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7.かけ算できれば上等だ

 地獄都市にも街灯はある。ただし他と比べてだいぶまばらだ。自然と生み出される闇にまぎれて女のいた練習所に向かった。


「最初からこうすればよかったんだ。あいつらが隠したんじゃねーかと思ってたが、おまえの話が本当ならそれはねえな」


 ビルの手には銃が握られている。治安を考えると下手だからこそ威嚇が必要だ。ひけらかしているのはコルトパイソン。口径は9ミリだがマグナム弾なので俺のグロックと互換性はない。


「ああ」

「ちょっとやそっとで殺られるとは思わねーが心配でなんねえ。早く見つけてやらないと」


 平気で女の子を突き飛ばしていた男とは思えないほど繊細な表情を見せる。

 ビルはぽんぽんと自分の頭を軽く叩くと、気を変えようとしたのか俺に尋ねた。


「おまえの女は大丈夫なのか?この地区にいるんだろ?」

 俺はわずかに口の端を上げた。

「ここにいるとは限らないが、たとえ地獄であろうとも無事だとは思う」


 凍りつくような彼女の瞳。一瞬のうちに並んだ死体。満たされた死体置き場(モルグ)

 俺の心配は彼女の命ではない。それは自分で守れるだろう。だが、彼女が…………。


 自分が身震いしていることに気づいて足を速めた。顔を見られたくなかった。


「こっちでいいんだな」

「そうだ。だがちょっと待て。不安すぎて急げねえ」

 いや、太り過ぎているからだ。

 少し速度を緩めた。


 基本的に地獄はゴミゴミとしていてみすぼらしい。建物は詰まっているし美観とは無縁だ。

 時たま酔っ払いが転がっているがそれは自分で選択した人より店側が捨てたものの方が多い。彼らは横になった時点で金目のものは所持していない。


 本物の死体がある時もある。だがさすがにそんなときは誰かが衛生局に連絡する。と、職員が来て記録を取った後に三日間局の倉庫に保存され、四日目に焼かれる。


 さっきのやつらに出会わないか用心しつつ歩いたが見あたらなかった。


「そら、サム・ライもバカじゃねぇから対処するだろーし。初動に失敗したら引くだろ」

「おまえが目当てなんだろ。親関係かもしれんが今度の取引のせいってことはないか」

 尋ねるとビルは少し考えた。


「まあ、今度の品は今までになかったものですげーやつだ。俺も今までのもうけ全部と、自分の金かなり使って手に入れた。石も売った」

 宝石の付かない指輪を見せる。


「全く損傷のない人型だ。奇跡的に組が手に入れた」

「人型…………?!」

「そうだ。花嫁衣装とともにカプセルに入れられていた。過去の大惨事の時、自分の身を顧みずにそれを守った男がいるわけだ」


 俺は動悸を抑えた。


「それはどのくらいのサイズだ」

「フツーの女くらいかな。あ、おまえ損傷とか大惨事とかわかるか?俺育ちのいいエリートだからつい使っちゃうんだよな。おまえの学歴は?」


 こいつがエリートだと…………。まあ、ボスの息子だし。正直に答えるのはマズいよな。高卒……ぐらいにしておくか。いや、待てここは地獄だ。もっと思い切って低く言うか。


「……中卒だ」

「なに!?」


 ビルは目をひん剥いた。なんだ。エリートにとっては低すぎたか。


「おまえ、最高学府を出てんのか。すげえ。人は見かけによんねえなあ」


 最高……学府だと?!


「俺も小学六年まで出たエリートだが上には上がいるもんだなあ」

 彼はすっかり感心してこちらを見つめる。

「とすると分数の割り算もできるんだろーな。大したもんだ」


 それは小学校の範疇じゃなかろうか。疑問に思って尋ねるといくらか暗い表情で答えた。


「おやじの部下の賢いのが何人か家庭教師についてくれたんだがな、割り算は前の方をひっくり返してかけるか、後ろをひっくり返すかでもめて三人死んだ。学校の教師はびびっちゃって答えねーし。だから俺は分数はかけ算までしか知らねえ」

「お、おう」



 驚いているうちに練習所についた。

 地味な二階建ての家で薄汚れて古くさいが周りのバラックよりかはいくらかマシだ。


「逃げるまではこの時間なら店だが、あんな目立つとこにゃいねーだろーし」


 一階が練習所で二階がだだっ広い大部屋だそうだ。ダンサーたちはそこで暮らしている。

 裏口の戸をガシガシ揺らしていると、急にそこが開いた。スープを取ったダシがらをさらに三回ぐらい使ったような四十過ぎの女性が迷惑そうな顔をで銃を向けている。


「撃ち殺されたいの……って、あら、ビル」

「よお、メラニー。腰痛は治まったか?」

 別人のように愛想よくビルが微笑む。メラニーと呼ばれた女性は俺たちを中に入れてくれた。


 一階もほとんど物のない大部屋で、ただ壁に大きな鏡が張られ、長い丈夫そうなバーが取り付けられている。

 鶏ガラ女性はぴったりとしたレオタードを身につけている。練習の最中だったらしい。


「完全に治ったわけじゃあないけどね、一日さぼればすぐにヘタるのよ。生徒たちにはなめられたくないし」

「すげえ努力家だ。続けてくれ」


 女性はバーを使って基本のポーズを繰り返す。鏡にその姿が映っている。それをぼんやり見ていると、端に別の人影があるのに気付いた。

 メラニーよりいくらか年下の女性が部屋の隅に黙って立っている。若くはないだけで普通の容姿だが、発する気は暗い。


「なあ、シェリルからの伝言はなかったか」

「ないわよ。すでにサム・ライのとこの下っ端がさんざん捜したわよ」

 メラニーは足を大きく開き上げていく。


「あんな薄情な小娘より、ねえ、ビル……」

「嘘つき!!」

 隅に立つ女が暗い声を出した。


「姉さんはいつだって嘘ばかり。シェリルに紙きれ渡されていたじゃない! 昔じゃないんだしあんたの古びた色気が通用するわけがないわよ」


 メラニーが叫びながらもう一人に飛びかかっていったがあっさりビルが間に入り突き飛ばした。

 コルトパイソンを女の眉間にあてるとニヤニヤしながら言い渡した。


「死ぬか?」

 女が泣きながら命乞いをし、胸元からメモを取り出した。

「こいつが嘘だったら殺すし、おまえが妹を殴ったりしても殺す」

「嘘じゃないわ!」


「おい、妹。こいつがひどかったら俺の姿を見かけたとき声かけていいぞ」

 メモを受け取るともう一度女を突き飛ばして言葉を投げた。


「いつまでも兄弟げんかなんかすんなよババア」

 そしてメモを開く。

 彼はしばらくメモを見つめ、それから困惑した様子で俺を見た。


「なあ、これどういう意味だ?」

「どれどれ」


 紙には2+1=2とだけ書いてあった。


「続きを出せ」

「これしか渡されてないわ! ほんとよ!」

「叫ぶな、やかましい」

 メラニーの頭を踏みつける。けがする程ではなさそうなのでほっておく。


「シェリルは算数を知っているのか?」

「なんとか辺りをごまかして小学校は二年も行った。その後も自分で努力してけっこうなとこまでできた。俺も分数のかけ算までは教えた。こんな単純な足し算を間違うなんてことはありえない」

「まず、ここを出よう」


 命を狙われているこいつは、元から関係のあった場所に長くいない方がいい。


「おう。妹、助かったぜ。これやるから使え。一応銀だ」

 小指のリングを外して与える。なるほどこんな風に使うのか。


「メラニー、取り上げたら承知しない。絶対にぶっ殺す。二度と妹にちょっかいかけんなよ」


 がくがくとうなずく女をもう一度軽く踏んづけてビルは家を出た。俺は後を追った。


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