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11. それは二ケツか四ケツか

 じいさんは茫然自失の態だった。よろよろと部屋の椅子に座ると頭を抱えた。

 てっきり俺はビルが怒鳴ると思った。だが彼はその前にもう一つ椅子を持って来ると腰をおろし落ち着いた声で語り始めた。


「昨夜あんたと話が終わった後にカレンにあったが顔色が悪かった。何か不愉快な事を言われたのかと尋ねると『おじいさまはいい方よ。私の心がついていけないだけなの』と無理に笑い、『今夜は一人で考えたいわ』と言い出した。心配だったが気を落ち着けたいのだろうと俺は別室で寝た。だがなんだか気になってさっきそっとのぞきに行ったらいなかった。ベッドに寝た跡がない。すぐに邸を調べたが、あんたの乗ってきたバイクがなくなっていた」


 ビルはまじめな顔でじいさんの目を覗き込む。


「昨夜の会話が何かの引き金になったことは確かだと思う。些細なことでかまわない。すべて話してもらえないだろうか」


 じいさんは慙愧(ざんき)の念に耐えられないといった面持ちでそれに応えた。


「昨夜はエミリーの思い出話をし、その後彼女の育った家を見に来ないかと誘った。カレンはその気になってくれたが、わしが『ぜひ最初は一人で来てほしい。ビル君を呼ぶのは慣れてからがいいと思う』と勧めた。彼女は『少し考えさせて』と言ったので、そこで部屋を出た」


 自分の言葉がこの失踪の原因になったのではないかと憔悴している。一月も地獄にいたのに人間不信になった他はやつれもせずタフな年寄りが、唇を震わせている。


「申し訳なかった。私はカレンに亡きエミリーを重ね、彼女として家に置きたかった。エミリーを連れ去った男は君でないと重々承知なのに、男の影を彼女の傍に見たくなかった。それと」


 じいさんはくっと唇をかみ締め、それから悲痛な目でビルを見た。


「……地獄都市の住人に偏見を持っていたことを認めねばならない」


 ビルはそのことを責めなかった。


「そらお互い様だ。以前は俺も他都市の人間を搾取しか考えない底意地の悪い連中だと思ってたからな。今はいろいろあらあなと言えるが」


 じいさんは罵倒されるより辛そうだった。だがくっと顔を上げ「すぐに探し出してくれ。費用はすべて私が持つ」と主張した。俺はビルに尋ねた。


「カレンは金持ってるのか?」

「前ボスの隠し資産が多少あるらしい。あと、ぶんなぐられたけど姉ちゃんが『女持ったらしゃんとしろ!』って不労所得のいくらかを分けてくれたから、毎月俺からも渡してた」


 ビルの商売だけじゃガードを雇うだけでとんとんなんだろう。ついそう口にすると反論された。


「いや最近はよその区と何やかやつないだり、組織じゃ都市法に触れてできない系を代わったり、そこそこやってる」


 いつまでもモラトリム期間の俺と大きく違う。地獄では人は早く大人になる。

 ちょっとしんみりしかけたが急に気がついて「いやそれよりカレンの捜索っ」と叫んだ。だがビルは動かなかった。


「一番可能性の高いルートは、俺の車でサブをやってる。他の道には別のヤツらを行かせた。どっちに行ったか確認できてから動く」


 こいつ本当にビルか。取り乱す前にやることやってるじゃん。


「すまない。本当にすまない。私があの子を失わせてしまった。エミリーだけでなく孫まで……」


 また男泣きする彼を見ているうちに、やっとこちらも落ち着いてきた。動きをやめていた頭も回りだし、事態を本当に把握することができた。となるとカレンが失踪した理由もわかる。

 俺はロイ・ムロイ氏に、できるだけやわらかい声で忠告した。


「ブロイさん、あなたは地元に帰ってください」


 彼は濡れたままの顔で「できん!」と叫んだ。俺は声のトーンを変えずに厳しいコトを言った。


「あなたがここにいてもジャマなだけです。いったん戻って連絡はあちらの双十字教を通してください。すべて解決してカレンが了承したらまた来るなり、こいつらを夫婦で呼んでやるなりしてください」


 ビルが不思議そうに口を挟んだ。


「おい、双十字教はフツーの普通市民には関わらんぞ」

「この人なら大丈夫だ」


 断言した。じいさんは泣きやんでこちらを見ている。


「もちろん、双十字教にそれ相応の寄付をしていただきます。カレンの捜索費用も出してください。それで充分です」

「身内価格で割引するから安心しな、おじい様」

「もう夜が明けました。眠れないでしょうが休んでください。ビル、おまえもだ。情報が来るまで寝とけよ」

「ああ」


 俺も少し休み、起きてからすぐじいさんの部屋へ行ったがすでにレイキューシャで出た後だった。


 ビルの部屋へ行ってみるとちょうどドアの前にJがいた。軽くあいさつをすると昨夜の状況について確認を求められたので説明した。


「ビルは悪くありません」


 俺は言い切った。Jは「微妙なところだな」と苦い顔をした。


「女の件は今さらだ。別にいい。だがこっちは今、夜勤の必要があるほど忙しい。バイクの在庫を減らされては困る」


 彼女はたぶん寝てないのだろう。けれどやつれた様子は見せてない。


「だがカレン・アンダーソンはビルの子を孕んでいる。となるともうファミリーだ。叱ることはできない」


 以前にシェリルを探していたときとは大違いだ。あの時は不干渉だった。そう思ったのが顔に出たのかもしれない。


「私はこの仕事に身を捧げる覚悟はできている。個人的な喜びを求めようとは思わない。うちの血筋の子はビルに頼るつもりだ。だからカレンを、たかが女と切り捨てられない」

「じゃあシェリルは」

「はらむまでは女の一人に過ぎない」


 同じ女性であるJの言葉は非情で合理的だった。俺は不快に感じたが、ここは地獄だ。別都市の倫理を持ち込むべきではない。

 地獄都市は他都市によって女性の妊娠可能期間を調整されている。人権的な配慮をする余裕のある他とは前提からして違う。


 自分の心をなだめすかして顔を上げると、Jが困った顔で向こうを見ていた。固い表情のシェリルが立っている。


「間が悪いな」

「あなたは休みに行ってください。俺が話します」

「すまないね」


 Jはひるむ様子もなくにっこりと「おはようシェリル」と一声かけてその場を去った。俺は立ち尽くす彼女をなるべく刺激しないように声のトーンに気を配った。


「久しぶりだね」


 シェリルは答えない。いつだって明るさと元気さを見せる顔がこわばったままだ。


「えーと、Jの言ったことは気にしない方が」

「気にするわっ。めちゃくちゃ気にするわっ。すげー気にするわ!」


 突然彼女は吼えると、たたたっと俺に走りよって胸ぐらをつかんだ。


「おいらぜってえにあいつに負けたんじゃないからなっ。ただ年齢が足りなかっただけだからなっ。愛されてんのはこっちの方なんだぜっ。その証拠にえっちしたのこっちが先だからなっ!」


……彼女もか。だがなぜだろう、特にジェラシーは感じない。


「それはそれは凄かったんだからな。目くるめく愛の日々だったんだ。なのにあのドロボウ猫がっ」

「おい、うるせえぞ。誰だ人の部屋の前でわめいてんの……げっ、シェリル」

「げっとはなんだよ! 最愛の婚約者さまだぞっ」


 シェリルが手を放した隙にそうっと逃げようとしたらビルが泣きそうな目で引き止めるから、仕方なく三人で彼の部屋に入ろうとした。が、そこに報告の男がやってきた。


「カレンさんの乗ってったバイクに乗ったやつが見つかって今、シバいてます!」

「どこだっ! あ、いや吐かせといてくれ。後から行く」


 男はきびすを返して走り去った。俺たちは中に入ったが、ドアを閉めるとシェリルがぽつりとつぶやいた。


「……行ってやってよ」


 泣きそうな顔だが泣かない。以前だったらJの言葉を聞いた時点でこの場から消えたと思うが今は逃げない。


「まだ三ヶ月なんだろ? 危ない時期だ」

「シェリル」

「うっせえ! おいら正妻になるんだ。妾の心配ぐらいしてやらあ。無事連れ帰らないと承知しないからな!」


 さっと部屋から出ようとした彼女をビルが後ろから抱きしめた。


「俺の立場だから女なんていくらでも手に入った。だが惚れたのはおまえが初めてだ」

「嬉しかねえや、バカ野郎っ!」


 器用に後ろ足でビルの急所を蹴り上げる。身を折って苦しむ彼を見下ろすと「惚れたのは最初で最後ってんなら嬉しいわっ。ざけんじゃねえ、おいらはおまえ以外に絶っ対に惚れねえっ!!」と叫んで部屋から飛び出て行った。


「……いい子だな」

「そら、俺が惚れた女だぜ」


 息も吐けなかった彼がようやく声を出した。


「落ち着いてる時に、そこ狙うと次の子ができにくいっておどしとけ。別箇所狙ってくれるだろ」

「蹴らねえって選択肢はねえのかよ」

「ない」


 きっぱりと答えるとビルはあきらめたようにため息をついた。


「カレンはお嬢さまだし子もできるしでいらだってんだ、あいつ」

「そりゃしょうがない。おまえも坊ちゃまだからあっちの方がつりあうって不安なんだろう」

「バカだなあ、あいつ」


 愛おしそうな顔のビルが小憎たらしくて話を進めた。


「カレンが天国都市へのテロを考えてた事を知ってるか」

「女ってやつは夢見がちだよな。軍事力の差を考えてみろ。不可能だってわかるだろうに」

「ああ。だが彼女は多少手下を持ってる」

「銃がうめえヤツは俺の口利きでうちに再就職したぜ。残ってんのは大したヤツじゃねえ。コトは起こせないから大丈夫だ」


 納得したので推測を語った。


「あのじいさんはたぶん……天国都市の住人だ」

「なんだって!」


 ビルが心底驚いた顔で俺の顔を凝視する。


「だってジジイじゃん! あっちの人間は年取らないんだろ!」

「アンチエイジングを怠ればゆっくりとだが年を取る……って話だ。だがあのじいさんの年は見かけだけだ。実際の肉体年齢はもっと若いと思う」


 時たま戻ったのかもしれないが一ヶ月南区にいたという話だ。三十年間準備期間があったから、銃も撃てるだろうし何らかの武術も身につけていると思う。その上でフェイクとして年寄りの仮面を被っていたのだろう。


「あっちのやつらは勘違いしてないか。こっちじゃ老人は弱者として狙われやすいぞ」

「金もってないふりはしてた。小金をむしろうとする小者ぐらいはどうにかできたんだろう」


 ビルはちょっと首をかしげた。


「何でそれがわかったんだ」

「間抜け呼ばわりするなよ、落ち込むから。カレンの母親のホログラフはあのじいさんにも似てた。ありえないじゃないか。普通都市では子どもは再分配されるのに」


 普通都市だけに行われることだから俺も失念し、地獄市民も気づかなかった。


「もちろんそれに突っ込まれたら、自分に似た子をもらって育てたので血はつながってなくとも大事な娘だと主張するつもりだったんだろう。だが娘を探すためか南区では本名を名のっていたのにここに来て急に仮名にした。西区の組織は教皇庁とつながっている。そしてこちらの教皇庁は天国都市のやつとつながりがある。だから不安になったんだろう」

「仮名だったのか」

「ああ。本名はロイ・ムロイだ」


 困惑したままのビルに更に話を重ねる。


「で、カレンだ。あの子は心底天国都市を憎み、やり方はともかく地獄都市の発展を願っていた。ところがそんな自分が天国市民のハーフだと知らされた。そりゃ気が動転するだろう」

「バカだなあ、俺に打ち明けりゃいいだけなのに」


 そのやわらかな表情を見て、こいつなら大丈夫だと判断して話を進めた。


「いいか、今のカレンはおまえに惚れてる。それは間違いない。実に妬ける。だが最初はおまえが西区の坊ちゃまだから近づいたのかもしれない」


 彼はまったく動じなかった。


「きっかけは何だっていい。あいつは俺に惚れている。こっちもだ」


 こいつがシンプルなヤツでよかった。


「それに女ってのは一々いいわけせんと真実の恋に飛び込めねえか弱い生き物だぜ。本当は一目見た時から俺が好きでたまらなかったのに可愛いやつだぜ」


 シンプルすぎないかこいつ。


「まあいい。おまえの車乗ってったサブに連絡取れるのか?」

「ケータイは持ってない。南区に行かせたからあちらの店が開いたら電話が来ると思う」

「バイクを減らされると困るってJがいってたが、代替手段は?」

「車が戻るまでない……ってあったわ」


 ビルが目を輝かせた。


「おまえのバイク、サブが時たま整備してた。あれがあった」

「おまえは乗れるのか?」


 お嬢様のたしなみなら坊ちゃんだってできるだろう。ところが彼は口をへの字に曲げ、義手を示した。


「体が育つまでこれはつけられんかった。並みのやつでは転がせねえし、ついても慣れるのに必死でさ、乗れねえんだ」


 ひどい事を聞いてしまった。


「わかった。二ケツで行こう」


 とたんにビルがありえないほどいきり立った。


「おまえっ、一人でいくつもりかっ」


 なに言ってんだこいつ。


「いや。俺とおまえの二ケツで行こうと言ってる」

「じゃあ二ケツじゃなくて四ケツだろ!」

「一人一ケツ二人で二ケツだ」

「尻に対する敬意が足りんっ!」


 もの凄く理不尽怒られる。さすがの俺もむっとした。


「敬意は関係ない。二つあってこその尻だから一人一ケツだ」

「バカ言うんじゃない。俺はもっと一山一山を大切にしたい。片方で一ケツ二つで二ケツだっ」


 相当腹が立ってきたが学歴の高い俺の方が論破してしまうに違いない。仏の心で対応せねば。

 落ち着こうと息を吸っているとビルの方が攻め込んできた。


「おまえは片方のケツをなんて呼んでんだっ」

「そりゃ半ケツだろ」

「判決は縦の動線だっ。ずらした状態、これのことだろ!」


……なんで俺はデブの半ケツを見せられてるんだろう。


「じゃあ片ケツだろっ!」

「手の片方をなんていう!」

「片手だっ!」

「手は一本二本と数えるっ! つまり尻も一ケツ二ケツと数えるんだっ!!」


 反論しようとしたが思いつかない。ビルのくせに、ビルのくせにロジック使うなんて卑怯だぞっ。


「わかった。しかたがない、それでいい」

「はっきり言え! 四ケツで行くんだな!」


 俺は負けたわけじゃない。だがカレンが心配だ。


「……四ケツで行く」

「わかった。つきあってやんぜ」


 一瞬了承しかけたが、次の瞬間思い出して「おまえの女のことだろ!」と叫んだ。が、すでに用意を終えたビルに「いいから走るぜ!」と押されて不満も言えずに彼のガードのもとへ走った。



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