっかいをかけたんだろう」
否定はできないので肩をすくめた。
「くつろいでくれ。敵だと定まらない限りは歓迎する」
俺はあいまいな笑顔を浮かべた。
「サム・ライとの関係は非常にいい。まあ、これはあのバカの手柄だな。だがごく最近になって少しおかしくなっていた。色気づいたあのバカが荒れ狂っていたせいだな」
「ご存知でしたか」
「ああ、大体はな。女のせいで常態を見失うとは全くのバカだ」
「俺もバカの一人です。…………赤毛のショートで緑目の美女を知りませんか」
「いや。その女はおまえの何だ?」
じっと見つめるビルの姉の瞳は淡いブラウンで光のあたり具合によって黄褐色に見える。
「全てです」
真顔で答えると彼女はしばらく無言で俺を見返し、口の端を上げた。
「ほう。面白いな」
ビルの姉はジェイン、普通はJと呼ばれていると名乗った。
「知っている者がいたら伝えてやろう。そのためにこのエリアに来たのか」
「それもありますがなんかなりゆきで」
事情を説明した。
教皇庁に行く前にミサに出るように言われた。
素直に従って教会堂の扉を開くと、ミサは終盤で盛り上がっている最中だった。
両側に簡素な木製の長椅子が並んでいるが人々はそこから立ち上がって前の方に詰めている。
歓声を上げる信者をかいくぐって教皇の見える位置にたどり着くのは難しかったが俺は強引に実行した。
奥には祭壇があり、その前に広い空間がある。
そこで、背は低いががっしりとした体形の初老の男が見事なムーンウォークを見せていた。