9. 目あての女は死んでいる
イエヤスから教皇庁に電話してケイトについて尋ねた。やはり地獄管理官は名前だけしか届けられていないそうだ。
天国側での調べも一筋縄ではいかなかった。まずケイト本人の意思があったことは確かだった。そしてその申請を通したいく人かは兄のファンで、彼が好意を示すケイトの存在をうとましく思っていた。
うかつにサインして状況を把握してなかった人もいるし、父や兄の政敵は少しでも勢いを落としたがっていた。
そんなこんなで彼女は地獄に入り、その行方は依然として知れない。俺は不安に身もだえしながら接客したり酒を運んだり、自動調理器のない厨房でパスタのゆで方を覚えたりと忙しく働いた。
宿泊は下の階のサロンの隅だ。いや最初はメイク用の小部屋で寝てたんだがケンシンちゃんなる背の高いカマに夜這いされたので身の安全をはかるためにやめた。
俺はこのことを誰にも話さなかったのだがなぜかシンゲンちゃんにばれ、二人は店が終わった後に取っ組み合いの大ゲンカをした。
おろおろしているとサコンさんが「いつものことだからほっておけ」と言って、害のないように隅に片づけた席に呼んでくれた。
「互いに関わりのある相手にちょっかいをかけあうが、ケンカの口実がほしいだけだ。実害はなかったであろう」
本物の戦国武将のように迫力がある。座り方も堂々として非常に男らしい。
ただ着ているのは胸もとまで大胆に開いたセクシーなドレスで、そこからはみ出た胸毛は剛毛で渦巻いているがすでに白い。
「あの二人、実は好きあってるんですか」
「いや全然。だがケンカ仲間としては最高らしいな。ほら見ろ、いいパンチだ。わしももう少し若ければ参加したいものだが」
見るからに強そうな人だ。「今でも大丈夫でしょう」と言ってみたが「みっちゃんに向かってくるやつ以外には手を出さんわ」と肩をすくめられた。
そういえば今日はずっとミツナリ嬢がいなかった。目線で尋ねたら「ヨシツグちゃんの見舞いに行っておる」と答えられた。
ヨシツグちゃんは人気も力もあるホステスだったが、今は病気で休んでいるそうだ。
「意外に情のある人なんですね」
なんか冷たそうに見えたが。サコンさんは嬉しそうにうなずいた。
「そうは見えぬだろうがいい方なのだ。わしは西区の出身であちらの似たような店で働いておったが前のオーナーが亡くなって、継いだ二代目がアホウだったので職を辞めて引きこもっておった」
「はあ」
「うちの店で働いてくれとオファーが各区から来たが、みっちゃんはこの店のホステスの一人にすぎないのに、わざわざ区を越えて勧誘に来た」
「へえ」
「あなたのような人と働きたい、と言ってくれたが人の悪いわしは提示された店の金の見積もりを見て『そんなはした金で買おうとは安く見られたものだな』とあざ笑った」
「ほお」
「するとみっちゃんはまっすぐにわしを見つめ『確かにあなたはこの程度の方じゃありません。店の用意できるお金はこれだけですが、私は自分の給料の一部をこれに上乗せします』と固い声を出した」
当時このバーはまだ前のオーナーのものだったが、予算はミツナリ嬢の自由にはならなかった。
「冷やかし半分でうなずいた。額は聞かずに契約し給料日に驚いた。思った以上に高い。気になったので当時のオーナーに聞いてみると、みっちゃんはなんと、自分のギャラの半分をわしに与えておったのじゃ」
びっくりした。いくらなんでものせすぎじゃないのか。サコンさんもうなずいた。
「あわてて断りに行ったがカノジョは頑として引かない。仕方がないのでそれ以上の働きを心がけた」
実際サコンさんは大変人気のあるホステスで指名も多いが、基本ミツナリ嬢とセットで受けている。
「そのうちみっちゃんのギャラも上がりそのたびに半額渡そうとするが、わしは最初の額だけもらっている。前オーナーに『ミツナリに過ぎたるものよ』といわれたことが最大の誇りだ」
とサコンさんは微笑んだ。
このように店には個性的な人が多い。そのせいか割とシフトに自由がきくのでシンゲンちゃんは趣味というかボランティアというかヒャッハー退治にいそしんでいるし、ケンシンちゃんもたまに手伝うようだ。だが俺がここに来てから心配していつもより店に入ってくれているらしい。
二日ほどしたらグレイスから店に電話があった。俺は受話器と呼ばれる手持ちの応答部分にとびついた。
「久しぶりね、シロウ」
「お久しぶりですっ。声が聞けて嬉しいですけどケイトはっ?」
「隣にいるわよ。話をさせてあげるわ」
「……無事で元気だよ、シロウ。君は?」
懐かしい声が俺の耳朶をくすぐる。なんだか信じられなくて、一瞬黙ってしまった。が、すぐに勢い込んだ。
「無事だ、無事っ。女装しているっ!!」
興奮のあまり伝えなくてもいい情報まで伝えてしまった。ぎゃっと思ったがそれどころではない。
ケイトは少し戸惑ったようだが地獄の風習かなんかだろうと流してくれた。
「す、すぐに帰るべきだっ。君がここにいたら危ない!」
「落ち着いてくれ。すぐに帰るつもりはない」
「いや帰ってくれっ。心配なんだ」
くすっと軽い笑い声が聞こえた。
「いろいろ悩んで煮つまっていて身を捨てるような気分で来たけど、今はいかに自分が傲慢だったか反省している。元の所とはいろいろ違うし生活の不満はあるけれど、ここにはここのよさもある」
彼女の声は明るかった。そして俺の説得を受け入れてはくれなかった。
「ここの人ともっと話していろいろ学んでから帰るよ。君に会いたいけどもう少し慣れてからだ」
「ケイト!」
「無茶はしないから安心してくれ」
「迎えに来たんだ!」
一瞬息を呑んだ気配があった。だが電話の声はグレイスに変わり「あちこち行く予定だから当分無理ね。チャオ、シロウ。また会いましょう」と伝えて切れてしまった。
俺は受話器を握り締めて立ちすくんだ。
彼女たちと連絡が取れたわけだからこの店から動かない方がいい。それは確かだった。№3も知らないのか飽きたのか現れない。メイクしてるので本物シロウとそっくりなことも気づかれにくい。
だけどケイトを迎えに行きたかった。気のすんだ彼女がここに来る前に見つけ出して守ってやりたい。
ーーーーしかし場所がわからない
また不安が胸を締め付ける。だがケイトは賢い。さっきの電話でも俺の事をシロウと呼んだ。空気は読める。
とはいえ俺は内心唸りながら仕事に戻った。すると二、三人が固まって話している。なんだろうと寄っていくと隅の席を指差された。頑固そうな年寄りが座っている。
「別に悪さもしないんだけどさあ、合成ジュース一杯で長時間粘るのよ」
「普通の店だったら追い出すんだけどうちの店じゃちょっとね」
「最初来た時はホログラム出してその子を知らないか聞いてたけど、うかつにお客の情報もらすわけないでしょ」
困っているようだから俺が行ってみた。「本日お勧めのカクテルなどいかがでしょう」と勧めたら、かみつきそうな顔をした。
「かまわんでくれ」
俺はすかさずオーダーを入れた。
「はい、カマお一人お願いしますっ」
「違うっ」
「お二人だそうですっ!!」
どすどすと音を立ててシンゲンちゃんとケンシンちゃんがやってきた。じいさんは俺をにらみつけているがにこやかに笑って「もう一人増やしますか」と尋ねた。
「初めましてえ。渋い方ねっ、素敵い」
「アタシケンシン。こっちの子シンゲン。よろしくね」
明るく話しかけられて気をそがれたらしいじいさんは、肩の力を抜いた。
「・・・・・・勝手にしろ」
「きゃーっ、太っ腹。あたし白ワインとほうとうパスタっ」
「じゃアタシは笹団子!」
すかさず二人が注文する。じいさんは圧倒されているようだった。俺はさっさと厨房に向かった。
白ワインと笹団子を届けていったん戻りあつあつのほうとうパスタを運ぶとシンゲンちゃんが嬉しそうにフォークでくるりと巻き取って口に運んだ。
「なにこれ?! 味がしないじゃない!」
「そういや厨房で味噌としょうゆが切れたって騒いでましたよ」
ほうとうパスタはシンゲンちゃんの好物だから客は食べないとふんでそのまま出したんだろう。カノジョはむっとした顔で「だからって味つけないのはひどすぎない?」とテーブルの上の塩入れに手を伸ばしたが運悪く空だった。
「まあっ」と憤慨の声を上げるのと同時にケンシンちゃんが他のテーブルから中身の入った塩入れを調達してきた。
「あんたなんか高血圧になっちゃえばいいのよ」と手渡す。
「相変わらず小憎たらしい。でもありがと」
いいコンビだと思う。ほほえましく思いつつ下がろうとすると呼び止められた。
「こちらの方ね、普通都市の人なんだって」
「娘さんを探しに来たんですって」
それは大変だ。しかしこの短い間で聞きだした二人のコミュニケーション能力に感心しながら「いつごろいなくなられたんですか」と尋ねて驚いた。
「三十年前!」
「おじ様気が長すぎぃ」
「お気の毒だけどもう処女じゃないと思うわあ」
「いやそれはあきらめとる。生きてさえいれば何でもいい」
当時十五の娘さんは悪い男にたぶらかされて出奔した。よその普通都市を探し回ったあげく、地獄にいるとの情報を掴んだ。
早速向かおうとした。だが一人娘をなくして精神状態を悪くした妻を置いていくわけにもいかなかった。金をだいぶ使ったが、当時の地獄は食料不足もあって今よりずっとひどい状況だった。調査員が何人も死んだ。
じいさんーーロイ・ムロイは、妻を看取ってから地獄都市に入った。一月ほど前のことだ。
「あちこちで聞いてみたがろくに話も聞いてくれん。人を雇おうにも誰も信用できない。みな金を狙ってハイエナのようになる。この店はまだましだ。迷惑そうにはするが休むことはできるし書いてある以上にとったりはしなかった」
「みんながみんな悪いやつでもないのよ。だけど普通都市から来たほとんどの人はルールも知らないしまっとうな人のこともみんな疑うから手助けもしないのよ」
「この子も普通都市の子だけどアタシたちを色眼鏡で見たりはしないからみんな可愛がってるわよ」
そうか俺、可愛がられていたのか。気づかなかった。
ロイじいさんは居ずまいを正すと「失礼な振る舞いをしてすまなかった」と謝った。意外に素直だ。二人も表情を緩めて「お客さんのことはあまり話せないけど見たことがあるかどうかぐらいは教えてあげるわ」「女の客はメイクの塗り方ぐらいしかちゃんと見ないから役に立たないかもしれないけどね」といいながらホログラフを出すように促した。
じいさんはコインぐらいのサイズの機械を開いた。白っぽい光の中凄くきれいな十五歳の女の子が浮かび上がる。知らない子だ。でも誰かに似ている。顎の形や鼻筋はロイじいさんにも似ているようだが……
「……カレン・アンダーソン」
思わずつぶやいた。じいさんはすがりつくような目を向けた。
「娘の現在の名前なのか?」
静かに首を横に振る。
「いえ、年からいって違います。でも、似ている」
「その子はいくつだ?」
「十八、いやもう十九かな」
彼の眸に希望というやっかいなものが現れた。話すべきだったのか俺は。
「孫かもしれない。その母を見たことがあるか?」
「ありません。彼女がもしあなたの孫だとしたら、娘さんの方は亡くなっているかもしれません」
「なぜだ!」
「カレン・アンダーソンは南区の前のボスの娘で、もう何年も前にボスは代わっているからです」
シンゲンちゃんが気の毒そうな声を出した。
「前ボスの奥さんは政変よりだいぶ前に死んだって聞いたことあるわ。残された娘を大事にしてたけど、今ボスに代わる時行方不明になったとか」
「……死んだのかエミリーは」
ロイじいさんは頬を濡らした。誰も慰められず、ケンシンちゃんがそっとおしぼりを渡した。彼はそれで顔を拭き、気丈にも「取り乱して悪かった」と頭を下げた。それからしっかり顔を上げて「孫のことを教えてほしい」と尋ねた。
俺はうなずき、差し障りのない情報をすべて提供した。