16. その鳥アレックス
ブラウニング卿がスタンプ型の注射器でビルを眠らせた。事前にこっそり尋ねられたが了承するしかなかった。信者を何人か呼んで寝台に運ばせ、そのあとにまた話しあった。
「なぜよそ者をリーダーにしたんです?」
排他的なこの区にしちゃ珍しい事態だと思う。
「今回の巡礼の手続きを通してくれたのが彼だからです」
普通都市に話を通しバスもそちらのをレンタルしてくれた。二区のバスは普通都市の老朽化したものを使ってる場合が多いので、なかなか許可がおりないそうだ。
「双十字教関係の人なんですか」
「いえ、違います」
何者かわからない人物に多数を預けるのは無謀だと思うが、そんなことを思わせないほど信頼されているらしい。
「どうして受けいれたのですか」
「彼は子どもの命を救ったのです」
三ヶ月ほど前に五人の子供たちが人外三区に入り込んでしまうことがあった。毒虫の多い地域で誰も助けにはいけない。地形さえわからずその命は絶望視されていたのに、五人すべてをつれてにこにこと現れた。
整った容姿に華やかな雰囲気、独特の美意識、人当たりの良い態度。彼はすぐに人気者になった。
「あの人は神に愛されているのです。その証拠に人外区でもけして虫にさされることもなく、それどころか彼に連れられた者も毒虫に襲われることはありません」
「毒虫自体が減ったと勘違いして入り込んだヤツらは死んだ。頼んだら死体も見つけてくれた」
「子どもたちは全然さされてなかったのですか」
「いや」とウッズマン卿は否定した。
「もともと十五才以下の子どもは大人ほどはさされない。それでも毒性の低いものに多少かまれていたが、ケンが薬草で治療してくれた」
その人外区には貴重な薬草もあるし、ほっぺたの落ちそうな果実もある。彼は時たまそれを与えてくれたが大量にくれることはなかった。土地の恵みを貪ることは許されないらしい。
「毒虫がいなかったら住めますか?」
「隣の天国都市四区の住民が許さないだろうが排除されなかったらたぶん。ただし快適とはいえんよ。気温も湿度も高すぎる。誰も住みたがらない」
森の子どもたちがいた十六区以上に苛酷な環境らしい。住み着いている子供たちはいないそうだ。
ーーーーそれにしても天国都市と地獄都市の隣には必ず人外区があるな
残りの天国十四区の東隣も人外十三区だ。その北には地獄十二区がある。
ーーーー十六区だけは地獄都市にしか面していない
そのことに何か意味があるのか俺は知らない。俺の故郷でも考察している人はいたがデータが少なすぎた。
「三区の内部のことは今はわかりますか」
「中途半端に知ると遭難者が出るからと教えてくれなかった」
「なるほど」
俺は今度はブラウニング卿の方を向いて尋ねた。
「教会の電話は壊れているそうですが、あなたのケータイは大丈夫ですか?」
「ああ、はい」
「そちらの方に教皇庁から連絡はなかったのですか」
卿は少し頭を掻いた。
「北区の方でトラブルがあったと聞いて慌てて駆けつけてる最中でした。レイキューシャを運転するので切ってたんです」
「車に乗る時はいつもそうなんですか」
「ええ。安全運転第一です」
きっとそのことを隠してはいないだろう。ウッズマン卿は教会の電話しか使わないそうだからそれさえ壊せばブラウニング卿の運転中は外部とは連絡がつかない。
ーーーーもし誰かが俺たちを足止めしようとしたなら利用できるな
そしてその誰かとは、どう考えてもケン・ハイネしかありえない。
彼は何者なのか。凄腕の冒険家兼ネゴシエーターとか探偵とかで、雇われて仕事をしたんじゃないのか。
じゃあ雇った相手は誰だ。目的はーーーーたぶんカレンだ。
雇った相手はたぶんロイ・ムロイではない。西区に連れて行った俺は断言できる。
ただ、ムロイ氏が娘と孫を探しに地獄に行ったことが影響しているのは確かだろう。
彼が俺の読みどおり天国都市の住人だったとしたら、なんらかの利害関係にある同じ天国の誰かがケンと契約したと考えられる。
「北区のトラブルは解決したのですか?」
尋ねてみるとブラウニング卿は嬉しそうにニコニコしながら「どうやら誰かが勘違いしたらしくトラブル自体がありませんでした。だからすぐ引き返してきました」と教えてくれた。ますますクサい。
「そうですか。それはよかった。じゃあ俺たちが来たことも確認してますよね」
「はい。手助けしてほしいと伝えられてます」
「じゃあ、早速ですがケータイを貸してください」
すました顔で俺は頼んだ。卿はちょっと目を白黒させたが素直に手渡してくれた。俺は断って、電話のために部屋を出た。
「賛美歌十三番を頼む」
特定の番号を押すと交換手が出る。あらかじめ決めていたキーワードを告げるとホットラインがつながる。別に暗殺者を頼むわけではない。
「もっとまめに連絡してくれ。心配で胃が痛いよ」
兄さんは苦りきった声を出した。
「モバイルはともかくケータイぐらい持っていけばいいのに」
「そうしたら最初にヒャッハーに壊されてたよ。こっちは普通じゃないから」
状況を説明した。ケイトはまだグレイスといっしょだ。俺は西区で待機しようとしたが友人のトラブルに付き合って今は地獄二区にいる。そんな感じに伝えた。
「今までいたところにいればいいじゃないか。危険すぎる」
「でもデータは多い方がいいよね、九区としては」
「最低限はあのバカに行かせた。外部との接触を拒み略奪の限りを尽くす特に貧乏な地獄都市ってだけだ」
「その通りだけど木材は豊富だ。多少活用法を学ばせてそのうち崇貴卿にそっちの双十字教に営業させるからよろしく」
兄さんは呆れながらも了承してくれた。俺は更にぐいぐいと続けた。
「で、その隣の人外三区の情報はないよね」
「ああ。あいつはまるで役に立たない。しょせん普通市民だ。九区のために尽くしたいと口だけ達者だった」
「じゃあ俺が行くよ」
表面だけは友好をうたいながら天国都市同士はいがみ合っている。互いの都市の周辺のデータは互いにほしい。だが兄は即効拒否した。
「これ以上ジロウを危険な目に合わせたくない」
「大丈夫。それに僕だって九区のためにつくしたいよ」
将来間違いなく九区を背負って立つ彼の助けになりたいのも本当だ。大まかな様子だけでもつかみたいし、何よりカレンの行方を知りたい。
「……手段がない」
「シロウの使ってたロケットベルトでいいよ。十七区の北区に売ったやつより性能いいだろ」
「あれはあいつだから使わせた。身を晒して飛ぶなんて危険すぎる」
「危険にゃ慣れてる」
片頬を緩めてにやりと笑った。ケータイじゃ伝わらないけど。
「ここ近辺には普通都市が多い。天国四区に総取りされないようにスパイぐらいいるよね。非常用のがあると思うけど」う
兄は大きくため息をついた。
「おまえはたまに妙に鋭い」
なんだか聞いたようなことを言われた。
次の日普通地区の人が訪れるまで俺も休んだ。その前にベティに礼を言いに行ったけど。彼女は元気な俺を見てちょっと泣いた。こっちもそれがうつりそうになった。
「よくわからないけど気をつけてね」
「君と君のおじいちゃんもね」
祝福のために互いに双十字を切りあう。彼女は泣き顔をすぐに笑顔に変え「さっき玉子ご飯食べたのよ。おじいちゃんおかわりしたの」と嬉しそうに言った。
俺はもう少し渡したい気持ちをぐっと抑えた。代わりに教会でもらった白いキャンディーを一つ渡した。どの地獄都市でも通じるささやかな親愛の証。もちろん彼女は受け取ってくれた。
ブツは第六区のものらしいがここに慣れた七区の人が運んできた。普段行き来している人らしくて襲われてはいなかった。だが品物が何か知らないようだった。説明書を読んだが前のものと基本は同じだった。
「毒にやられるか四区から撃たれるか」
「だけど行くんだろ」
尋ねるとビルはむっつりしたままうなずいた。俺は新しい方のマントを彼に投げてやった。
「こっちは伸縮性が高くておまえでも着れる。知らなかったが防虫成分もあるそうだ。高性能なスプレーももらったからしっかりかけとけよ」
「それは何時間もつんだ」
「安心しろ四十八時間だ」
「遭難したら虫に食い殺されるな」
悲観的な気分らしい。だが充分休んだし親切なブラウニング卿に食事もご馳走になった。ここに留まる理由はない。
「行くぞ」
ビルはため息をついて立ち上がった。けれど逃げようとはしなかった。
「暑い。毒の前に死ぬ」
飛びながらビルがぶつぶつ言う。マントでいくらか調整されてるがそれでも過酷な気候だ。湿度が高くてじっとりする。顔は晒したままなので頭皮から滲んだ汗が目に入る。だいぶ太目のビルは俺よりもっとしんどいはずだ。
「おまえが死んだら誰がカレンを見つけるんだ。差別のひどい普通都市でおもちゃにされたらどうする」
地獄都市でこそお嬢さまだが他の都市ではただの地獄民だ。ビルはぶるっと震えて前を向いた。
「上がりすぎだ。ほどほどの高さにしろよ」
「虫が来る。顔近くでぶんぶん言ってる」
汗をかくせいか俺にも近寄ってくる。ぞっとする。かといってここがベストな高さだ。ジャングルの高木近くまで上がると天国四区からの攻撃の可能性が上がる。
「まだ相当離れてるから大丈夫だろ。ぎりぎりまで上がろうや」
少し考えてうなずく。そりゃ四区は監視カメラを向けてるだろうが俺たちはカレンの連れて行かれた普通都市に行きたい。だからこのジャングルの地面に気を配りながら人の歩いた道を探している。
最初のうちはかなりあった。やっぱりどんなに危険だとわかっていても薬草だの果物だのがあるとわかっていれば踏み込む人間はいる。だから二区に近いあたりはけっこう人の跡が残っていた。だがそれはすぐに途絶えた。
「コケも多いから残りにくいんだろ」
「そんな古いのは関係ない。新しいのだけ探せばいい」
ぐるぐると動き回った。ここと隣接する普通七区のあたりに多少の足跡を見つけたので喜んだが、念のためすぐにたどらずやはり隣の普通六区のあたりまで行ってみるとそこにも跡があった。
「フェイクかな」
「そんなやっかいなことしなくとも毒虫に襲われたらすぐ死ぬだろ」
「現に俺たちがここまで来てる。天国都市の商品を持ち込めば不可能ではない」
商魂たくましい普通都市商人が大枚はたいて装備を手に入れ人外区に進出した可能性は?
いや、天国都市が自分たちの危険を助長する品を売るわけがない。
だが四区以外の天国都市がそこを陥れるために売ったとか。
俺は自分の仮定を否定する。ありえない。地獄都市と違って普通都市は技術をコピーする可能性がある。たとえ小憎たらしいと思っても、自分たちを危険に晒すような真似はしない。
だが俺たちみたいに一応信用できる相手が天国都市の依頼を受けた時は可能と言えば可能だ。
だとすると人外区に対する四区の守りはもう少し固くないだろうか。
飛びながら俺は周りを見渡してみた。順調にここまで来た。毒虫の恐怖はあるけど、少し高めだが同程度の高さをずっと飛行できている。
ーーーーいや待て。それって変じゃないか
俺は人外十六区で森の子どもたちと暮らしていた時期がある。そこはやや低めの十五歳くらいの子どもの背丈では不自由ないぐらいに道ができていたがそれより高い俺にとっては低すぎて、時たまかがんだり木の枝にぶつかったりした。自然ってものはそうそう人間に都合よくできていない。
あわてて飛べる位置の木の様子を確認する。わかりにくいが枝が払われた跡がある。
「……いったん降りよう」
ビルに言うと彼は大きくうなずいた。
「ああ。これ以上は持ちそうにない」
言うなり彼は意識を失った。直前に推進レバーを操作したのか徐々に地上に落ちていく。俺は自分の分を操作して体当たりをかまし、なるべく柔らかそうなコケの上に落とした。
耳の辺りを噛まれている。俺はあらかじめ用意した想定できる範囲の解毒剤を用いたが彼は眼を覚まさない。
ーーーーだが俺は噛まれちゃいない
体質か、偶然か。覚悟を決めて下に降りたが今のところ刺される気配も虫が群がって来る様子もない。
だがビルは脂汗を流して荒い息を吐いている。
「ミスターケン・ハイネ。いるんでしょう近くに」
試しに声を出してみるとパキリ、と枝の折れる音がして男の影が現れた。
年の頃は二十代後半ぐらいに見え 、背はやや高めでビルとほぼ同じぐらい。上質な生成り色のマントを羽織っていてその上からロケットベルトをしていた。俺たちのと同性能のやつか。長い髪を一つにくくって背に垂らしている。エコ系のフェスで豆カレー売ってるおっさんがよくやってる髪型だが髪の質がちがう。女よりも艶々としている。 端正で華やかな容姿だ。うちの兄に近いと認めざるを得ない。
男は「うちは古い家系で正式には名前が後に来るのです。私は灰音ケン。どうぞお見知りおきを」と穏やかに名乗り、優雅に一礼した。髪のせいもあって大昔の貴族みたいに見えた。
「ここに俺たちを誘導したんですか」
「まさか。あきらめるか別のルートを使って探すと思っていましたよ。ただ別口は人を頼んでも監視できますがここは私でなければ無理なので、念のために確認にきただけです」
「そうですか。出会えてよかった。カレン・アンダーソンをつれて行ったのはあなたですね」
ケンは「はい」と言ってまっすぐに俺を見た。
「もちろん説得はしましたが彼女の自由意志は妨げていませんよ」
「彼女は今どこにいるんです?」
彼は優雅に微笑んだ。やわらかだが微かに毒を含んだ感じに。
「天国都市第四区。そこで身なりを整えて今頃はムロイ氏に会っていると思います」
よかった。少なくとも無事だ。
「誰に依頼されたのです?」
「もしそうなら顧客の情報を漏らすわけがありませんよ」
言われて俺は唇を噛む。あたりまえだ。だがイチかバチかで言いつのろうとして、それよりもせっぱ詰まった状況を思い出した。
「今それはいいです。ですがお願いですから手を貸してください。こいつの命を救ってやってください」
ビルを指し示すと彼は冷たく「何か見返りはありますか」と尋ねた。
特にない。こいつの装備からすると天国都市につてがある。俺の持ち物など何であろうとカンタンに手に入るだろう。
「ありません」
素直に認めた。そしてそのまま毒虫がやたらに来そうな地面に正座し、頭を地に着けた。極めてトラディショナルな懇願および謝罪の方法だ。
「お願いします」
これでダメだったら地獄式に靴をなめてやる。すげえイヤだぞ。やられる方も。
ハイネ・ケンは苦笑いしながらそれを眺め、俺に手を差し出した。
「土下座は必要ありません。立ってください」
気を悪くさせないためにその手を取るしかなかった。俺は一瞬手を借りて立ち上がった。滑らかだが体温は低かった。
「おや、刺されていませんね」
運よく噛まれてない。ほっとしたがそれどころではなくビルについて更に言いつのろうとすると彼はその白い手を横に振って遮断した。
「ちゃんとお救いしますよ。少し意外な方法をとりますが驚いて撃ったりしないでくださいね」
そういうと彼は空に向かって「アレックス!」と呼びかけた。とたんに灰色の羽に黒いくちばしを持つやや大型の鳥が飛んできて彼の肩にとまった。
彼は鳥に囁きかけた。「この人を救ってくれないか」
鳥は甲高い声で鳴いた。すると大型の蜂みたいな虫が凄い勢いで直進してきた。
「うわっ」
だまされたのか。びびって腰に手をやると「大丈夫です」と穏やかに言われた。
だが蜂っぽい虫はためらいもなくビルの首を刺した。俺は飛び上がりそうになった。
ビルは一瞬うめいたが、すぐに声も出さずにさらにぐったりとした。
「こ、殺したのか」
「まさか」
ケンは楽しそうに微笑んだ。
「別種の毒を入れて中和させたんです。私自身はどのような仕組みか知りませんが」
そんな不確かな治療法を使ったのか。怒りがこみ上げてくるがまだ吐き出すには早い。もしかすると治るかもしれない。しばらくは耐えるべきだ。
無言で倒れたビルを見つめる俺にケンはまた気軽に話しかける。
「装備を見ると天国都市と関わりがあるようですね。九区ですか、十四区ですか」
ごまかしたかったがばれそうな気がした。
「……九区です」
「おや双十字教の本拠地じゃないですか。一番正当性のあるところですね」
「それはどうでしょうか」
天国区はどこも初代の子孫の土地だ。どこが一番ってことはない。
そういうと彼は少し驚いた顔をした。
「あまり天国的な考え方ではないですね」
そうだろうか。地獄と較べるとどこだって恵まれているだろう。
思ったとおりに答えると彼はまたにっこりと笑った。
「あなたはなかなか面白い。もう少し話してみたいので我が家に招待します」
「どちらですか」
六区か七区だろうか。いやその南の普通五区の可能性もある。それとも実は離れた地域か。
警戒する俺に彼は友好的な笑みを向ける。
「第四区です」
「へ?」
聞き間違えたと思ったが彼は微笑を崩さない。俺は仰天したまま尋ね返した。
「ひょっとして天国四区ですか」
「四区は他にはないでしょう」
……こいつは天国都市の住人なのか
呆然とした俺に彼はおっとりと告げた。
「先ほど依頼した相手を尋ねましたね。実のところそんな相手はいないのです」
「…………」
また微笑にわずかな毒が加わる。それは彼の優雅さを更に深めた。
「私は私の自由意志でカレンを誘いここにつれてきたのです」
なぜ、と声に出すことができなかった。表面の美しさの底にぞっとするような何かが潜んでいるような気がして震えそうになったからだ。
「招待をお受けします」
ポーカーフェイスに見えるように作った無表情な顔でそう答えるのが精一杯だった。