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18. マダム、お手をどうぞ

 パーティの余興として主催者の庭園でシューティングマッチを行うことになった。人々は防弾ガラスの向こうでそれを見るそうだ。


「舞台劇が千秋楽を迎えたから、それを祝うパーティなの」

「へえ。どんな劇ですか」


 メレディスに尋ねると、古典的かつメジャーなタイトルをあげた。


「オペラ座の怪人よ」

「それなら知ってる」


 ビルがそう言ったので俺たちは仰天した。


「内容を知ってるの?」

「普通都市出身のやつが話してたことがある。自分の推しをゴリ押しでセンターにしたドルオタが、その子がカレシ作ったのでキレて修羅場になる話だってな」


……間違いとは言い切れない。


「短くまとめたパンフレットがあるから持ってくるわね」


 彼女は苦笑しながら立ち上がった。



 主催者は舞台を企画した人だ。その邸を訪れると、人々が先に入ってから案内された。衣装はこの間と同じで、フロックコートにシルクハットだ。


 玄関のホールで圧倒された。広い部屋の中央に、降臨した女神のような派手の姿の女性がいる。そう思っていたら等身大の豪華な磁器(ポーセリン)人形だった。体よりも大きい光輪などを身につけている。


「かつてラスボスと呼ばれた歌姫の姿を正確に再現しました」


 案内してくれたボーイが説明する。全身に散りばめられたクリスタルがシャンデリアの光に照らされてまぶしく輝く。


 感心しながら奥の大広間に入ろうとするといったん止められ、ボディチェックをされた。俺のグロックもビルのパイソンも預かられてしまう。


「シロウさまはシューティングの時、ビルさまはお帰りの際にお返しします。会場にはご婦人も多いので、平にご容赦願います」


 ボーイが何度も頭を下げるので仕方なく許容した。仕事としてやっている人を困らせたくはない。ビルも怒り出したりはせず「兄ちゃんも大変だな」と言って渡した。


 俺たちが中に入ると視線がいっせいに向けられた。温度も圧力もないはずなのにその両方を感じさせるほどの好奇の目。皮膚の表面が痛く感じるほどだ。


「今回参加してくれる特別ゲストです。第十一普通都市出身のシロウくんと、なんと毒抜きなしの生粋の地獄都市出身者ビルくんです。皆さん、盛大な拍手を!」


 天国市民っぽいお貴族衣装のMCが煽ると拍手が響く。毒抜きってなんだろう。疑問を感じつつ隅の席に案内される。そこは正面だけは別だが残り三面をエアカーテンに囲まれていた。同じ空気さえ吸いたくないらしい。


「気取ったにおいがしなくていいわ」


 ビルはそういってどかりと腰掛けた。さっそく人々が眉をしかめる。彼はかまわずにやりと笑うと、一番近くにいたレディーに投げキスをしてみせて挑発した。

 その女性は卒倒しそうな顔になった。横の男性が何か怒鳴っているがわざと耳に手を当て、もう片手でエアカーテンを示して聞こえないとジェスチャーした。


「あまり煽るなよ」

「礼を示してやってるだけだぜ」


 悪びれた様子もない。俺はため息を一つついた。

 近寄りたくなかったのか男は直接抗議には来なかった。MCが普通に進行し、舞台役者が登場する。彼らはほんの一場面だけを演じたが盛大な拍手をもらった。


「あの仮面のヤツがドルオタか」


 ビルの発言に噴き出しそうになりながらうなずく。人々は演技の時だけはさすがに視線をそちらに向けていたが、終わるとまた侮蔑的な視線でこちらを見ている。


「それではご自由にご歓談ください」


 その言葉は背中で聞いた。そういわれる直前に二人とも退室させられたからだ。俺たち二人は別室に案内され、そこで食事が出された。


「ものを食べる時にいると不衛生ってコトだな」


 ビルが肩をすくめる。案内のボーイが「申し訳ありません。毒抜きされていない方は原則として席を外していただくことになっております」と告げる。


「さっきも聞いたけど毒抜きって何?」

「地獄出身者を半年から一年、マナーなどを学ばせながら普通都市で生活させることです。私もこちらに勤める前にそう致しました」

「え、あんたそっちか。全然見えんわ」

「こちらの使用人はほとんどそうですよ」


 彼は二区の出身で、普通都市十区で一年間亡者暮らしをさせられたそうだ。


「あんたすげえな。ちょっと通っただけでもエラい目に合わされたぞ」

「はいキツかったです。同期は最初二十人ぐらいいたのですが、どんどん脱落して三人しか残りませんでした」


 毒抜き後の亡者は天国都市に勤められるので、普通の地獄民に対してより差別がひどいらしい。


「あまりの扱いに怒ってテロ活動じみた犯罪行為をしてしまった仲間もいます。そんなヤツじゃなかったのに」

「そらあんなトイレ使わされたら、そんな気にもなるよな」

「いえ、トイレは地元と変わりませんが」


 ビルがめちゃくちゃショックを受けた顔をした。教会のトイレはまともだったからだ。


「そんなまどろっこしい真似せずに、フツーに普通市民雇えばよくねえか」

「こちらの方は彼らの事を私たちよりもっと信用しませんからね。特に五区と六区……」


 言いかけてあわてて口をつぐんだ。盗聴されているのかもしれない。


「失礼しました。不自由な点がございましたらなるべく配慮いたしますので申し付けてください」


 にこやかに笑って本心を閉ざした。俺たちはそれ以上情報を強制せずに食事をすませた。



 シューティングマッチのために庭に案内された。相手は射撃クラブメンバーの先生だ。この人もたぶん毒抜きされた地獄民なんだろう。

 ビルも庭に出てすっくと立っている。俺は一度シルクハットを脱ぎ彼に一礼し、ついでにガラス越しの天国市民にも礼をしてやった。


 用意されたのはウサギ箱だった。げ、と思ったがそいつが先に撃ったおかげで息をつくことができた。ウサギは耳のないなんだかわからないものに変えられていた。人道的な配慮なんだろう。


 相手はレース用のハイキャパだったがそれでもリロードする必要があった。彼は淡々と飛び跳ねるそれを撃っていき、かなりの数を稼ぎ出した。トリガーが軽量化してあるようだ。


 俺の番になりすうっと息を吸い込んだ。一つしかないロングマガジンはケンの屋敷に置いてきた。不審がられるといけないのでフルオートも使えない。だけど、負ける気はしなかった。


 自重で落ちるマガジンを気にする間もなくリロードし、様々な動きのターゲットを撃つ。人の背の三倍ほどの高さまで跳んだり、地面すれすれに逃げ出したりする。

 だが割に楽だった。ウサギ型じゃないからトラウマは刺激されない。


 MCはさんざん煽って実況していたが、俺の勝利はそのまま伝えた。窓越しの人々が軽くざわつく様子がなんとなくわかる。誇らしげな顔のメレディスを見つけて一礼してみた。


「よくやったな」

「あざーっす。師匠の訓練のおかげです」


 イヤミを言ってやったが、ビルは愛弟子の成長を見るような温かな顔で「素質のわりにはおまえもがんばったぜ」とか言ってる。ほんと、覚えとけよこいつ。


 不満を抑えて無理やりさわやかな笑顔を浮かべていると、部屋の中にいたボーイが外に出てきてMCの元まで来てささやく。彼はうなずいた。


「はい、優勝者とその師匠をじっくり見たいとリクエストが来ました。そうですねー、別にくさくはないようですし連れて行きましょうか。はい君、銃は預けてね」


 再びグロックは回収され俺たちは大広間に戻された。今度はエアカーテンは止められ、全員が面白そうにじろじろ見つめる。こりゃ珍しい動物を見るときの視線だ。


ーーーー俺は、こんな視線でヨソの人間を見ていただろうか


 考えてみるがわからない。鏡を見ながら人を見たりはしないし。


ーーーー品のない目つきだな


 絹やレースを多用したレトロで上品な衣装。だけど軽侮と優越感に満ちた表情は少しも上品ではなかった。

 けれど心配そうな顔でこちらを見ているメレディスの視線には嘘はなかった。

 作り物の笑顔が本物になる。あの優しい女性を不安がらせるわけにはいかない。


「よお、そんなに珍しいか。なんなら脱いでやろうか?」


 ビルがニヤッと笑ってフロックコートに手をかけた。言われた女性が顔をしかめてあわてて下がる。


「そっちの姉ちゃんは見えるか? もっと近くに寄ってやろうか?」


 声をかけられた女性がピューっと逃げた。そりゃ怖いよな。だけどビルもカレンの件があるからこれでもけっこう抑制している。もっとおちょくりたくてしょうがないはずだ。


 だけど失礼な口をきいたってコトで彼女たちは腹を立てたらしい。何人かが集まってこそこそと話し合い、一人がMCの元へ行った。


「それでは少々早まりましたがダンスタイムです。予定のプログラムを変更しまして、まずは基本のワルツから。みなさまいつも通りの優雅さで、よその区からのゲストを驚かせてみせましょう。それではアン・ドゥ・トロワ!」


 音楽が響きだし天国市民はステップを踏む。俺たちは元の席に座らされ、部屋の端からそれをぼんやり見ていた。

 胸もとが大きく開いたローブデコルテの女性たち。天国市民なのでみんなピカピカの膚だ。小ぶりな人もいるけれどそれぞれが谷間を晒して踊っている。


 ダンスをする女性の向こうに、エラく怖そうな老女が派手な背もたれの椅子に腰掛けていた。背筋がぴんと伸びている。その周りを何人もの男が取り巻いて、なんだかへつらうような感じだ。けれど老女は見向きもせずに何か言った。

 声はもちろん聞き取れないが、男たちの口がすべて閉じられたのをみると「やかましい」とかそれに類する事を言ったんだろう。


 怖いのでまた視線を他の女性に戻す。ちょとベティの健康的な胸を思い出したりもする。アンジーの服越しにしか知らない胸のこともちょっと考える。

 そうこうするうちにワルツは止まり、またMCがしゃべり始めた。


「はい他区の皆さん、ワルツはいかがでしたでしょうか。伝統ある四区の優雅さに圧倒されましたか? おや、そうでもないって顔をしていますね。それではここであなた方に多大な恩恵を与えましょう。なんと天国都市の令嬢の美しい手に触れるチャンスです。もちろん個人的に許容できない方はお断りになると思いますが、彼女たちをダンスにお誘いください。特別に許可します!」


 げ、誘わせて全員断るつもりだぞ。その証拠にみなニヤニヤしている。あわててメレディスを探したがいつの間にかいない。誰かが上手くだまして連れ出したんだろう。


「上手く誘い出したらもう一度今と同じワルツをかけますので踊ってください。射撃よりよほどカンタンでしょう」


 公平を装った嫌がらせだ。俺はあわてて宣言した。


「師匠、俺が行きます!」


 ワルツ程度へっちゃらだ。だがMCはそれを受け入れなかった。


「あなたは先ほどシューティングをしてくださいましたね。やはりお二人両方にこの都市を楽しんでいただきたいのですよ。ビルくん、ぜひお願いします」


 ビルはゆっくりと視線を巡らし、醜態をさらすことのみを期待している人々を見回した。それから一つうなずいた。


「ああ」


 のせられるなよ! ボンダンス踊ってごまかすわけにゃいかないんだぞ。素直にできないって認めた方が傷が浅いっ。


 だがビルは立ち上がった。ほとんどの女たちが薄笑いを浮かべている。カラダに自信のある女がちょっと身をくねらせてボディを見せ付けたりしている。明らかな罠だ。

 暴力よりよほどマシなはずだがいきなり撃ち込まれる方が楽な気がするのはなぜだろう。


 ビルはまっすぐに進むと、よりにもよって超大物オーラを放っている老女の前に立った。


 バカ、やめとけ! 外見を若く見せられる天国都市で平気で老人姿で現れるやつは恐ろしく自分に自信のあるヤツだけだ。社会的にも力を持ち誰にも侮られない強さを持つ人だけなんだ。特に女性でこの手のタイプは化け物じみたパワーを持つ怪物だぞっ。


 俺の内心の叫びが聞こえないビルは、老女をまっすぐに見つめて手を差し出した。


「マダム、その美しい手を貸してください」


 老女はじろりと彼を見た。ふんと鼻を鳴らすと「地獄民もお世辞を言うのかい」と唸るような声で言った。

 ビルは少しも動じなかった。


「あなたの手はこの会場で誰よりもきれいだ。それがなんだか知らないがちゃんと何かをやった手だ。俺が借りたいのは他のやつじゃない、あなたの手だ」


 そういうとそのままひざまずき更に手を伸ばした。まるでプロポーズみたいに。


「マダム、お願いします」


 老女はしばらく黙っていた。が、「冥土の土産に、地獄民と踊るのも面白そうだ」とその手を取った。


「そうこなくっちゃな」


 ビルは手を握って立ち上がった。

 とりあえずパートナーは決まった。誰かが承諾したら思いっきり馬鹿にしたはずの天国市民も、この怖そうなばあさまに失礼な態度は取れずにいる。


「マダム、それはまだ毒抜きしておりませんのよ」

「そうですよレディ・スペンサー、お手の汚れです」


 老女は辺り中を凍らせる呪いのような視線を向けた。途端に人々は一言も発せなくなった。


「よ、よ、よろしいのですね。そ、そ、それでは音楽を」


 MCまでどもっている。前奏が始まった。わ、こいつどうする気だ。

 卒倒しそうな気分で見ていると、なんとビルは踊り始めた。え、さっきの一回で覚えたのか?


 それほど上手いわけじゃない。だがちゃんと背筋を伸ばし堂々と老女をリードする。まっすぐに彼女を見つめて視線をそらさない。

 優雅さは足りないが生きるエネルギーにあふれたワルツだった。美女たちは踊りながらウィンクしたりすれ違いざまに笑顔を向けたり何とかビルの視線を自分たちに向けようとした。しかしビルは老女を見つめたまままったくそれに目を向けない。

 彼はパートナーである老女だけを見つめたまま最後まで踊りきった。


「マダム、心からの感謝を」


 終わると彼は老女の指先にかすかなキスを与え、そのまま俺の横に戻ってきた。俺はぽかんと開けていた口を閉じ、困惑したままつぶやいた。


「マダムって言葉知ってたんだな」

「ああ。ババアのていねい語だろ?」

「えーと」

「手を貸せババアを天国風に言ったんだがあってたか?」


 ちょっと唸りたくなったが一応うなずく。もう一つ尋ねる。


「ワルツは今覚えたのか?」

「いや。ガキの頃覚えた」

「え?」


 ビルは自分の腕を少し上げた。


「記憶はないんだが、いつの間にか腕がなくなって棒切れみたいな義腕がついててそりゃ俺も腐ったわけよ。毎日毎日めそめそしてたら普通都市出身の崇貴卿ババアが怒り出してな」


 彼はちょっと苦く笑う。


「『飢えて死ぬガキんちょがいくらでもいるのに、充分に飯くってるガキが腕なくしたぐらいで泣くな!』って、ひでえよな。で『足は無事なんだからいくらでもやれることがあるっ』ってダンスとか教えてくれたんだ。むちゃくちゃスパルタだし学校も休ませてくれねえし、えんぴつ持てねえと言ったら『盆に砂でもしいて、その腕で直接書けっ』って強引だしよ。だから俺はババアには弱いってわけよ」


 いたわるような言葉はかけたくない。それはきっと彼には嬉しくない。だからただ「その崇貴卿はお元気なのか」と尋ねた。ちょっと会ってみたい。


「いや。宗教関係のテロがあった時教皇さまを守って死んだ。すげえババアだったんだせ。今じゃ聖人の仲間入りだ」


 全然違うけど俺にとっての先生みたいな存在なのだろう。

 ちょっとしんみりとしていると息を切らしたメレディスが現れた。


「ごめんなさい、ちょっと呼び出されていたらその隙に何かあったみたいね」

「ああ踊った。あのばあさんと」


 ビルが老女を指し示すとメレディスは目を白黒させた。


「レディ・スペンサーと? どういうマジック?」


 過去の首長夫人で、今でもとても大きな力を持った人らしい。


「ケンならまだわかるけど。両親をなくした後は気を配ってあげてたから」

「あいつ親御さんいないのか。事故か? ここじゃ病気ってこたないだろ」


 メレディスはちょっと躊躇したが話してくれた。


「彼のお母さまで私の伯母様だった方は精神の状態が悪くなって、ケンの件があってから一年後ぐらいになくなったわ。人外区に入り込んでそこで死んだの」


 ケンは助かったのだが意識の混乱した彼女はその事実を忘れたのかもしれなかった。


「おじ様の方は普通都市七区に遊びに行ってその帰りに人外区近くの道を通って毒虫に刺されたの。それまで普通区に毒虫が這い出ることはほとんどなかったから、おば様の呪いだって言う人もいたわ」

「仲が悪かったのか」

「おじ様は古い名家の出でお顔立ちも美しかったから女性に人気があったのよ。それ以外にも普通区に何人も愛人がいたって話だしね」


 小声で話しているとボーイがメッセージを伝えに来た。


「明後日レディ・スペンサーの邸で開かれるパーティにお二方に参加してほしいそうです」


 彼女の方を振り返ると尊大にうなずく。ビルが首を縦に振った。


「今日の恩があるから出るぜ。顔も広そうだし」


 なんとかロイ・ムロイにも近づきたいはずだ。あれだけ力を持っている人と知り合えば可能性が高まる。


「二人とも承知したと伝えてください」


 ボーイに了承を伝える。メレディスが「私も招待されているの」と微笑んだ。



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